隣で微笑む外道聖女   作:見守る女神

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1話 聖女ディヴァリア

 聖女ディヴァリアは外道である。幼馴染として、俺はよく知っている。

 

 透き通った銀髪を伸ばした清楚な姿。ほんの少し唇を細めた、名画を写し取ったような笑み。目の前で貴族の男と交渉している姿は、まさに聖女そのもの。

 音もなく紅茶を飲んでいることも、神秘性を高めている。交渉相手は、手を揉んでえびす顔をしているからな。本性になど、気づきもしない。実際、機嫌が良さそうにディヴァリアに話しかけている。

 

「聖女様。私の息子と結婚する気になってくれましたかな?」

「ふふっ、とても釣り合いませんよ」

「聖女様ほどの方と結婚できれば、息子も誇らしいでしょう」

 

 男は立て板に水といった様子で話している。ディヴァリアの笑顔から、謙遜だと受け取ったようだ。ご機嫌そうだが、まずいな。

 

「やめておいた方が良いでしょう。ディヴァリアは聖女。その座は、軽いものではない」

「私は聖女様に聞いているのです。ただの添え物は、黙っていてもらおう」

 

 ディヴァリアの笑顔が、透明なものに変わった。無音でティーカップを置いて、時計を見ている。

 強く、体が震えた。まるで、氷の世界に入ってしまったかのように。

 この顔をした時は、誰かが死ぬ。俺は、何度も何度も経験してきた。男は俺をにらみつけたまま。

 今、誰も死なせないためにできること。当然、ディヴァリアの殺意を説明することではない。そんなことをすれば、俺も男も殺されて終わりだ。裏の顔を大勢に知られるようなことは、絶対に避けたいはずだから。

 

 祈るように、ディヴァリアの目を見た。返すように、ふわりと木漏れ日のような笑みが届く。これは、どちらだ? 殺すと決めたのか、止めてくれるのか。

 男は、俺達の方を見て眉をひそめていた。そして、吐き捨てるようにこぼす。

 

「そちらの男ですかな? お揃いのブレスレットなどつけて……。子供のごっこ遊びとは、見込み違いでしたかな」

 

 男の目線の先には、俺の右手とディヴァリアの左手がある。どちらにも着けられた、すべてを吸い込みそうなほどに黒いブレスレット。輪っかが連なりあったもの。

 俺はブレスレットを握りしめる。ディヴァリアは、左手をちらりと見た。ほんの一瞬だけ、目を細めて。

 

「リオンは私を支えてくれていますよ。あなたの息子となど、比べるまでもなく」

 

 俺は紅茶を一口含む。まるで味が分からない。ディヴァリアが内心を示したということは、ほぼ確実に殺す気だ。

 だが、男を説得しようとしてどうなる。これほど嫌われていて、俺の意見など取り合うものか。

 それなら、手詰まりか? いや、まだある。どうにか、ディヴァリアを直接説得できないだろうか。おそらく、これから殺す準備を始めるはずだ。実際に行動に移される前に、なんとか。

 

「まったく、見る目までないとは。これでは、時間の無駄でしたな」

 

 男は立ち上がり、強く足音を立てて去っていく。扉の外に出るのを見送り、ディヴァリアは笑顔でブレスレットを掲げる。俺も同じように返して、見送りのために歩き出した。

 すっと隣にやってきて、手を繋がれる。ブレスレットが触れ合う姿が、鎖のように思えた。

 

 手をつないだまま、俺達は廊下を歩いていく。俺の足音だけが小さく響く。カーペットの毛糸が絡まりつくよう。言葉もないまま、ただ歩いていった。その間、ディヴァリアはずっと俺を見ていた。

 

 庭までたどり着くと、男が馬車に向かっているのが見える。そこから、奥さんと息子、娘が出てくる。穏やかな貴婦人とでもいうべき女と、俺やディヴァリアと同じくらいの少年少女。

 男は笑顔で家族たちの元へと向かう。その瞬間、妻は懐から刃物を取り出した。とても激しく、目を揺らしながら。

 

「この、浮気者! よくも、私のいないところで! 親切な人が教えてくれなければ、私は道化のまま……!」

「ま、待て。そのような事実は……」

「言い訳なら、あの世ですることね!」

 

 男たちのもとへ走っていこうとすると、手を優しく握りしめられる。それだけで、足が動かなくなってしまう。

 息子と娘が、奥さんを羽交い締めにしている。ずっと暴れているものの、二人がかりなら止まりそうだ。

 その瞬間、隣で息を吸う音が聞こえた。

 

「落ち着いてください!」

 

 耳を壊しそうな金切り声が響く。その叫びに、息子と娘がビクリとする。拘束が緩むのと同時に、奥さんはふたりを振り払う。髪を振り乱しながら、男の心臓に刃物を突き立てた。

 真っ赤な血が流れていき、錆びた匂いが広がっていく。思わず、口元を抑えた。

 突き刺さった刃物を見ながら、奥さんは狂ったように高笑いをしている。

 

 その瞬間、目の前の景色が歪む。黒髪を振り乱しながら、俺の心臓にアーミーナイフを突き立てる女が見える。胸に突き刺さって、焼けるような痛みが広がっていく。

 

「私だけを見てくれないのなら、そんなの……!」

 

 聞き覚えのある言葉と高笑いが響いて、耳鳴りがする。とてもではないが、立っていられない。

 地面に膝をつく。汗が止まらない。寒い。寒い。俺はまだ、生きているんだよな? ストーカーに殺されたわけじゃないよな? あれは、前世のことなんだから……。

 

「警備兵! 奥さんを捕らえて! 息子さんたちは、落ち着ける場所に! 暖かいものを用意して!」

「はっ!」

 

 真っ赤に染まった視界の端で、何かが動いているのが見える。焦点も合わせられないでいると、背中をさすられる感触がした。ゆっくりと、壊れ物に触れるかのように。

 そのまま、肩を支えられる。暖かさと甘い香りが、脳に染み渡っていく。胸の痛みが、少しずつ和らいでいった。

 

「リオン、ゆっくりと息を吸って。少しでいいから、力を抜いて?」

 

 言葉通りに、ゆっくりと息を吸う。そして、吐き出す。ぼやけた視界が、だんだんハッキリしてきた。

 周囲を見回すと、俺もディヴァリアもベッドに座っていた。いつの間にか、かなり運んでもらったらしい。わざわざ私室のベッドを使わせてくれた。

 なんだか、酸っぱい味がする。俺もディヴァリアも汚れていないから、ギリギリなんとかというところか。軽く息を吐く。

 それと同時に、コップが差し出される。水を飲むと、淀みが抜けていくような気がした。

 

 この部屋の壁には、絵が飾られている。幼い俺とディヴァリアが、手を繋いで微笑んでいるもの。ホコリひとつない額縁に収められた、かつての俺達。それが、今の俺達を見ていた。ただの絵と分かっていて、目をそらしてしまう。

 

「ありがとう、ディヴァリア。おかげで、落ち着いたよ」

「ふふっ、気にしないで。リオンが元気になってくれて、良かったよ」

 

 口元を緩めている姿は、年頃の女の子という感じ。さっき人が死んだということを考えなければ、だが。

 俺を安心させるためなのか、本気で人の死をどうでもいいと思っているからなのか。分かっている。そんなことは自明でしかないと。

 

 ディヴァリアは同じような表情で、言葉を続ける。

 

「運が良かったよね。リオンを悪く言った人が死んでくれて」

 

 今の天気は晴れだというくらいに、当たり前に語られる。それだけで、すべてが伝わってきた。奥さんに浮気を吹き込んだのも、叫び声で息子たちを妨害したのも、わざと。

 だって、そうだろう。人が死んだことに対して運が良いと言い切れる。そうできてしまう。

 水を飲んで薄れたはずの酸っぱさが、また口の中に広がってくる。

 

「運が良いとは、言いたくないな……」

「どうせなら、あの人の家族も一緒になった方が幸せかな? 当主が死んで、行き場も無くなっちゃうし」

「それだけは、やめてくれ……。お前の敵は、あの人だけじゃないのか?」

 

 反射的に、震える声が出てきた。ディヴァリアがどう思うかなんて、考えることもできないまま。罪のない息子と娘が死ぬという事実を、見過ごせなかった。

 ディヴァリアは、俺の手首を握る。人差し指と中指を中心に当てて、ヘビが巻き付くかのように。そして、じっと俺の目を見てきた。

 

「それは、殺さないでほしいってことだよね?」

「当たり前だ。まだ、あの人達はお前の敵じゃないはずだろう」

「可哀想みたいなこと? それとも、他の理由があるの?」

「どうしても殺さなくちゃいけないほどの脅威じゃないはずだ。殺す理由なんて、無いんじゃないのか?」

「うん、ありがとう。リオンの考えは、よく分かったよ」

「それで、どうするんだ……?」

「大丈夫だよ。リオンの言う通り、ちゃんと殺さないようにしておくから。安心してね?」

 

 ディヴァリアは、笑顔で頷く。

 今回は、通じたんだな。息がこぼれるのを、抑えきれなかった。ディヴァリアが見ている前だというのに。

 

「ありがとう……。俺の言うことを聞いてくれて……」

「ふふっ、リオンの言ってる意味は分かるからね。昔から、そうでしょ? あの日の話、ちゃんと覚えてる?」

「あの日って、どの日のことだ? 言われたら、思い出すかもしれない」

「ねえ、どうして人を殺しちゃいけないの? みんな、いけないことだって言ってくるだけなの」

 

 とてもまっすぐに、無邪気な瞳を向けてきた。あの日とまったく同じ表情で、同じ言葉を。どこまでも澄み切っていたから、俺はディヴァリアの性質を理解できたんだ。前世があったおかげとはいえ、かなり正確に。

 まるで、倫理観なんて理解できない。そんな人だと。

 

 それに、迷子のように瞳が揺れ続けていた。前世での妹のように。琴葉のように。

 どうして、私はこんな体に生まれちゃったんだろうね。そう言っていた時と、同じ目だった。分かっていて、見捨てられるはずもなかった。

 

 だから、俺は伝わるように意識した。良くないという曖昧な言葉ではなく、殺さない具体的な理由を語ったんだ。

 

「アリを殺しても仲間は追ってこないけど、ハチは追ってくるでしょ? 人も同じなんだよ」

「じゃあ、みんな殺せばいいよね? 私、強いもん」

「寝込みを襲ったり、毒を仕込んだり、手段はいっぱいあるよ。強いだけならね。だから、やめておいた方が良い」

「だったら、こっそり殺せばいいよね? バレなきゃ、同じでしょ?」

 

 お菓子をこっそり食べれば良い。それと同じようなトーンで、当たり前のように。本気で思っているのは、分かりきっていた。

 だから、殺してはいけない理由を教え込んだんだ。

 

「同じ人が殺したら、必ず共通点ができる。殺せば殺すほど、犯人を探す人が増える。結果は、分かるよね?」

「そっか。確かに、近所だけとかって気付かれちゃうもんね。じゃあ、あんまり殺さない方が良いのかも」

 

 そう言って、とても晴れやかな笑顔を見せてくれた。長年の疑問が解けたような、スッキリした顔を。だから、俺は大切なことを伝えられたと信じていた。結果は、明らかだが。

 ディヴァリアはきっと、共通点がなければ殺しても良いと学んでしまった。だから、多くの手段で人が死ぬ。

 落石で、盗賊の襲撃で、火事で。俺の知っている殺し方は、どれも違った。

 

 ……俺は、ただ完全犯罪の方法論を教えただけだったのか?

 鳥かごから、解放してやりたかった。結果として、鬼に金棒を与えただけ。それだけだ。

 

 せめてもの救いは、無軌道な殺しはしないことだ。落石で死んだ人は、子供に何ができると吐き捨てた。盗賊に襲われた男は、妾になれと持ちかけた。火事に巻き込まれた人は、分不相応だと笑った。

 殺された者にとっては、何の救いでもない。そんなこと、分かっている。

 

 俺たちの間には、どんな断崖絶壁よりも深い断絶がある。人を殺すことを効率でしか考えられないディヴァリアと、正しい倫理観を教えられなかった俺。

 そう、どこまでも不揃いなんだ。雑多に切られた果物よりも、よほど。

 

「分かってくれたのなら、嬉しいよ」

「ふふっ、とっても懐かしいよ。リオンには、本当に色々なことを教わったよね」

 

 今のディヴァリアは、普通の女の子みたいな顔をしている。ちょっとだけ気の抜けた、安心感のある笑顔を。

 だからこそ、歯を食いしばることすらできない。お風呂に肩まで浸かっている時みたいに、ただ力が抜けていってしまう。底なし沼に沈んでいるだけなのにな。

 

「ああ……。教えられていると、良いんだが……」

「もちろんだよ。リオンが答えてくれなかったのって、忌み子の意味くらいだから」

「あったな、そんなこと……」

「とても怖い顔だったの、覚えてるよ。リオンも裏切ったのかって思ったけど。ちゃんと、今は分かってるよ」

「そうだな。いくらなんでも、許せるものじゃなかった」

「意味を知った時、泣いちゃったもん。あの時、涙を拭いてくれたよね」

 

 目の前で流れていた涙は、今でも忘れていない。忌み子と言われて泣いていたのは、妹も同じだった。病弱だったから、金を食う疫病神だと。

 ディヴァリアは、誰にも理解されなかった。きっと、異星人に囲まれたような心境だったはず。それも、妹と同じだったんだ。

 だって、両親からすら見捨てられたんだから。琴葉も、ディヴァリアも。

 

「そうだったな。あんまり言いたくないが、良い親じゃなかったんだろうさ」

「リオンとの出会いには、とても感謝しているんだよ。私は、ずっとね」

「お前にとって、いい存在でありたいものだ。だから、なんでも聞いてくれ」

「ふふっ、ありがとう。だからリオンは、聖女にふさわしい勇者になるんだよ。必ず、ね」

「メルキオール学園で、か?」

「リオンと私なら、絶対に合格できるよ。だから、ね?」

 

 そっと、頬に触れてくる。俺は手を重ねて、かつて妹に語った言葉を思い浮かべた。そうだ。いつも心に灯火を。

 

 人殺しを続けている理由を、見つけてみせる。学園での出会いを活かして、必ず。その先に、本当の聖女が生まれる道もあるはずだ。

 俺が教えてしまった。だから、俺だけが取り戻せるんだ。変えられる、はずなんだ。

 

 儚い希望だと、分かりきっていた。それでも、ただすがることしかできなかったんだ。

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