楽して稼ぎたいクソザコ妖狐の怪異相談所 ~ネットで開業したら影を操る怪異の幼女に懐かれた~   作:パッタリ

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5話 ケモミミ幼女、影喰いと戦う

 「影が、薄くなっている?」

 

 依頼メールを読み上げると、私の隣でヨミがわずかに顔を上げた。

 今回の依頼人は、大学生の女性。

 同居している弟の様子がおかしいらしい。

 数日前から急に無気力になり、ほとんど食事も取らなくなった。最初は体調不良を疑ったが、もっと奇妙なことが起きた。

 弟の影だけが、日に日に薄くなっている。

 そして昨夜、本人がこう呟いたという。

 

 『黒い口が来る』

 

 ヨミは画面をじっと見たまま言った。

 

 「影を食べるものかも」

 「そんなのいるの?」

 「いる」

 「たまに物騒な生態系があるから怪異は困る」

 

 私は机の上に置いていた家計簿へ目をやった。

 働きたくない。しかし、お金は欲しい。

 私はこの二つの感情に挟まれて生きている。

 

 ***

 

 依頼人の家に着いた頃には、日が落ち始めていた。

 案内された部屋の隅には、中学生くらいの少年がベッドに座っている。

 顔色が悪い。

 そして何より、影がおかしかった。

 西日が差し込んでいるのに、少年の足元に伸びる影だけが薄い。ところどころ虫に食われた布のように欠けている。

 私はしゃがみ込み、影を覗き込んだ。

 

 「これは……本当に食べられてるね」

 「治せますか?」

 

 依頼人の問いに、私はすぐ答えなかった。

 わからないからである。

 代わりにヨミを見る。

 ヨミは少年の影に触れ、しばらく目を閉じていたが、やがて静かに手を引いた。

 

 「まだ、つながってる。全部なくなる前なら戻せる」

 「よし。なら大丈夫」

 「でも、来る」

 「何が?」

 

 答えが返る前に、部屋の照明が消えた。

 依頼人が息を呑む。

 私は慌てて懐中電灯をつけた。

 白い光が部屋を横切る。

 その先。

 壁際の影が、ゆっくりと膨らんだ。

 黒い染みのようなものが床へ落ち、四本足の獣に似た形を作っていく。

 頭らしき場所には目も鼻もない。

 ただ、大きな口だけがあった。

 歯ではない。

 暗闇そのものを削り出したような、黒い口だった。

 

 「……あれ?」

 

 私は懐中電灯を向けた。

 光を浴びても、怪異はまるで反応しない。

 

 「光、効かないんだけど」

 「普通の光だから」

 「先に言って!」

 

 とりあえず影喰いと呼ぶが、それが動いた。

 音もなく床を滑り、少年の影へ食らいつこうとする。

 ヨミの影が一瞬で伸びた。

 黒い腕のように床を走り、影喰いの首へ巻きつく。

 その瞬間。

 ばくり、と影喰いの口が閉じてヨミの影が途中から消えた。

 

 「っ」

 

 ヨミの体が揺れる。

 

 「ヨミ!」

 

 私は思わず駆け寄った。

 ヨミは顔色一つ変えていなかったが、足元の影が明らかに乱れている。

 

 「これ、影を食べる」

 「見ればわかる!」

 「わたしと相性悪い」

 「それも今わかった!」

 

 影喰いが再び口を開く。

 依頼人の弟は動けない。

 このままでは影を全部食われる。

 私は震える手で懐中電灯を床へ置いた。

 普通の光が効かないなら、普通ではないものを。

 

 「ヨミ、少しだけ下がって」

 「だめ」

 「大丈夫。たぶん」

 「その言い方、大丈夫じゃない」

 

 珍しく、ヨミの声に強い拒絶が混じった。

 私は少しだけ笑った。

 

 「でも、私がやるしかないでしょ」

 

 クソザコ妖怪にも、できることはある。

 私は手のひらを開いた。

 小さな火が灯る。それは青白い狐火。

 明るさは懐中電灯よりずっと弱い。

 せいぜい蝋燭より少し明るい程度。

 でも、これはただの光ではない。

 妖怪の火だ。

 

 「ほら。こっち」

 

 私は狐火を床へ落とした。火は消えず、影の上を滑る。

 影喰いがぴたりと止まった。

 そして、初めて反応した。

 大きな口が狐火へ向く。

 

 「よし、効果あり」

 

 私はもう一つ狐火を出した。

 それを少し離れた場所へ飛ばす。

 影喰いが追う。

 

 「なるほど」

 

 私の狐火は弱い。

 攻撃に使っても、人間ならせいぜい熱いと感じる程度。

 でも、影喰いにとっては違う。

 妖怪の火が作る明かりは、影そのものを乱す。

 

 「ヨミ、今のうちに弟さんの影を」

 「わかった」

 

 ヨミは残った影を細く伸ばし、少年の欠けた影へ触れる。

 私は狐火を操りながら、少しずつ影喰いを遠ざけた。

 うまくいっている。

 そう思った瞬間だった。

 影喰いが突然、狐火を無視した。

 黒い体が床へ沈む。

 次の瞬間、私の足元から口が開いた。

 

 「え」

 

 逃げる暇はなかった。

 足元の影を噛まれた。

 全身から、力が抜けた。

 

 「っ、あ……!」

 

 膝をつく。

 体が重い。

 自分の手足なのに、何か別のものを動かしているようだった。

 

 「ユズハ!」

 

 ヨミの影が伸びる。

 けれど、影喰いの口がそちらへ向いた。

 まずい。

 また食われる。

 その瞬間、恐怖より先に腹が立った。

 

 「私の助手を、食べるんじゃない!」

 

 私は残った力で狐火を掴んだ。

 そして、影喰いの開いた口へ直接叩き込んだ。

 青白い火が、黒い体の内側で小さく弾ける。

 影喰いが初めて音を立てた。

 声ではない。

 空気が裂けるような、不快な音。

 でも、効いている。

 

 「ヨミ!」

 「うん」

 

 ヨミの影が、部屋中へ一気に広がった。

 机の下。ベッドの下。カーテンの裏。

 そこにある無数の影をつなぎ合わせ、細い縄のようにして影喰いへ絡みつける。

 影喰いの動きが止まった。

 私は息を切らしながら、もう一つ狐火を作る。

 

 「これで……終わり!」

 

 狐火を投げ込む。

 青白い光が大きく膨らみ、影喰いの輪郭を内側から焼いた。

 黒い獣が崩れる。

 最後に残った小さな影を、ヨミの影が包み込んだ。

 そして、そのまま飲み込んだ。

 

 「え……食べた?」

 「少し」

 「お腹壊さない?」

 「大丈夫」

 「ならいいけど」

 

 そう言って立ち上がろうとしたが、立てなかった。

 足に力が入らない。

 影を食われたせいだ。

 完全に奪われたわけではないが、しばらく体がうまく動かないらしい。

 私はその場に座り込み、乾いた笑いを漏らした。

 

 「……これ、危険手当を上乗せしてもいいよね」

 「は、はい」

 

 依頼人の女性は何度も頷いた。

 

 ***

 

 家に帰る頃には、少しだけ歩けるようになっていた。

 それでも足元はふらつく。

 ヨミは帰り道、ずっと私の手を握っていた。

 普段なら袖を掴むだけなのに、今日は一度も離さなかった。

 部屋に着くと私は布団の上に倒れ込んだ。

 

 「疲れた……」

 

 その直後、視界が反転した。

 

 「え?」

 

 ヨミに肩を押され、そのまま押し倒されていた。

 小さな体が私の上に乗る。

 逃げようとしても、まだ力が入らない。

 ヨミは何も言わなかった。

 ただ、じっと私を見る。

 黒い瞳が近い。

 いつもの無表情だけど、何かが違う。

 

 「……ヨミ?」

 

 返事はない。

 ヨミの手が、私の頬に触れる。

 次に首から肩や腕へと、壊れていないか確かめるように、ゆっくりと触れていく。

 

 「大丈夫だよ。ちょっと動きにくいだけで」

 「本当に?」

 

 声が低かった。

 

 「本当。数日もすれば戻ると思う」

 

 ヨミは私の手首を握って、じっと脈を確かめる。

 それから、顔を私の胸元へ寄せた。

 心臓の音を聞いているようだった。

 

 「ヨミ?」

 「生きてる」

 「そりゃ生きてるよ」

 「ちゃんといる」

 「いるって」

 

 その言葉を聞いても、ヨミは退かなかった。

 むしろ、私の服を強く掴んだ。

 足元から影が広がる。

 部屋の床を覆い、壁際まで黒く染めていく。

 

 「ヨミ。深淵は禁止って言ったよね」

 「今日はいい」

 「よくない」

 

 ヨミは私を見下ろしたまま、ぽつりと言った。

 

 「ユズハがいなくなったら、いや」

 

 私は何も言えなかった。

 ヨミの表情はいつもと変わらない。

 なのに、怖いくらい真剣だった。

 

 「ユズハの影を食べられたとき、消えると思った」

 「消えないよ」

 「わからない」

 「……まあ、そうだけど」

 「次は、前に出ないで」

 「それは無理かな。私、一応所長だし」

 

 ヨミの影が、私の手首へ絡んだ。

 強くはない。

 でも、逃がす気はない。

 

 「出ないで」

 「ヨミ?」

 「ユズハがいなくなるなら、仕事はいらない」

 

 ぞくりとした。

 それは脅しではない。

 ただの本音だ。

 だからこそ、少し怖かった。

 私はしばらくヨミを見つめたあと、動かしにくい手を持ち上げ、どうにか頭を撫でた。

 

 「心配かけたね」

 

 ヨミは何も言わない。

 

 「でも、私は簡単にはいなくならないよ」

 

 ようやく、ヨミの影が少しだけ緩んだ。

 けれど、夜の間ヨミはずっと私の隣にいた。

 尻尾を抱きしめるどころか、腕ごと私に絡みつき、眠ってからも一度も離れなかった。

 

 翌朝。

 私はぼんやりと天井を見ながら思った。

 怪異との戦いには勝った。

 でも、別の何かを少しだけ育ててしまった気がする。

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