パスタを食べ終え、会計を済ませる。
店を出ると、昼下がりの日差しが眩しかった。
「さて……行くか」
俺は小さく呟く。
ここまで来たんだ。
今さら引き返すつもりはない。
礼奈の故郷。
雛見沢。
オヤシロ様。
あの事件の真相。
その全てがあの村にある気がした。
駅前の案内板でバスの時刻を確認する。
次の便まで三十分ほどあった。
近くのベンチに腰掛けながら、俺は五十嵐刑事から渡されたメモを取り出す。
そこには興宮署の大石警部の連絡先が書かれていた。
本当なら大石警部と会ってから向かうべきなのかもしれない。
だが待っていられなかった。
礼奈が最後に口にした言葉。
「オヤシロ様」
その言葉が頭から離れない。やがてバスが到着した。古びた車体のローカルバスだった。
乗客は数人しかいない。
俺は最後尾の席へ腰を下ろす。
エンジン音と共にバスが発車した。
興宮の街並みがゆっくりと遠ざかっていく。
最初は住宅街や商店街が見えていたが、しばらくすると景色は山ばかりになった。
窓の外には深い森。
曲がりくねった山道。
そしてどこまでも続く緑。
本当にこんな場所に村なんてあるのだろうか。
そんなことを考えていると、前方から運転手の声が聞こえた。
「次は雛見沢。雛見沢でございます」
その瞬間だった。
胸の奥が妙にざわついた。
緊張しているのだろうか。
いや、それだけじゃない。
何か得体の知れないものが胸につかえている。
窓の外を見る。
遠くに小さな集落が見えた。
田んぼに囲まれたのどかな村。
だが不思議と、その景色は俺には少し寂しく見えた。
バスはゆっくりと停車した。
俺は荷物を持って立ち上がる。
そして一歩、外へ足を踏み出した。
「……ここが雛見沢か」
山の空気が肺に入り込む。
都会とも興宮とも違う。
草木の匂い。
田んぼの匂い。
そしてどこからか聞こえてくるひぐらしの鳴き声。
辺りを見回す。
見渡す限りの緑。
のどかな田舎村だった。
こんな場所で礼奈は育ったのか。
そう思うと少しだけ彼女を近くに感じた。
だが同時に疑問も浮かぶ。
こんな平和そうな村で、一体何があったというのだろう。
村の入り口には古びた看板が立っていた。
『ようこそ雛見沢へ』
その下には小さな文字。
『ダム計画を乗り越えた誇りの村』
ダム計画。
聞いたことのない話だった。
俺が看板を眺めていると、不意に視線を感じた。
振り返る。
そこには小さな女の子が立っていた。
白いワンピース。
紫がかった髪。
年齢は十歳くらいだろうか。
少女はじっと俺を見つめている。
まるで珍しい動物でも見るような目だった。
「みぃ?」
首を傾げながら小さく声を漏らす。
俺は軽く会釈した。
「あ、こんにちは」
「こんにちはなのですよ」
丁寧に返事をしてくる。
礼儀正しい子だなと思った。
「えっと、ここって雛見沢で間違いないよね?」
「そうなのです」
少女は頷く。
そして再び不思議そうに俺を見る。
「あなたは誰なのですか?」
「ああ、俺は月桂駿一って言うんだ」
その瞬間だった。
少女の表情が僅かに変わる。
本当に一瞬だけ。
だが確かに何かを考え込んだような顔だった。
「月桂……駿一?」
小さく名前を繰り返す。
知らない名前。
そんな反応だった。
だが、それだけではないようにも見えた。
まるで何かがおかしいと感じているような。
「君は?」
「古手梨花なのですよ」
古手梨花。
聞いたことのない名前だった。
「梨花ちゃんか。よろしく」
「よろしくなのです」
そう言いながらも、梨花ちゃんは俺から目を離さない。
何だろう。
警戒されているのだろうか。
その時だった。
「ところで駿一は、どうして雛見沢に来たのですか?」
何気ない質問だった。
だが俺は少しだけ言葉に詰まる。
本当のことを話していいのか分からなかった。
それでもここまで来て隠しても仕方ない。
「人を探してるんだ」
「人?」
「竜宮礼奈って子なんだけど」
その瞬間。
梨花ちゃんが完全に固まった。
風が吹く。
ひぐらしの鳴き声だけが響く。
さっきまで穏やかだった表情が消えていた。
「……どうしてレナを……礼奈を知っているのですか?」
声の調子が変わっていた。
俺は思わず戸惑う。
「え?」
「レナは雛見沢の子なのですよ」
梨花ちゃんはじっと俺を見つめている。
まるで嘘を見抜こうとしているみたいに。
「俺、礼奈と同じ高校だったんだ」
「同じ高校……?」
梨花ちゃんは小さく呟く。
そして何かを考え込むように黙り込んだ。
俺には分からない。
だが梨花ちゃんの中で何かが引っ掛かっているようだった。
やがて梨花ちゃんは空を見上げる。
ひぐらしの鳴き声が響く。
そして誰にも聞こえないほど小さな声で呟いた。
「そんな人……知らないのです」
その言葉の意味を、この時の俺はまだ知らなかった。
「そんな人……知らないのです」
梨花ちゃんはそう呟いた。
だが、その言葉はどこか不自然だった。
知らない。
確かにそう言った。
それなのに、その表情はまるで知っている人間の反応だった。
俺はしばらく梨花ちゃんを見つめる。
梨花ちゃんも俺を見つめ返してくる。
沈黙。
先に視線を逸らしたのは俺だった。
「まあ、いきなり来た知らない人間に聞かれても困るよな」
そう言って苦笑する。
すると梨花ちゃんは少しだけ意外そうな顔をした。
「……聞かないのですか?」
「何を?」
「レナのことなのですよ」
聞きたい。
本当は今すぐ聞きたい。
だが――。
「聞いても教えてくれないだろ?」
梨花ちゃんは黙る。
図星だったらしい。
「それに」
俺は空を見上げた。
山々に囲まれた雛見沢。
礼奈が育った場所。
「俺は礼奈を探しに来たけど、君を困らせに来たわけじゃない」
風が吹く。
草木が揺れる。
ひぐらしの鳴き声が聞こえる。
「だから、話したくなったらでいいよ」
そう言うと、梨花ちゃんは不思議そうに俺を見上げた。
まるで理解できないものを見るような目だった。
「変な人なのです」
「よく言われる」
「嘘なのです」
「なんでだよ」
「駿一はあまり嘘をつかない人なのですよ」
思わず笑ってしまった。
初対面で何を言い出すんだ、この子は。
だが同時に思う。
やっぱり変だ。
言葉遣いもそうだが、雰囲気が子供じゃない。
十歳くらいの見た目なのに、まるで年上と話している気分になる。
いや。
もっと違う。
年上とかそういう話じゃない。
もっと長い時間を生きているような。
そんな妙な感覚だった。
「梨花ちゃん」
「なんですか?」
「君さ」
言いかけてやめる。
何を言おうとしたんだろう。
君、本当に子供?
そんなこと聞けるわけがない。
「いや、何でもない」
「変なのです」
梨花ちゃんはくすりと笑った。
だが俺は見逃さなかった。
その笑顔の奥にあるものを。
寂しさ。
諦め。
そして――疲れ。
十歳の子供がする顔じゃない。
礼奈と同じだった。
何かを抱え込み続けている人間の顔。
だから俺は決めた。
焦るのはやめよう。
礼奈のことも。
オヤシロ様のことも。
この村のことも。
きっと無理に聞き出しても意味はない。
まずは知ることだ。
この村を。
そして目の前にいる古手梨花という少女を。
「ねえ、梨花ちゃん」
「なんですか?」
「この辺に泊まれる場所ってある?」
「旅館なら興宮なのですよ」
「だよなぁ……」
思わず頭を抱える。
宿のことを完全に忘れていた。
すると梨花ちゃんは少し考え込み、
「みぃ……」
と小さく唸った。
「どうした?」
「入江に聞いてみるのです」
「入江?」
「入江なのですよ」
聞いたことのない名前だった。
だが梨花ちゃんは当然のように頷く。
「きっと力になってくれるのです」
「そっか」
そう言うと梨花ちゃんは俺の方を見る。
その瞳には先ほどまでの警戒心が少しだけ薄れていた。
ほんの少しだけ。
本当に少しだけだ。
だが確かに変わっていた。
「ついてくるのですよ」
「案内してくれるのか?」
「特別なのです」
そう言って梨花ちゃんは歩き出した。
俺は慌ててその後を追う。
山道を歩きながら思う。
礼奈のことを知るには、まだ時間がかかるだろう。
だが不思議と焦りはなかった。
今はただ。
この小さな少女が何を知っているのか。
そして何を隠しているのか。
それが気になって仕方なかった。
梨花ちゃんに連れられ入江さんの医療機関?に向かっていた。
駿一の少し前を歩く梨花は、小さく振り返る。
そして誰にも聞こえない声で呟いた。
「本当に変な人なのですよ……」
今までの世界にはいなかった少年。
知らない名前。
知らない運命。
それなのに。
なぜだろう。
少しだけ。
本当に少しだけ。
今回の世界は違うかもしれない。
そんな気がしていた。
ひぐらしの鳴き声だけが静かに響いていた。
この物語での梨花ちゃん初登場でございます。
セリフ等は何となくでこんな感じかって感じでかいているので原作とは違う節回しだったりするのでご了承ください。
ちなみに主人公の名前「月桂」はお酒の月桂から取ってます笑