毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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28. 空の袋は、まだ匂う

 書庫番の老人は、几帳面な人だった。

 

 そして王宮には、もう一人、几帳面な人がいた。検めの間の記録係の老官吏である。聞けば、納品の綴りは書庫に納める前に、必ず写しを一部、監査の書庫へも回すのが彼の流儀だという。「紙は一枚だと燃えますのでな」。おかげで、殺された書庫番の預かっていた綴りは、写しの形で生きていた。

 

 几帳面は、毒より強い。

 

 聞けば老官吏は、書庫番とは古い将棋仲間だったのだという。「あれの綴りを、無駄にはしませんのじゃ」。眼鏡の位置を直す枯れた手が、その日は少しだけ震えていた。

 

       ◇

 

 手始めの三日間、検めの間の奥は紙の砦になった。昼は皿を検め、夜は紙を検める。私の指先はインクと埃で黒くなり、リヒト様の白衣の肘は灰色に染まった。手帳から書き出した「陰干しの毒」は、これで五件。白鈴の実、薬包の兜草、祝宴の兜草、偽の滋養酒の兜草、そして偽の引き菓子の白鈴。産地はいずれも北方内陸の黒土、乾燥は火を使わず、風の通る日陰で時間をかけた――同じ乾燥小屋の癖である。

 

「これだけの品数を同じ小屋で干せるのは、薬種の商いとしては大所帯だ。素人の裏庭じゃない」

 

「では、北のその筋の荷は、王宮のどこに着くのですか」

 

 老官吏の枯れた指が、綴りの写しの一行で止まった。北方の薬種と香料を扱える御用商は、一軒きり。荷は年に六度、決まった便で着いて、貯蔵庫の北の棚に納まるという。

 

「なら、紙の次は、棚です」

 

 物は、紙より嘘が下手なので。

 

       ◇

 

 貯蔵庫の北の棚は、綴りの写しどおりの顔をしていた。香料の箱、生薬の壺、几帳面な荷札。……ただし、棚の奥のいちばん暗いところに、商会へ返されたはずの包材が押し込まれていた。空の麻袋がふた口と、油紙がひと束である。

 

 麻袋の縫い目に鼻を寄せる。指先で払い落とした粉を、舌に載せる。

 

 まぶたが、上がった。

 

 兜草の名残。白鈴の名残。そして――あの、陰干しの癖。袋の隅には乾いた黒土の粒まで残り、荷札の焼き印は『北原屋・第七便』。つまり、この袋である。北の乾燥小屋の毒草は、正規の薬種に紛れて、この便で、この棚まで運ばれていた。空の袋というものは、中身より正直に、いつまでも匂うのである。

 

「裏取りだ。繊維の残留も土の質も、君の舌と同じことを言っている」

 

 リヒト様の器具が頷いて、そこで初めて、台帳が補助線として効いてくる。第七便の荷はすべて、侍従長府の検め判を通って王宮に入る。そして毒の出た時期の少し前には、決まって便が着いていた。白鈴の実の三日前。祝宴の兜草の五日前。偽の引き菓子の四日前。袋の匂いと、判の列と、私の舌の帳簿が、初めて同じ川筋を指した。

 

 念のため、書いておく。実家の菓子や、あの薬包のように、毒が「外から」持ち込まれた件もある。それらまでこの棚から出たとは、まだ言えない。言えるのは、同じ干し手の毒草が、侍従長府の判の道を通り、王宮の棚に台帳外の在庫として眠っていたこと――そこまでである。

 

 老官吏が湯呑みを置いて、深く息を吐いた。

 

「……五十年、判を捺す側におりましたがな。判がこれほど恐ろしい物とは、思いませなんだ」

 

 頭に浮かんだのは、皺ひとつない侍従長服と、湯たんぽのような声と、疲れ切った夜にそっと置かれた、蜂蜜の白湯である。いや――判は府の物で、府の判を使える手は一つではない。侍従長府には官吏が四十人からいる。手帳には、自分に釘を刺しながら書いた。『北原屋ノ便。判ノ道。手ハ未ダ』。

 

       ◇

 

 夜半、紙の砦に、湯気の立つ盆が届いた。

 

「精が出ますなあ。……夜なべのお供に、と思いましてな」

 

 オルデン様である。盆の上には、蜂蜜の白湯が三つ。湯気の立ち方まで、あの夜と同じである。柔和な垂れ目が、積み上がった台帳の山を、感心したようにゆっくり眺めた。

 

「古い紙は、埃で喉をやられますのじゃ。どうか、おいといなされ」

 

「……ありがとう、ございます」

 

 白湯は、検めた。白である。温かくて、甘くて、何も入っていない。何も入っていないのに、あの夜と同じ味が、あの夜と同じようには、喉を通らなかった。

 

 足音が遠ざかってから、リヒト様がぽつりと言った。

 

「……いい人だね、侍従長どのは」

 

 私は返事の代わりに、空になった椀を、静かに伏せた。

 

       ◇

 

 報告を聞いた殿下は、長いこと黙っていた。

 

「侍従長は、父王の代からの忠臣だ。俺が匙を持てなかった三年も、あの人の府だけは一度も帳尻を違えなかった。……それが、今のところ唯一の、判の道か」

 

「証拠は、道までです。人には、まだ届いていません」

 

「では、人まで辿れ。……ただし、静かにだ。相手が白なら、忠臣を疑った傷が残る。相手が黒なら――」

 

 殿下は、そこで言葉を切った。黒なら、向こうはもう、こちらの手札を数え始めている。

 

 頷いて、退がる。廊下の燭台がいつもより暗く見えたのは、たぶん、芯のせいではない。

 

 翌朝。その静けさを破ったのは、離宮からの早馬だった。王太后さまの夜の薬湯に――毒。

 

 報せの紙を持つ手の下で、嫌な符丁が鳴った。判の道の先で、誰かが次の頁をめくった音である――。

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