楽して稼ぎたいクソザコ妖狐の怪異相談所 ~ネットで開業したら影を操る怪異の幼女に懐かれた~ 作:パッタリ
私はちゃぶ台の前に正座し、買ったばかりのノートパソコンを睨みつけていた。
画面の中では、水色の髪を二つに結んだ少女が、こちらを見下すように笑っている。
「絶対に追い出す」
『できるもんなら、どうぞ』
その生意気な顔を見るたび、胸の奥で何かが燃えた。
このノートパソコンは、怪異相談所の仕事を効率よく進めるため、悩みに悩んで買った大切な仕事道具である。
値段は八万円。
そこへ勝手に住みつき、さらには古いパソコンを化石呼ばわり。
「まず、名前を聞いてなかったね」
私が言うと、画面の少女は腕を組んだ。
『名前なんて必要?』
「必要。追い出した怪異を記録するとき、電子怪異その一だと締まらないから」
『追い出す前提で話すな』
少女は考え込んだたあと、渋々と口を開いた。
『アジサイ』
「紫陽花?」
『色が変わるし、環境で姿も変わる。ネットを渡り歩くあたしにぴったりでしょ』
「自分で考えたの?」
『前の持ち主がつけた』
「急にちょっとだけ寂しそうな情報を入れないで。追い出しにくくなるから」
アジサイは鼻で笑った。
『安心して。あんたの同情なんかいらないし、出ていく気もないから』
やはり性格が悪い。
私は古いノートパソコンを隣に置き、電源を入れた。
起動までに時間がかかる。
ファンがうなり、画面が何度か明滅した。
『うわ。見てよ、あの死にかけ』
「まだ動いてる」
『今にも遺言を残しそうじゃん』
「長年働いた功労者に失礼だよ」
ヨミが古いパソコンへ手を置いた。
「まだ生きてる」
「ヨミも、生命扱いしなくていいから」
最初に試すのは、初期化だった。
買ったばかりなので、まだ重要なデータは入っていない。消えて困るものがない今なら、強引に全部消してしまえる。
私は設定画面を開いた。
「これで終わりだね」
『やれば?』
アジサイは余裕だった。
その態度が気になったが、今さら引けない。
私は初期化を実行した。
画面が暗くなり、再起動が始まる。
しばらく待つと、初期設定の画面が表示される。
「勝った」
私が小さく拳を握った、その直後。
画面の端から、水色の頭がぬっと現れた。
『おかえり』
「なんでいるの!?」
『ネットに繋いだ時点で戻ってきました』
アジサイは画面の中で大きく伸びをした。
『初期化中、暇だったよ。もう少し面白いことしてくれると思ったのに』
「クラウド怪異……」
『違うけど、その呼び方はちょっと格好いい』
私はすぐに無線通信を切った。
続けて、ルーターの電源まで落とす。
すると、アジサイの動きがわずかに鈍くなった。
『ちょっと、何してんの』
「ネット遮断。効いてるね」
『別に。動きが少し重くなっただけ』
「声、途切れてるよ」
『途切れてな──いし』
明らかに途切れていた。
私はにやりと笑う。
アジサイは画面越しに舌打ちした。
「ヨミ、今ならいける?」
ヨミはノートパソコンの画面をじっと見た。
足元の影が細く伸び、ちゃぶ台の上を這う。
黒い影は画面の縁へ触れ、そのまま内部へ染み込むように消えた。
アジサイの表情がわずかに引きつる。
『何それ』
「何か見える?」
「まだ」
ヨミはアジサイを見つめたまま、首を少し傾けた。
「この子、そこにいるのに、そこにはいない」
ネットを切っても、アジサイは消えない。
初期化しても戻ってくる。
ならば、新しいノートパソコンから古いノートパソコンへ移動させるしかない。
私は二台をケーブルで繋いだ。
『何する気?』
「引っ越し」
『嫌』
「即答しないで。家賃無料、ネット使用可、動画も一応見られる。好条件だよ」
『動画が途中で止まる家のどこが好条件なの?』
「贅沢言わないで」
アジサイは新しいパソコンの画面いっぱいに、大きく顔を表示した。
『あたしはこっちがいい。軽い、速い、画面も綺麗。しかも、あんたが貴重なお金で買ったばかり』
「最後の理由が一番腹立つ!」
私は古いパソコンへ、いくつかの動画を移した。
ネットから保存してあったものだ。
料理動画。ゲーム実況。動物動画。
そして、猫又のミケが出演している猫動画。
古いパソコン側で再生すると、画面の中で三毛猫姿のミケが段ボール箱へ飛び込んだ。
新しいパソコンにいるアジサイの目が、そちらへ動く。
「見たい?」
『別に』
「続きは古い方に入ってるよ」
『子ども騙しすぎるでしょ』
「じゃあ見なくていいね」
私は動画を閉じようとした。
『待って』
「見たいんじゃん」
『確認したいだけ。あの猫、普通の猫じゃないでしょ』
「そこは見抜くんだ」
アジサイは興味を持っている。
だが、移る気はないらしい。
代わりに、新しいパソコンの画面へ大量の通知を表示し始めた。
『記憶容量が不足しています』
『今すぐこちらをクリック』
『あなたの妖怪年齢を診断』
『三分でわかる貧乏狐度』
「嫌がらせが地味!」
『しょぼい戦いには、しょぼい攻撃で十分でしょ』
「自覚あるんだ!」
私は画面を閉じようとした。
閉じない。
電源ボタンを押しても反応しない。
アジサイが笑っている。
『ほら。八万円、人質に取られてる気分はどう?』
「最悪」
「ユズハ」
ヨミが呼んだ。
声は静かだった。
私はそちらを見る。
ヨミは画面へ片手を当てている。
黒い瞳が、アジサイではなく、その足元を見ていた。
「見つけた」
「何を?」
「この子の影」
アジサイの笑みが消えた。
『は?』
少女アバターの足元。
画面の背景に溶け込むように、薄い影が伸びている。
ただの画像ではない。
アジサイという怪異そのものが持つ影だ。
ヨミの指先から黒い糸が伸び、その影へ絡みついた。
『ちょっと、待って。それ触るの反則!』
「古いほうに行く?」
「行かない!」
「じゃあ、消す」
ヨミの声には、脅しらしい抑揚すらなかった。
だからこそ怖い。
影が締まる。
アジサイのアバターが画面の中で引っ張られ、輪郭を歪ませた。
『わかった! 行く、行くから! 消すのはなし!』
ヨミが影を引いた。
アジサイの姿が細長く伸び、ケーブルの方向へ吸い込まれていく。
古い画面が一度暗くなる。
ファンが悲鳴のような音を立てた。
そして、画面の中央にアジサイが尻もちをついた姿で現れた。
『最悪……遅い、狭い、熱い』
「勝った!」
私は両手を上げた。
八万円を守った。
規模はあまりにも小さい。
だが、達成感だけなら影喰いを倒した時にも負けていなかった。
「ヨミ、ありがとう!」
「うん」
「アジサイ。家賃は無料にしてあげる。ただし、勝手に新しい方へ移ったら消すからね」
『脅迫じゃん』
「不法占拠した怪異に言われたくない」
アジサイは不満そうに古いパソコンの中を見回した。
『せめてメモリ増やして』
「お金ないから無理」
戦いは終わった。
そう思った。
けれど、アジサイは急に黙り込んだ。
先ほどまで文句を言い続けていた少女が、画面の奥へ顔を向けている。
「どうしたの?」
『……ネットに繋いで』
「また逃げる気?」
『違う。今、変なのが引っかかった』
私は少し迷い、古いノートパソコンだけをネットへ接続した。
アジサイの周囲に、小さな画面がいくつも浮かび上がる。
街の地図。投稿された写真。防犯カメラらしき映像。個人が撮影した短い動画。
どれも場所も時間も違う。
けれど、共通するものがあった。
どこかに必ず、黒い染みのようなものが映っている。
「何これ」
『最近、この街で投稿された画像。怪異っぽい反応があるものだけ拾った』
「こんなことできるの?」
『万能じゃないよ。ネットに残った違和感を追えるだけ』
ヨミが画面へ顔を近づけた。
「これ、影じゃない」
「黒いけど?」
「影のふりをしてる」
私は嫌な気配を覚えた。
アジサイが別の画面を開く。
そこには、壊れた画像や、文字化けした投稿が並んでいた。
『最近、怪異に関係する写真だけ、勝手に壊れてる。投稿者が消したんじゃない。向こうから見えなくしてる』
「向こうって?」
『知らない』
アジサイの顔から、いつもの生意気な笑みが消えていた。
『でも、何かいる。この街のカメラにも、ネットにも、人の記憶にも映り込んでるのに、誰もちゃんと認識できてない』
「大きい?」
ヨミが尋ねるとアジサイは少し黙った。
『たぶん、かなり』
私は新しいノートパソコンを閉じようとした。
「今日は何も見なかったことにしよう」
「ユズハ」
「だって大きい怪異なんて、絶対うちの料金体系を超えてるよ」
その瞬間、閉じかけた新しいノートパソコンの画面が勝手に点灯した。
真っ黒な画面の中央に、白い目のようなものが浮かんでいる。
こちらを見ていた。
ほんの一秒。
それだけで画面は消えた。
部屋が静かになるとアジサイが小さく言った。
『……今の、あたしじゃないから』
ヨミが私の袖を掴んだ。
いつもより少し強い。
「向こうも、見てる」
絶対に負けられないしょぼい戦いには勝った。
けれど、その勝利の向こう側で。
どうやら私たちは、もっと負けてはいけない何かに見つかってしまったらしい。