ピンキーヘッド与作   作:唐揚ちきん

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第三話『前衛的フォルム』

「ギチギチギチギチギチギチギチギチ――!!」

 肉蜘蛛は激昂したように口元の指を動かし、不快な鳴き声を吐いて、その巨大な人間の腕のような前脚を与作へ振り下ろした。

「あ、危ないっ! 離れてください!!」

 白い髪の少女の悲鳴に近い声を聞きながら、与作は肉蜘蛛の前脚を離れるどころか、さらに肉蜘蛛へと近付く。

 対象を見失った前脚は『引き伸ばされた画像のようなアスファルト』の地面に大きな手形を付ける。

「ん? 君は誰だ? まあ、いい……誰だか知らないが、今こいつから離れたら――」

 与作はようやく灰色の糸に絡め取られている白い髪の少女の存在に気付いたが、特に驚く事もなく、平然と言葉を返す。

 振り下ろされた丸太のように巨大な前脚を当然のように潜り抜け、懐に入り込むと与作は身体を捻る。

 そこから、さらに力を込めて、渾身の回し蹴りを放つ。

「蹴り飛ばせないだろう……?」

 無表情で、静かにそう呟く。

 腹部の『顔』がその衝撃で僅かに形状を歪ませた。

「ごぼっ、ごぼぼっ!!」

 しかし、その瞬間、『顔』は閉じられた目や口から与作にどす黒い液体を飛ばしてくる。

 至近距離に居た与作は当然避ける事などできるはずもなく、正面から浴びてしまう。

「ぐっ、何だ……!? これは!?」

 辛うじて、顔を腕で覆うが、彼の服に付着した液体は煙を上げ、付いた箇所を溶かしていく。

 焼け付くような痛みが与作の皮膚を襲った。

 まるで身体中にできた傷口から熱湯を注ぎ込まれているかの如き苦痛。

 与作は激痛に耐えながら、咄嗟(とっさ)に酸の液体がこびり付いた上着を脱ぎ捨てた。その際、溶けて皮膚と混ざり合ったジャンパーと共に与作の肌も削げ落ちる。

 絶叫を上げたくなるような痛みを感じつつも、泣き言一つ漏らさずに与作はすぐに肉蜘蛛の正面から離脱を試みる。

 だが、その致命的な隙に横薙(よこな)ぎに振るわれた肉蜘蛛の前脚が与作を捉えた。

 脇を抉るように飛んでくるそれを押さえつけようと両腕を使い、掴みかかるが、さしもの巨躯(きょく)の与作と言えども、質量の差には勝てず、ブロック塀に叩きつけられた。

「うぐっ……」

 身体がくの字型に折れ曲がり、喉(のど)から呻(うめ)き声が漏れた。

 ずるずると塀にもたれ掛かり、与作は座り込んでしまった。

 激しい衝撃音したが、『引き伸ばされた画像のようなブロック塀』は砕けておらず、立体映像のようにそこに鎮座している。

「ああ……私が、私がもっとしっかりしていれば、こんなことには……」

 灰色の糸に絡みつかれたまま、地面に横たわる白い髪の少女は与作に悲痛な瞳を向けた。

 肉蜘蛛は身動きの取れない白い髪の少女に近付き、身の毛もよだつ頭部を寄せると指の付いた冒涜的な口を開く。

 灰色の糸とは別に透明な唾液が糸を引いた。

「ごめんなさい……本当にごめんなさい。私が、私が未熟なせいで……」

 己の身の危機だというのに、白い髪の少女の最期の言葉は与作への謝罪だった。

 口を開き、今にも自分を食らわんとする肉蜘蛛には目も向けず、塀に背を預ける与作に心底申し訳なさそうに頭を曲げる。

「ごめんなさい……」

「誰だか知らないが……君がそんなに謝る必要はないぞ」

「え?」

 与作はその身を起こし、首や肩を鳴らす。

 肉蜘蛛の一撃は普通の人間なら身体中の骨は砕け、内臓は潰れていてもおかしくないダメージだった。

 ――そう。普通の人間ならば。

 筋骨隆々の桃色髪のこの少年が普通であるはずがない。

 先ほどの溶解液により、腕の皮膚は爛(ただ)れ、真っ赤な内面がグロテスクなまでに露出している。肋骨も恐らく一、二本折れている事だろう。内臓はもちろん、ブロック塀に叩き付けられたせいで脳の方にもダメージが届いている。

 けれど、それだけである。

 理想的で高性能な筋肉と並外れた運動神経を持ちあわせている彼にとっては大した事ではない。

「何故なら僕はこの通り、無傷だ」

 無論、ダメージはある。少なくても普通ならば、痛みに悶え苦しむ事は確実だろう。打たれ弱い人間なら、激痛に耐えきれず気絶するかもしれない。

 しかし、桃色頭(ピンキーヘッド)は伊達ではない。芯地与作という少年は肉体だけでなく、その精神に至るまで強靭だった。

 肉蜘蛛は白い髪の少女から立ち上がった与作に視線を移すと、今度こそ止めを刺すために再び前脚を持ち上げる。先ほどの攻撃よりも速さも鋭さも上がっているようだった。

「ギチギチと響く不快な鳴き声は、どこか与作への罵倒のように感じられた。

「ワンパターンだな。……もう食らわん!」

 速度の上がった鋭敏な一撃だったが、軌道や間合いは前と大差はない。動体視力の優れた与作にとって、もはやこの前脚は障害にならなかった。

 とは言え、肉蜘蛛とて与作への油断は既に消滅していた。彼が避ける事を想定して反対側の前脚が間を空けずに飛んでくる。

 宙に躍り出た与作にそれを避ける術はなく、背中から叩き落され、地面を転がった。

「ぐっ……」

 どうにか受け身を取る事で落下によるダメージを減殺したものの、肉蜘蛛の振り下された前脚をもろに受けてしまったせいですぐには立ち上がる事ができなかった。もっとも、それを受けたのが彼以外の人間ならあの一撃で臓器が割れて、命を落としていただろう。

 今度こそ、完全に息の根を止めるために肉蜘蛛はその両の前脚で与作を掴み上げた。

 人間の腕に酷似したその二本の前脚は与作を握り締め、彼の身体を捻じ曲げようとする。

 凄まじい握力で与作は雑巾のように絞り上げられる。

「っうあ…………」

 指を使ってがっちりと固定されたように握られる彼は身動(みじろ)ぎする事すらままならない。 

 太めの木の枝が折れるような音が数回ほどした。

 肉蜘蛛は片方の前脚だけ離し、足の方を握っていた前脚だけで与作を握り直すと、地面や塀に執拗に叩き付け始める。

「もう止めて! 止めてください! その人から手を離してっ!!」

 糸の鎖に囚われ、文字通り手も足も出せない白い髪の少女は懇願するように叫ぶが、肉蜘蛛は与作を振り回し、傷付ける事を止めようとしない。むしろ、楽しむ様子さえ感じられる。

 おかしな方向に折れ曲がった両腕を力なく垂らし、頭から血を流しながら、与作は朦朧とした意識の中で考えていた。

 その内容は自分が死ぬかもしれない、という死に瀕している人間が思う当たり前のようなものではなく、家族や友人の事でもなかった。

 脳裏に浮かんでいるのは、かおりの顔。そして、彼女の両親の顔だった。

 ――あの一家は藤堂まゆが死んだ事も知らずに、ずっと彼女を探し続けるのだろうか。

 ――葬式も挙げられないまま、もしかしたらという期待を込めて自分が藤堂まゆを見つけてくれる事を信じ続けるのだろうか。

 ――ここで自分が死ねば、彼らはこれからも捨てられぬ希望を抱いて、もう決して戻りはしない家族のためにあそこでチラシを配り続けるのだろうか……。

「だ……めだ。死ね、ない……」

 血の混じった唾液を吐き出しながら、与作はそう呟いた。

 落ちそうになる意識を精神力だけで必死に繋ぎ止める。それに連れて鈍りかけてきた全身の痛みが鋭さを増した。

 だが、彼は呻き声一つ上げず、じっと機会を待つ。

 悶絶ものの痛みの嵐の中で全精神を集中させ、肉蜘蛛の拘束を緩める瞬間を狙い澄ませる。

 何度も何度も地面や塀に与作が叩きつけられ、周りを紅く染め上げていくが、それでも与作は歯を食いしばり、黙って耐え続ける。

 これが芯地与作の常人離れした強さだ。常人なら、この状況で諦め、死を受け入れてもおかしくはない。

 しかし、与作は絶対に諦めない。だから、勝機が回ってくるまで苦痛の海の中で耐え忍ぶ事ができる。

 自身が叩きつけられる音と白い髪の少女の叫びだけを聞きながら彼は待ち続ける。

 ちょうどその音が四十七回目に到達したその時、肉蜘蛛の拘束が緩んだ。

 それは何度も与作叩き付ける度に僅かにできていった手の平の隙間が一定の大きさになった事で(しょう)じたものだった。

 彼の根性と忍耐力の粘り勝ちである。

「今っ……、だぁっ!」

 折れた手足に力を込め、鍛え上げられた背筋を使い、自身を魚が跳ねるのように動かし、どうにか肉蜘蛛の前脚から脱出に成功した。

 血液が世界地図のように広がった地面に落ちた。

 満身創痍の肉体を気合と筋力だけで立ち上がると、へし折れた腕を構え、肉蜘蛛と相対する。

 血に塗れ、顔全体を真っ赤に染められながらも、与作の瞳だけは闘志を失っていない。

 それを見た白い髪の少女は驚きと安堵の入り混じった声を上げた。

「まだ……生きていてくれたんですか!?」

「ああ、僕は頑丈だからな。このくらいじゃ死なない」

 白い髪の少女に強気に振る舞うも、肉体に蓄積された傷やダメージは生半可なものではなく、命に関わるほどの重傷だった。

 いつ死んでもおかしくない。いや、何故死んでいないのか医学的に理解する事ができない次元の話だ。

「だけど、もうその身体じゃもう無理ですよ。それに、あれは物理的な攻撃はほとんど通用しない“隠し神”です」

「隠し神? この肉の蜘蛛の事か」

「そうです。……もしもあなたに生き残る気があるなら、隠し神の近くに落ちているかるら様の仮面を私に渡してくれませんか?」

 白い髪の少女と会話をしながらも、ひと時も肉蜘蛛から視線を逸らさなかった与作がその言葉で白い髪の少女の方に顔を向けた。

「……君、こんな状況で仮面を付けて遊ぶのは流石にどうかと思うぞ?」

「違います! その仮面は……とにかく今の状況を切り抜けるために必要なものなんですっ!!」

「そうか。良かった。僕はてっきりこの危機的状況にも関わらずコスプレに興じるつもりなのかと思った」

 無表情ではあるが、与作は僅かほっとしたような顔になった。

 与作と白い髪の少女が漫才のようなやり取りをしている内に肉蜘蛛は前方の四本の脚を地面から離し、残りの四本の後ろ脚だけで巨体を支えていた。

 どうやら、与作の強靭さに本格的に警戒し、言葉通り、手数を増やす手段に出たようだった。

 頭部の眼がぎょろりと(うごめ)き、与作を睨む。

「くっ、隠し神は今度こそあなたの息の根を止めるつもりのようです! それで返答は!?」

 白い髪の少女が焦りながら与作に尋ねた。

 対する与作は瀕死の重傷のだというのに落ち着き払った様子で答えた。

「誰だか知らないが、可愛い女の子の頼みとあらば、男としては断わる訳にはいかないな。良いぞ、僕に任せろ」

「あの、あなたは……なんでそんな状態で余裕の態度で居られるんですか?」

「僕の名前は『あなた』じゃない。僕の名は芯地与作だ。覚えておいてくれ。この名前、気に入っているからな」

「私の名前は防人(さきもり)畏弥呼(いみこ)です……芯地さんと違って気に入っている訳じゃないですけど」

「そうか。悪くない名前だと思うぞ?」

 肉蜘蛛が彼らの会話を遮るように四本の前脚を振り下ろす。

 しかし、その前に与作が飛び込むように肉蜘蛛の近くに落ちていた仮面を掴み取り、前転しながら振り下ろされた脚を掻い潜る。

 猛禽類を模した仮面を片手に掲げ、内心激痛で苦しみながらも畏弥呼の元へと戻ってくる。

「くっ……。取ってきたぞ。これでいいか?」

「はい! それを私に投げてください!」

 与作が畏弥呼に仮面を投げる。宙を舞う仮面は畏弥呼の顔に被さるかのように見えた。

 しかし、磁力に引かれる磁石のように仮面は途中で反転して向きを変え、与作の顔に張り付く。

「むっ、仮面が僕の顔に! 何だこれは……外れないぞ!?」

「え!? ええ!? ど、どういうこと? 何で私じゃなくて芯地さんの方にかるら様の面が?」

 引き剥がそうと仮面を引っ張るも、与作の力でもびくともしない。

 畏弥呼はそれを見て、慌てふためいている。

 しかし、次の瞬間、眩い光が与作から放たれ、至近距離に居た畏弥呼と肉蜘蛛はその眼を光で焼かれた。

「うっ……糸が消えていってる!!」

 畏弥呼が眩しさを感じつつも薄く目を開くと、彼女を絡め取っていた灰色の糸に光に焼かれるように煙を上げて消滅していく。

「ギチギチギチギチギチッ――――」

 相変わらずの耳障りな鳴き声を発しながら、肉蜘蛛は振り下ろそうとしていた前脚を顔の前に持ってきて眼を覆う。

 肉蜘蛛の前の光が止むと、目の前に居た与作の姿は驚くべき変貌を遂げていた。

 長く伸びた大きな嘴を模した顔を隠す兜、頭から足先にかけて身体に纏っている鳥の羽根の意匠が要所で施されている東洋風の鎧。

 その姿はまるで鳥人のようだった。

 鋭く見るものを魅了するような流線型の仮面や、神秘的な雰囲気を醸し出す鎧はとても人の手では作り出せないほど整っている。

 ただ、それを台無しにするかのようにその全てが桃色で彩られていた。

 粒子状に表面から放出されている光に至るまで隈なく桃色に輝いている。

 与作は自分の手や身体を見て、たった一言だけ述べた。

「……前衛的なカラーだな」

 その言葉に畏弥呼は突っ込まざるを得なかった。

「それだけですか!? もっと何かありますよね!? 自分の姿がいきなり変わっているんですよ?」

 

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