そしてやってきた当日。路地裏手前の待ち合わせ場所に、ディヴァリアと向かう。そこでは、なにか争いごとが怒っているようだった。
「無心の民ごときが、俺の服を汚しやがって!」
乱暴そうな男の服には、ソースらしきものがついている。睨まれているのは、串のようなものを持った子供だ。
母らしき人が、男の足にすがりついている。男は暴れようとするように、強くもがいていた。
「おやめください! どうか、どうか!」
「心奏の民に口出しするんじゃねえ! お前も殺してやろうか!」
手を横に伸ばす姿が見えた。まさか、心奏具を出そうとしているのだろうか。だとしたら、すぐにでも止めないと。足を進めると、その前に動き出す影が見えた。
「なら、心奏の民なら口を出していいのよね?」
「そうですね。罪なき人々を傷つけるなんて、許されません」
まずサクラが男の目の前に立って、ヒカリが子供たちを隠すように動いた。対する男は、不機嫌そうに顔を歪めている。
「なんだ、お前たち? 世間知らずのお嬢ちゃんが、正義気取りか?」
「俺としても、見過ごせないな。なあ、ディヴァリア」
「せ、聖女様……!? こ、これは……」
ディヴァリアの顔を見て、すぐに目線があちらこちらに動き出した。やはり、聖女という立場は強い。なんだかんだで、枢機卿くらいなんじゃないだろうか。
「言い訳は良いから、すぐに動いてほしいな?」
「くっ……。かしこまりました……」
唇を噛み締めながら、男は去っていく。ディヴァリアはつまらなそうに見ていた。
「孤児院に近づかれたら、面倒だよね。リオンは、どう思う?」
「確かに、近づかれたくはないが……」
あまりハッキリしたことを言えば、さっきの男も死ぬんじゃないだろうか。いや、孤児院には悪影響だとは思うのだが。
どう答えるのが、正解なのだろうな。
「まったく、面倒なものね。心奏の民とか無心の民とか、くだらないわ」
「ふふっ、そうだね。子供たちの教育にも、良くないかな」
「はい。心奏具なんかで、人の価値は決まったりしませんよ。当たり前のことです」
「どっちでも、大きな差なんてないのにね?」
とても自然な笑顔を浮かべていた。確かに、心奏の民と無心の民に大きな違いなんてない。人は平等だとまで言い切れるほど、俺はお花畑ではない。ないが、だからといって虐げられる無心の民という現状は良くない。
「女神アルフィラは強い心を愛する。愛したものに心奏具を与える、ね。ほんと、バカバカしいわ」
吐き捨てるように、サクラは舌打ちをしていた。ヒカリは両手を合わせて笑顔を見せた。
「まあまあ。ひとまず、明るい気持ちでいきましょう。せっかく、子供たちと交流するんですから」
「ああ。せっかく子供たちに会いに来て、暗い顔なんて見せられないよな」
「ふふっ、そうだね。サクラも、それでいい?」
「ええ。本当に大切なことを、見失うべきじゃないもの」
振り返りもせずに、俺たちは歩き出した。ただ、足音だけが響く。少し見上げた先の空は、果てしなく澄み渡っていた。ただの一点の曇りすらなく。
それなのに、少しも会話は弾んでいなかった。
たどり着いた孤児院では、またノエルが飛び出してくる。脇目もふらずに俺に飛び込んできたので、優しく抱きとめる。頬ずりをされて、サクラとヒカリは目を丸くしていた。
ノエルはそちらを見て、軽く首を傾げる。そして、ぱっと笑った。
「リオンお兄ちゃんの知り合い? ようこそ! ゆっくり遊んでいってね!」
「よろしくお願いします。私はヒカリ。ところで、リオン君の秘密に興味はありませんか?」
「ぜひとも、聞かせて欲しいですね。リオンさんがどんな生活をしているか、気になります」
院長は、またにゅっと出てきた。俺だけでなく、サクラも一歩下がる。ニコニコとした微笑みが、余計に印象深い。
「うわっ! 院長、勘弁してくれ……。俺はともかく、サクラは慣れてないんだ……」
「リオンお兄ちゃんを困らせるの、禁止!」
ノエルは両手でバツ印を作っている。前回は止めてくれなかったんだが、何が違うのだろう。まあ、サクラがいることか。
「あたしも自己紹介しないとね。サクラよ。よろしくお願いするわ」
サクラが手を差し出すと、ノエルが握る。すると、サクラは何度かにぎにぎとしていた。そして、考え込むように目を伏せる。
ノエルが首を傾げると、すぐに明るい笑顔を見せてくれた。いったい、何を考えていたのだろう。
「それで、リオンお兄ちゃんの秘密ってどんなの? ウソついたら、許さないんだから!」
「もちろん、ウソじゃありませんよ。実はですね、先生を同い年だと間違えちゃったんですよ」
「ヒカリ!? まさか、見ていたのか!?」
「リオン、あんた……」
つい反応してしまったことで、サクラはじっとりとした目で見てくる。自白してしまったも同然だから、当然だ。顔を覆いたくなってしまう。
「えー、リオンお兄ちゃんってば、ダメダメだねー」
「私が贈ったブレスレットを、孤児に盗られかけていた時もあったよね」
「リオンお兄ちゃんってば、いけないんだー。もう、悪い子!」
ビシッと指を突き出したノエルに、厳しい目で見られてしまう。俺はただ、うなだれることしかできない。そうしたら、バツ印を向けられてしまう。
とりあえず、切り替えていこう。どうせなら楽しんだ方が、みんなにとって良い。軽く頭を振って、孤児院の中へと足を進めていく。
扉を開けると、みんなが一気に飛びついてくる。特に俺とディヴァリアはもみくちゃだ。サクラとヒカリも囲まれていて、興味津々という目で見られている。
「聖女様、お友達?」
「そうだね。いろいろと遊んでもらうと良いかな」
「じゃあ、鬼ごっこしよ! 今度こそ、ノエルちゃんを捕まえてみせるもん!」
「院長でもなくちゃ、捕まえられないもんね。ね、リオンお兄ちゃん!」
「良いわね。じゃあ、あたしが捕まえてあげるわ」
言うが早いか、子供たちの半分が駆け出していく。誰が鬼かを決める間すらなかった。俺たちは顔を向き合わせて、肩をすくめる。そして、まずはノエルを追いかけていった。
孤児院の中には机とか椅子とかが転がっているのだが、まるでパルクールみたいに乗り越えていく。それでいて、ドタバタとした足音も聞こえない。
全力で追いかけているのに、むしろ遠ざかっているくらいだ。サクラやヒカリも同じ様子で、ノエルは振り向いて手を叩いている。
全力で飛びかかっていっても、猫みたいに飛んでかわされてしまった。もはや、鬼ごっこの達人かもしれない。
サクラとヒカリも参加して、三人がかり。足をひたすら回し続けても、ノエルひとりを捕まえることすらできなかった。
時間切れの合図が院長から出される。俺たちの敗北の印に、両手をついてうなだれてしまう。ノエルは腰に両手を当てて胸を張る。その姿を見ただけで、顔はほころんだ。
サクラはあごに手を当てて難しい顔をしていた。ヒカリは困ったように微笑んでいた。
そんな俺たちに、ディヴァリアがゆっくりと歩いてくる。
「ふふっ、リオンもタジタジだね。ノエル、本当に頑張ったんだね」
「当たり前だよ! 鬼ごっこで負けるような訓練、していないんだからね!」
サクラはノエルをじっと見て、俺たちを見て、目を伏せる。あごに手を当てて、息を吸って、そしてディヴァリアとまっすぐに向かい合った。
「つまり、ここは……。ねえ、ディヴァリア。ここで言うことじゃないかもしれないけど……」
「ノエル、少しだけ外してくれる? ちょっと、内緒話の時間なんだ」
「良いよ! 後でちゃんと遊んでよね!」
ノエルたちは駆け出していって、俺たちだけが残される。神妙な様子で、サクラは語りだした。
「あたし、娼館も見てみたいわ。あんたが何をしているのか、ちゃんとね。構わないかしら?」
「もちろん、良いよ。見せて困ることは、何も無いからね。客を取るって誤解されても大変だろうし、リオンも連れて行くと良いよ」
「そうね。なら、お願いするわ」
「分かった。次の休みってことで、話は通しておくね。紹介状をリオンに渡しておくから。頑張ってね、リオン」
ディヴァリアはニッコリと笑って、サクラは真剣な顔で頷いていた。
それからは、子供たちとまた別の遊びをする。特にノエルは強くて、半分以上の遊びで負けてしまった。
勝つたびに満面の笑みを見せる姿は、昔とはまるで違う。出会った時の、ボロ切れをまといながら焦点の合わない瞳を向けてきた時とは。
琴葉と同じように、あばらを浮かせていた。クタクタになった野菜スープしか飲ませてやれなかったが、それでも笑顔を見せてくれた。琴葉に読み聞かせをした時みたいに。
もし琴葉が元気になっていたら、きっと今のノエルみたいになっていたはず。治療費を稼ぐだけで精一杯で、何もできやしなかったが。せいぜい、月に一度ほどゲームを買う程度。それだけ。
だけど、ノエルたちと遊ぶ間はずっと笑顔だった。腹の底に溜まる重さを、置き去りにするように。
帰る時間になると、ノエルはピョンピョン飛びながら両手をブンブンと振ってくれる。俺も両手を振り返して、見えなくなるまで全力で笑った。
娼館でも、少しでも似たような笑顔が見られたら。そんな祈りを抱えながら。
サクラは遠くを見るような目で、孤児院を見つめていた。
ノエルたちからもらった元気を胸に、授業を受ける。サクラたちと高め合いながら、休日まで過ごす。
俺が勝ったり、サクラが勝ったり。ヒカリが微笑みながら見守っていたり。それだけの時間が、とても輝いていた。