毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
毒見役の朝は、遅い。
王族の朝食は簡素で毒の入り込む隙が少なく、本番は昼餐と晩餐。つまり午前は、堂々と昼寝ができる。寝台は固いが、誰にも起こされない眠りは、実家のどの羽根布団より上等だった。壁越しの厨房の物音も、三日で心地よい子守唄になった――。
――はずだったのだが。
「毒見役。執務室へ」
三日目の朝、侍従さんの声で叩き起こされた。王太子殿下のお召しである。昼寝の予定表が、早くも崩されていく。
執務室は、書類の砦だった。積み上がった決裁の山、山、山。窓の光は書類の壁に遮られ、部屋の主のところまで届いていない。その谷間で、殿下がペンを走らせている。隈は今日も健在で、傍らの茶は、湯気の立ったまま手つかずである。部屋にはインクと封蝋と、冷めた茶の匂い。窓があるのに、日向の匂いのしない部屋だった。
「茶を、見てくれ」
「昼餐と晩餐が契約範囲ですが」
「……頼む」
命令ではなく頼まれてしまうと、弱い。私は茶器を取って、一口含んだ。
渋みの奥に、じわりと灰の気配。ゆっくりと、底のほうで曲がっていく甘さ。――まぶたが、上がる。
「灰銀花の根。遅効毒です。一杯では何も起きません。十日、二十日と続けて、じわじわ胃と肝の臓をやられます。……このお茶、いつから飲んでおられますか?」
「新しい茶葉になって、七日というところか」
「では、あと十日ほどは、仕掛けた側の予定の内です。以後、お茶も私が先に」
言って、残りを飲み干した。殿下が、わずかに眉を動かす。
「飲むのか。遅効と分かっていて」
「飲まないと、量の変化が分かりませんので。それに――死にはしませんので、お気になさらず」
「……変な女だ」
料理長と同じ感想である。この宮廷の男性陣は、語彙を共有しておられるのだろうか?
念のため、茶葉の缶も検めさせていただいた。封蝋も、納入の印も正規のもの。葉そのものに罪はなく、湯に落ちる何かが、缶がここへ届くまでのどこかで足されている。つまり――王宮の、内側で。外の敵より一段と嫌な結論を、手帳の隅に小さく書き留めておく。
その日から、執務室の茶も職務に加わった。行ってみれば毎度、書類の山が育っていて、殿下の隈も育っている。中庭の鐘が午後を報せる頃、湯気の向こうで書類をさばく音だけが続く、静かな時間である。何日目かの茶の席で、殿下がふと、独り言のように話し始めた。
「……三年で、三十一度。毒を盛られた回数だ。うち二度は、隣で毒見役が倒れた」
「はい」
「以来、会食を断っている。婚礼の打診も、他国の使節の招きも、全部だ。毒見役に人が居着かん以上、食卓を開けば誰かが死ぬ。だが――」
ペンが、止まった。
「王太子が食卓を開かぬというのは、政に響く。同盟も、縁組も、貴族どもの腹の探り合いも、半分は食卓の上で行われるものでな。……食えない王太子は、頼りない王太子だ。継承の風向きというのは、そういう所から崩れていく」
淡々とした声だった。泣き言の湿り気はなく、帳尻の合わない台帳を読み上げるような、乾いた声。窓の外では、中庭の木々が呑気に揺れている。この方は、怖がっているのではなく、詰んでいるのだ。食べなければ弱り、食べれば狙われ、人を座らせれば人が死ぬ。三年間、この書類の谷底で、湯気の立つ茶を冷まし続けてきたのだ。
「……つまり、私が毎回先に食べれば、解決ですね」
「そう単純な話では」
「単純にするのが、毒見役の仕事ですので」
殿下は虚を突かれた顔をなさって、それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。隈の下で、冬空色が二度、瞬く。笑い方を思い出し損ねたような、不器用な緩み方だった。
「……
「契約範囲内です」
殿下は少し黙って、それから、ぽつりと付け足した。
「……助かっている。言いそびれていた」
「お礼は、給金に含まれておりますので」
そう返すと、また虚を突かれた顔をなさった。この方は、存外に不器用な方なのかもしれない。
こうして私の毎日に、「殿下の食卓」が組み込まれた。三食昼寝つきの平穏な暮らしと言うにはやや湿度が高い気もするけれど、空になった湯呑みや皿が下げられていくのを見るのは、存外悪くない。
――その夜の晩餐で、また一品、隠し味が出た。これで三日連続である。出どころの違う毒が、日替わりで、律儀に。うちの台所、どうやら中に、招かれざる手が居る――。