毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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29. 毒に、遺書を添えて

 王太后さまは、ご無事だった。

 

 報せから半刻後の離宮は、門という門が閉ざされ、廊下には青ざめた女官たちが壁際に並んでいた。その奥で、黒衣の女主人だけが、いつもの背筋と、いつもの扇のまま座っていた。

 

 助けたのは、六十二年ものの用心深さである。毎夜の薬湯を口元へ運び、香りが「半歩ずれておった」だけで匙を置いた。それから侍女も女官も部屋から出さず、離宮の門を閉じ、名指しで毒見役を呼んだ。手際だけ見れば、宮廷の誰より検めの作法が身についておられる。

 

「飲んではおらぬ。……が、わたくしの茶に手を入れた者が、この離宮の内にいる。検めよ、毒見役。全部です」

 

「承りました」

 

 薬湯の残りを、いただく。まぶたが、上がった。

 

 兜草。それも一服で仕留める濃さ。精製は玄人、そして乾燥は――風の通る日陰の、あの陰干し。手帳の行が、また一つ埋まる。『同ジ干シ手。六度目』。

 

 薬草の壺も検めた。王太后さま常用の生薬に、あらかじめ混ぜ込んである。壺に触れられるのは、薬湯当番の女官二人だけ。一人目の手巾は、白。二人目の女官の手巾から――同じ陰干しの粉の匂いがした。

 

「その手巾、検めさせていただいても?」

 

 女官は、逃げなかった。逃げる代わりに、その場に崩れて、途切れ途切れに白状した。病の弟。嵩む薬代。ある日部屋に置かれていた金貨の袋と、差出人のない文。……もう何度目かの、同じ筋書きである。この手配網は、いつも懐の寒い所へ、正確に釣り糸を垂らす。釣られた者ばかりが牢へ落ちて、竿の主は袖も濡らさない。この帳尻の悪さには、そろそろ落とし前が要る。

 

 ただ、今度の女官は、文を燃やしていなかった。

 

 差出人のない指図の文を、彼女はいざという時の保身にと、床板の下に隠し持っていたのである。差し出された文には、こうあった。『事切レタルヲ確カメテ後、コノ封ヲ枕辺ニ置キ、空ノ杯ヲ添エヨ』。

 

 文と一緒に出てきたのは、蝋で封をされた薄い包みだった。監査役の立ち会いで開くと、中身は一通の書状である。女官の字ではない。見事な、けれどどこか作り物めいた老婦人の筆跡で、こう始まっていた。

 

『――この宮廷を騒がせし毒の数々は、みなわたくしの差配なり。孫可愛さの迷いと、老いの妄執を、いまさら恥じても遅く……』

 

 王太后さまの、遺書。それも本人がまだ息をしているうちに、外の誰かの手で書き上げられ、封までされた「完成品」である。

 

「二段構えです。薬湯で王太后さまを亡き者にし、息のないことを確かめてから、この遺書と空の杯を枕元に置く。自ら罪を認めて服毒した形の、出来上がりです。……死人は申し開きをしませんので、連続の毒殺は全部、亡くなった王太后さまの罪になり、調べはそこで閉じます」

 

 離宮の小部屋が、しんと冷えた。企ての手口より、企ての行儀の良さが恐ろしいのである。人一人を消す段取りに、後始末の紙まで先に刷って、封までしてある。

 

 筆の検分は、その場で行われた。事情をお聞きになった王太后さまは、眉一つ動かさず紙を引き寄せ、遺書と同じ文言を一行、実際に書いてみせられた。リヒト様が二枚を並べて、片眼鏡の奥の目を細める。

 

「縦の画の、押しが違う。王太后さまの筆は、とめに力が乗る。遺書のほうは形だけなぞって、速い。……別人の手です。それも、相当に書き慣れた偽筆だ」

 

 これで、動かない事実が三つ、卓に並んだ。

 

 一つ。指図は、王太后さまが「事切れた後」の段取りまで含む。自分の死を自分で待つ企てなど、ない。二つ。遺書は偽筆である。三つ。金貨と、差出人のない文と、懐の寒い者を釣る釣り針――過去の五件と同じ、あの手配網の癖である。

 

 つまり、王太后さまは毒を盛る側ではない。盛られて、罪ごと着せられる側だった。茶会の毒も、引き菓子も、すべては今夜のための下拵え。疑わしい祖母君を仕立て上げてから、消す。それが筋書きの全部である。

 

       ◇

 

 駄目押しも、並んだ。遺書と指図の紙は、市中の紙ではない。透かし入りの官用紙――それも、侍従長府で使われる綴じ紙と同じ()きである。そして女官の部屋の文の折り方は、配膳係の侍女の文とも、祝宴の配膳頭の文とも、同じ癖だった。

 

 判の道の先に、紙の癖。矢印が、一つの府を指して並んでいく。

 

       ◇

 

 辞去の間際、王太后さまに呼び止められた。

 

 黒い扇が、ゆっくり開く。内側に貼られた、色褪せた似顔絵が、今度は隠されなかった。黒髪で、生真面目な眉の、幼い男の子の絵である。

 

「……この絵の子が、この絵の顔で笑うていた頃から、わたくしはあの子の食卓だけを案じてきた。毒で母を亡くした子よ。食べることを、恐れて育った」

 

 初めて聞く話だった。殿下の母君――先の王太子妃が早くに身罷ったことは、記録でしか知らない。記録は、遺された子がどの食卓で初めて匙を置いたかまでは、書いていないのである。扇が、ぱち、と閉じる。

 

「そなたが来てから、あの子は食べるようになった。……アーベルを、頼む。礼は言わぬ。これは、命令ぞ」

 

「契約範囲内、ですので」

 

「ふん。……無粋な娘よの」

 

 その口元が、ごくわずかに緩んでいたことは、記録係のいない小部屋のことなので、私の手帳にだけ書いておく。

 

 監査院は翌日、侍従長府の薬種蔵の検めを決めた。紙が焼ける前に、物を押さえる。順当な、そして急がれる手である。

 

 矛先は、もう定まった。証拠の矢印は、侍従長府を指している。あとは、府のどの手が黒いのか――それだけである――。

 

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