胸を弾ませながら、やってきた当日。朝早くから起きて、服を着て髪をといて、なるべく早めにご飯を食べる。
やってきたディヴァリアと手をつなぎながら、いつものように路地裏を通って孤児院へと向かう。薄暗さが、やけに目についた。
首を振って気持ちを切り替え、笑顔を浮かべる。建物が見えてくると、扉から飛び出てくる子がいた。
ノエルは勢いよく俺のもとに走ってきて、胸に飛び込んでくる。そっと受け止めると、ぎゅっと抱きしめられた。
「リオンお兄ちゃん、ディヴァリアお姉ちゃん! また来てくれたんだ!」
「ああ。ノエルたちに会いたくてな。今日も、楽しみにしているよ」
「私もだよ、ノエル。一緒に楽しもうね」
「うん! いっぱい遊んでよね! ノエルの成長、見せてあげるんだから!」
「しっかりと、歓迎させてくださいね」
後ろから、院長がにゅっと出てきた。つい、のけぞってしまう。ノエルだけは、しっかりと抱きとめたまま。
「うわっ! 急に話しかけないでくれよ! またビックリしたじゃないか!」
「気づかないなんて、ニブニブだよ! リオンお兄ちゃんも、まだまだだね!」
顔の前で指を立てて、横に何度も振っていた。この様子だと、ノエルは気付いていたみたいだ。確かに、鈍いと言われても仕方ないかもしれない。
とはいえ、本当に気配を感じないんだよな。優しいお姉さんという感じなのに、いたずらっぽいというか。
「じゃあ、中に入ろっか。ノエルは何がしたい?」
「おままごと! ノエルはふたりの妹ね!」
「ああ、任せてくれ。演技は、うまくないかもしれないけどな」
「リオンお兄ちゃんってば、弱気すぎだよ! こういうのは勢いなんだから!」
力強く引っ張られていて、タジタジになってしまう。言葉通りに、勢いがすごい。俺も、参考にしないとな。
みんなで楽しむためには、全力で遊ぶこと。たとえ恥をかいたって、いい思い出になってくれるはず。
中に入ると、人形を持っている女の子もいた。みんなが駆け寄ってきて、引っ張られたり押されたり。
ときどき痛い瞬間もあるが、それでも笑顔を浮かべられた。
みんなで一緒に座って、おままごとを始めていく。言った通りに、ノエルは妹を演じている。
「リオンお兄ちゃん、お小遣いちょうだい? 一生分でいいよ!」
「そんなお金、持っていないんだが……」
「あらあら。では、体で払っていただきましょうか」
「体!? どんなことをさせられるんだ!?」
「リオンお兄ちゃんは、今からお馬さん! ほら、ノエルを乗せて?」
じっと見られて、言われるがままに四つん這いになってしまう。すぐにノエルが座り込んできて、俺はヒヒーンと言いながら歩いていく。
元気良くあちこちに進めと指示をされて、中々に大変だった。
それが終わると、次はみんなで歌う。元気いっぱいに、声がぶつかり合っている。
誰も彼もが大きな声を出していて、もうめちゃくちゃ。歌としては、ハッキリ言って成立していない。
でも、みんなが笑顔で声を出していたんだ。
そんな楽しい時間のはずなのに、どこか胸がざわつく。体の重さすら感じるほどに。
この子たちにだけは、何の被害も出ないでいてくれ。襲われたりしないでくれ。
きっと、娼婦たちのように守られているはず。だから、大丈夫なんだよな。そうだと言ってくれ、ディヴァリア。
みんなの方を見ると、ノエルたちが抱きついている。頬まですりつけていて、とても幸せそう。繊細なガラス細工みたいだ。きっと、無神経に触れてしまえば。
吐き出せなかった言葉は、ほんの少しだけの息と一緒に空気の中へと溶けていく。
俺にできることは、ただ子供たちの時間を邪魔しないことだけ。本当に、それだけ。
楽しそうな姿に近づく足が、一瞬止まる。今度は息を吸って、みんなの輪へと進んでいった。
歌い終えて、今度はご飯を食べていく。
「リオンお兄ちゃん、これも美味しいよ!」
ノエルがあれもこれもと差し出してきて、食べるのが大変。
でも、それこそが想いの証。だから、一口一口を噛み締めて食べていったんだ。
食べ終えて、椅子に深く座り込む。軽く息をつくと、ノエルはバタバタと足音を立てて去っていく。前は足音なんてしなかったのに、元気なことだ。
そしてすぐに戻ってきて、笑顔で近寄ってくる。背中に何かを隠している様子。気づかないふりをして、にこやかに向き合った。
「リオンお兄ちゃんに、贈り物があるんだ。受け取って!」
そう言って差し出されたのは、絵。花嫁衣装のディヴァリアと俺、ノエルと院長。4人が手をつないで、笑顔でいる光景。周りを子供たちが囲んでいて、まさに幸せの象徴とでも言うべきもの。
「これは、うまいな……。たくさん練習してくれたんだよな。ありがとう、ノエル」
「うん! ディヴァリアお姉ちゃんとも、よく相談したんだ!」
「おめでとう、リオン。ノエルの気持ち、いっぱい伝わったでしょ?」
「額縁はあるか? 折れ目でもついたら、大変だ」
「ふふっ、実は余っているものがあるんです。運んできますね」
院長が運んでくれた額縁に、大切に入れる。両手で抱えて、俺はノエルに掲げてみせた。弾けるような笑顔で返してくれて、心が満たされるという意味が理解できたんだ。
妹みたいなノエルと、姉みたいな院長。陽だまりよりも暖かく、俺を受け止めてくれる場所。
そんな想いが胸にあって、家に帰るまでずっと足が軽かった。いま感じている幸せは、決して失いたくない。心からの気持ちだった。
家ではディヴァリアが微笑みながら俺を見ていて、だから自然と言葉が浮かび上がってくる。
「よし、決めた。みんなを守るために、俺は有翼連合と戦ってみせる」
サクラに大きく助けられたとはいえ、リリィさんたちを守れた。同じように、きっと守り抜けるはずだ。今度こそ、俺自身の手で。
俺の決意に、甘やかな笑みが返ってきた。
「そっか。素敵だと思うよ。みんなも、きっと喜ぶと思うな」
「ああ。待っているだけじゃない。こっちから、戦ってやるさ」
「それなら、私が調べておくね。最高の舞台を用意してあげるから。任せておいてね、リオン」
ディヴァリアは、胸を叩く。それを見て、俺は胸に手を当てて目を閉じる。息を吸って、吐いて。まっすぐに目を見つめて、強く頷いた。
去っていく姿を見ながら、絵を飾る。花嫁衣装を見て、あることを思い出した。
俺には婚約者がいたという話。もしその子と出会っていたら、どうなっていたのだろう。ディヴァリアとの関係は、どうなっていたのだろう。
額縁に触れると、ブレスレットが目に入る。いや、もしものことなんて考えても仕方ない。俺の考えるべきことは、どうすればディヴァリアを変えられるか。それだけ。
絵の中の笑顔が、なんだか小さく見えた。
孤児院での思い出を胸に、俺は訓練を続ける。いつ有翼連合と戦うことになっても、勝てるように。一週間ほど、ずっと。その間、ディヴァリアは何かを準備していた。機嫌が良さそうに、ずっと動き回っていたんだ。
ある日の朝に、俺の手を取って語りかけてくる。準備が終わったらしい。
「今日は、全校集会があるんだ。リオン、一緒に来てくれるよね?」
「ああ、任せてくれ。有翼連合を倒せるのなら、なんだってするさ」
「そう言うと思ってたよ。しっかりと準備してきたからね」
1時間目の代わりに、全校集会になった。俺はディヴァリアと一緒に、舞台へと向かう。困惑した様子の生徒たちが、目についた。
急に予定が変わったのだから、そうもなろう。だが、大事なことだ。軽く頬を張って、ふたりで生徒たちの前に立つ。
ディヴァリアは少しのあいだ微笑み続けて、静かになるのを待つ。そして、落ち着いた声で話し始めた。
「有翼連合の脅威は、皆さんも知るところ。悲しいことに、まだ残党は残っています」
両手を胸に当てて、悲痛そうな顔をしている。俺も、ただ真剣な顔で頷いた。ディヴァリアは、そんな俺の手を取る。
「リオンは一度負けました。それを胸にもう一度立ち上がり、今度は罪なき人々を守り抜いたのです!」
ゆっくりと俺の手を掲げて、声を張り上げる。俺はじっと、生徒たちをまっすぐに見る。視線が圧力を持つかのように、俺たちに集まってくる。
一度手を下ろしたディヴァリアは、生徒たちに向かい合う。
「有翼連合は、心奏の民を殺そうとしています。そう、あなたたちを!」
ひとりひとりを指差すように、指を前に向けて左から右へと動かしていく。息を呑む姿すら、目に入った。
そしてまた、俺の手を取るディヴァリア。今度は、勢いよく手を持ち上げられた。
「リオンは勇者として戦います! そして有翼連合を打ち破り、あなたたちを守り抜いてみせるでしょう!」
一瞬だけ、静けさが走る。それから、爆発的な歓声が響き渡っていった。
まるで聖戦の始まりのごとく、誰も彼もが目を輝かせている。どこか遠くの世界のようだと、頭のどこかで感じてしまう。
みんなの目が集まっている。針よりも鋭く、一直線に。俺は、うまく息ができなかった。
集会が終わって、ディヴァリアは先に去っていく。俺はただ教室に向かう。曲がり角で、何かとぶつかった。
「いたた……。うっかりしておったのじゃ」
シャーナ先生は尻餅をついて、腰をさすっている。ボーっとしていたせいで、迷惑をかけてしまったみたいだ。
「わ、悪い……。足音が聞こえないから、誰もいないものだと……」
「うちにも責任がある。気にしなくとも良いぞ。それよりも……」
鼻先に、杖を突きつけられる。一歩、下がりかけた。
「悩み事が、顔に出ておるぞ? リオン、うちが話を聞いてやろう」
先生は背伸びをして目を合わせようとしてくれる。それを見て、素直に答えたくなった。すぐに言葉が出てくる。
「勇者というのが、どうにもしっくりこないんだ。なんとなく、怖いのかもしれない。いや、俺には荷が重いのかもな……」
「そうやって人の心を背負うのは、お主の美点ではある。だが、捨ててしまえ」
「だけど、それじゃ……」
「お主が勝ちさえすれば、期待しているものは勝手に救われる。そうじゃろ?」
ポンポンと、頭に手を当ててくれる。俺の心を気遣っているのは、疑いようがない。
先生として、しっかりと導こうとしてくれている。目がうるみそうになって、軽く咳払いをした。
「のう、リオン。自分の感情に素直になるがよい。それこそが、他ならぬお主のためというもの」
「だが、それでは……」
「心奏具の力は心の力。本心に忠実になることこそ、力を与えてくれるのじゃ」
とても真剣な目で、俺のことを見ていた。なら、ディヴァリアは本心に忠実なのだろうか。だから、あれほどに強いのだろうか。
そうなってしまって、良いのか? 感情のままに誰かを傷つけて、許されるとでもいうのか?
「女神はお主を愛しておる。お主が心奏具を持っていることこそ、その証」
言葉が出てこない。先生はただ、俺の目だけを見ている。目を逸らしそうになって、拳を握って抑えた。
「リオン。うちはいつでも、お主を見ている。どんな時でも、お主を支えてみせようとも」
最後に頭に1秒ほど手を置いて、シャーナ先生は去っていった。その後ろ姿が見えなくなるまで、目を離せないまま。
俺は、何も言えないままだったんだ。
次の授業では、先生と何度も目が合った。何度かにこりとされて、見守られているという確信を得られた。
それでも、胸のもやもやは消えないまま。ノートの文字は、少しだけ歪んでいた。
休み時間になって、すぐに誰かが近寄ってくる気配があった。振り向くと、サクラとヒカリが手を振ってくる。返すと、隣の席を引いて座る姿が見える。
サクラもヒカリも、どこか心配そうに目尻を下げている。だから俺は、頬に力を入れた。
「リオン、有翼連合との戦い、あたしも参加するわ」
「私もです。決して、リオン君だけに戦わせたりしません」
ふたりとも、真剣な目で俺を見ている。決意がこもっているのが明らかで、背もたれに体重がかかる。
俺は、ふたりを巻き込んでしまったのだろうか。本当は、俺ひとりで戦うべきなんじゃないだろうか。
何かが口から出る前に、サクラは言葉を続ける。
「結局、ひとりでは勝てないわ」
喉の奥で、ヒュッという音が鳴った。そうだ。俺はサクラに助けられただけ。ひとりで戦っていたら、絶対に負けていた。自分でも、分かっていたこと。
「それ、は……」
「あたしもヒカリも、あんたもね。だから、一緒に戦うの。それが、あたしたちの道よ」
「そういう、ことか……。まあ、そうだな……」
「リオン君をひとりにはしません。私たちは、ずっと一緒なんです」
「あたしとあんたは、同じよ。手のひらにあるものを守るために戦う。そうでしょ?」
サクラは上向きに手を広げていた。俺も自分の手を見ると、そっと手を包みこまれる。
「勝つわよ。どんな強敵が待っていたとしてもね」
「ああ。勝たなきゃ、誰も守れないよな」
「私たちなら、絶対に勝てます。そうですよね、サクラ」
「ええ。みんなでなら、ね」
俺たちは、互いの目を見て頷きあった。全員で生き延びてみせる。誰もそう言わなくても、通じ合っている。心から信じられたんだ。
次の授業から、サクラたちと訓練をする。全身全霊をかけて集中して、それでもどこか楽しいと思えた。痛みの中ですら、笑顔が浮かんでしまうくらいに。
だからだろうか。ディヴァリアの立てた作戦を実行する日までの時間は、あっという間のこと。気付いたら過ぎていたとしか、言いようがなかった。