隣で微笑む外道聖女   作:見守る女神

5 / 8
5話 有翼連合

 生徒たちに剣を振り下ろしているのは、背中に大きな翼の刺繍をかたどった集団。明らかに、組織だって行動している。

 

「いやあああっ!」

「お父さん、お母さん……」

「結界がなければ、心奏の民もこの程度か!」

 

 生徒たちは、あるものは逃げ出して、あるものはうずくまって、あるものは呆然としている。敵は高笑いをしながら切りかかっている。

 そうだ、なぜ警備を切り抜けられた。敵の言葉から察するに、結界が張られていたはずだ。奪われでもしたのか?

 

「有翼、連合……?」

 

 サクラの口から、そんな言葉がこぼれていた。敵について、なにか知っているのだろうか。聞くことができれば、なにか分かるだろうか。

 考えていると、手が震えているのが見えた。ヒカリは両手で口元をおおっている。生徒たちからは、悲鳴が聞こえている。

 

 今は悩んでいる場合じゃない。サクラたちを守らないと。生徒たちを、一人でも多く助けないと。

 敵の方に駆け出しながら、振り返って叫ぶ。

 

「サクラ! ここは俺が道を切り開く! だから、ディヴァリアを呼んできてくれ! あいつが来れば、勝てるんだ!」

「あんたを置いていけっていうの!?」

「ヒカリを守りたいんだろ! 俺から遠ざけたかったくらい、大事なんだろ! 時間がないんだ! 急げ!」

「リオン、君……」

「絶対に死ぬんじゃないわよ! すぐに援軍を連れてくるから!」

 

 サクラはヒカリの手を握り、一度だけ俺の方を見る。そして、首を振って走り出していった。

 自分だって命が危ない状況で、俺のことを気づかってくれている。笑みがこぼれて、駆け出す足に力が入る。

 

「振り返ったりするな! 俺は絶対に死んだりしない!」

 

 生徒たちに、有翼連合が襲いかかっている。生きている生徒は、ほとんどが逃げ出している。その中のひとりが、転んでしまった。剣を振り上げた敵がいやらしく笑う。

 考える前に、俺は動き出していた。

 

「助け、て……」

「やらせるかよ!」

 

 倒れている生徒を抱きしめるような形で、かばう。背中に引き裂かれるような痛みが走る。目の前がチカチカしていく。

 間違いなく、血が吹き出ている。背中がぬめるような感覚もある。歯を食いしばっていると、脂汗も吹き出てきた。

 

「いやぁ、傷が……!」

 

 顔を引きつらせて、助けた生徒は首をブンブンと振っている。

 俺は敵を蹴り飛ばした。離れた隙に、生徒の手をつかんで起き上がらせる。そして、有翼連合へと向かい合う。

 

「みんな、逃げてくれ! ここは俺が足止めする! 守護(まも)れ、涙を止めるもの(エンドオブティアーズ)!」

 

 純銀の剣と盾が、両手に現れた。それを全力で握りしめて、生徒たちをかばえる位置へと動いていく。ほんの少しでも、俺の後ろに回れるように。

 みんなは、少しずつ逃げていった。敵たちは、ただ俺だけを見ていた。とてもあっさりと、みんなは逃げていった。

 

「逃げるやつは放っておけ! こいつを片付けた後で、いくらでも殺せる!」

「ああ、新しい世界のために!」

「新たな未来の礎として!」

 

 敵が叫んでいる間に、まずは手近な相手に剣を振り下ろす。

 頭に当たって、血が吹き出る。糸の切れた人形のように倒れていく。骨が砕けるような感触が、手に残った。

 喉元に、何かがせり上がってくる。背中が引きつる。心も体も、強い悲鳴をあげている。

 それでも、俺は剣を振り続けるしかない。心奏夢幻で手加減なんてできない。生き残りが誰かを殺してしまったらどうする。とても責任なんて取れやしない。

 だから、殺せ。情けなんてかけるな。ひとり殺せば、ひとり助かる。そう思い込め。やるんだ、リオン。

 

 自分に言い聞かせながら、ただ無心で剣を振る。ひとり首を落とし、ひとり頭蓋を砕き、またひとり心臓を貫く。うめき声が、耳に残る。

 事切れる姿が、どこか作り物のよう。だが、都合が良い。殺さなくては、守れない。殺せるうちに、殺せるだけ殺さないと。

 まだ、ただの剣技で倒せる範囲だ。都合の良いことに、生徒たちを追いかける敵もいない。

 

 敵たちは、今のところ心奏具を使っていない。

 すでに数人殺しても出してこないのだから、おそらくは使えない。仲間を見捨ててまで隠す理由はない。心奏の民がどうのと言っていたこととも、辻褄が合う。

 

 なら、今は温存すべき。全員が無心の民である保証はない。大将格くらいは、心奏の民のはず。情報を伝えられないためにも、能力を隠すべき。剣や盾を拡大縮小する程度の能力、バレてしまえば対策は容易。

 ゆっくりと息を吸って、敵に向かい続ける。血の匂いが、胸いっぱいに広がった。

 

 敵たちは、ただ下手な剣を振り回しているだけ。かわして喉を切り裂き、盾で頭を押しつぶし、首をねじ切る。もぐらたたきのようにすら感じてしまう。

 体が、とても軽い。背中に傷を負っているとは思えないほどだ。女神アルフィラが本当にいるのなら、きっと俺の背中を押しているはず。そう感じるくらいに、思い通りに体を動かせた。

 

 何十人かを殺して、半分ほど減った頃。乾いた拍手の音が届く。そちらを見ると、筋骨隆々とした髭面の男がいた。

 余裕を浮かべたような顔をしていて、妙に大きく見える。

 

「ゼファー様、こいつを殺してください!」

「落ち着け。てめえの役割は、もう終わりだ。なあ、リオン?」

 

 見下すように、こちらを見ていた。間違いなく、敵将だ。

 剣と盾を握り直しながら、様子をうかがう。さて、どう出てくる?

 

「なぜ、俺の名前を知っている?」

「さてな。どうしてか、当ててみたらどうなんだ? この右席のゼファー様が、採点してやるよ」

 

 とても愉快そうに笑っている。だが、都合が良い。

 俺の役目は、あくまで時間稼ぎ。ディヴァリアさえ来てしまえば、ゼファーはあっけなく散る。考えるまでもないこと。

 だったら、待っているだけでいい。敵を倒すことが目的じゃない。みんなは逃げ切れたんだから、後は単純だ。

 

 俺の名前を知っている理由なんて、どうでもいい。だが、ゼファーの口を軽くできれば、それだけで意味があるんだ。会話で時間を引き延ばせば、大きく勝ちに近づくんだ。

 ただ、やるべきことをやれ。逸るな。どれだけ情けなかろうが、目的を優先しろ。

 ディヴァリア頼みだろうが、構うものか。生徒たちを守るという結果がすべて。そうだろう。

 

「情報収集は、欠かさなかったみたいだな。なら、なぜ入学式を狙った? もっと良い状況があったはずだ」

「早く結果を出さなきゃ、うわごとしか言えなくなっちまうんでね。てめえに殺されるより、よほど恐ろしい」

「出さなきゃいけない結果とは、なんだ?」

「良いぜ、教えてやる。なあ、リオン。転移の心奏遺骸を、よこしな。あるんだろ、この学園に」

 

 妙に演劇じみた動きで、手を伸ばしてくる。なるほどな。心奏遺骸を手に入れて、活動の幅を広げようということか。

 そんなことのために、生徒たちは。歯を食いしばりすぎて、変な音が鳴ったのが分かる。

 だが、落ち着け。ゼファーを倒すことになんて、何の意味もない。ディヴァリアを待つことが、俺のすべきこと。決して間違えるな。

 

 相手に合わせるように、俺は唇を釣り上げた。

 

「俺が持っているように見えるのか? そうだとすれば、頭が悪いらしい。見かけ通りにな」

「悪くない挑発だぜ。仲間になれよ、リオン。てめえなら、あいつの代わりに左席になれるかもしれねえぞ。お前の居場所は、そこじゃねえだろ?」

「お断りだ! お前たちに屈するくらいなら、死んだ方がマシだ!」

 

 失敗した。口に出した瞬間に、後悔した。安い挑発に乗って、馬鹿じゃないのか。

 命が惜しいフリで良かった。力に溺れている演技でも良かった。くそっ。どこまで間抜けなんだ、俺は。

 

 俺の感情を置き去りにするように、またゼファーは大げさに笑う。喜劇でも見ているみたいに。

 

「なら、仕方ねえ。痛い目を見てもらうとするか。お前たち、手を出すなよ! 威嚇(おど)せ、衝撃の剣(ソードオブインパクト)!」

 

 ゼファーは右手を伸ばし、そこに真紅の大剣が現れた。それが、戦いの始まる合図だった。

 

 即座に、敵は剣を振り下ろしてくる。受けようとして、敵が笑うのが見えた。

 嫌な予感がして、即座に転がって避ける。爆音と共に地面が弾け飛んで、ゴロゴロと地面を転がる羽目になった。土が口に入って、少し咳き込んでしまう。

 地面を見ると、クレーターのようなものができていた。普通の剣のつもりで受けていたら、とっくに終わっていた。粘つく汗が流れている。

 

 息をつく暇もなく、土煙の中からゼファーが駆け寄ってくる。影だけを頼りにあたりをつけて、盾を構える。しっかりと踏ん張りながら、両手で。

 当たり前のように、体が浮いた。腕が折れそうなほどの衝撃が襲いかかってくる。ぶつかる音だけでも、頭が痛くなりそうなくらいだ。背中から血が吹き出てもいる。引きつりそうな痛みが、消えてくれない。

 

 覚悟さえ決めれば、耐えられる。だが、それは何度だ? いつまで、俺は時間を稼ぎ続けられる?

 このまま防御し続けても、ジリ貧になるだけだ。少しでも、敵が攻撃する機会を減らさないと。

 

 即座に、敵に向けて剣を振り下ろす。剣と剣がぶつかりあって、大きく弾き返される。肩が外れそうな衝撃が、また襲いかかってくる。歯を食いしばって、ただ耐えた。

 

 強いしびれが、腕に残る。痛みが、俺に現実を知らしめてくる。ディヴァリアのように、鮮やかに敵を倒せなどしないと。

 俺にできることは、ただ死なないように耐え続けることだけ。それだけだ。

 指先は、もう冷え切っている。それでも、心を奮い立たせろ。剣を握り締めて、前を向け。そうすれば、サクラたちだけは助けられるんだ。

 

 もう、敵の能力は明らかだ。衝撃の剣(ソードオブインパクト)という名前からして、衝撃を出す能力そのもの。

 分かってしまえば、後は対策するだけ。少しでも、情報を集めろ。

 

 覚悟を決めて、突きを放つ。ゼファーは剣を横にして、左手で支えながら受ける。衝撃は飛んでこない。腕はきしんだりしない。軽く、息がこぼれた。

 ブラフでないのなら、条件があるはずだ。それを探り当てて、反撃の機会を狙う。涙を止めるもの(エンドオブティアーズ)の能力が使えるのは一度きり。そう思え。単純極まりない能力なんて、対策が取られて当然なんだから。

 

 ゼファーは余裕の笑みを浮かべている。振り払うように、上段から剣を叩きつける。

 先ほどと同じように、両手で受けられた。衝撃は、ない。敵は落ち着いた顔そのもの。なら、能力の正常な仕様だということ。

 悪くない。答えにたどり着けていないにしろ、確かに情報を集められている。この調子だ。

 

 ゼファーの表情をしっかりと見ながら、横に薙ぎ払う。縦になった剣に受けられ、衝撃に吹き飛ばされた。肩が大きくひねられて、背中が引き裂かれるよう。目がチカチカする。

 急いで答えを見つけないと。俺の限界は、そう遠くない。全身がガタガタと震えている。痛みなのか、出血なのか。いずれにせよ、時間がない。

 

 剣が横になっている時は、衝撃が飛んでこないのか? その仮説を確かめるために、何度も何度も上から剣を叩きつける。息が上がろうとも、ただひたすら。

 6回目から、また衝撃が襲いかかってきた。背中は、まるでヤスリにかけられたよう。息を吸うだけで、引き裂かれるような激痛が走る。剣を離さないだけで、精一杯だった。

 

 だが、終わってたまるか。今回の仮説はハズレ。なら、次だ。口に溜まった血を吐き出して、息を吸う。

 そして、今度は突きを連打する。時々、衝撃が飛んでくる。そのたびに、息が止まってしまう。

 10回ほど繰り返して、少しだけ見えた。剣の浅いところで受けられた時に、衝撃が飛んでくる。なら、場所だろうか。

 あと、ほんの数個。それだけ情報を集めれば、解き明かせる。それまで、耐えろ。少しだけ、息に余裕ができてきた。そうだろ、リオン。

 

 方向でないのなら、横からも確かめるまで。腰を深くして、強く剣を握る。

 右から剣を振り、左から剣を振る。どちらも衝撃で返ってきて、大きくのけぞってしまった。焼け付くような痛みで、頭がぼやける。

 頬を噛み締めて、頭を回す。わずかな痛みだけを、導として。

 剣の先でも、衝撃は返ってくる。なら、残りの情報は限られているんだ。やれる、はずだ。震える体を抑えながら、笑みを浮かべる。

 目が霞むのがどうした。まだ俺は生きている。最後まで、全力で抗え。

 

 さっきとの違いを確かめるために、また突きを繰り出す。左手を添えて受けるのが見えた。そして、衝撃はこない。

 

 もしかして。思いついたことを確かめるように、俺は苦い顔のふりをした。にやりと笑ったゼファーが、剣を振り下ろしてくる。左手を見ると、全力で握りしめられていた。

 盾に直撃して、また俺の体が浮き上がる。演技ではない咳が、何度もこぼれる。ゼファーが剣を振り下ろしてくる前に、突きを放つ。

 左手で支えながら、受けられる。衝撃は、ない。それこそが、俺の希望そのもの。

 

 そろそろ、ゼファーの輪郭がぼやけてきた。もう検証している時間はない。この仮説に賭けるだけ。剣を握り直すと、軽い音が鳴った。

 

 膝が笑うと、ゼファーが剣を叩きつけようとしてくる。左手は、握りしめられている。今だ。

 盾に当たる瞬間、俺は一気に盾を分厚くした。敵は、剣を弾かれて体勢を崩している。俺の左肩も外れかけているが、関係ない。

 

 右手を伸ばして、剣を突き出す。まだ、届かない。剣を伸ばす。ゼファーは右にステップを踏もうとする。一気に剣を太くしていき、敵を切り裂こうとする。当たれ。そう祈った。

 

「いつも心に灯火を! これで、終わりだ!」

 

 敵は、転がるように避ける。左肩を切り裂くのが、見えた。左肩、だけだった。その一瞬が、目に焼き付く。

 ゼファーは歯を食いしばっているが、それだけ。決めきれなかった。うなだれそうになって、剣を震えるくらいに握り締めて耐えた。

 決めきれ、なかった。初見殺しが潰されて、俺に打つ手はあるのか?

 目の前が、ぐるぐると回る。足がふらつく。まっすぐに立つだけのことが、とても難しい。

 

「ちっ……。能力を事前に聞かされていて、このザマとはな……」

 

 その言葉に、心臓が縮みあがった。指先が、信じられないほど冷えていく。

 俺の能力を知っているのは、試験官と家族、そしてディヴァリア。

 誰が一番細かく知っているかなんてこと、考えるまでも……。

 目の前の景色が、灰色に染まりながら歪んでいく。たったの一瞬で口が乾ききった。歯が噛み合わない。

 いや、あり得ない。そうだとすれば、俺は何のために生きてきたんだ?

 

 ディヴァリア。お前は、俺まで捨てようとしているわけじゃないよな? 壊れたおもちゃ程度の存在だと認識していないよな? ブレスレットに視線を移す。深淵すらも飲み込みそうだ。

 やめろ。考えるな。このブレスレットが、証拠だ。おそろいなんて、他の誰も持っていないんだから。そうだろ。今は震えている場合じゃない。

 

 なら、今はゼファーを倒すことだけを意識しろ。そうしなければ、サクラやヒカリだって、他の生徒たちだって、誰も守れない。ディヴァリアが来るまで時間を稼ぎさえすれば、必ず勝てる。

 敵の前で、よそ見なんてできない。なら、目の前にいる敵がどう動くかだけを目に焼き付けろ。それしか、ない。

 ブレスレットの代わりに、剣と盾を強く握り直す。そして、全力でゼファーをにらみつけた。

 

「惜しい、惜しいぜ。今、お前が死ぬのはな。なあ、リオン。もう一度言うぜ。俺たちの側につかないか? 世界を、正しい方向に導きたくねえか?」

 左手で剣を持って、右手を差し出してくる。俺にできることは、歯を食いしばることだけだった。

 

「お断りだ! 俺は、お前たちのように犠牲に笑ったりしない!」

「やはり、そうなるか……。お前たち、リオンを捕らえろ!」

 

 その言葉に、周囲を見回す。当たり前のように、囲まれていた。全身が震え上がるのを、剣を握り締めて抑える。そして、ただ敵に駆け寄っていく。

 

 ゼファーの衝撃に転がり、そこを囲むように敵兵に追撃を受ける。俺はただ、目の前の敵に攻撃する。剣を伸ばして数人を突き殺したり、盾を拡大して押しつぶしたり、両方を同時に実行したり。

 だが、ゼファーだけを相手にしてすら追い詰められていた。今は数と連携を持って攻められている。大した時間も稼げず、追い詰められていくだけ。

 俺にできたのは、せいぜい20人ほどを殺すことだけだった。

 

 最後は、あっけないものだった。剣を突き刺した相手が、両手で俺の剣をつかむ。引き抜こうとしている間に、ゼファーから攻撃を受ける。吹き飛ばされて転がって、立ち上がろうとする前に10人ほどに押し倒される。

 

 縄をかけられる光景を、どこか他人事のように見ていた。

 

「まったく、手こずらせやがって……。だが、これで終わりだ」

 

 その言葉と同時に、足音が聞こえる。そちらを見ると。ディヴァリアがいた。敵の前に笑顔で立っている。隣には、サクラとヒカリもいる。それが、すべてだ。

 ゼファーたちは、誰一人として生き残りはしない。抵抗すら無意味。誰が何をしようと、もはや関係ない。

 

「ははっ、ははは……」

「気でも狂ったのか、リオン?」

 

 どうあがいても、ゼファーたちではディヴァリアを傷つけることすら叶わない。逃がせるだけの生徒は逃がしきった。たとえ俺が負けたとしても、ゼファーたちは終わりだ。

 

 ディヴァリアは、ただ微笑んでいる。とても穏やかに、唇を細めて。当たり前の日常のように、戦闘の気配すらなく。ただ、それだけだ。

 ゼファーたちは、踏み潰されるアリですらない。床に転がっているホコリを拭き取るだけ。敵ではなく、障害物ですらない。俺は負けたのにな。

 もっと笑えないのが残念になるくらいに、愉快な気分だ。家なら、大声で笑い転げられただろうに。

 

 サクラは拳を握りしめて震えている。ヒカリは胸に手を当てて目を伏せている。どちらも、痛ましいものを見るよう。こんなにも気分がいいのに、伝わっていないのだろうか。少しだって悲しまなくていいのに。

 

詩歌(うた)え、心のつながり(チェインオブマインド)

 

 ディヴァリアは右手を前に出して、聖句のように唱える。その手に、左手と同じ黒いブレスレットが現れた。心奏具を出しても、ただ微笑み続けたまま。

 

「なあ、聖女様。転移の心奏遺骸をよこしな。それが、リオンを助ける条件だ」

 

 ゼファーは半笑いで、俺の首筋に剣を突きつける。ヒカリが悲鳴を上げるのが聞こえた。サクラはキッとにらみつけている。ディヴァリアは、ただにこりとした。まっすぐに俺だけを見ながら。他の何も、見る必要がないとでもいうように。

 俺の首筋を、剣が走る。痛みと共に、血がこぼれた。それでも、ディヴァリアは笑顔のまま。

 

「話を聞く気はないよ。じゃあね」

「ま、待て。まさか、人質ごと……。予定じゃ……」

 

 ゼファーが何かを言い終える前に、天から舞い降りた光が俺達を包み込む。陽だまりにいるみたいに、ポカポカする。心まで温度が伝わってくるようだ。

 隣で、敵は体を崩壊させていく。ただ光に溶けていくだけ。断末魔すらなく、元から存在すらしていなかったように。

 結局、ディヴァリアには……。脳裏に、さっきまでの笑顔がよぎる。

 

 引きずり出されるように、これまでの思い出が頭の中を駆け抜けていく。倫理じゃなくて理屈を教えたこと。効率の良い殺し方ばかり学ばれていたこと。ずっと俺の隣で微笑んでいたこと。さっきもまた、笑顔でいたこと。

 たぶん、走馬灯だ。ストーカーに刺された時と、同じだから。つまり、俺は。

 なら、せめて。ディヴァリアをひと目見ようとして、頭を動かす。まぶしさで、目を開けていられない。

 

 真っ白に染まる視界の中で、俺は左手のブレスレットをつかもうとした。伸ばそうとした右手は、届かないまま落ちた。ブレスレットから全身にかけて、陽に当たっているような温もりが広がっていく。

 ああ、気持ちいいな。それだけを感じながら、意識は光に溶けていった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。