神殺しの王、幻郷の律を刻む   作:アストラの直剣

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第2話 遺す種火

 

 

魔法の森は、命を拒絶する緑の奈落だ。

 

かつて人里を絶対的な結界で守護していた「博麗の巫女」が絶えて久しいこの幻想郷において、人里の外はすべて、等しく理不尽な死地へと成り果てていた。

 

陽光は毒々しい木々の葉に吸い尽くされ、地上にはただ、肺を焼き、髄まで侵す極彩色の胞子が雨のように音もなく降り注ぐ。

 

まだ星の残る夜明け前、男は一人でその境界線を踏み越えていく。腰に下げた直剣の柄に手をかけ、気配を殺して。男は最小限の動きで胞子の雨を躱し、擬態するように酷似した毒草の葉脈を、昏い木漏れ日の下で見極める。

 

一寸違えば劇薬となる自然の罠。

 

指先に全神経を集中させ、毒草を撥のけ、真なる薬草だけを静かに手折った。背後で、落ち葉を踏みしめる禍々しい気配が膨れ上がる。粘つくような殺意と共に、牙を剥く異形の姿を現したが、男は武器を抜かない。

 

代わりに懐から取り出したのは、土を焼き固めた、掌に収まるほどの無骨な『焼き壺』だった。男の故郷(狭間)において、壺とはもっとも身近であり、もっとも信頼に足る狩りの道具だ。

 

魔術の素養を持たぬ者、筋力に劣る者であっても、適切な素材を器に詰め、正しく投げつければ、等しく敵の肉を灼く暴力と化す。男は静かに腰を落とし、怪異の足元を狙って、その壺を冷徹に投擲した。

 

 

───激音。

 

 

破裂した壺から、魔法の森の湿った空気を一瞬で跳ね飛ばす爆炎が吹き荒れる。壺の中に仕込まれていたのは、ただの火薬ではない。わずかな衝撃で激しく爆ぜる赤黒い鉱石『火花石(ひうちいし)』を細かく砕き、燃焼時間を引き延ばす油を調合したものだ。

 

牙を剥いていた獣は、目の前を塞いだ突然の炎の壁と、その凄まじい熱量に恐怖し、悲鳴を上げて森の奥へと逃げ去っていった。生きるために必要な分だけを貰い、無用な殺生はしない。

 

縄張りを侵さぬよう、知恵の火で獣を退け、男は再び泥に塗れた地表へと視線を落とした。

 

その張り詰めた背中を、少し離れた巨木の陰から見つめる影があった。

 

また貴方(・・・・)?」

 

七色の人形遣い───アリス・マーガトロイドは、退屈しのぎの散歩の途中で足を止め、その風変わりな人間に声をかけた。

 

鈴を転がすような、しかしどこか冷ややかな声が静寂を破る。

 

男は答えない。振り返りさえせず、ただ黙々と、濡れた土から薬草を摘み続ける。アリスは形の良い眉を少し潜め、その手元を覗き込んだ。

 

「……その花は違うわ」

 

男の手が、ぴたりと止まる。

 

「その、すぐ隣。そっちの方が、今は薬効が強いわ。それと、そんな収穫の仕方をしていたら、魔法の森(ここ)ではいくら命があっても足りないわよ」

 

男は静寂の中で、言われた通りの細い茎へと指を伸ばし、静かに摘み直した。

 

それきり、また沈黙が森を支配する。

 

「お礼を言わないの?」

 

呆れたようなアリスの追及に、長い、引き絞るような間が空いた。

 

男は立ち上がり、泥を払い落しながら、短く、ただ一度だけ、助かったと首を縦に振った。

 

それきりだった。

愛想の欠片もない態度にアリスは呆気に取られ、それから堪えきれずに苦笑した。

 

「変な人間」

 

彼女の呟きは風に溶けたが、二人の間に、ほんの少しだけ確かな道が穿たれた瞬間だった。

 

 

 

 

昼を告げる鐘が鳴る頃、男は泥と血に塗れて森から戻る。しかし、彼の本当の戦いはそこからだった。

 

男が向かったのは、寺子屋の裏手にある、長年放置され、硬く乾ききった不毛の荒れ地だった。

 

男は一人、鍬を振るい、地中深くの石を掘り起こし、硬い土塊を砕いていった。そこへ、森から持ち帰った薬草の根や種を、細心の注意を払って土に埋めていく。

 

だが、外界の理に拒絶された魔法の森の植物は、人里の清浄な土を頑なに受け付けなかった。

 

幾度植えても、葉は墨のように黒く枯れた。

 

水を替えても、根は泥のように腐った。

 

土を替えても、硬い殻は一度として芽吹かなかった。

 

幻想郷の絶対的な理に逆らおうとする愚者へ、里の人間からは憐れみ混じりの陰口が向けられた。

 

「土が違う。あそこの呪われた緑は、ここで生きられやしないさ」

 

誰もが男の試みに飽き、背を向けた。

 

 

───ただ一人、上白沢慧音を除いて。

 

 

慧音は里の者たちの冷笑を、毅然とした態度で遮り続けた。里の者が去った後も、慧音は自ら泥に塗れ、男が編んだ日よけの藁を整え、共に不毛な土をいじり続けた。

 

夕暮れ時、誰もいなくなった裏庭で、傷だらけの手で土を捏る男の傍らに、慧音は静かに腰を下ろす。

 

「……っ、また、そんな傷を……!」

 

男の捲り上げられた袖口を見て、慧音の胸が締め付けられる。毒草の汁で赤黒く焼けた皮膚の痕。瘴気に侵され、ひび割れて荒れ果てた肌。茨に裂かれた、無数の古い切り傷、激しい血痕の残る銀鎧。

 

男はどれほど失敗し、蔑まれても、弱音一つ吐かずに独りで血を流し続けていた。慧音の瞳から、堪えきれずに涙が零れ落ちる。何度も、何度も、危険だから行かないで欲しいと彼に言ったが。

 

『人里の皆を救える薬草がそこにある』

 

ただ、それだけの為に、瘴気が蔓延っている危険地帯に足繁く通う。彼は瘴気に普通の人よりも耐性があるだけで決して『無効化』できるわけでもないのだ。

 

彼女は震える手で、優しくその傷口に薬を塗り、白い布をあてた。

 

「なぜ……なぜ、これほどまでに独りで背負うのですか。痛いなら、痛いと言ってください……」

 

男は答えない。

 

ただ、看病する慧音の手の温もりを拒むこともせず、静かにじっと耐えていた。かつて異郷の地で、ちっぽけな亜人の針子が、己の服を直してくれたときの温かさを思い返すように。

 

そして、季節が移り変わろうとするある朝のことだった。

 

いつものように、男が土の湿り気を確認し、慧音が見守る中──

 

 

 

朝露に濡れる乾いた土を割って、極小の、しかし力強い鮮緑の双葉が、一斉に顔を覗かせていた。それは、人里の土を受け入れ、根を張ることに成功した「真なる薬草」の芽吹きだった。

 

日課の見回りで通りかかった慧音は、その場に釘付けになり、涙の手前で息を呑んだ。

 

「……育った。本当に、育ったのですね……!」

 

震える声で呟く慧音に対し、男はただ、土に汚れた手で自身の膝を払い、静かに頷くだけだった。

 

「少し、弱い。だが───充分使える(・・・・・)

 

そう呟いた男は、小さな芽をそっと土へ戻した。

その指先は、剣を振るう時よりも遥かに優しかった。

 

里の誰もが「生きられやしない」と呪った不毛の地に、男の不屈の執念と、慧音の無償の祈りだけが手繰り寄せた、未来の灯火が、確かに仕上がった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

昼下がり、男衆は英雄の指示に従い、人里の境界の外縁にある前線の砦へと赴いていた。外縁には日中とはいえ危険な妖怪達が未だに蔓延っている。

 

戦うのではなく、大盾の裏に隠れて壁となり、知恵を回して生き残る。

 

英雄から叩き込まれたその方針に従い、男衆は木材を肉厚に組み合わせて作った頑強な大盾を地面に突き刺し、肩を並べて強固な「壁」を形成する。

 

霧の向こうから、博麗の巫女なき世界の支配者たる妖怪たちの、飢えた咆哮が響く。

 

その恐怖に歯をガタガタと震わせ、冷汗と涙を流しながらも、彼らは全体重を盾にかけて妖怪の質量を堰き止める。

 

「後衛、今だ! 煙幕を撒け!」

 

合図と共に周囲に『煙幕』が展開され、濃厚な白煙が妖怪たちの視界を完全に奪った。

 

さらに盾のわずかな隙間から、無数の『火炎壺』が、威嚇のために一斉に投擲された。

 

───激音と、荒れ狂う爆炎。

 

大盾の壁に阻まれ、さらに視界を焼かれた妖怪たちは、不敵な爆炎の熱量に辟易し、「今日は割に合わない」と吐き捨てるように森の奥へと去っていった。

 

爆炎と白煙が晴れる頃には、妖怪たちの姿はすでになかった。男の短い手招きで、男衆は一斉に動き出す。彼らは警戒を解かぬまま周囲を見張り、二人一組で森の縁へ踏み込んだ。

 

一人が大盾を構えて周囲を警戒する。

もう一人が素早く岩肌から『鉱石』を削り取り、乾燥した地層の隙間から、あの赤黒い熱を帯びた『火花石』を掘り起こし、朽ちた獣の『骨』を拾い集める。

 

長居はしない。必要な分だけを持ち帰る。

 

それもまた、英雄が教えた生き残るための鉄則だった。

 

午後、寺子屋の机の上に、ガタガタと音を立てて山積みにされたのは、泥と彼らの血に塗れた、不揃いの素材の山だった。

 

「採ってきた……! 採ってきたぞ、本当に……!」

 

「俺たちの盾と壺で……本当に、生きて帰ってこられたんだ……!」

 

男衆の、叫びにも似た歓喜の声が響く。

 

男は作業台の前に立ち、彼らが命懸けでもぎ取ってきた、その泥だらけの鉱石を一つ掴んだ。

 

手のひらでその重みを確かめるように転がし、その泥の重さを忘れるなと、静かに視線で男たちに告げる。

 

 

指示を受けた男衆は、集まってきた素材の加工に取りかかった。

 

男が教えたのは、彼方の地より携えてきた英知。

 

掘り起こしてきた火花石を細かく砕き、可燃性の高い油と混ぜ合わせ、粘土を焼き固めて作った壺へと詰めていく。短刀の刃と柄には、削り出した鉱石と動物の骨を組み合わせる。

 

すべてを己の手で作る知恵をその身に刻めと、男は手本を見せるように淡々と作業を進めていく。

 

特別な才能を持たない凡夫であっても、この「盾」と「壺」の集団戦術さえあれば、博麗の巫女なき死界でも襲撃者に対抗し、生きて帰ることができる。

 

これまで怯えと諦めに顔を曇らせていた里の者たちに、自らの足で立ち、生き延びられるという希望の「笑顔」が咲いていく。

 

子供たちも、中庭で大人たちが頼もしく自立の道具を作る姿を、目を輝かせて見つめていた。

 

彼らが手に入れたのは武器ではない。

 

神の慈悲を乞うだけの家畜を辞め、人間の足で未来を掴むための「手段」と「誇り」だった。

 

 

 

 

 

 

やがて日は沈み、人里に深い帳が降りる。

 

人々が男から得た知識を胸に、温かい灯火の消えた我が家で笑顔の眠りにつく頃

 

 

───再び、冷徹な『狼の戦鬼』へと姿を変える。

 

 

暗闇に包まれた人里の境界。

 

白狼は一人、音もなく闇に溶け込み、忍び寄る不穏な気配を警戒して夜の底を彷徨う。

 

夜の静寂を守ること。

 

それだけが、戦鬼の夜の生活だった。

 

その夜警の背中を、寺子屋の縁側から見つめていた上白沢慧音は、胸を締め付けられるような激しい愛おしさと、畏敬の念に震えていた。

 

歴史の守護者であり、数多の人間と妖怪の興亡を見届けてきた彼女だからこそ、眼前の英雄がこの人里で行っていることの「真の恐ろしさ」と「偉大さ」が、誰よりも深く理解できた。

 

かつて歴史の頁に刻まれた「英雄」たちは、圧倒的な武力で敵を屠り、一時の平穏をもたらした。

 

だが、英雄が世を去れば、遺された人々は再び脅威の前に無力な存在へと逆戻りした。それは救済ではなく、ただの「依存」の植え付けに過ぎない。

 

だが、彼がやっていることは、それとは決定的に違っていた。

 

戦鬼は、魔法の森という、誰もが恐れ、忌避していた「危険な資源」を、安全に利用するための知恵へと変換した。

 

火花石も、骨も、鉱石も、薬草も。

 

人々が恐れたものは、彼の手によって、生きるための知恵へと姿を変えていく。

 

戦鬼は決して最後まで手を貸さない。

必要な知恵だけを授け、その先は彼ら自身の手で掴ませる。

 

それは、戦鬼が自分がこの人里の「絶対的な神(救世主)」になろうとは決してしなかったからだ。それでは人々は彼に依存し、彼がいなければ生きていけない脆弱な家畜のままだからだ。

 

力は今ある命を守るために振るい、知識は自分が消えた後の遥か遠い未来へ遺す。

 

英雄は歴史に名を刻む。

 

しかし、この男は違う。

 

彼が望んでいるのは、自らの名ではなく、人々が明日も笑って暮らせる仕組みだけだった。

 

もし未来の歴史書に彼の名が残らなくても構わない。それでも、この人が遺した知恵だけは、人々の営みの中で生き続ける。

 

その、どこまでも孤高で、どこまでも慈悲深い王の生き方に、慧音は言葉を失い、ただ胸の奥で彼への愛おしさを噛み締めた。

 

夜明けに死地へ赴き、昼に知恵を授け、夜は闇から里を守る。その過酷な生き方を案じ、傷ついてほしくないと切に願う。

 

しかし、彼がその命を懸けて紡ぐ、いずれ自分なしでも機能する「永遠の自立の仕組み」の美しさを、誰よりも理解し、愛してしまったのもまた、慧音自身だった。

 

 

 

 

 

長い試行錯誤の果て、人里の夕暮れは、かつてない柔らかな熱を帯びていた。

 

茜色に染まる寺子屋の庭。

 

そこには、子供たちが元気に駆け回る声が響いていた。彼らが着ているのは、主人公から手ほどきを受けた裁縫の技術で、破れを丁寧に繕い、直された衣服だ。

 

かつては妖怪の影に怯え、すり切れた服のまま俯いていた子供たちが、今は見違えるような笑顔を咲かせて土を蹴っている。

 

庭の片隅、夕陽を浴びてきらめく小さな、しかし力強い緑の葉が、確かに大地を踏み締めるように並んでいた。

 

その傍らでは、荒地を耕すべく人里の男衆が額に汗を浮かべながら、談笑と共に手を動かしている。

 

彼らの周りにあるのは、大盾を構えて魑魅魍魎住まう危険地帯から剥ぎ取ったもの。火花石と魔法の森に薬草に香料を混ぜ、自らの手と英雄の英知で組み上げられた『(妖怪)よけの松明』

 

誰かに与えられた施しではない。自分たちの家族を、自分たちの力で守るための、知恵の灯火だった。

 

戦鬼は、その喧騒から少し離れた日陰に佇み、ただ黙ってその光景を見つめていた。輪に加わることも、己の功績を誇ることもない。ただの、通りすがりの異邦人のように。

 

そんな彼の隣へ、静かに歩み寄る影があった。上白沢慧音だった。彼女は優しく、しかしどこか誇らしげに、活気に満ちた里の者たちを見つめ、それから主人公に視線を向けた。

 

「皆、変わりましたね」

 

その声には、目頭が熱くなるほどの深い親愛と、彼への感謝が滲んでいた。

 

戦鬼は、慧音の方を見ようとはしなかった。

ただ、燃えるように昏い夕焼けの空を見つめたまま、ほんの(・・・)僅かに、鉄兜の内にある口元を綻ばせた。

 

本当に、ほんの一瞬だけの、人間味の宿った柔らかな微笑みだった。

 

それを隣で確かに見届けた慧音は、胸が震えるほどの愛おしさに包まれながら、静かに視線を夕日へと戻した。

 

救世主などという大層な名は、彼には必要なかった。

 

彼は人々をただ「無力な弱者」として憐れみ、救い上げるのではなく、彼ら自身の内に眠る強さを, 誰よりも信じていた。

 

だからこそ、いつの日か自分の手が離れた後も、彼らがその足で歩み続けられるように、ただ種を蒔き、火を灯したのだ。

 

その人が遺した小さな緑の芽と、男たちが掲げる松明の火は、やがて来る幻想郷の暗雲を撥ね退ける、確かな未来の盾となる。

 

暮れなずむ空の下。

 

王は何も語らない。

それでも、その背中だけが、人々に「明日を生きろ」と語り続けていた。

 

 

 

 

 






アイテム:火花石

幻想郷の深き地脈より掘り出される火の鉱石。
打てば火花を散らし、尽きかけた火さえ呼び覚ます。

その火花は、かつて海を持たぬ幻想郷を彷徨った
不知火の妖炎が石に沈んだものとされる。

妖は滅びても、その執念は滅びない。
幻想郷とは、忘れられたものがなお在り続ける地なのだから。
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