毒が効かない体質を「気味が悪い」と婚約破棄されたので、王太子殿下の毒見役に ~毎晩どなたかが盛ってくださるので、豪華料理が食べ放題!~ 作:月城 友麻
宮廷毒物学者という肩書きから、私は勝手に、辛気くさい老学者を想像していた。
翌朝の検めの間は、器具の引っ越しで、ちょっとした戦場である。硝子管の束、天秤、七輪めいた小さな炉、謎の紋様の刻まれた銀板。運び込む本人が誰より嬉しそうで、手伝わされるグレゴールさんが誰より不機嫌である。
それは、ひょろりと背の高い白衣の男の人だった。歳の頃は殿下より少し上。焦げ茶の癖毛を紐で無造作に縛り、片目には検分用の、拡大鏡付きの
「リヒト・フェルマー。毒物学者だ。――君か! 鉛の酒を一杯飲むだけで全て暴いた毒見役というのは!」
「当てたのは手口と、産地の見当までですが」
「なお良い!」
距離が、近い。びっくりするほど近い。私は椅子ごと半歩下がった。爛々と輝く目が、拡大鏡越しに、私の口元を覗き込んでくる。
「その舌、どうなっている? いや失敬、まず学術的に言い直そう。――その舌、ぜひ標本にしたい」
「お断りします」
「では型だけでも」
「お断りします」
言いながら、彼は本気で懐から蝋板を取り出した。型を取る気、満々である。
「では唾液を一滴」
「衛兵を呼びます」
……この宮廷の変人枠は、思ったより層が厚い。
もっとも、仕事は本物である。例の鉛の酒を器具で検めた彼は、秤と硝子管の森の向こうで、しきりに唸っていた。「量まで合っている。舌一枚で、うちの器具三台分だ」。褒め言葉として、受け取っておく。
◇
異変は、その日の昼に出た。
殿下への差し入れという触れ込みの、焼き菓子の検分。毒見皿の一つを口に運んだ瞬間、覚えのある苦みが舌に載り――そして、ふっ、と消えた。
消え方が、おかしい。毒の味というのは、飲み下したあとも、しばらく輪郭が残るものだ。それがまるで、口の中で誰かが蝋燭を吹き消したように、ふつりと途切れた。
直後。天井に、花畑が見えた。
見たこともない色の花である。梁のあいだから蔓が伸び、大輪が三つ、ゆっくりと開いては閉じる。綺麗だが、天井に花が咲く道理はない。
「……リヒト様。天井に花が咲いていますが、これは宮廷の趣向ですか?」
「咲いていない! それは幻覚だ! 素晴らしい――来たぞ、魔毒だ!」
「左手の梁に大輪が三つ。いま東へ、蔓が伸びました」
「実況しなくていい! ……いや、続けてくれ。記録する!」
「残りの菓子は、成分も術式も両方生きている。成分は足止めの麻痺毒。まともに食えば、半日は立てない量だ。術式は幻覚、持続は三刻、対象は『食べた者』。――で、食べた君は、どうだ?」
「足は動きます。見えているのは、花だけです」
「つまり君の中では、成分だけが死んで、術式だけが素通りで発動した。……逆なら分かる。成分を中和すれば、術式ごと崩れるのが道理だ。成分だけ選り分けて殺す中和なんて、僕は文献でも見たことがない」
拡大鏡越しの目が、こちらをじっと凝視している。学術的好奇心というものは、時に猛獣より圧が強い。
「体質、ですので」
「その体質の話、あとで三時間ほど」
「三分で」
術式の解読は、彼の独壇場だった。紋様の癖から、編んだのは街の三流魔道具師。依頼主までは辿れないが、「金で術式を買い足す程度の敵」という輪郭は出る。成分は舌で、術式は学者で。役割の切れ目が、はっきりした初仕事である。
天井の花畑は、三刻ののち、律儀にしぼんで消えた。……少しだけ、名残惜しい。毒の見せる花は、存外きれいだったのだ。
「毒見役殿。取引をしよう。僕は君の鑑定を器具で裏取りする。君は僕に、面白い毒を回す。――どうだ?」
「報酬は」
「僕の知識と、非常時の解毒剤。それと――君の秘密を、詮索しない」
拡大鏡の奥の目が、一瞬だけ、真面目な色になった。……気づいている。少なくとも、気づきかけている。それでも「詮索しない」を対価の欄に載せてくるあたり、この変人は、変人なりに誠実であるらしい。
「成立です。標本は、引き続きお断りしますので」
「善処する!」
しない顔だった。
――夕刻、廊下ですれ違った侍女さんたちの囁きが、耳の端に引っかかる。「あの毒見役、今日も平気な顔で」「もうひと月半ですって。……賭け、あたし負けたのよ」。
寿命の賭けに勝ってしまって、申し訳ない。ただ――「平気な顔」が噂になり始めているのは、あまり、よろしくない――。