毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
論功の沙汰は、宣誓式から十日おいて下った。
謁見の間は、初めて入る部屋だった。長い赤絨毯の先に玉座があり、高窓の光が浮遊する埃を静かに照らしている。自分の靴音がやけに大きく聞こえるのは、床のせいではなく、場のせいである。呼ばれたのは、監査院の綴りを支えた顔ぶれだった。リヒト様には王立の研究室と扶持の加増(「棚が三倍だ!」と、謁見の間で叫びかけて咳払いに変えておられた)。グレゴールさんには膳部の総轄(「肩書きで味が良くなるのか」とぼやきつつ、帽子はいつもより深く被り直していた)。そして私には――「毒見役筆頭」。新しく作られた職名だそうで、拝受した辞令の紙は、真新しいインクの匂いがした。
八つの歳から十一年、悪食令嬢と呼ばれてきた娘に、国が職名をくれたのである。紙一枚が、妙に重い。毒百合の水をおかわりして庭を騒がせた八つの私に、教えてやりたい重さだった。
望みの品を問われたのは、その席である。玉座の陛下は、殿下と同じ冬空色の目をしておられた。
「侯爵家の娘が、よう務めた。褒美を申せ」
「三食と、昼寝の継続を。それから――後任の毒見役たちに、給金と、休暇と、線を引かないで済む帳面を」
謁見の間が、妙な間で静まる。陛下は一拍おいて、喉の奥で低く笑われた。
「……変わった娘だ。アーベル、聞いたか」
「はい。
変な女だ、の最上級をいただいた。悪い気は、しない。
◇
その晩の論功の宴で、私は生まれて初めて、祝われる側の椅子に座った。
座り心地は、悪い。検める側の椅子なら、皿の出る順も給仕の立ち位置も、燭台の影の落ち方まで頭に入っている。祝われる側の椅子は、ただ座って、注がれて、笑っていればいいらしい。世の中の方々は、こんな無防備な家具に、よく毎晩座れるものである。
楽の音、燭台の火、行き交う杯。広間は蜜酒と香油の匂いで満ち、祝辞は重なりすぎて、もう誰のものか聞き分けられない。皿が出るたび、手が勝手に検めの段取りを組んでは、職分ではないと思い出して膝に戻る。祝われるというのは、存外、落ち着かない労働である。おまけに今夜は、女官の方々に寄ってたかって着せられた正装で、袖のレースが検めの邪魔になる仕立てである。乾杯の口上が済んで、私は自分の杯に、作法どおり口をつけた。
……おや。
まぶたが、上がる。今夜は、低いところまで。
腹下しの薬草である。量は乱暴、混ぜ方も乱暴、香りを隠す工夫すらない。いつかの、量の優しい眠り草をふと思い出して、妙に懐かしくなる。あれは仕返しにも作法があった。これはただの、雑な妬みである。
「いかがなさいました、筆頭どの」
「いえ。……いただきます」
飲み干して、隣の給仕に耳打ちをひとつ。騒がせる筋の毒ではないので、宴はそのまま続けさせた。祝いの席の毒には、慣れている。祝われる側の席の毒は、初めてだけれど。
種は、宴の後で割れた。薬草は膳部の棚の品で、棚の鍵の当番表に、名前がひとつ浮く。膳部の次席どのである。検めの間が膳部から独立し、筆頭職が立ったことで、長年の縄張りをひとつ失った方である。控えの間に呼ばれた次席どのは、悪あがきをせず、ただ古い上着の襟を正して立っていた。誇りの残骸というものは、姿勢に出る。
「……成り上がりの小娘が、と思うたまでのこと」
「思うのは、ご自由です。ただ、ご自分の棚の、ご自分の鍵で、ご自分の当番の晩に盛るのは、感心しません。帳面は、正直ですので」
沙汰は降格、府の外れの倉番へ。恨まれた理由が「昇進」というのは、初めての経験である。手帳に一行、書いておいた。『祝ワレル側モ、要検メ』。
◇
宴の帰り、月の回廊を殿下と並んで歩いた。夜気は澄んで、庭の白い砂利が月あかりで水面のように光っている。歩幅が、私の歩幅である。いつから合わせてくださっていたのかは、検めないでおく。
「筆頭どの、と呼ばれていたな」
「妙な響きです。名札が、急に重くなりました」
「重いか」
「いえ。……三食昼寝つきの上に載るぶんには、大抵のものは軽いです」
殿下は「そうか」とだけ言って、しばらく黙って歩いた。砂利の鳴る音が、二人ぶん。それから、ため息とも呼べない小さな息がひとつ。
「論功は、済んだ。……例の話は、近いうちに」
「承知しました。昼寝の予定は、いつでも動かせますので」
翌朝である。検めの間の戸口に、見覚えのある佇まいが立った。皺ひとつない燕尾に、白髪をきっちり撫でつけた――実家の執事である。抱えた荷がひとつ、書状がふた通。一通は父の、荘重な筆。もう一通の宛名は、踊っていない、生真面目に硬い字だった。差出人の名は、ユリウス・ローデン。
嫌な予感と、妙な予感が、同時にした――。