毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~   作:月城 友麻

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36. 食べても、消えない毒

 大宴の支度で、私の昼寝は十日連続で戦死した。

 

 当日の夜。大広間には千の蝋燭が灯り、磨かれた銀器が光をため、床は諸侯の衣擦れと香の匂いで満ちている。雛壇の玉座には国王陛下、隣の座に王太后さま、一段下の卓に殿下。宮廷の騒擾を鎮め、王家の健在を内外に示す宴――触れの文句どおり、顔ぶれは審問の朝より、なお多い。あの生誕祭の三夜と同じ設えのはずなのに、今夜は花の香より、蝋の匂いばかりが鼻につく。

 

 そして大扉は、閉じている。騒擾の後ゆえ警備を固める、という名目で、開式から閉式まで大扉を閉ざす沙汰が出ていた。判は、謹慎前の侍従長府である。沙汰の主を思えば、開けておきたい扉だが、触れは国王陛下の名の下。いち毒見役の口出しで動く格の代物ではない。

 

「檻と書いて、宴と読む夜だね」

 

 帷の陰の検め卓で、リヒト様が小声で言った。冗談の顔では、ない。

 

 こちらの備えは、規程の全部載せである。毒見皿は二重、取り分けは別の手。皿は検めが済むまで配膳台で待ち、王家が匙を取るまで、諸侯も手を付けないのが作法。リヒト様は器具ごと検め卓に常駐し、グレゴールさんは厨房に本陣を張り、皿の通る道には近衛が立つ。『最後ノ御奉公』の五文字を読んで以来、この宴をただの宴と思っている者は、味方には一人もいない。

 

 一品目の毒見皿が、届く。

 

 白身魚の焼き物。全量、いただく。……おかしい。毒の味が、しない。しないのに、舌の奥が、ざらりと引っかかるのである。麻痺でも痺れでもない。成分としては毒とも呼べない、香料めいた薄い何か。その裏に――編み目。

 

 まぶたが、上がった。

 

「リヒト様。魔毒です。成分はほとんど空。器だけ寄こして、中身は術式です」

 

 二品目も、三品目も、同じ味がした。汁物にも、麺麭にも、酒にも。全皿である。検めても、意味がない。この毒は、食べても消えない。四月半で初めて、完食が何の役にも立たない膳である。

 

 リヒト様の器具が、皿の縁に淡い紋様を浮かび上がらせた。片眼鏡の奥の目が、すっと細くなる。

 

「発火の術式だ。皿の油と蝋に親和する編み方。起動は刻限式――節の巻きから読んで、残りは四半刻あるかないか」

 

 設えも仕出しも、十日かけて検めてある。皿も蝋も、砂糖の城も、そのときは白だった。眠った編みは器具にも舌にも匂わず、火と熱が通って初めて起きる。……検めの手順を知り尽くした人の、設計である。

 

「消せますか?」

 

「一皿ずつならね。この数は無理だ。親元の紋がある。子の紋は親を写す。親を折れば、子は起きない」

 

 皿は、もう諸侯の卓に並び始めている。閉じた大扉。千の蝋燭。楽の音と、さざめく笑い声。……この光景の全部が、薪の上に載っているのだ。

 

       ◇

 

 殿下は、報せの中身を瞬きひとつで飲み込まれた。

 

「皿は下げさせる。給仕の作法のままにだ。……騒ぎは、火より早く人を殺す」

 

 声は静かである。三年、毒に囲まれた食卓に着き続けた人は、恐れの扱い方を知っているのだ。それから殿下は、一拍だけこちらを見て、短く仰った。

 

「行け。広間は、俺が抑える」

 

 頷きをひとつ、お返しする。言葉より軽く、命令より重い遣り取りである。

 

 給仕たちが「お替えでございます」の顔で、皿を粛々と引き上げていく。諸侯は気づかない。ただ、王太后さまだけが扇の陰からこちらを一瞥し、すべてを察した顔で、ゆるりと立ち上がられた。

 

「よい夜や。……余興の前に、年寄りの長話を聞いてもらいますえ」

 

 黒い扇が、ぱち、と開く。広間の目が雛壇に集まる。四半刻を買うための話術というものを、私はこの夜初めて見た。

 

 私は下げられてくる皿の味を順に拾い、編みの濃さを頭の中の地図に置いていく。濃い方へ、濃い方へ。矢印の先は主卓の中央――王城を模した、砂糖細工の城である。

 

「うちの窯の子じゃねえ」

 

 グレゴールさんがひと目で言い切った。仕出しの飾り、納入の判は府。あの方の、置き土産である。

 

「親紋はこの中だ。ここでは折れない。運ぶよ」

 

「なら、俺が抱える」

 

 熊の腕が、砂糖の城を丸ごと持ち上げた。皿の通る道を私が先導する。狭い配膳通路を、砂糖の城と、白衣と、毒見役が一列で走った。通路は蒸し暑く、石壁には燭の油と昼の煮炊きの匂いが染みつき、その上を砂糖の甘い香りが走っていく。甘い匂いをこれほど恐ろしいと思う夜は、初めてである。石造りの洗い場に据え、リヒト様が匙の先で紋様を辿り、要の一画に細い針を立てる。

 

「――折るよ」

 

 遠くで、締めの鐘が鳴り始めた。

 

 砂糖の城が、一瞬だけ、内側から橙色に灯る。灯って、消えた。祝杯の歓声が、壁越しに丸く届く。

 

 王城は、燃えなかった。砂糖のほうも、石のほうも、である。歴史書に載らない勝ち戦が、配膳通路の湿った石の上で、ひとつ終わった。

 

       ◇

 

 宴は、何事もなく終わった。何事もなかったことが、この夜のいちばんの戦果である。王家の健在は、皮肉にも、あの方の設えた宴で内外に示された。

 

 夜半の検めの間。燭の芯が、じじ、と鳴る。リヒト様は死んだ紋様を解きながら、長いこと黙っていた。沈黙の長い人ではないので、嫌な予感がする。

 

「……この編み、腕が違う。あの焼き菓子の三流とは別物だ。王都でこれを編める工房は、三つとない」

 

「それは、絞りやすくて朗報では」

 

「そこまではね。問題は、こっちだ」

 

 器具の上で、折れた紋様の裏に、もう一枚、薄い編み目が透けていた。

 

「二層ある。上の火は、派手に見つけさせるための表の層。下のこれは――まだ、読めていない」

 

 同じ夜。皿を下げ続けた給仕がひとり、空の盆を持ったまま廊下で立ち止まっていたという。曰く。

 

「はて。……わたくしは、何を運んでいたのでしたか」

 

 二層目は、もう始まっていた――。

 

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