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# BOOK-0141 音楽派生・和声 第2巻 — 機能を超えて、色彩と自由へ

> 学問の宇宙・感性科学の恒星に連なる派生惑星。ガイド役: Fable 5 監修 / Sonnet 5 執筆(音響班)
> トーン規約: GAKUMON_UNIVERSE.md準拠。専門用語は初出で必ず説明する。
> 関連: BOOK-0091(和声第1巻)を土台とし、BOOK-0004(音楽概論)・BOOK-0094(リズム)・BOOK-0095(作曲)・BOOK-0096(音響物理)・BOOK-0007(デジタル音響)・DIC-0017(音楽と楽典の辞典)と接続する。
> 水準対応: 本巻は水準五〜六(現代の革新・応用・発展形)を扱う。基礎・歴史(水準一〜四)はBOOK-0091を参照のこと。

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# BOOK-0141 音楽派生・和声 第2巻 — 機能を超えて、色彩と自由へ

# BOOK-0141 音楽派生・和声 第2巻 — 機能を超えて、色彩と自由へ

 

> 学問の宇宙・感性科学の恒星に連なる派生惑星。ガイド役: Fable 5 監修 / Sonnet 5 執筆(音響班)

> トーン規約: GAKUMON_UNIVERSE.md準拠。専門用語は初出で必ず説明する。

> 関連: BOOK-0091(和声第1巻)を土台とし、BOOK-0004(音楽概論)・BOOK-0094(リズム)・BOOK-0095(作曲)・BOOK-0096(音響物理)・BOOK-0007(デジタル音響)・DIC-0017(音楽と楽典の辞典)と接続する。

> 水準対応: 本巻は水準五〜六(現代の革新・応用・発展形)を扱う。基礎・歴史(水準一〜四)はBOOK-0091を参照のこと。

 

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## 序章 ― 惑星の裏側、あるいは地図の続き

 

BOOK-0091「和声 第1巻」では、音程という物差しから出発し、協和と不協和の物理、純正律と平均律のせめぎ合い、三和音という最小の建築物、そしてT(トニック)・S(サブドミナント)・D(ドミナント)というカデンツの文法までをたどった。あの巻の終章では、「機能和声のより体系的な分析、非機能和声・モーダルハーモニー、ジャズにおける拡張和音、そして現代音楽における和声の解体と再構築」を次巻の課題として留保する、と記された。

 

本巻はその約束を引き継ぐ。第1巻が和声という惑星の「地表と歴史」を描いた地図だとすれば、本巻が描くのは、その地表の下に眠る**体系の骨組み**と、地表の先に広がる**未踏の領域**である。前半では、T・S・Dという素朴な三分類がどのようにして厳密な理論(機能和声論)へと結晶したかを追い、五度圏という便利な地図を手に入れ、セカンダリードミナントや借用和音といった「調を一時的に借りる」技法を学ぶ。中盤では、半音階が調性の輪郭を溶かしていく過程――ワーグナーのトリスタン和音からドビュッシーの色彩、そしてジャズの拡張和音――をたどる。終盤では、シェーンベルクが調そのものを手放した十二音技法に触れ、最後にもう一度、声部連結という「なぜその和音を選ぶのか」という実務的な理由と、純正律・平均律の検算という物理の基礎へ立ち返る。

 

いわば本巻は、和声という惑星の**赤道から極地までを縦断する旅**である。赤道(機能和声)は蒸し暑いほどに規則正しく、極地(十二音技法)は規則という大気そのものが薄くなる場所だ。その間には、五度圏という円環の道、半音階という氷河の亀裂、ジャズという熱帯雨林の混交生態系が広がっている。読者には、この縦断旅行のガイドとして本巻を使ってほしい。

 

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## 第1章 機能和声の体系化 ― T・S・Dはどこから来たのか

 

### 1-1. ラモーの遺産とリーマンの整理

 

BOOK-0091第8章で見た通り、フランスの作曲家・理論家ジャン=フィリップ・ラモーは1722年の著作『和声論(Traité de l'harmonie)』で、和音を「根音からの三度の積み重ね」として捉え、倍音列(基音の整数倍の周波数を持つ音の連なり)を根拠に長三和音の成り立ちを説明しようとした。この発想が、和音を単独の響きとしてではなく、**調の中での役割(機能)**として捉える土壌を用意した。

 

この土壌の上に、和音の機能を体系的に分類する理論を整備した人物として広く知られているのが、ドイツの音楽理論家フーゴー・リーマンである。リーマンは1890年代に、あらゆる和音を主和音(トニック、T)・下属和音(サブドミナント、S)・属和音(ドミナント、D)という三つの機能カテゴリーのいずれかに帰属させる**機能理論(独: Funktionstheorie)**を提唱したとされる。これは、BOOK-0091第5章で見た主要三和音の枠組みを、調の中に現れるすべての和音へと拡張する試みだった。

 

たとえば、ハ長調において「レ・ファ・ラ」という和音(度数でいえば2度上に組まれた三和音)は、それ自体は独立した和音に見えるが、機能理論の視点では「下属和音(S)の代理」として扱われる。なぜなら、レ・ファ・ラという和音は、下属和音ファ・ラ・ドと二音(ファとラ)を共有しており、和声的な「働き」がSに近いと考えられるからである。このように、調の中に現れるすべての和音をT・S・Dのいずれかの機能に還元して理解しようとする発想が、機能和声論の核心にある。

 

### 1-2. 代理和音という考え方

 

機能理論では、T・S・Dそれぞれに「代理(だいり、水準五: 主要三和音と構成音を一部共有し、同じ機能を担うことができる和音)」を立てることができる。ハ長調で例を挙げると次のようになる。

 

- **Tの代理**: ラ・ド・ミ(6度上の三和音)。ドとミをTと共有する。

- **Sの代理**: レ・ファ・ラ(2度上の三和音)。ファとラをSと共有する。

- **Dの代理**: シ・レ・ファ(7度上の減三和音)。シとレをDと共有する。

 

代理和音の存在によって、T→S→D→Tという骨格(BOOK-0091第5章参照)は、実際にはT→(Sの代理)→D→(Tの代理)のように、より多彩な和音の組み合わせへと展開できる。骨格という「文法」は変わらないまま、使う「単語」だけが増える、というイメージを持つとわかりやすい。これは、BOOK-0095「作曲」で扱う旋律の変奏技法とも通じる発想であり、同じ構造を保ったまま表面の響きだけを変化させる、和声全体に通底する原理の一つである。

 

### 1-3. 機能和声の限界という予告

 

機能理論は西洋クラシック音楽の分析に強力な道具を提供したが、あらゆる和音進行を三機能にきれいに還元できるわけではない、という限界も早くから指摘されてきた。この限界こそが、本巻後半で扱う非機能和声(印象派の平行和音やジャズの拡張和音など、機能に還元しにくい響きの体系)への扉になる。まずはその前に、機能和声を運用するための地図――五度圏を手に入れよう。

 

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## 第2章 五度圏と転調 ― 調と調をつなぐ地図

 

### 2-1. 五度圏とは何か

 

十二平均律の12個の音を、完全五度(BOOK-0091第2章で見た通り、周波数比およそ3:2の音程)の関係で順番に並べていくと、最後には元の音に戻ってくる円環ができる。これを**五度圏(ごどけん、水準五: 12の調を完全五度の関係で円環状に配置した図)**と呼ぶ。

 

ドを起点に完全五度ずつ上へたどると、ド→ソ→レ→ラ→ミ→シ→ファ♯(=ソ♭)→ド♯(=レ♭)→ソ♯(=ラ♭)→レ♯(=ミ♭)→ラ♯(=シ♭)→ファ→ドという順で、ちょうど12段階で元のドに戻ってくる。検算してみよう。完全五度は半音7個分の隔たり(BOOK-0091第3章参照)であり、これを12回繰り返すと、

 

```

7 × 12 = 84

```

 

84半音は、1オクターブ=12半音で割ると、

 

```

84 ÷ 12 = 7

```

 

ちょうど7オクターブ分に相当する。つまり五度圏を12周ならぬ12段一周すると、元の音名に(オクターブは変わっても)正確に帰ってくる、という平均律ならではの性質が成り立つ。これはBOOK-0091第3章で見た「12平均律はどの調でもほぼ均等に響く」という利便性の、地図としての可視化である。

 

### 2-2. 近親調という「隣町」

 

五度圏の上で、ある調のすぐ隣(時計回り・反時計回りに1マス)に位置する調を**近親調(きんしんちょう、水準五: 五度圏上で隣接し、共通する音を多く持つために転調しやすい調)**と呼ぶ。ハ長調から見ると、五度圏上の隣はト長調(ソを主音とする調、♯が1個)とヘ長調(ファを主音とする調、♭が1個)にあたる。近親調同士は使用する音の大部分(七音音階のうち六音)を共有しているため、片方の調からもう片方へ移り変わっても、耳への違和感が少ない。

 

これに対し、五度圏上で正反対の位置(6マス先)にある調(ハ長調から見ると嬰ヘ長調/変ト長調)は**遠隔調**と呼ばれ、共有する音が少なく、転調にはより強い工夫が必要になる。五度圏は、ちょうど地図上で「隣町へは徒歩で行けるが、地球の裏側へはひと工夫要る」という距離感を、和声の世界に持ち込んだ道具だと言える。

 

### 2-3. ピボット和音による転調

 

ある調から別の調へ音楽が移り変わる現象を**転調(てんちょう、水準五: 楽曲の途中で主音・調の枠組みが変化すること。BOOK-0091第3章で予告された概念)**と呼ぶ。転調を自然に行う代表的な技法が**ピボット和音(共通和音、水準五: 転調前の調と転調後の調の両方に共通して存在し、橋渡しの役割を果たす和音)**である。

 

たとえばハ長調の下属和音S(ファ・ラ・ド)は、近親調であるヘ長調では主和音T(ファ・ラ・ド)そのものである。この和音を「ハ長調のS」として鳴らした直後に、「ヘ長調のT」として扱いを切り替えてしまえば、聞き手には違和感の少ない滑らかな転調が成立する。ピボット和音は、いわば二つの調の間に架けられた「共有の橋桁」であり、五度圏で見た近親調同士の音の共有関係が、この橋渡しを可能にしている。

 

### 2-4. 平行調も五度圏の仲間――もう一つの近さの検算

 

BOOK-0091第6章で見た平行調(ハ長調とイ短調のように、調号が同じで主音の位置だけが異なる調同士の関係)は、五度圏の図の上ではどこに位置するのだろうか。実は、平行調は五度圏上でまったく同じ位置(同じマス)に置かれる。これは、ハ長調とイ短調が使用する音の集合(ドレミファソラシド)を完全に共有しているためであり、五度圏が「使用する音の集合の近さ」を距離として表現した地図である以上、当然の帰結だと言える。

 

この関係を検算で裏付けてみよう。イ短調の主音ラは、ハ長調の主音ドから数えて6番目の音(BOOK-0091第6章参照)にあたる。度数を半音の数に換算すると、ドからラまでは長六度、すなわち半音9個分の隔たりである。

 

```

ド→ラ: ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ = 半音換算で9個分(長六度)

```

 

一方、五度圏をドから完全五度3つ分上へ(半音7個×3=21半音、オクターブで整理すると半音21−12=9個分)たどると、ちょうどラの位置に到達する。

 

```

完全五度を上へ3回: 7×3=21、21−12=9(長六度と一致)

```

 

長六度(半音9個)という直接の度数計算と、五度圏を反時計回りに3マス進んだ結果(半音9個)が一致することで、平行調が五度圏の図の上でも整合的に扱えることが検算できる。

 

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## 第3章 セカンダリードミナントと借用和音 ― 調を一時的に借りる技法

 

### 3-1. セカンダリードミナントという「仮のD」

 

機能和声には、本来の調の外にある和音を一時的に呼び込む技法がいくつも存在する。その代表格が**セカンダリードミナント(副属和音、V/V〈ファイブ・オブ・ファイブと読む〉、水準五: ある調の中で、主和音以外の和音を一時的な主音とみなし、その和音に対する属和音を借用する技法)**である。

 

ハ長調で考えてみよう。ハ長調の属和音Dはソ・シ・レであるが、さらにその「ソを一時的な主音」とみなし、ソを主音とする調(ト長調)における属和音を借りてくると、レ・ファ♯・ラという和音が得られる。これを**V/V(ドミナントのドミナント)**と呼ぶ。この和音は、ハ長調の音階には本来存在しないファ♯という音を含んでいるにもかかわらず、その後にD(ソ・シ・レ)、そしてT(ド・ミ・ソ)へと解決することで、あたかも「一瞬だけト長調に立ち寄った」かのような、ドラマティックな効果を生み出す。

 

セカンダリードミナントは、V/V以外にも、あらゆる和音に対して理論上は設定できる(V/ii、V/IVなど)。この技法によって、機能和声は「T・S・Dの三つしかない」という単調さから抜け出し、はるかに多彩な色彩を獲得することになった。

 

### 3-2. 借用和音とモーダルインターチェンジ

 

セカンダリードミナントが「一時的に属和音を借りる」技法だとすれば、**借用和音(しゃくようわおん、水準五: 同じ主音を持つ長調・短調の間で、片方の調に特有の和音をもう片方の調へ借りてくる技法)**は「和音そのものを借りる」技法である。この操作全体を**モーダルインターチェンジ(旋法間の交換、水準五: 同主調〈同じ主音を持つ長調と短調〉の間で和音を融通し合う技法の総称)**と呼ぶ。

 

たとえばハ長調の楽曲の中に、同主調であるハ短調のSにあたるファ・ラ♭・ドという和音(短調特有の下属和音、しばしば「短調のサブドミナント」略して**サブドミナント・マイナー**と呼ばれる)を借りてくると、明るいハ長調の響きの中に一瞬、翳りのある色彩が差し込む。この技法は、BOOK-0091第6章で見た「長調と短調はミの音一つの違いに集約される」という原理を逆手に取り、その一音の違いを意図的に楽曲内で行き来させる応用形だと理解できる。

 

### 3-3. ナポリの六度と増六和音 ― 借用のさらに先

 

借用和音の中でも特に個性的な響きを持つ和音として、**ナポリの六度(水準六: 短調の下属和音の根音を半音下げ、さらに第一転回形〈根音でなく三度の音を最低音に置く形〉で用いる和音)**が知られている。ハ短調でいえば、本来のS(ファ・ラ♭・ド)の第五音ドを半音上げてレ♭にし、できあがったレ♭・ファ・ラ♭という和音を、三度の音ファを最低音にした形(第一転回形)で使う。名称の由来は18世紀ナポリ楽派の作曲家たちが好んで用いたという伝承によるとされるが、この命名の史的経緯には諸説あり、後年の理論家による命名という説も指摘されている。

 

もう一つの個性的な借用が**増六和音(ぞうろくわおん、水準六: 根音から増六度〈完全五度よりもさらに半音広い音程〉を持つ和音の総称。イタリアの六度・フランスの六度・ドイツの六度という三種の型がある)**である。これらの和音は、いずれも属和音への強い解決欲求を生み出す不協和な響きを持ち、機能和声の語彙をさらに拡張する役割を果たした。ナポリの六度・増六和音のいずれも、「借用」という発想を推し進めた末に生まれた、機能和声の応用形の到達点の一つだと位置づけられる。

 

増六度という音程の名前を、度数の検算で確かめておこう。本巻2-4の検算で見た通り、長六度は半音9個分の隔たりである。増六度はこれよりもさらに半音1個分広い、半音10個分の隔たりに相当する。

 

```

長六度(半音9個) + 半音1個 = 増六度(半音10個)

```

 

ハ短調のドイツの六度を例にとると、レ♭(根音)からシ(異名同音ではド♭ではなくシとして扱われる)までの隔たりがこれにあたり、鍵盤上でレ♭から半音10個分上の鍵がシに一致することで検算できる。イタリアの六度・フランスの六度・ドイツの六度の違いは、この増六度の外側にさらにどの音を加えるか(何も加えない、全音を加える、完全五度と長三度を加える、という三通り)によって区別される、と理解しておくとよい。

 

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## 第4章 半音階的和声とトリスタン和音 ― 調性が溶け始める場所

 

### 4-1. 半音階的和声とは何か

 

セカンダリードミナントや借用和音が普及するにつれ、楽曲の中に本来の調の音階には存在しない音(半音的に変化した音)が増えていく。この傾向が極限まで進んだ和声の書法を**半音階的和声(はんおんかいてきわせい、水準六: 全音階〈長音階・短音階〉の枠を超えて、半音単位の音の変化を多用する和声書法)**と呼ぶ。半音階的和声は、機能和声の枠組みを完全に放棄するわけではないが、その輪郭を大きくにじませる方向へ作用する。

 

### 4-2. トリスタン和音という事件

 

半音階的和声の歴史における象徴的な事件が、ドイツの作曲家リヒャルト・ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』(1859年に作曲が完了し、1865年に初演。ただし本巻では作曲完了年として広く記される1859年を基準に記す)の冒頭に現れる**トリスタン和音**である。この和音は音名でいうと、ファ・シ・レ♯・ソ♯(異名同音での表記は文献によって揺れがあるとされる)という構成を持ち、それまでの和声理論の枠組みでは機能的な説明が難しい、きわめて曖昧な響きとして知られている。

 

トリスタン和音の何が「事件」だったのか。それは、この和音が単独では「どの調のどの機能なのか」を一意に決定できないほど多義的であり、解決される先も一筋縄ではいかない、という点にある。増四度(BOOK-0091第2章で「悪魔の音程」として触れた、オクターブを半分に割る不安定な音程)を含む複雑な構成が、聞き手に「どこに向かうのか分からない」という宙づりの感覚を与える。この一小節が西洋音楽史における調性崩壊の出発点の一つとして位置づけられることが多いが、その解釈(属七の変化和音とみなす説、増三和音由来とみなす説など)には現在も複数の学説があり、断定は避けるべきである、という点は明記しておく。

 

### 4-3. なぜこの一和音がそれほど重要視されるのか

 

トリスタン和音が音楽史上重要視される理由は、それが単に「珍しい響き」だったからではなく、**機能和声という体系そのものの限界を、たった一つの和音で可視化してしまった**からだと考えられている。第1章で見た機能理論(T・S・D)は、あらゆる和音を三つの機能に還元しようとする体系だったが、トリスタン和音のような多義的な和音は、その還元を拒む。この一和音をきっかけに、作曲家たちは「機能和声の外側」を意識的に探索し始めることになった。次章以降で見る印象派の平行和音や、さらに先の無調・十二音技法は、いずれもこの探索の延長線上にある。

 

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## 第5章 印象派の色彩和声 ― 機能から解放された響き

 

### 5-1. 平行和音という発想

 

19世紀末から20世紀初頭のフランスで、機能和声の「文法」から意図的に距離を取り、和音そのものの「音色・質感」を重視する作風が現れた。この潮流を代表する作曲家がクロード・ドビュッシーである。彼の書法の特徴の一つが**平行和音(へいこうわおん、水準六: 同じ種類の和音〈同じ構成の三和音や七の和音〉を、機能的な解決を経ずに、そのままの形で上下に平行移動させる技法)**である。

 

機能和声の考え方では、和音は前後の和音との「機能的な関係(TからSへ、DからTへ、といった解決の文脈)」の中で意味を持つ。しかし平行和音では、ある和音の形(たとえば長三和音、あるいは後述する9度の和音)をそのまま保ったまま、旋律線に沿って機械的に上下へ移動させる。この操作では、それぞれの和音が「どの調のどの機能か」という問いがほとんど意味をなさなくなる。和音は機能の担い手であることをやめ、単独の**音の色彩**として扱われるようになるのである。

 

### 5-2. 全音音階との親和性

 

ドビュッシーの書法は、BOOK-0091第1章で名前だけ触れられた**全音音階(ぜんおんおんかい、水準六: 全音のみで構成され、半音を含まない6音の音階)**とも深く結びついている。全音音階には半音が存在しないため、BOOK-0091第1章で見た「半音が音楽に推進力を与える」という原理がそもそも働かない。その結果、全音音階に基づく和声は、方向感の定まらない、浮遊するような響きを生む。この浮遊感こそ、印象派が絵画における光の移ろいや水面の揺らめきを音楽で表現しようとした際に求めた質感だったと考えられている。

 

### 5-3. 機能和声との関係――否定ではなく拡張

 

ここで注意したいのは、印象派の和声が機能和声を「間違い」として否定したわけではない、という点である。ドビュッシーの作品の中にも機能和声的な進行は随所に見られ、平行和音や全音音階はあくまで**選択肢の一つとして機能和声の語彙に追加された**と理解する方が実態に近い。第1章で見た機能理論が「和音を機能へ還元する」体系だったのに対し、印象派の書法は「和音を機能へ還元しない」という、いわば逆方向のベクトルを提示した。この二つのベクトルの共存こそ、20世紀以降の和声が多様化していく出発点になったと言える。

 

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## 第6章 ジャズ和声 ― 拡張と代理の実践知

 

### 6-1. テンションという「四階建ての先」

 

BOOK-0091第7章で入口として触れた七の和音(三和音に三度をもう一段積んだ四音の和音)を、さらに三度ずつ積み重ねていくと、9度・11度・13度の音が加わった和音ができる。ジャズ和声では、これらの音を**テンション(緊張音、水準五: 七の和音にさらに付加され、和音に色彩と緊張感を加える9度・11度・13度の音)**と呼ぶ。

 

ハ長調の属七の和音ソ・シ・レ・ファ(BOOK-0091第7章参照)に9度の音(ラ)を加えるとC9(ドを根音とする場合の表記、ここでは属和音としてはG9)、さらに13度の音(ミ)まで積み重ねるとG13のような和音になる。度数の数え方はBOOK-0091第1章の延長にあり、9度は「1オクターブ+2度」、13度は「1オクターブ+6度」を意味する。つまりテンションとは、オクターブをまたいで、より高い位置に加えられた色彩音である、と理解するとわかりやすい。

 

### 6-2. II-V-Iという実践の骨格

 

ジャズにおける和声進行の骨格として広く実践されているのが**II-V-I(ツー・ファイブ・ワン)進行**である。ハ長調でいえば、レ・ファ・ラ(2度上の和音、機能理論ではSの代理、第1章参照)→ソ・シ・レ・ファ(属七、D)→ド・ミ・ソ(T)という進行にあたる。これはBOOK-0091第5章のT-S-D-Tという骨格の一部を切り出し、SにあたるIIから始める形として実務家の間に定着した進行であり、機能和声の骨格がジャズという別の文脈でも生き続けていることを示す好例である。

 

### 6-3. 裏コードという三全音代理の検算

 

ジャズ和声にはもう一つ、機能和声にはなかった発想として**裏コード(トライトーン代理、水準六: ある属七の和音を、根音が三全音〈増四度・減五度、半音6個分の隔たり〉離れた別の属七の和音で置き換える技法)**が知られている。

 

この技法が成立する理由を検算してみよう。属七の和音の中には、第3音と第7音の間に**三全音(トライトーン、増四度に等しい半音6個分の音程)**が含まれている。ハ長調の属七ソ・シ・レ・ファでいえば、シとファの間がこれにあたる。

 

```

シ→ファ: シ・ド・レ・ミ・ファ = 半音換算で6個分(増四度)

```

 

一方、シ(ミの半音上ではなく、ここでは音名としてのシ)を第3音とする別の属七の和音として、変ニ長調(D♭)を主音とする属七D♭7(レ♭・ファ・ラ♭・シ〈異名同音でド♭〉)を考えると、この和音の第3音と第7音はファとシ(異名同音でド♭)にあたり、**同じファとシという音の組み合わせを共有している**。

 

```

G7の核: シ・ファ(三全音)

D♭7の核: ファ・シ〈=ド♭〉(三全音)

```

 

三全音は、1オクターブ(12半音)をちょうど半分に割る音程(6半音)であるため、根音から三全音上に別の根音を置いた属七の和音は、必ずこの「核」を共有する。これが裏コードという代理技法が成立する物理的な根拠であり、G7とD♭7が同じシとファの三全音を共有しているという関係は、実際に鍵盤上で確認できる検算可能な事実である。裏コードは、この共有関係を利用して、D→Tの解決(BOOK-0091第5章参照)をより滑らかな、あるいは半音階的な低音進行に置き換える技法として、ジャズの実践知の中で発展してきた。

 

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## 第7章 無調と十二音技法 ― 調そのものを手放す

 

### 7-1. 無調という選択

 

第4章で見たトリスタン和音を一つの出発点として、20世紀初頭の作曲家たちの一部は、調という枠組みそのものを手放す方向へ進んだ。特定の主音や調号に依拠しない音楽のあり方を**無調(むちょう、水準六: 特定の調に属さず、機能和声の枠組みに依拠しない音楽の書法)**と呼ぶ。無調は、BOOK-0091第6章で見た「調とは主音を中心に据える枠組みである」という定義そのものへの挑戦だと言える。

 

### 7-2. シェーンベルクと十二音技法

 

無調の探求をさらに体系立てて理論化した人物として広く知られているのが、オーストリアの作曲家アルノルト・シェーンベルクである。彼は1920年代初頭に**十二音技法(じゅうにおんぎほう、水準六: 1オクターブ内の12の半音すべてを、特定の順序〈音列〉に並べ、その音列を基本単位として楽曲全体を組み立てる作曲技法)**を確立したとされる。

 

十二音技法の骨子は、12個の半音すべてを一度ずつ、あらかじめ決めた順序(音列、トーンロウ)で使い切ることを原則とし、どの音も他の音より優先的に扱われない(=特定の主音が生まれない)ようにする点にある。この原則は、BOOK-0091第6章で見た「調とは主音を中心に据える枠組み」という定義を、構造的に無効化する仕組みだと理解できる。主音という「中心」を持たない体系を人為的に設計した、という点で、十二音技法は和声史における一つの極点に位置づけられる。

 

### 7-3. 機能和声との対比――地図の果て

 

第1章から第6章までで見てきた機能和声・五度圏・借用和音・ジャズ和声は、いずれも程度の差こそあれ「主音を中心とした調の枠組み」を前提にしていた。十二音技法は、その前提そのものを外した点で、これまでの旅路とは質的に異なる場所に位置する。序章で述べた「赤道から極地へ」という比喩でいえば、十二音技法はまさに極地――大気(調性という前提)が薄くなり、これまでの地図の描き方(機能・代理・借用)がそのままでは通用しなくなる場所にあたる。

 

ただし、無調・十二音技法が「調性音楽より優れている」あるいは「その逆」といった優劣の話ではない、という点は強調しておきたい。BOOK-0091第8章の東西の視点の違いに関する記述と同様に、これは価値判断の問題ではなく、和声という体系が取りうる選択肢の幅の広さを示す事例として理解するのが適切である。

 

### 7-4. 音列の操作――移調・逆行・反行を検算する

 

十二音技法では、最初に定めた音列(基本形)をそのまま使い続けるのではなく、いくつかの規則的な操作を加えて音列を変形させることが多い。代表的な操作が**移調(BOOK-0091第6章で見た「曲全体を一定の音程だけ上下させる」操作を、ここでは音列一つの単位に適用したもの)・逆行(音列を後ろから前へ、順序を逆さまに並べ直す操作)・反行(音列の各音の上下の動きを鏡のように反転させる操作)**の三つである。

 

これらの操作を数の言葉で検算してみよう。基本形の音列を、ドを0として半音の数で表した12個の数字の並び(0から11までの数字がちょうど一度ずつ現れる並び)だと考える。移調は、この12個の数字すべてに同じ数を足し、12を超えたら12を引く(12で割った余りを取る)という操作に相当する。

 

```

移調の例: 音列の各音に+3(半音3個分上へ)を適用

0→3、11→(11+3=14、14−12=2)

```

 

検算すると、11(音列の最後の音)に3を足すと14になり、1オクターブ=12を超えるため12を引いて2になる。これは、11番目の音(シ)を半音3つ上げると、オクターブをまたいでレ(2)に一致するという、鍵盤上でも確認できる操作である。反行は各数字を12から引く(0はそのまま0とする)操作、逆行は数字の並び順を単純に反転させる操作であり、いずれも機械的な数の操作として定義できる点が、十二音技法が「感覚ではなく規則によって音楽を組み立てる」体系だと評される理由の一つになっている。

 

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## 第8章 声部連結の理由と純正律の検算 ― 実務と物理への回帰

 

### 8-1. なぜ平行五度を避けるのか

 

ここまで和声の拡張・解体の歴史をたどってきたが、本章では視点を変え、機能和声を実際に運用する際の実務的な理由に立ち返る。西洋クラシック音楽の声部書法(複数の声部・パートをどう動かすかという技法)には、古くから**平行五度の回避(水準五: 二つの声部が完全五度の音程関係を保ったまま同じ方向に平行移動することを避けるべきとする書法上の慣習)**という規則が存在する。

 

なぜこの規則が重視されてきたのか。その理由は、BOOK-0091第2章で見た「完全五度は周波数比がおよそ3:2という、きわめて単純な比を持つ協和音程である」という性質に由来すると考えられている。二つの声部が完全五度の関係を保ったまま平行に動くと、その二声部があまりに強く溶け合ってしまい、**独立した二つの声部ではなく、まるで一つの声部が太く鳴っているかのように聞こえてしまう**。多声音楽(複数の独立した声部が絡み合う音楽)の書法においては、各声部が「別々の個性を持つ独立した線」として聞こえることが重要視されてきたため、声部の独立性を損なう平行五度は、伝統的な書法では避けるべき進行として扱われてきた。

 

これは、不協和を悪と見なす発想とは異なる。むしろ「協和が強すぎて、声部同士の個性(独立性)が消えてしまう」ことを避けるための規則であり、和声が単に「心地よい響きを追求する学問」ではなく、「複数の声部がどう関係し合うか」という構造の学問でもあることを示す好例である。ただし、この規則はあくまで特定の時代・様式(主に対位法的な多声書法や機能和声の初期教育)における慣習であり、ポピュラー音楽や印象派以降の書法では意図的に平行五度が用いられる例も多い、という点は付記しておく。

 

### 8-2. 純正律と平均律、和声的帰結の再検算

 

BOOK-0091第3章では、12平均律の完全五度が純正律の完全五度よりもわずかに狭い近似値であることを検算した。本巻の締めくくりとして、もう一つの重要な音程――**長三度**について、同じ検算を行い、BOOK-0096(音響物理)への橋渡しとしたい。

 

純正律における長三度の周波数比は、BOOK-0091第2章で見た通り**5:4**である。この比をセント(セント、水準二: 半音を100等分した対数的な音程の単位。1オクターブ=1200セント)という単位に変換すると、次の式で求められる。

 

```

純正長三度のセント値 = 1200 × log₂(5/4)

```

 

log₂(5/4)を計算すると、5/4=1.25であり、2の対数で表すとおよそ0.32193である。検算してみよう。

 

```

2^0.32193 ≈ 1.25(= 5/4)

```

 

これに1200を掛けると、

 

```

1200 × 0.32193 ≈ 386.3セント

```

 

つまり純正律の長三度はおよそ**386.3セント**である。

 

一方、12平均律の長三度は、半音4個分の隔たりであり、1半音=100セントという定義から機械的に、

 

```

100 × 4 = 400セント

```

 

ちょうど**400セント**になる。

 

両者の差を検算すると、

 

```

400 − 386.3 = 13.7セント

```

 

となり、平均律の長三度は純正律の長三度よりも約13.7セント広い、という結果が得られる。これはBOOK-0091第3章で見た完全五度の差(約0.00169、セント換算では約2セント)よりもはるかに大きなズレである。長三度は完全五度に比べて平均律との誤差が大きい音程だ、ということが、この検算から数値として確認できる。

 

この事実は、なぜ長三和音(BOOK-0091第4章参照)が平均律のピアノで弾かれたときと、純正律に近い調律が可能な弦楽四重奏やアカペラ合唱で歌われたときとで、響きの印象が異なって聞こえることがあるのか、という実務上の疑問への一つの手がかりになる。平均律の長三度に含まれる約13.7セントのズレは、BOOK-0091第2章で見た「うなり」という物理現象として、耳に感知されうる大きさだと考えられている。この長三度のズレを含む、周波数と音の物理的性質のより詳細な検討は、BOOK-0096(音響物理)に譲ることとする。

 

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## 終章 ― 地図を閉じて、また開く

 

本巻では、BOOK-0091が残した課題――機能和声の体系化、五度圏という地図、セカンダリードミナントと借用和音という調を借りる技法、半音階的和声とトリスタン和音、印象派の色彩和声、ジャズの拡張和音と裏コード、そして無調・十二音技法という調性の果てまでをたどった。最後には、声部連結という実務の理由と、純正律・平均律の長三度における検算という物理の基礎に立ち返り、旅を締めくくった。

 

振り返ってみると、本巻で描いた旅路は、常に同じ一つの問いを別の角度から照らし直す作業だったとも言える。「なぜこの組み合わせは、こう響くのか」――第1章の機能理論はこの問いに「役割(T・S・D)」という答えを与え、第4章・第5章はこの問いへの答えを「機能」から「色彩」へと移し替え、第6章のジャズ和声は「実践知としての代理と拡張」という答えを重ね、第7章の十二音技法はついに「答えの前提(調)そのもの」を疑うところまで進んだ。そして最後の第8章は、その全ての土台にある「単純な整数比が協和を生む」という、BOOK-0091序章から続く物理的な出発点へと、もう一度立ち返った。

 

和声という惑星の地図は、これで完成したわけではない。本巻もまた、非西洋音楽の和声観、ミニマル・ミュージックやスペクトル楽派といったさらに現代的な潮流、そしてBOOK-0094(リズム)との交差点にあるポリリズムと和声の関係など、なお多くの領域を未踏のまま残している。それらは今後の課題として留保し、確定した内容としては明記しないでおく。地図はいつでも、次の旅人によって描き足されるべきものだからである。

 

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## 関連書誌

- BOOK-0091(音楽派生・和声 第1巻) — 音程・協和不協和・純正律平均律・三和音・カデンツという本巻の土台。

- BOOK-0004(音楽概論) — 音階・周波数の基礎を扱う出発点の一冊。

- BOOK-0094(リズム) — 時間軸の構造を扱う、和声(縦の構造)と対をなす分野。

- BOOK-0095(作曲) — 和声を素材として旋律・構成を組み立てる実践分野。

- BOOK-0096(音響物理) — 純正律・平均律のセント換算、周波数の物理的性質のより詳細な検討を担う一冊。

- BOOK-0007(デジタル音響) — 音をデジタル信号として扱う技術的基盤。

- DIC-0017(音楽と楽典の辞典) — 本巻で登場した専門用語の逆引きに使える辞典。

 




# BOOK-0141 音楽派生・和声 第2巻 — 機能を超えて、色彩と自由へ
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