楽して稼ぎたいクソザコ妖狐の怪異相談所 ~ネットで開業したら影を操る怪異の幼女に懐かれた~ 作:パッタリ
「……重い」
目が覚めた瞬間、私は自分の尻尾に違和感を覚えた。
具体的には、何かが抱きついている。
布団の中からもぞもぞと顔を出すと、私のふわふわ尻尾を両腕でぎゅっと抱きしめたヨミが、すぐ横で眠っていた。
その目が、ぱちりと開く。
「おはよう、ユズハ」
「おはようじゃない。なんで私の尻尾を抱いて寝てるの」
「おちつく」
「私は落ち着かない」
ヨミは無表情だった。
けれど、腕の力は緩まない。
むしろ、少し強くなった。
「ヨミ。離して」
「いや」
「即答しないで」
「ふわふわ」
「感想はいいから」
私は尻尾を引っ張ろうとした。
すると、床に広がっていた影がぬるりと動き、私の尻尾を補助するように包み込んだ。
「影で固定しない!」
「逃げるから」
「尻尾は私の一部なの!」
朝から影に拘束されるとは思わなかった。
昨日まで一人暮らしだった私のワンルームは、すでに半分くらいヨミの領域になっている。
床の影は濃い。
部屋の隅はやたら暗い。
冷蔵庫の下から、たまに知らない目がこちらを見る。
「ヨミ」
「なに」
「同居するなら、ルールを決めます」
「うん」
「一つ。部屋を勝手に深淵にしない」
「わかった」
「二つ。相手を勝手に影で包まない」
「わかった」
「三つ。私の尻尾を許可なく抱きしめない」
「わかった」
「今すぐ実行して」
「それは難しい」
何が難しいのか。
私はため息をつきながら、ノートパソコンを開いた。
画面には昨夜届いた依頼メールが残っている。
『最近、家の鏡に知らない女の人が映ります。相談できますか?』
朝になったら、追加で何通もメールが来ていた。
『昨夜、鏡の中の女が少し近づいていました』
『目が合いました』
『今朝、鏡の前に濡れた髪の毛が落ちていました』
「うわ、行きたくない」
「行く」
「ヨミはやる気だね」
「ユズハと行く」
「仕事へのやる気じゃなかった」
とはいえ、報酬は大事だ。
私は顔を洗い、パーカーを羽織り、狐耳と尻尾を妖術で隠した。
ヨミは私の袖を掴んだまま、じっと見上げてくる。
「ヨミ、その手は?」
「迷子になる」
「影の中からでも私を追跡できそうだけど」
「できる」
「じゃあ離して」
「いや」
無表情なのに、べったりだった。
***
依頼人の部屋は、駅から少し離れた古いマンションの三階にあった。
出迎えてくれたのは、二十代半ばくらいの女性。
顔色が悪く、寝不足なのがすぐわかる。
「あの、本当に来てくれたんですね」
「もちろんです。ゆずは怪異相談所ですから」
「その子は?」
「助手のヨミです」
ヨミは淡々と頭を下げた。
依頼人は少し不安そうだったが、昨日の私よりはよほど落ち着いている。
たぶん、怪異に悩まされすぎて、幼女が二人来たことに疑問を持つ余裕がないのだろう。
「こちらです」
案内された部屋の奥には、大きな姿見が置かれていた。
古い木枠の鏡だ。
中古家具店で一目惚れして買ったらしい。
昼間だというのに、鏡面だけが妙に暗い。
部屋の中を映しているはずなのに、その奥にもう一つ、薄暗い廊下のようなものが見える。
「いる」
ヨミが鏡を指差した。
次の瞬間、鏡の中の暗がりに、女性の顔が浮かんだ。
濡れた髪。青白い肌。虚ろな目。
依頼人が小さく悲鳴を上げる。
私は一歩下がった。
「ユズハ、手が震えてる」
「こ、これは武者震いだから」
鏡の中の女性が、ゆっくりとこちらへ近づいてくる。
ずるり。
鏡の奥にあるはずの暗い廊下を、濡れた足音だけが這うように響いた。
「出てきたらどうなるんですか……?」
「状況によります」
「専門家ですよね?」
「誠実な表現です」
まずい。
私は鏡系の怪異に詳しくない。
そもそも私はクソザコ妖怪であり、できることといえば気配を消すことと、ちょっと人を驚かせることくらいだ。
しかし、今日はヨミがいる。
「ヨミ、いけそう?」
「いける」
「本当に?」
「うん」
ヨミが鏡の前に立つ。
そして、無表情のまま言った。
「出てこないなら、鏡の向こうを影で埋める」
「それは交渉じゃなく脅し」
鏡の中の相手が、びくっとしながら止まった。
怖がっている。
依頼人も怖がっている。
私も怖がっている。
この部屋で一番怖いのは、たぶんヨミだった。
鏡面に黒い影が広がる。
ヨミの足元から伸びた影が、鏡の中へ指を差し込むように入り込んでいく。
すると、鏡の女性が慌てたように口を開いた。
『まって』
かすれた声だった。
依頼人が私の後ろに隠れる。
私は内心、依頼人の後ろに隠れたかった。
「待ちます。話し合いましょう」
「ユズハ、えらい」
「今は褒めなくていい」
私は咳払いをした。
「あなたは、この鏡に憑いているんですか?」
『……わからない』
「この人を怖がらせたい?」
『ひとりに、しないでほしかった』
「なるほど」
話を聞くと、彼女は悪霊というより、鏡に残った念のようなものだった。
昔、この鏡を持っていた誰かの寂しさ。
捨てられたくない、忘れられたくないという気持ち。
それが夜の疲れた依頼人に反応して、形を持ってしまったらしい。
もちろん、半分くらい勘である。
「鏡を捨てるだけだと、別の人のところに行くかもしれません」
「じゃあ、どうすれば……」
「きちんと区切りをつけましょう」
私は台所から小皿を借り、温かいお茶を入れてもらった。
それを鏡の前に置く。
「長く使われてきた物には、気持ちみたいなものが残ります。だから、怖がるだけじゃなくて、終わりを伝えてあげてください」
依頼人は震える声で、鏡に向かって言った。
「……寂しかったんですね。でも、私はあなたの寂しさを背負ってはあげられません。ここで終わりにしましょう。長い間、お疲れ様でした」
鏡の中の女性が、じっと依頼人を見る。
ヨミの影が、静かに鏡の縁を包んだ。
脅すでもなく、押し潰すでもなく、逃げ道を示すように。
『……そう』
女性の姿が薄れていく。
最後に、鏡の奥の暗い廊下も消えた。
部屋が普通に戻ると、依頼人はその場にへたり込んだ。
「消えた……」
「はい。解決です」
「すごいです、ユズハさん」
「まあ、専門家なので」
私は胸を張った。
横からヨミが袖を引く。
「ユズハ、ほとんど喋ってただけ」
「それが大事なの」
報酬は無事に支払われた。
基本料金、出張費、危険手当、助手手当。
助手手当という項目には依頼人も首をかしげていたが、ヨミが鏡をじっと見たら、すぐ納得してくれた。
***
仕事終わりの帰り道。
私は奮発して、ヨミをファミレスへ連れていった。
「今日は働いたからね。特別です」
「ファミレス」
「現代社会の楽園だよ。安くて、長居できて、ドリンクバーもある」
席に座ると、ヨミは私の隣にぴったりくっついた。
向かいではなく、隣である。
「ヨミ、狭い。私の肩に当たってる」
「当ててる」
「わざとか!」
私が注文する料理を決めると、ヨミは無表情のままメニューを見つめた。
「これ」
「ハンバーグ?」
「ユズハと同じのがいい」
表情は変わらない。
声も淡々としている。
けれど、その一言で私は負けた。
ハンバーグを二つ頼み、ついでにポテトも頼んだ。
さらにドリンクバーもつけた。
完全に奮発である。
料理が来ると、ヨミは小さな口でハンバーグを食べた。
「どう? 味とか?」
「熱くておいしい」
「そっか」
ヨミは少しだけ、ほんの少しだけ目を細めた。
それだけなのに、なぜか私は報酬の半分くらいを使ってもいい気分になった。
いや、よくない。
楽してお金が欲しい私が、稼いだ日に散財してどうする。
「ユズハ。今日、役に立った?」
「かなりね」
「じゃあ、明日もいっしょにいていい?」
「……最初から離れる気ないでしょ」
「ない」
ヨミはそう言って、私の袖を掴んだ。
無表情で淡々と。
私はため息をつき、ポテトを一本つまんだ。
「まあ、助手としてならね」
ヨミは答えず、私の肩にこつんと頭を預けた。
窓の外は、まだ昼前の明るさだった。
現代社会は残酷だ。
家賃はあるし、怪異は怖いし、楽してお金を稼ぐのは難しい。
でも、ドリンクバーのメロンソーダは甘い。
隣には、厄ネタの塊みたいな助手がいる。
「ヨミ。帰ったら、部屋の深淵は片付けてね」
「考える」
「そこは約束して」
こうして、ゆずは怪異相談所には正式に助手ができた。
無口で、無表情で、私にべったり甘えてきて、その辺の怪異よりもたまに怖い助手が。