毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
執事は、十一年前と同じ角度で頭を下げた。
「お嬢様。……いえ、筆頭様と、お呼びすべきですかな」
「ヴィオラで結構です。お変わりないようで、何よりです」
毒百合の日を、ふと思い出す。庭が真っ青な大人たちで埋まった昼下がり、この人だけが騒がず、黙って水差しを取り替えて、それから小さく一礼をした。あの日から十一年、この角度は変わらない。変わらないものを一つ持っている家は、まだ捨てたものではないのだと思う。
検めの間の卓で、荷が解かれる。南方渡りという触れ込みの、霊酒がひと瓶。飴色の硝子に、金の飾り紐。……この見てくれには、覚えがある。隣に父の書状。上等な紙に香まで焚きしめて、荘重な、見事な筆である。曰く、そなたの誉れは家の誉れ。曰く、過日の行き違いは水に流し。曰く、しかるべき折には家としても――。
しかるべき折、の四文字だけ、墨が心持ち太い。太子妃候補の噂は、実家まで届いているらしい。掌というものは、よくもまあ、こう何度も返るものである。怒りは湧かなかった。湧いたのは、帳簿の検算をするときの、あの平らな気持ちだけである。
先に、もう一通を開いた。定規で引いたように四角い字が、拝啓から結びまで律儀に並んでいる。紙の裏には、書き損じを重ねた跡がうっすら透けていた。
『拝啓 その後、息災か。私は領地で薬草の目利きを一から習わされている。恥の多い手習いだが、乾燥の甘い兜草くらいは、私にも分かるようになった。ついては一つ、報せたい。例の「特別な
読み終えて、私は瓶の飾り紐を眺めた。間に合っている。あの夜会の頃を思えば、当人の成長のぶんだけ、ずっと早く。
「検めます」
栓を切り、盃に一滴。舌に載せる。――香料の厚化粧。粉っぽい痺れ薬。湿気た兜草の雑味。ダール侯の宴の「滋養酒」と、寸分違わぬ寄せ集めである。
まぶたが、上がる。ついでに、ため息が出る。
「同じ掃き溜めの、同じ岸辺です。……お父様は、見栄の市場のお得意様におなりのようですね」
執事は目を伏せて、それでも口の端をわずかに緩めた。
「お戻しに、なりますな?」
「はい。ただし、書き付けを添えて」
返書は、西日の差す卓で、外行きの言葉で書いた。
『お父様。御品、拝見いたしましたわ。香料三種、粉の痺れ薬、古い兜草を確認いたしましたので、御返し申し上げます。御買い上げの商人は、監査院へ届け出ましたわ。今後の御進物には、鑑定の代金として銀貨十枚を頂戴いたします。――娘は息災です。三食昼寝つきですので』
鑑定書を一部、丁寧に同封する。瓶の中身は危険物として監査院へ引き渡し、洗って空けた瓶だけを箱へ戻す。突き返すにも、作法というものがある。封は、家紋の判ではなく、検めの間の判で締める。検出の記録は商人の網の綴りにだけ載り、侯爵家の名は官の帳面に残さない。その程度の情は、娘として残しておいた。情というより、帳尻の付け方の趣味である。
それから、四角い字の主にも、短い返書を書いた。
『拝復 間に合いました。文は、役に立ちました。目利きの手習い、あと十年は励んでください。……次は、報せではなく近況で結構です』
書き終えてから、最後の一行を消すかどうか、少しだけ迷った。消さないでおく。疑うすべを教えた覚えはないけれど、習ったと言われて悪い気のしない日だった。
◇
商人の網は、三日で上がった。
ユリウス様の文で足取りが繋がり、リヒト様の検分が品を割り、監査院の帳面が金の流れを畳んだ。掃き溜めの岸辺には屋号があり、屋号には名前があった。ダール侯の宴から空白のままだった手帳の欄が、ようやく埋まる。『名前ノ欄、埋マル。遅レテ
執事は帰り際、荷より軽くなった風呂敷を畳みながら、ぽつりと言った。
「毒百合の日から、存じておりました。お嬢様は、大物におなりになると」
「十一年前のお見立てに、追いつけているとよいのですが」
「……追い越しておいでです。とうに」
深い一礼が、戸口の西日の中で長い影になる。実家との帳尻は、これでいい。返せる品は返し、届いた情だけ、受け取っておく。荷のほどけた卓の上で、四角い字の手紙だけ、手帳に挟んで仕舞った。
夜、書斎の茶は白だった。殿下が、卓の手紙の山へちらりと目をやる。
「実家に、戻る気は」
「いいえ。二度目のご質問ですね。……こちらの卓のほうが、検め甲斐がありますので」
「そうか」
短い返事の耳が、燭の火のせいではない色をしていた。
「明日の夜、空けてくれ。……例の話だ。逃げるなよ」
「職務中の逃亡は、契約違反ですので」
手帳の明日の欄に、一行。『夜、例ノ話。昼寝ハ昼ノウチニ』――。