毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
北の塔の一室は、思いのほか静かな職場だった。
寝台と、卓と、鉄格子の嵌まった細い窓がひとつ。世間ではこれを牢と呼ぶらしいが、雨風のない寝床と日に二度の食事が付く。待遇だけ読めば、悪くない条件である。窓の下には厨房の煙突が見えて、煙の匂いで献立の見当がつく。今日の夕餉は、豆と塩豚の煮込みと見た。
やることがないので、昼寝をした。
覚えたことも、二つある。一つ。囚われ人の食事の残りは、当直が下げて詰所で始末する決まりである。始末とは建前で、要は賄いの足しだ。二つ。当直三人のうち、いちばん若い衛兵は、いつも私の残した麺麭の耳まで綺麗に持って帰る。育ち盛りか、あるいは――給金の行き先が、他にあるのか。
塔暮らし二日目の夕、検めの札付きで、盆がひとつ上がってきた。
目の前で茹でたらしい卵と、焼き直しの
◇
四日目の昼に、その盆は来た。
『王宮厨房ヨリ差シ入レ』の木札。白い粥と、蜂蜜の焼き菓子。運んできた若い衛兵は目を合わせずに卓へ置き、そそくさと戸口へ退がった。
湯気を、ひと呼吸ぶんだけ鼻に通す。……なるほど、である。
第一に、粥がおかしい。グレゴールさんは、寝てばかりの幽閉人に消化の良い飯を出すほど優しくない。第二に、菓子の蜂蜜が上等すぎる。そして第三に――粥の底から、乾いた草の、あの匂いがするのである。
兜草。玄人の精製。北の黒土。風の通る日陰で、時間をかけた陰干し。そして量が、尋常ではない。椀ひとつで、人が三度は死ぬ濃さである。
まぶたが、上がった。牢の中で、である。
八度目だ。手帳は押収されたままなので、頭の中の帳面に書き付ける。『同ジ干シ手。八度目。牢マデ出前』。念のため菓子の端もひと欠片検めた。こちらは白。毒は、腹に溜まる粥のほうへ全部張ってあった。
さて、敵の身になって算盤を弾く。私がこの粥で死なないことは、あの晩餐の夜に検分済み。盛りすぎの膳に手を付けないことも、囮の食卓の夜に見られている。つまり敵は、私がこの粥を残すところまで勘定に入れているのだ。
――では、残した粥は、どこへ行く?
決まりなら、覚えたばかりだ。下げた膳を始末するのはいつも、麺麭の耳まで持って帰る、あの若い衛兵である。
背中が、すっと冷えた。この出前の宛先は、私ではない。私の、残り物である。
◇
私は扉を叩いて、当直のお三方をお呼びした。
「この粥には、兜草が入っています。人が三度死ぬ量です。菓子ともども大帳に載せて、封印をお願いします。……それから」
私は、いちばん若い衛兵を見た。
「あなたは今日から、私の残り物を口にしてはいけません。この粥は、私を殺す毒ではありません。私が残した粥を始末する――あなたを殺す毒ですので」
若い衛兵の顔から、血の気が引いた。一歩、二歩と退がって、背中が壁に付く。心当たりのある顔、である。
「最近、何か『軽い使い』を頼まれませんでしたか。金貨と、差出人のない文で」
彼は、廊下の石に膝から崩れる。曰く――家宅捜索の前の夜、部屋に金貨の袋と文が置かれていた。『明ケノ巡回、北棟ノ廊下ヲ一巡飛バセ。読ミ次第焼ケ』。番は持ち回りで、つい先日まで彼は北棟の夜回りだったのである。悪いこととは思わなかった、一巡遠回りをしただけだ――白状の後の半分は、言葉にならなかった。病の母と、嵩む薬代。聞き飽きた筋書きである。聞き飽きたが、慣れはしない。この手配網は、人の懐のいちばん寒い部屋にだけ、正確に釣り糸を垂らすのだ。
その空いた一巡の間に、誰かが私の床下へ筋書きを埋めていった。そして文は、焼かれずに残っている。後ろ暗さが、捨てさせなかったのだという。枕の下から出た薄い紙の折り方には――王太后さまの女官の文と、同じ癖があった。
使いの済んだ端役は、皿ごと片付けられる。書庫番の老人がそうだった。荷改めの官吏も、そうである。後始末の帳面の次の行に、彼の名が載っていたのだ。死に場所は、私の牢の前。口封じと『毒見役が牢からも盛った』の筋書き、一石二鳥の算段である。
「……生きて、証人におなりなさい。そのほうが、割に合いますので」
年嵩の衛兵が、詰所の大帳に一部始終を書き付けた。粥と、菓子と、巡回飛ばしの指図の文は、開封の刻限と立ち会いの名を添えて封印される。几帳面は、毒より強いのである。
敵の手違いは、三つ。一つ、毒の出前を毒見役の鼻の先に通したこと。毒は、私の前では黙らない。二つ、筋書きの都合で、粥の毒は『私の隠し毒』ということになっている一連の陰干しでなければ辻褄が合わないこと。手持ちの札で指し手が決まる、窮屈な受けである。おかげで、あの干し手の毒がいまも外で息をしていると、皿が白状してくれた。三つ、口封じの相手を、私の目の届く場所で消そうとしたこと。おかげで証人は生きて、私の隣にいる。……この盆一枚が、あの筋書きの、いちばん柔らかい急所である。
◇
五日目、面会がひとつだけ許された。黒衣の扇のお方の、名代の老女官である。言伝は、短い。
「『侯爵家の娘なら、公開の場で申し開く権利がある。……籍は、使いや』と。以上にございます」
絶縁は嘘と詰られた籍が、今度は審問の扉を開ける鍵になる。嘘も籍も、道具は使いようである。
公開審問は、七日目。場所は、あの大広間。
膳の支度なら、慣れている。今度の膳に載るのは、私自身であるが――。