当日、俺とサクラ、ヒカリは学園から二時間ほど歩いた先にある平原へと向かっていた。そこに、有翼連合のリーダーであるゼロがいるとのこと。
生徒たちを含めた有志たちが、有翼連合を引き付ける。その隙に、隠れた本拠地にいるゼロを少人数で叩く。そういう計画だ。
ゼロは心奏の民を敵視している。それはマリクの言葉で分かった。だが、娼婦たちは無心の民だ。つまり、有翼連合がどんな存在かは明らか。目的のために手段を選ばない、単なるテロリスト。同情の余地はない。ただ、倒すだけだ。
曇り空の中、俺たちはただ歩いていた。体力をなるべく温存しつつ、それでもできるだけ早くたどり着けるように。
拳を何度も握ったり開いたりしていく。ブレスレットの感触は、どこかしっくりこない。定まらない感触の中、空を見上げる。分厚い雲が、とても暗く見えた。
どうしてか、マリクの言葉が引っかかる。俺に追いついてくる過去とは、なんだ。敵の言葉など信じても仕方ないのに、頭から消えてくれない。
ゼロは、昔の俺に関係があるのだろうか。何を知って、俺を憐れんだのだろうか。
分からない。土に足が沈む感触が、強く残る。引っ張られそうなほど、強く。
「リオンも大変よね。勇者なんて、あたしはゴメンだわ。誰かの期待を背負って戦うなんてね」
「そうですね……。こう言ってはなんですが、生贄のような何かだと……」
サクラは口を引き結んでいて、ヒカリは眉を下げている。実際、勇者という立場は俺を縛り付けるものとしか思えない。ふたりの言葉は、間違っていない。
だが、それでも良い。ディヴァリアが勇者の役を求めるのなら、演じきってみせる。理由なんて、単純なこと。
「ノエルたちを守るためだ。それくらい、背負ってみせるさ」
サクラたちには言えないが、もうひとつ理由がある。
琴葉に、俺が死ぬ姿を見せてしまったこと。俺の頬にこぼれた涙は、今でも忘れない。そして、きっと暗い未来をもたらしてしまったこと。
だからこそ、サクラたちを同じ気持ちにはさせない。必ず生き抜いてみせる。そんな誓いを胸に、笑顔を見せた。サクラもヒカリも、笑顔で返してはくれなかった。
しばらく無言のまま歩き続けて、目的の場所が見えてきた。ツルが絡まっているような、朽ちた砦。そこに、ゼロがいる。
足音を立てないように、ゆっくりと建物に入っていく。誰も、襲いかかってこない。
隠れながら進んでいっても、兵士たちは見当たらない。出払っているのだろうか。ゼロが孤立しているというのなら、都合が良いのだが。口の奥が、どこか粘りついていた。
階段を登っていくと、広間のような場所に出る。そこに、真っ白なドレスを着た金髪の女の後ろ姿が見える。
俺達に向けてゆっくりと振り返り、スカートの裾を軽く持ち上げ、膝を曲げる。まるで、貴族の令嬢のように。雲の隙間から漏れ出た太陽が、窓を通して照らしている。
おそらく、有翼連合の誰か。それに似つかわしくない雰囲気があった。
「ようこそ、いらっしゃいました。勇者リオン。運命に翻弄される、憐れな子羊。そして、仲間のみなさんも」
「お前が、ゼロか?」
ゆっくりと、相手は首を振る。人の気配など、他にはない。少しだけ、空気がまとわりついてくる。
「いいえ。わたくしは、スール。ゼロ様のもとで、世界を変えようとするもの」
「御託はいいわ。あんた、何が狙いなの?」
「ふふっ、当てていてはいかがですの? ねえ、リオンさん」
スールは頬を持ち上げて、嬉しそうに笑っている。今から俺たちが襲いかかれば、圧倒的に有利なはず。なにか、罠でもあるのか?
あまり顔に出ないように、周囲を見回す。天井にも壁にも床にも、怪しいところはない。
「お前ひとりだけで、俺たちに勝てるつもりか?」
「うふふ。わたくしは、リオンさんに会いたかっただけ。それだけですわ。ねえ、聖女の勇者様?」
さっきも言われたが、勇者という呼び方がされたのはつい最近のはず。情報が、知られている。
背中に強い寒気が走る。震えそうになるのを、腹に力を込めて抑えた。
ディヴァリアの作戦は、読まれていたのか? 俺たちは、敵の策にはまってしまったのか?
「質問に、答えてください。それとも、私たちと仲良くしてくれるんですか?」
「リオンさんとなら、仲良くできるはずですわよ。わたくしの、運命の人なのですから」
ふわりと笑って、もう一度スカートの裾を持ち上げる。ニッコリと笑って、少しだけかがむ。胸元のあたりを、見せつけるように。
俺を誘惑したいのだとして、理由は何だ? いったい、何を考えている?
「ごまかすことばかり、得意なようね。なら、力ずくで……」
「せっかくの時間を、楽しませてくださいな。リオンさんとの、待ちわびた逢瀬を」
頬に手を添えて、少しだけ頬を赤らめている。まるで恋する少女。そんなこと、ありえないのだが。
スールの狙いが、何も読めない。それなのに、ぬかるみに足を取られたような感覚がある。
「何も言わないのなら、逢瀬はすぐに終わりますよ」
「あらあら、仕方ありませんわね。では、少しだけ情報を差し上げましょう。わたくしの他に、別働隊がいますわ。どこに向かっているか、お分かりですか?」
サクラやヒカリとは、目を合わせようともしない。ただ、俺とだけ話そうとしているかのように。
スールなんて名前の知り合いは、俺にはいない。もはや霧の中にいるような気さえしてきた。
「そんなにリオン君を見て……。まさか!」
「とある男を絶望させるため。そう聞いておりますわ。そろそろ、ですわね。
スールの手元に、真っ白な大盾が現れる。両手で握って、ニッコリと笑っている。優雅なティータイムのようですらあった。
ヒカリは少しあごに手を当てて、勢いよくこちらを振り向く。
「いけません、リオン君! 狙いは、孤児院です!」
その言葉を聞いた瞬間、俺はスールに背を向けて走り出す。ほぼ同時に、薄黄色の壁のようなものが現れた。
ぶつかって、軽く弾き飛ばされる。マリクの持っていた心奏遺骸は、回収されていなかったのだろうか。ここで結界が使われるなんて。色が違ったような気がするが、使い手の問題か?
いや、どうでもいい。ヒカリの言葉が正しいのなら、今すぐにでも……!
「こんな、もの……!
剣を出して、叩きつける。まるで手応えがない。ただ剣が弾き飛ばされるだけ。何度続けても、同じ。日々すら入ってくれない。サクラやヒカリも合わせて心奏具で攻撃してくれるが、それでも同じ。
全身が震えるのが分かる。このままでは、ノエルは。みんなは。
「あなたがたの力では、壊せませんわよ。わたくしを殺すか、心奏遺骸を奪うか。選んでくださいな、リオンさん」
胸に手を当てて笑っている。まるで、パーティの誘いだとでもいうように。
やはり、この結界は心奏遺骸によるものらしい。スールの出した心奏具と、心奏遺骸。2つを同時に相手にしないといけない。
能力を見抜いて、倒して。一体どれだけかかる? その間に、ノエルたちはどうなる?
寒い。凍えるような心地とは、こういうことなのか。
殺すにしろ奪うにしろ、戦って勝つしかない。そんな時間なんて、あるはずがない。走って戻っても、1時間は見るべき距離だ。
俺はただ、頭を下げる。地面に深く、こすりつけるように。
戦えば勝てるのだとしても、俺にはその余裕がない。媚びるだけで可能性があるのなら、すがらずにはいられなかった。
「お願いだ、スール! 逢引でもなんでもする! だから、今だけはみんなを助けさせてくれ!」
「選ぶのは、リオンさんですわよ。わたくしたちの運命が導くままに、行動してくださいな。そうすれば、どんなことでもいたしますわよ?」
盾の影から、左手を伸ばしてくる。まるで、その手を取れとでも言うように。どうするのが、正解なんだ。スールは、本当に見逃してくれるのか?
ノエルたちを助けられるというのなら、靴くらい喜んで舐めよう。だが、誘いがただの時間稼ぎだとすれば。
何をするのが、正解なんだ。誰か、教えてくれ。
「運命……? それは、なんだ……?」
スールは俺を見て、深く、とても深くため息をついた。そして、鋭い目でにらみつけてくる。憎しみすら感じさせるほどの圧があった。視線だけで、貫かれそうなほど。
立ち上がるべきかどうかも、分からない。スール、お前は何を望んでいるんだ……。
「やはり、正解でしたわね。孤児院に別働隊を差し向けたのは」
「どうして、そんなことが言えるんだ! 俺たちの運命とやらは、そんなに残酷なものなのか!?」
「リオン君、聞かないで! そんなの、挑発に決まっています!」
「戦いに集中しなさい、リオン! 簡単に勝てる相手じゃないわ!」
サクラがスールの顔面めがけて殴りかかる。ヒカリも合わせて切りつけようとする。スールはしとやかな笑みのまま、盾で受けていた。
そしてサクラの腹を蹴り、ヒカリの顔面に裏拳を叩き込む。ふたりは、どちらも体を折り曲げている。
これ以上、傷つけさせない。俺は立ち上がって、剣を握り締める。全力で地面を蹴って、スールに向けて駆け出していった。
「挑発だなんて、そんなこと。ねえ、リオンさん。聖女を選んだ罰を、受けなさいませ?」
「だからって、子供たちは関係ないだろう!」
スールは嗤う。俺はただ、後ろから追いかけてくる何かから逃げようとしているだけ。いや、本当は分かっている。ノエルたちの運命から、逃げたいだけ。
剣が、どこまでも重く思える。いつもと同じなのに。
ギュッと握って持ち上げて、左側から振り抜く。踊るように回って、避けられる。何度も斬り掛かっても、同じ。ひらひらと舞うカーテンを、殴り続けているよう。
サクラとヒカリが左右から炎と斬撃で合わせてくれる。炎は盾で防ぎ、斬撃はひらりと飛んで避けられた。
同時に、俺に向けて盾を振り下ろしてくる。俺も盾で受けると同時に、すり抜けるように腹に拳を叩きつけられた。
咳がこぼれて、もう一度殴られそうになる。サクラとヒカリが、拳とナイフで妨害しようとする。それも舞うようにかわし、ふたりを同時に盾で殴りつけていた。
ふたりとも、息がおぼつかない様子。落ち着くためにか、距離を取っていた。
スールの目は、ギラギラと光っている。憎悪を煮詰めたなんてものじゃ足りない。圧倒的な感情が、見ただけで分かってしまう。その鋭さに、息を呑んだ。
「関係ありますわよ! わたくしが得るべきだったものを、のうのうと!」
「何を言っているんだ、スール! お前は、何をしているのか分かっているのか!?」
恐れごと切り裂くように、剣を振り下ろす。あっけなく避けられる。突き出して、受けられる。薙ぎ払って、弾き飛ばされる。スールの防御は、どこまでも硬い。もはや城塞そのもの。
サクラとヒカリは、距離を取ったまま。遠くから炎や斬撃を飛ばして、当然のように避けられてしまう。
うかつに近寄れば、手痛い反撃を受ける。距離を取れば、簡単に対処される。
急がなくちゃいけないのに、打つ手が浮かんでこない。ただ、息が苦しくなっていくだけ。
スールは俺ばかりを見ている。1秒たりとも、目が離れていなかった。
「あなたが、わたくしを選んでくれなかったから……! その罪すら、知らないのですか!?」
血を吐き出すような叫びが、そこにはあった。鋭く早く、盾を振り下ろされる。俺を叩き潰そうとするように。あまりにも、重い一撃。
合わせて駆け寄ったサクラが殴りかかって、一歩だけの動きで避けられる。同じく近づいたヒカリが切りかかって、盾で受けられる。
その間に、しっかりと剣を握り直す。スールに向けて、まっすぐに振り下ろす。半身をずらすだけで、避けられた。狙いが、甘かったのか?
落ち着け。明らかに、スールは俺に執着している。だというのなら、答えにたどり着けば説得できる可能性はある。
敵は、まだ能力を使ってこない。それは、俺が気づくのを待っているからじゃないのか?
なら、考えろ。考えて、正解を見つけるんだ。そうすれば、きっとノエルたちは。
少しでもヒントを手に入れろ。たとえ俺への攻撃が激しくなっても、儲けもの。サクラとヒカリは、狙われずに済む。そうだろ。
「スール! お前は、いつから俺を知っているんだ!?」
「ふざけるんじゃ、ありませんわよ! わたくしは、ずっと……!」
狂いきったような形相で放たれるスールの蹴りが、胸に直撃する。転ぶ俺を、更に踏みつけてくる。スールの感情と一緒に、重いものが腹に叩き込まれる。痛みとともに、体が跳ねた。
俺をかばうように、サクラが顔面に殴りかかる。そして、腹のあたりに炎を飛ばす。拳は体をひねって避けられ、炎は盾で受けられる。どこまでも、何も通らない。
それに合わせて、ヒカリがナイフを突き立てようとする。なぜか避けようともせず、スールは笑った。
ナイフが刺さって、敵は気にもとめずにヒカリの顔面を殴りつける。よろめくヒカリを、サクラが支える。
ヒカリの攻撃は、心奏夢幻によるもの。見抜いて、無視することにしたらしい。痛みだけなら、耐えられるということ。
俺は剣を杖にして、急いで立ち上がっていく。
「お前の目的は、俺だろう! 俺だけを見ていろ!」
「ずっと、見ていましたわよ! あなただけを、ずっと!」
目を揺らしながら、スールは叫ぶ。俺に恋い焦がれるように、切ない表情で。
一気に頭が回る。スールはずっと、俺を見ていた。おそらく、幼い頃から。俺たちの関係を、運命だと言っていた。
そしてマリクは、俺の過去が追いついてくると言っていた。思考がつながった。つながって、しまった。
俺に、かつて婚約者がいた。ディヴァリアは、もう終わったことだと言っていた。
スールが、そうだというのか? なにか、手を回されたのか? 潰されたのか? だとすると、辻褄が合う。合ってしまう。
なら、俺がもっと早く気づいてさえいれば……? そもそも、スールは傷つかなくて済んだのか? こんな戦いに、ならずに済んだのか?
ディヴァリア、お前はどこまで知っていたんだ……?
一瞬、完全に固まってしまった。まともに剣を振ることすらできなかった。口を開ききってすらいただろう。明らかにスキをさらしていたのに、スールは俺を見ているだけ。
それが意味することは、俺の答えは正しいということ。つまり。
「まさか、お前は……俺の、婚約者だったのか?」
「やっと、気付いてくださったのですね。分かるでしょう? あなたが選ぶべきは、わたくしなのです!」
スールは俺に向けて勢いよく盾を振り抜く。長年の感情を、叩きつけるように。飛んで下がって、なんとか避ける。濁流のような激しさに、圧倒されていた。
サクラとヒカリが左側から炎と斬撃を飛ばす。炎だけ盾で受け、斬撃は気にもとめない。また、ヒカリが蹴り飛ばされた。そこに向けて、盾を振り下ろそうとしている。
俺は全力で駆け寄って庇った。仲間を守るためには、剣も使わないといけない。
スール。お前の不幸を止められなかったのは、俺の罪だ。だから、どうか止まってくれ。そうじゃなきゃ、俺は剣を向けるしかないんだ。
「戦いを止めてくれるのなら、お前の居場所を作ってみせる! 有翼連合だったとしても、それでも!」
「汚れた聖女に頼って、ですわよね? 分かりきっていますわよ!」
俺は、言葉を返せなかった。ディヴァリアがスールを排除したというのなら、俺の知らないところで悪事を行っていたということ。
悲しい行き違いであってくれ。そう祈った。どれほど愚かなことを考えたか、すぐに分かった。
スールはずっと、俺をにらみ続けている。吸った空気が、粘りつくよう。
その間に、スールはサクラの方に盾を振り抜いていた。俺は空いた胴体に剣を振って、スールを止めようとする。だが、ひらりとかわしながらサクラの腹を殴る。
前かがみになるサクラに、スールは盾を振り下ろす。俺は盾で受ける。弾きあって、距離ができる。
駆け寄って、剣を振り下ろす。盾で受けられるが、今度は右から振り抜く。相手が下がろうとした段階で、切っ先をスールに向けた。そして、貫くように腕と剣を伸ばす。
スールは盾を構えていない。当たるか。そう願った瞬間、なぜか現れた盾に防がれた。
剣を弾かれたスキに、脇腹を殴りつけられる。剣を取り落としそうになって、必死で握りしめる。
スールはずっと鉄壁だ。心も剣も、何も届きやしない。ただ、激しく俺を拒絶するだけ。
「わたくしは、すべてを奪われたのです! 何もしていない! ただ、心奏具を持たなかっただけ!」
「なら、一緒に取り戻せるはずだ! 俺の言葉を聞いてくれ、スール!」
俺は逆から剣で切り払うが、また現れた盾に防がれる。急に盾が現れたのは、二回目。
おそらく、スールの能力は盾を移動させる能力。それこそ、転移のような形で。分かっても、対処法が思い浮かばない。
あちらこちらから剣を叩きつけても、簡単に防がれてしまう。どうすれば良いんだ。どうすれば。
今度は剣を振らずに、柄だけを伸ばす。当たり前のように防がれた。そしてすぐに、俺に向けて盾を振り抜いてくる。燃えるような感情を込められたように、激しく。
下がって避けたはずなのに、気付けば右肩に直撃していた。ジンジンした痛みが広がって、また剣を落としそうになってしまう。
スール。お前は、ディヴァリアを裏切れというのか? だが、それでは……。
サクラは炎を飛ばし続けている。それを避けながら、スールはずっと俺だけを見て叫ぶ。心のすべてを、吐き出すように。
「私が欲しいものは、どこにもない! ぜんぶ、奪われた! 立派なお嫁さんになるって、信じていたのに!」
「今からでも、遅くない! だから、俺の手を取ってくれ! それだけで、きっと……!」
返答の代わりに、スールは盾を振り下ろしてきた。盾で受けると、腹に足が飛んでくる。一歩下がると、今度は手前に盾を勢いよく引いていた。
気付いたら、背中に強い衝撃を受ける。転移に慣性を持ち込むために、勢いをつけていたらしい。
背中も、皮が剥げたような痛みがある。両手が震えて、剣と盾も震えてしまう。
サクラが殴りかかってくれるが、スールはものともしない。ヒカリはナイフをスールに何度も突き立てているのに、もはや意識すらされていない。
「両親には捨てられた! 忌み子とまで呼ばれた! 血と泥にまみれるしかなかった! それなのに、今さら……!」
「スール! もうやめてくれ! 俺たちに、戦う理由なんてないんだ!」
スールの顔から、表情が消えた。一瞬遅れて、その顔が怒りに染まる。また、盾で殴りかかってきた。
とにかく、俺は相手の盾が進む方向と垂直になるように盾を構え続ける。そのスキをうかがうように、拳と足が飛んでくる。
盾よりはマシだと、何度か受ける。その度に、息が止まる。スールの目は、ただ揺れ続けていた。ちと泥にまみれた過去の苦しさが、雄弁に語られていた。
ディヴァリア。お前は、スールを地獄に叩き落としたのか? その裏で、ずっと笑っていたのか?
どうか、違うと……。そうじゃなきゃ、俺の人生は……。ノエルたちと笑っていた時間は……。
ただ、スールに剣を振る。ただ避けられて、盾を叩きつけられた。防御の上からなのに、胸にまで響いた。
「わたくしには、ありますわよ! あなたが聖女の手を取る限り!」
「そうしなくちゃ、スールの居場所だって作れないんだ! お前は、有翼連合なんだから!」
感情を振り払うように、左手の盾を分厚くして叩きつける。当然のように受けられる。剣を振り下ろす時に、太さを変えてタイミングをずらす。転移で即座に対応される。合わせてサクラが炎を飛ばしても、そこに盾が置かれている。
なら追撃をしようとすると、受けるために動かしていたはずの盾を転移して攻撃される。
攻めても守っても、あらゆるすべてに対応されている。ただでさえ、守りに使う時間なんてない。だが、鉄壁すぎて足がかりすらつかめない。
このままでは、時間が……。今から、どうすれば間に合うんだ……?
涙がこぼれそうになる。舌を噛んで、なんとか抑える。まだ、耐えろ。死ぬまで泣くな。諦めることだけは、してたまるか。
「どこまでも、バカにしてくれますわね! わたくしを憐れむつもりなのですか!?」
「まだ、取り返しが付くんだ! だから、お願いだ! スール!」
「いいえ! ここから始まるんですわよ! すべてを失って、わたくしに溺れなさいな!」
ただ俺をにらみながら、今度は盾で殴りかかってくる。受けた瞬間、スールの盾が弾かれる。追撃を仕掛けようとした瞬間、背中に盾がぶつかる。後ろに転移させたらしい。
スールは、あまりにも完璧に能力を使いこなしている。このままじゃ、勝てない。
心奏現出に、頼るしかないのか。みんなを守りたいという祈りを、剣と盾に込める。きっと発動できると信じて、全力で握りしめた。
「お断りだ! 俺は、みんなを守り抜いてみせる!」
「わたくしの手で、踊りなさいな! リオン・ブラッド・アインソフ!」
剣を振り下ろしても、盾で受けても、何の反応もない。心奏現出につながる感覚どころか、手がかりすらつかめない。
できなければ、勝てないのに。みんなを守りたいって気持ちが、足りないのか?
そんなこと、あってたまるか。だが、なぜできない。なぜ、なんだ……。
「どうして、心奏現出できないんだ……! みんなを守らないといけないのに……!」
「良いことを教えて差し上げますわよ。あなたの心奏具は、上級。あとは、分かりますわよね?」
スールは、もはや俺への攻撃を止めている。サクラが炎を飛ばすことにだけ対応している。
俺の心奏具が上級だというのなら、できるはずだ。いや、スールは嘘をついているのかもしれない。敵の言葉を信じるのか?
「応えてくれ、エンドオブティアーズ! ここでスールに勝てさえすれば……!」
「ゼファーとは、大違いですわね。下級の心奏具で、幹部にまで上り詰めたのに。能力名を明かすだけの心奏具で、ね」
その言葉が、どこまでも真実だと分かった。ゼファーの心奏具の名前。
なら、俺が心奏現出できない理由は。みんなを守りたいという気持ちは。
目の前が、真っ赤に染まっていく。吐き気すらしてきた。俺の覚悟は、その程度のものだったのか?
「俺、は……」
「いい加減、目を逸らすのをおやめなさいな。自分の本心から、ね?」
憐れむように、俺を見ている。どれだけ剣を握り締めても、現実は変わらない。何から目を逸らしているというんだ。俺は、ノエルたちを守るために全力で。ディヴァリアの代わりに、俺が。そうじゃないか。こんなにも強く、剣を握っているのに。
いや、俺を騙そうとしているのか? 嘘で操ろうとしているだけか? そうであってくれるのなら、俺は……。
スールの目を見ようとした。その前に、サクラが叫ぶ。
「なら、あたしがやってやるわよ! 心奏現出、
「横入りは、許しませんわよ! 心奏現出、
!」
サクラの両手は真っ黒なグローブで包まれ、スールの全身は真っ白な鎧で覆い尽くされた。スールの顔は見えないが、お互いがお互いをにらんでいることは分かる。
「今すぐに、決めてやるわ!」
「できるものなら、やってみなさいな。このわたくしを相手にして、できるのなら!」
すぐに、サクラは漆黒の炎を吐き出した。鎧ごと、スールを包みこんでいく。
炎の中から、影が飛び出してくる。即座に俺はサクラをかばう。盾ごと殴り飛ばされて、体が浮かんだ。
何度も転がって、すぐには立ち上がれない。サクラは全力で遠ざかりながら、もう一度炎を放つ。膜のようなものに、防がれていた。
立ち上がった俺は、すぐにスールの真正面に向かう。今度は盾を全力で拡大し、俺のすべてを包み込むほどになる。
殴られて、腕どころか内臓にまで衝撃が届く。口の奥で、血の味がした。
だが、腰を据えて全力で耐える。その間にサクラは炎を飛ばし続けている。全部当たっているはずなのに、俺への攻撃は止まらない。
俺はただ耐え続ける。ただ地面を踏みしめて、盾を全力で握って。その度に、骨が軋む。
サクラが何度も何度も攻撃しても、一切通じていなかった。
心奏現出ですら、届かない。盾を握る手が、妙に痛んだ。盾に張り付いて、緩められそうになかった。
50発ほど炎が撃たれた頃だろうか。サクラは膝をつく。そして、グローブが消え去っていった。
同時に、スールの鎧が消え去った。その手元には盾が現れる。頬に手を当てて微笑んでいた。余裕綽々という言葉、そのもの。
俺まで膝をつきそうになった。痛みなんて、他の戦いより軽いのに。腹に力を入れて、かろうじて耐えられた。
「くっ、ここまで、なの……」
「あらあら、心奏現出が切れてしまいましたわね。でも、これで邪魔者は消えましたわ」
「まだ、私がいるんですよ!」
ヒカリが飛び出して、スールに斬りかかる。もはや、何もしていない。ただヒカリの攻撃を受け続けている。心奏夢幻とはいえ、刺されたのと同程度の痛みがあるはず。なぜ、平然としていられるんだ。
合わせるように、俺もスールに斬りかかる。右手を握りしめると、痺れるような痛みが走った。
「その程度の力で、何ができるとでも? 哀れなものですわね」
「くっ……」
「降参しなさいな。そうすれば、少しは慈悲を差し上げますわよ」
ただ俺だけを見ながら、スールは語りかけてくる。勝てない。このまま戦っても、力の差を思い知らされるだけ。
仮に勝てたとしても、ノエルたちを助ける余力なんて残らない。俺に、どんな道がある? 何をすれば、みんなは生きていられるんだ?
カタカタと音がした。震えた剣と盾がぶつかり合う音だった。
「敵の言葉に、耳を貸したりしません!」
「リオンさんとの関係に、割って入るんじゃありませんわよ!」
スールはヒカリに向けて盾を振り下ろす。下がって避けたヒカリの頭に、盾が落ちる。かがみ込んだ背中に、勢いよく盾が直撃した。ヒカリの体が一度跳ねて、沈み込んでいく。
「ヒカリ!」
「リオン君……力になれなくて……」
ヒカリは地面に手を当てて、立ち上がろうとしていた。震えるだけで終わっていた。
本当に、無事なのだろうか。目の前が、暗くなっていく。膝に拳を叩きつけて、なんとか意識を取り戻した。
どうすれば良いんだ。ノエルたちどころか、サクラとヒカリまで……。
「ふふっ、リオンさん。あなたでは、勝てませんわよ。仲間は倒れ、あなたの技は通じない」
「まだ、まだ……!」
スールの盾を受けるふりをして、一気に分厚くする。後ろから盾が飛んでくるだけ。
剣を振り上げて、根本を勢いよく伸ばす。一歩だけ動いてかわされるだけ。
ここで勝てないと、全部を失う。それなのに。
剣を上から下に叩きつける。半身をひねってかわされる。
もう一度叩きつける。同じ動きの再演になるだけ。そこで気付いた。せめて剣を太くして、タイミングをずらしていればと。
今度は横薙ぎに剣を振り、太くする。半歩だけ下がって避けられた。今回は長くするべきだった。また遅れて気付く。
スールが盾で殴りかかってきて、ステップで回避を狙う。当たり前のように、転移した盾がぶつかる。
ただ俺は、ミスを繰り返しているだけ。挽回の策も、何も浮かばない。
盾で殴りかかっても、剣で切り払っても、何も通じない。ただ、息だけが上がっていく。何も、何ひとつとして、できていなかった。
「素敵ですわよ。どこまでも高潔で、どこまでも哀れで」
「俺は、みんなのために……!」
「そうですわね。ですから、提案がありますわ」
スールはただ、俺のことを見ている。サクラにもヒカリにも見向きもしない。それだけが、救いだった。
心だけは屈するものか。にらみつけながらも、うまく歯が噛み合わない。俺は、本当は……。
「手を引いてくれるとでも、言うつもりか?」
「その通りですわ。わたくしを選びなさいな。それだけで、すべてを許して差し上げますわよ」
そう言って、こちらに手を伸ばしてくる。盾を振り下ろそうともせず、まっすぐに。
戦いを中断するだけの理由が、あるということ。この手をつかめば、もう戦わなくて良いのか……?
剣を握る力が、弱っていく。自分でも分かった。
「みんなを、助けてくれるのか……?」
「ええ。通話の心奏遺骸は、持っておりますもの。証さえいただけるのならば、すぐにでも」
そう言って、スールは盾を消滅させる。心奏具すら出していないのなら、本気なのか……?
俺は、ただ絶望に挑み続けなくて良いのか……?
確かめるように、小さな声がこぼれた。
「証……?」
「ええ、そうです。わたくしに、口づけをしてくださいな。あなたから、ね?」
俺の胸に両手を当てて、ニッコリと微笑む。甘酸っぱい匂いが、肺の中に広がっていく。つばを飲み込む音が、遠くで聞こえた。
スールが頼みを聞いてくれるのなら、ノエルたちへの襲撃は止められる。もう、勝ち目のない戦いをしなくて良いんだ。
俺は、ただスールの唇を見ていた。とても艶めいていた。
「それだけで、みんなを助けてくれるのか……?」
「ええ。あなたと会うために、身だしなみも万全にしてきたのですから。ほら、ね?」
純白のドレスの裾を、スールは両手でゆっくりとたくし上げた。そこから、真っ黒なガーターベルトが覗く。あまつさえ、もっと持ち上げられていく。倒錯的な光景に、頭がクラクラしてきた。
そうだ。言うことを聞くフリをするという手もある。今だけ乗り切れば、サクラとヒカリだって助けられるんだ。
スールはただ、俺を見つめているだけ。ただひたすらに、優しげに。
「……っ。スール、お前は……」
「あなたも、立っているのもつらいでしょう? 楽になって、良いのです」
息すら当たるほど、近づいてくる。胸のあたりに、柔らかいものが押し付けられる。そしてスールは、俺の唇を親指でなぞった。ゆっくりと、感触を確かめるように。
喉が揺れて、甘酸っぱい香りが飲み込まれていった。
「だが、俺は……」
「わたくしは、どこまでも尽くしますわ。あなたとの子なら、きっと愛せますもの」
スールは舌なめずりをする。真っ赤な舌が、唇を濡らす。その光景から、目が離せない。
この唇に触れるだけで、俺はみんなを助けられるのか? だったら、キスくらい……。
ほんのわずかに、スールに手が伸びた。ブレスレットが、目に入る。そこで、とある言葉に引っかかった。
「……俺たちの子なら、か」
「ええ。そうですわ。だから、ね?」
そう言って、目を閉じて唇を突き出すスール。背伸びして、だんだん近寄ってくる。
確かに、スールは俺に執着しているのだろう。本当に好かれているのかもしれない。
だとしても、俺たちの子なら愛せるという言葉の意味は明らかだ。ノエルたちを愛する気なんて、少しもない。
そんな相手に、未来を預けられるものか。本当に助ける気など、あるものか。
一度目を閉じる。深く深く、息を吸う。両手に全力を込めて、俺はスールを突き飛ばした。