サクラはきっと、本質を理解している。実際に何をしているのかにまでは、たどり着いていないにしろ。
だったら、伝えたい話はとても大事なこと。深く息を吸って、吐いた。
すぐに、ノックの音が届いた。返事をしたと同時に、扉が開く。
サクラは俺の隣に座って、少しだけ髪をいじる。そしてすぐに、まっすぐに俺の目を見てきた。
「ま、くだらない前置きはいらないわよね。リオン。あんたは、絶対に間違えてなんかいないわ。ちゃんと、子供たちを守ったのよ」
実際に守ったのは、ディヴァリア。それでも、スールと戦ったことだけは無駄じゃないはずだ。
心の奥では理解していても、言葉に詰まる。一度だけ口を開きかけて、息を吸う。言葉が出てきたのは、その後だった。
「そう、だな……。それで、良いんだよな……」
「あんたが悩む気持ちは、分かるつもりよ。いっそ、全部吐き出してしまいなさい」
俺の肩に手を当てて、柔らかく微笑む。俺のすべてを受け入れるかのように。
サクラには、何度も頼ってばかりだ。でも、きっと本心を伝えるべきだ。今ここで遠慮してしまうことこそ、想いを無駄にすることなんだから。
「俺は、ディヴァリアに何ができたんだろうか……。そもそも、俺はみんなを……」
「子供たちは、無事だった。それだけよ。リオン、あんたは悪くないわ」
じっと目を合わせながら語られる。心に染み込ませるように、しっとりと。
確かに、理屈としては納得できる。子供たちが無事だったこと以上に、優先すべきことなんてなかった。
だが、自分の胸を握りしめる手が緩まない。緩んでくれない。
「みんなが傷ついていたより、よほどマシではあるか……」
「そうね。ディヴァリアが動いたのも、リオンがいたからよ。あんたは、ちゃんと役割を果たしているのよ」
「だと、良いな……」
「ディヴァリアを心から信じるべきじゃない。少なくとも、あたしは。でも、リオンはあいつのそばに居ていいのよ。それは罪じゃない」
「サクラ……。やっぱり、お前は……」
「あたしには、分かる。ディヴァリアは、あんたのために孤児たちを救った。リオン。あんたが、あいつの行動を変えたのよ」
頬を両手で包みこんでくる。優しい感触が、染み渡ってきた。
確かに、ディヴァリアは俺のために行動したようなもの。俺がいたから、みんなは守られたということ。
「そうか……。そう、かもな……」
「リオン。あんたは、手を伸ばすのよ。あたしに、ヒカリに。それで、良いの」
「確かにな……。自分で言ったことだ……」
スールに手を伸ばせと言ったのだから、俺だって実行するべき。当たり前のことだ。
サクラは、緩やかに目尻を下げていった。
「話せないことがあっても良いわ。ねえ、リオン。あたしにだって、あんたに話せないことはあるもの」
「サクラ……。ありがとう、いろいろと」
「あたしたちは友達。当たり前のことをしただけよ」
「なら、絶対に返さないとな。それが、友達ってものだろ?」
「もう、とっくにもらっているわ。あたしが何より欲しいものは、ちゃんとね」
とても満足げな顔をしている。本当に、欲しいものは手に入れている様子。
だからこそ、俺はそれを知りたい。サクラに恩返しができるのなら、きっと何だって捧げられる。
「それは、何だ……? もっと、あげられるものか……?」
「言わせないのが、花ってものよ。そういうところは、軽いんだもの。まったく、目が離せないことね」
目を逸らして、髪の先を指先でもてあそんでいる。これ以上追求するのは、避けるべきか。
俺は恩返しがしたいのであって、自己満足を押し付けたいわけじゃない。わきまえないと。
「そうか……。お礼になるのなら、渡せたら良かったんだが……」
「ほんと、バカね。でも、ありがとう。あんたの気持ちは、とても嬉しいわ」
「喜んでくれるのなら、何よりだ。まあ、何もできていないが」
「まったく……。ねえ、リオン。あたしは、あんたから離れたりしない。だから、あんたは変わったりしないで。それだけで、あたしは何でもするわ」
震えるほどに、俺の両手を握りしめてきた。とても真剣な目で、俺のことを見ている。
だったら、その願いを叶えたい。俺は、サクラにとって大切な俺でいたい。
サクラは太陽そのもの。だからって、照らされているだけで満足して良いはずがないんだから。
「ありがとう。その気持ちは、とても嬉しい。だが、サクラが嫌なことは絶対にしなくて良いんだからな」
「ほんと、分かんないやつね。でも、やっぱりあんたは……。バカなのは、あたしもか……」
「違う、サクラはバカなんかじゃ……。いや、そうじゃないか。俺たちは、おそろいなんだよな。なんだか、すごく嬉しいよ」
反射的に言いかけたことを、止めた。サクラは否定してほしくないように見えたから。ちょっとだけ、目が細まったような。
だったら、良いように言うのが正解だ。そう思ったのだが、サクラは呆れたように首を振っている。何か、変なことを言ったのだろうか。
サクラは額を抑えて、ため息までついている。それから、ジト目で俺のことを見てきた。
ちょっとだけ責められているように見えるのは、気のせいじゃないよな……。
「これでわざとじゃないんだから、とんでもないやつよね……。呆れたものだわ、まったく。ある意味、信じられない怪物よ……」
「怪物はひどくないか? いや、サクラなら良いんだが……」
「これだけは言っておくわ。あんた、女には気を付けなさいよ」
「やっぱり、軽薄そうな印象は変わらないのか……?」
「もっと厄介よね。あんたは、ディヴァリアにすら真正面から向き合ってしまえるの。だから、みんな……」
唇を軽く噛んでいるのが見えた。気付かないフリをした。
「それができるのなら、サクラにも向き合えるように努力しないとな」
「リオン、良い? あんたは、ディヴァリアだけを見ていなさい。それが、きっと……」
「ずっと考えていると言えば、そうだな……」
「ま、これ以上言っても無駄ね。次はヒカリを呼んでくるから、妙なことをしないようにね」
軽くにらみつけて、サクラは去っていった。どこまで受け止めて良いのか、すぐには決めかねた。
なんとなく、お腹が重い。それを認識しながら、ヒカリに何を話すべきかを考えていく。
俺を殺したアーミーナイフが、心奏現出だった。その理由は、おそらくふたつにひとつ。
ただ、確実に言えることがある。俺を死なせないために、全力を尽くしてくれた。サクラに慕われるくらいに、優しい子だった。
サクラがあの言葉を知っていたことにも、説明がつく。つまり、そういうこと。俺はまっすぐにヒカリに向き合えるはずだ。
一度目を閉じる。暗闇の中で、深呼吸をする。目を開いたら、もう心は決まっていた。
ノックの後、名前を呼ばれる。返事をすると、ゆっくりと扉が開く。
ヒカリは慈しむような目で俺のことを見ている。席に着くのを待って、向かい合う。
そして、俺は核心に触れたんだ。
「ヒカリ……。お前は、琴葉、なのか……?」
「そう言うあなたは、お兄ちゃんなの?」
コテンと首を傾けて、問いかけてくる。お兄ちゃんという言葉が出てくることが、答えそのもの。
胸の奥いっぱいに、暖かいものが広がっていった。
「琴葉、なんだな……!」
「久しぶりだね。ずっと会いたかったんだ」
「俺もだ……! ずっと、ずっと……」
ヒカリを抱きしめると、そっと背中に手を回してくれた。
お互いに何も言わなくとも、心が通じ合っている。それが、俺たちの全てだった。
「誕生日に買ってもらったゲームの世界で、私たちは一緒になった。もう、運命だよね」
「ゲームの世界……? どういうことだ……?」
何を考えるでもなく、ただ言葉を返してしまった。言っている意味は分かるのに、心にまで届いてこない。
ヒカリは、穏やかな顔をするだけ。優しく俺を見守るだけ。
「あの日、今でも覚えてるよ。ずっと雨が降ってたんだよね」
誕生日ということは、琴葉が珍しくおねだりした時のこと。車も持っていなかったから、自転車でゲームショップに向かった。片道で、1時間ほど。曇り空の中、雨に振られないか不安になりながら。それでも、まったく苦じゃなかった。
プレゼントを渡した時に、とても素敵な笑顔を見せてくれた。それだけで、俺は報われていたんだから。
「いや、ちょっと違うな。家に着いた瞬間に降り出して、焦ったんだよな」
「あはは、覚え違いだったかな? でも、お兄ちゃんは必死に買いに行ってくれたよね」
ヒカリは照れたように笑っている。あの日買ったゲームを楽しんでくれていた。頑張って、良かった。
ほんのわずかな時間だったとしても、琴葉を喜ばせることができたんだ。また、つながることができたんだ。
「自分で言うのは恥ずかしいが……。まあ、そうだな」
「だから、全部覚えてるんだ。国の名前も、キャラの名前も一緒。でも、もう歴史は変わったんだ。お兄ちゃんの影響でね」
「それは、つまり……」
「ディヴァリア・フェリエ・エインフェルト。あのゲームで、最も有名な悪役だよ」
息が、止まった。ディヴァリアは、そんな存在だったというのか?
理屈としては、分かる。人の心も命の価値も理解できない外道そのものなのだから。
「聖女として、か……?」
「ううん。覇王みたいな感じかな。その世界で、歴史上最も多くの人を殺した存在だったんだ」
「それは……どれくらいだ?」
「1億、かな。本当に、破滅的な被害だったんだよ」
1億? それは、日本の人口くらいという意味の1億か? 今の世界なら、国のいくつを全滅させるくらいの人数だ?
途方もないというレベルですらない。文字通り世界の命運を変えるほどの大虐殺だ。
「なっ……それは……」
「だから、お兄ちゃんはすごいんだよ。あのディヴァリアを、聖女にできたんだから」
ヒカリは胸に手を当ててふわりと笑う。俺を認めてくれているのが、強く伝わってくる。
俺がいなければ、大虐殺を行っていた。なら、俺は。ディヴァリアを、変えられたのか? 翼を、与えられたのか?
もしそうだというのなら、俺の人生にも意味があった。多くの犠牲者を、減らすことができたのなら。
完璧だなんて、とても言えやしない。それでも、無価値じゃなかったんだ。
天井を見ると、いつもより広がって見えた。口元が緩んでいるのが、自分でも分かる。
「ディヴァリアさん、お兄ちゃんの影響で口調まで変わっていたからね。ゲームを知っている私としては、驚いたんだよ」
こうして話をしていて思うが、ディヴァリアの口調は琴葉にとても良く似ている。前世の記憶を話したことなんて、ただの一度もない。だから、偶然ではあるのだろうが。
「そうか……。そう、なんだな……」
「今だから言うけど、お兄ちゃんが忌み子って言葉でサクラのために怒ってくれたの、嬉しかったんだ」
「琴葉……」
「サクラのことを、何も知らなくても。お兄ちゃんは、やっぱり優しいよね。あらためて理解できたよ」
「ただ、許せなかっただけだ。お前を忌み子と呼んだ両親も、止められなかった俺自身も」
ヒカリは、目を見開いていた。唇を震わせて、手で抑えている姿が見える。想像でしかないが、俺が自分を責めていることを悲しんだのだと思う。ずっと、優しい子だったから。
そう考えると、余計なことを言ってしまったのだろう。琴葉に重荷を背負わせるだけのことを。ちょっとだけ、歯を食いしばってしまう。
ただ、俺が何かを言う前に、ヒカリは柔らかく微笑んでいたんだ。
「ふふっ、それが優しさの証なんだよ。自覚は、していなくてもね」
穏やかな顔を見せてくれた。それに、同じような顔で返せたんだ。
とても幸せな瞬間だと、心から言い切れる。胸どころか、全身が暖かい。
だが、だからこそ気になることもある。もしかしたら、聞かない方が良いのかもしれない。今の気持ちが、全部冷えるのかもしれない。
そうだとしても、俺が向き合うべきこと。知らなくちゃ、何も始まらない。
ヒカリの両手を握りしめる。首を傾げるのが、見えた。息を大きく吸って、俺は尋ねたんだ。
「琴葉。お前は……。あれから、どうやって生きてきたんだ?」
その瞬間に、目を逸らされる。嫌な予感しかしなかった。だが、俺は手を握り続ける。
ヒカリは観念したように息を吐いて、ゆっくりと語り始めた。
「あの子も私も、自分で死んじゃったんだ。たぶん、理由は同じ」
目を閉じたくなった。頭を抱えたかった。叫びだしたかった。俺が死んだせいで、琴葉は。
動きを抑えていると、口から勝手に言葉がこぼれてきたんだ。
「どうして……! 俺は、琴葉さえ無事でいてくれれば……! 幸せでいてくれれば……!」
「簡単だよ。お兄ちゃんがいない世界で、生きている意味なんてなかった。それだけは、一緒だったんだよ。皮肉なことに、あの子とね」
ストーカーまで、俺の後を追った。だったら、俺の死になんて何の意味もなかった。
せめてストーカーが歪んだ幸せでも手に入れていたのなら、まだマシだったのに。結局、琴葉も俺も、誰も幸せになんてなれなかった。
涙がこぼれそうになる。鼻の奥が、ツンとして止まらない。それでも俺は、目を閉じて耐えていた。強く強く、震えながら。
「俺の、せいで……」
「ううん、私のせい。だから、お兄ちゃんは自分を許して良いんだよ」
「だが……」
言葉は続かなかった。お互いに、何も言えないまま。静かな時間が、ゆっくりと過ぎていく。
お茶に手を伸ばすと、ヒカリと手が合わさった。お互いに、手を引く。
少しして、ヒカリは目をさまよわせる。そして、決意を込めたような瞳で俺を見てきた。
「ねえ、お兄ちゃん。これからは、ずっとリオン君って呼ぶね。ううん、呼びますね」
胸に大きなトゲが刺さった。そう錯覚するくらい、心臓がすくみあがった。
言葉が、うまく出てこない。
「それは、どうして……」
「私たちは、お互いの人生を生きるべきなんですよ。過去にとらわれないように、です」
「でも、俺と琴葉は……」
「じゃあ、ディヴァリアさんを忘れて、私とふたりで生きてくれる?」
「……それは……」
ヒカリと、目を合わせられなかった。それが、すべてだった。
けれど、優しく手を取られる。胸に大切なものを抱えるように。
「だから、ですよ。私たちは、ずっと友達です。琴葉とお兄ちゃんじゃなくて、ヒカリとリオン君。それで、良いんです」
「そう、かもな……」
「大丈夫。私たちが離れ離れになるわけじゃありません。これからも、ずっと一緒です」
「そうか……。そう、だよな……」
「だから、これからもよろしくお願いしますね」
俺の腕を置いて、また落ち着いた笑顔を見せる。俺は、笑顔で返そうとした。きっと、できていなかった。それどころか、ぐちゃぐちゃな顔だったはずだ。
「ああ。よろしく頼む、ヒカリ……」
「はい。誰の作った物語でもない、私たちの物語を始めるんです。ゼロを倒して、ね?」
「そう、だな……」
「大丈夫。リオン君は、ディヴァリアさんを変えられたんです。きっと、良い未来にたどり着けますよ」
そう言って、はにかむヒカリ。希望が心に宿っているのだと、一目で分かった。
俺はまだ、胸が苦しいまま。ギュッと押しつぶされそうなほどに。だけど、ゼロを倒さなくちゃ始まらない。
きっと、ゼロにどんな過去があるかも分かっている。
ヒカリは、ディヴァリアも知っていた。サクラのことも、おそらくは。素敵な人だと分かっていたと言っていた。それは、物語の知識があったから。
察するに、サクラは。少なくとも、ヒカリが素敵だと言い切れるくらいの存在。いや、おそらくはもっと。俺に見せてくれた輝きは、その座にふさわしいと言えるもの。
だが、聞きはしない。ただの友達として、サクラという人間に向き合うために。いつか、サクラが俺のことを褒めてくれた時のように。
それでも、ゼロだけは別だ。勝つ確率を少しでも上げるために、俺は聞くべき。そうだよな。
「なあ、ヒカリ。ゼロについて、どこまで知っている?」
「……私は、リオン君にだけは言いたくありません。知らない方が、きっと良い」
目を揺らしながら、震える声で語っている。俺を傷つける何かが、そこにはある。ヒカリを、かもしれない。
分かっていて、問い詰めるべきなのだろうか。知識のために俺たちの関係を傷つけて、勝てるというのだろうか。
答えを出すより先に、ヒカリが話しだした。
「私、もう行きますね。さようなら、お兄ちゃん」
ヒカリはそそくさと、早足で去っていく。扉を開ける音が、ただ響く。
背中を見送りながら、一筋だけ涙がこぼれた。扉が閉まってから、ゆっくりとぬぐい去った。呆れるほどに、ゆっくりと。
ノエルたちのところに戻った時には、きっと目は赤かったと思う。でも、誰も何も言わないでいてくれた。
だからこそ、みんなを守るという決意が深まっていったんだ。