気づけば、頭のあたりが柔らかくて暖かいものに包みこまれている感覚があった。それに引っ張られるように目を開けると、ディヴァリアの笑顔が見える。
「お疲れ様、リオン。みんなを助けて、素敵だったね」
はにかむ姿が、俺の心に染み渡っていく。また、膝枕をされている。
ゆっくりと起き上がって、体の調子を確かめた。折れた腕も、めくれた肌も、きれいに元通りになっている。
「ありがとう、ディヴァリア。また神官に治してもらったのか?」
「うん。お礼も伝えておいた方が良いかな?」
「頼む。俺も金を出すから、なにか手頃なものを贈っておいてくれないか。直接会えれば、それが一番なんだが」
「分かったよ。任せておいてね。忙しいみたいだし、ひとまずはお礼を渡しておくよ」
「助かる。それで、みんなは……?」
問いかけると、にこやかに笑顔を深めてくれる。つまり、そういうことだ。
ほっと息を付くと、頬を両手で包みこまれた。
「頑張ったんだね、リオン。みんな、あなたに感謝しているよ。お礼を言いたいらしいけど、どうする?」
「なら、会わせてくれ。元気にしている姿を見られるのなら、何よりだ」
「じゃあ、呼んでくるね。すぐに来ると思うから、お茶でも飲んでおいてね」
ディヴァリアが目をやった方を見ると、ほんのわずかに湯気が出ているティーカップがあった。頷いて返すと、手を振って去っていった。
カップを手にとって、ゆっくりとお茶を飲んでいく。水分で体が満たされていく。疲れた体を、しっかりと癒やしてくれた。
左手を、握って開く。違和感はなく、問題なく動かせる。神官の腕は、かなり高いらしい。
ひとまず伸びをして、息を吸う。生きているという実感が、じんわりと広がってきた。
俺ひとりでは、決して勝てなかった。サクラのおかげだ。いつも心に灯火を。俺の心に刻み込まれた言葉と共に目覚めた心奏現出。マリクを打ち破るほどの切り札。
あの言葉を知っているのは、琴葉だけのはず。つまり、そういうことなのだろうか。
考える前に、ノックの音が響く。返事をすると、オーナーや娼婦たちが入ってきた。ディヴァリアはいない。
お礼ということもあって、邪魔になると判断したということか。
まずはオーナーが頭を下げる。続けるように、その場にいる全員が頭を下げてくれた。とても深く、真剣に。
「ありがとう。娼婦たちに犠牲が出なかったのは、あなたのおかげだとも」
「私からも、ありがとう。こんな風に助けてもらえて、良かったなって」
「本当に、ありがとうございました。リオンさんのおかげで、生きていて良いんだって思えたんです」
マリクとの戦いでそばにいた娼婦が、俺の手を取る。そして、たおやかに笑った。
ようやく、落ち着いて見ることができた。短く整えられた茶髪と少しのタレ目が印象的な、優しそうな顔。
戦いの時は、どんな顔かを見ている余裕すらなかったからな。というか、薄い衣装の色っぽい格好まで目に入ってしまう。どこを見て良いのか、ちょっと分からない。
とりあえず、まっすぐに目を合わせていた。
俺たちを悲しそうな目で見ながら、オーナーはしっとりと語る。
「かつてそうだったから分かる。私たちは、結局のところ性欲を満たすための人形。いずれ、料理を出せない料理人になる運命なのさ。だからこそ……」
「リオンさんのような人は、現れなかった。みんな、私たちを見捨てようとしていたんです」
「それは……」
言葉を続けることを、ためらってしまう。何を言えば良いのか、俺には分からない。きっと、苦しんできたのだろう。悲しんできたのだろう。
そんな日々の中で、命の危機にまで。気持ちなんて、想像することすらできない。
「運が良かったものだよ。あなたがちょうど訪れなければ、心奏遺骸があろうとも……」
その言葉で、ハッとした。マリクはゼファーの弔い合戦だと言っていた。そもそも、俺の顔を知っていた。有翼連合は、狙っていたんじゃないのか?
娼婦たちが心奏遺骸で守られていたことも、気にかかる。
まさか……。その先を考えるだけで、指先が冷えていく。 いや、理由がない。俺を殺したいだけなら、もっと簡単な手段がある。サクラやヒカリだとしても。娼婦を処分したいのなら、心奏遺骸など必要なかった。だから、違う。そのはず、なんだ。
それに、真実だとしても言えるはずがない。娼婦たちにむやみに恐怖を与えて、どうする。
今の仕事から離れて、どうやって生きていく? きっと、相応の理由があって娼館で働いているのに。
ブレスレットの感触が、左手から伝わる。少なくとも、今は考えるべきじゃない。この場を暗くすることに、何の意味もないのだから。ブレスレットを、ギュッと握りしめた。
誰にも目を合わせられないでいると、助けた娼婦に両手を優しく抱えられる。そして、優しく握り直してくれた。暖かさが、肌から浸透していく。心にまで、じんわりと。
とても満たされたような微笑みが、目の前いっぱいに広がった。まるで、咲き誇るように。
「リオンさんのような人を、勇者というはずです。この感謝は、決して忘れません」
「ありがとう。あなた達を助けられて、本当に良かったよ」
「私、リリィって言います。どうか、覚えていてください。あなたが救った命が、ここに居たんだって」
リリィと名乗った娼婦は、ずっと俺の手の甲をなで回してくる。少しだけ開いた唇が、どこか色っぽかった。頭をかくような動きをしようとして、遅れて手を握られていることに思い至った。不思議そうな顔に、どうにも目をさまよわせてしまう。
感謝してくれている気持ちは、間違いなく俺の胸深くまで届いている。暖かい命を守れたことを、強く実感できる。この手の柔らかさこそが、俺が勝ち取ったもの。
目が合うと、ほころぶ顔が見えた。その姿は、今まで見たどんな絵画よりも美しい。
暖かい気持ちに背中を押されるように、俺は正面から目を見つめて深く頷く。返されるように、笑顔が深まった。
「ああ、もちろんだ。絶対に、忘れない。約束するよ、リリィさん」
「いつか、あなたが私を指名してくださる時が来たのなら。私は、全力でご奉仕しますからね」
片手は握られたまま、もう片方の手で肩に触れてくる。とても甘い匂いが届いて、つばを飲み込んでしまう。クスクスという声が、後ろのあたりから聞こえてくる。そちらの方は、とてもじゃないが見れない。
「そ、それは……。俺には、まだ早いな……。いや、気持ちは嬉しいが……」
「ふふっ、そうかもしれませんね。私も、もう少し大人になったリオンさんの方が良いかもしれません」
「は、はは……」
「でも、気が変わったのなら、いつでも良いんですよ……?」
頬にまで、手を触れられた。どこまで本気なのか、分からない。オーナーは笑っているし、単なる客引きなのだろうか。それにしては、目が潤んでいる気もするが。
リリィさんと目を合わせられない。というか、どこも見れない。
「そ、その……だな……」
「少しだけ、触っていかれますか? もし気に入ってくだされば……」
誘うような顔で、柔らかそうなものが強調されていた。頷けば、きっと。あるいは、その先すらも。
どちらにせよ、俺には無理だ。妙に勢いよく立ち上がってしまう。握られた手が離れる。名残惜しそうな目が、とても印象的だった。
「そ、そろそろ俺は帰らせてもらおうかな。あなた達を守れて、本当に良かったよ」
「はい。私も、絶対に忘れません。あなたという人が居たことを」
さっきまでとは違って、真剣な顔を見せてくる。だからこそ、感謝が心に届く。俺は、リリィさんたちの未来を切り開けた。
目頭が、とても熱い。でも、きっと涙なんて似合わない。俺は目を閉じて、ただリリィさんの暖かさを確かめる。
そうしたら、目を開いた時には勝手に言葉が出てきたんだ。
「リリィさん……。あり、がとう……」
「こちらのセリフですよ。リオンさんの行動こそが、あなたが私の価値を認めてくれた証。その気持ちを胸に、私は生きていきます」
リリィさんは、花が咲くように笑った。心から感謝しているのだと、全力で伝えるように。
俺も笑顔で返したら、もっと咲き誇る姿が見えたんだ。絵にして残したいと、強く思えるほど。
最後に、みんなは口々にお礼を言って去っていく。それを見守って、俺は生まれて初めて自分に胸を張れたような気がしたんだ。