魔物が消し炭になった瞬間、こっちの仕事はだいたい終わる。あとは基地に帰って、司令に報告して、飯を食って寝るだけだ。俺、桐生あおいの魔法少女生活は、だいたいいつもそんな感じで回っている。
「あーおーいちゃんっ♡」
着地と同時に、横合いから弾丸が飛んできた。鎖使いのくせに、体当たりの威力だけは今しがた倒した魔物より高い気がする。抱きついてきたのは、うちの部隊のムードメーカー、赤城みうだ。
「こら、任務中に抱きつくな!」
「えー、でももう敵倒したじゃん」
「報告するまでが任務だ」
引き剥がそうとする俺の腕に、みうはさらに全体重をかけてくる。振りほどけないのは、単純な力の差というより、俺の意思の弱さが原因な気がしてならない。
「ふぁっ」
油断していた耳たぶに、いきなり柔らかい感触が触れた。みうが甘噛みしてきたのだと理解するまで、たっぷり二秒はかかった。
「な、なな何してんの!?」
「はみはみ。あおいちゃんの耳、やわらかい」
「感想じゃない! 離れろ!」
じたばたする俺を、みうは存外あっさり解放した。満足したというより、次の獲物を見つけた顔をしている。
「ん」
少し離れたところで、なのかが大剣を抱えながら短く頷いた。加勢する気配はまったくない。
「なのか、こいつどうにかしてくれよ」
「みうは元気。いいこと」
援護になっていない。むしろみうの機嫌がさらに良くなった。この二人、息が合っているんだかいないんだか、いつまで経ってもよくわからない。
「ほら離れろ、俺たちは『3KINGS』だぞ。特別優秀部隊が任務中にじゃれ合ってるとか、示しがつかないだろ」
「その名前つけたのあおいちゃんだよね」
なのかがぼそっと付け加える。
「そう。あおいが勝手に名乗ってるだけ」
「うるさい黙れ、あれは士気を高めるための戦略的ネーミングだ」
「でもさ、あたし前から思ってたんだけど、『3KINGS』ってかわいくなくない? うちら魔法少女なんだし、『トリプルティアラ』とかの方が絶対いいと思う!」
「却下」
「即答!?」
「かっこよくないし、ティアラは俺の柄じゃない」
「そこ!? 気にするとこそこ!?」
誰も俺に味方してくれないので、俺は自分で自分に頷きながら基地への帰路についた。
◇
帰り道、変身を解いた俺たちはいつもの制服姿に戻っていた。みうは横からずっと俺の顔を覗き込んでは、うんうんと満足げに頷いている。
「変身前の葵ちゃんでもいける!」
「やめろぼけ! なのかも何か言ってよ」
「ん、大丈夫。葵はかわいい」
フォローになっていない。むしろ燃料を投下された。みうの目がさらに輝きだす。
「ほら、なのかちゃんもそう言ってるし」
「言ってない。事実を言っただけ」
なのかは涼しい顔で訂正するが、みうの耳には都合よく変換されて届いているらしい。俺は諦めて視線を前に戻した。もとから中性的な顔立ちだという自覚はあるし、それをからかわれるのも慣れっこだ。「かわいい」という単語を吸収するときの心の摩耗も、もう最低限で済むように鍛えられている。……はずだった。この時の俺は、まだ何も知らなかった。
◇
加賀司令への報告を終えたのは、夕食もとっくに過ぎた頃だった。
俺たちが暮らすこの施設は魔法少女特別育成機構(Magical Girl Special Training Organization)、略してMaSO(マゾ)と呼ばれている。物々しい名前のわりに、やっていることは魔法少女の訓練と生活のサポートがほとんどだ。書類に目を通しながら「ご苦労様、今日はもう休みなさい」という素っ気ない一言で解散になる。
俺たち3人の部屋割りは、俺が個室、みうとなのかが隣の部屋を2人で使う形になっている。おかげで俺の部屋の壁一枚向こうには、いつも二人分の気配がある。
布団に入ってしばらくすると、壁越しに声がした。
「あおいちゃん、起きてるー?」
「起きてるけど、もう寝るところだ」
「明日休みだねー。……ね、明日3人でどっか出かけようよー」
いつも通りの、特に意味のない確認だ。それでも俺は律儀に返事をする。
「ああ。まぁ任務がなかったらな」
「ん」
もう一つの声も、同じ壁の向こうから届く。なのかの相槌だ。何も言っていないのに、なぜか肯定された気がした。
「じゃあおやすみ」
「うん、おやすみー」
「おやすみ」
いつものように挨拶をして目を閉じる。いつも通りの、なんでもない夜だった。
◇
次に目を覚ましたのは、体の上に何かが乗ってきた感触からだった。
「あおいちゃーん、起きてー」
みうが毎朝やる、恒例の飛び込み起床である。抵抗はもう三年前くらいに諦めた。今日も休みなのに律儀だな、と半分寝ぼけた頭で思っただけだった。……はずだったのだが。
「……あれ?」
みうの声のトーンが、いつもと違った。俺に馬乗りになったまま、みうがぴたりと動きを止めている。
「な、なに」
「あおいちゃん……なんか、いつもと違う」
寝ぼけ眼で自分の体を見下ろして、俺はようやく理解した。掛け布団の下から覗く輪郭が、見慣れたものと違う。声も、思ったより高くて柔らかい。
「……は?」
「なのかちゃん! なのかちゃん来て! 大変大変大変!」
隣の部屋で寝ていたなのかが飛んでくるまで、十秒もかからなかった。ドアを開けて俺を見た瞬間、なのかの目が珍しく丸くなる。
「……あお、女の子になってる」
「は、はあ!?」
鏡を見るまでもなく、二人の顔を見れば全部わかった。
「な、なんで、なんでこんな……」
「……とりあえず落ち着いて。慌てても戻らない」
「戻らないって前提で話すな!」
みうは俺の周りをぐるぐる回りながら「かわいい」「肌がすべすべ」「これはこれで」とぶつぶつ呟いていて、まったく状況の深刻さを共有する気がなさそうだった。なのかだけが、いつになく真剣な顔で俺の肩に手を置く。
「とにかく、司令に報告」
俺は頷くしかなかった。
◇
加賀司令の執務室に3人揃って駆け込んだのは、まだパジャマ姿のままだった。事情を話すと、司令はしばらく俺をじっと観察してから、納得したように頷いた。
「やっと適合したのね」
「て、適合……?」
「魔力を使い続けた魔法少女の体は、少しずつ自分の魔力に馴染むように変化していくの。意外と進行は遅かったわね」
私的な場では割と柔らかい司令だが、報告や説明となると声のトーンが一段低くなる。今この瞬間、彼女は完全に「上司」の顔をしていた。
「それは、その、他の魔法少女にも起こることなんですか」
「稀にね。髪色や背丈が変わるぐらいなんだけどあなたの場合、たまたまそれが性別の方向に出た。……よくあることよ」
「よくあることで片付けないでください!見た目どころか性別まで変わってるんですけど!」
「私だって驚いてないわけじゃないわ。でも、あなたが魔法少女として頑張ってきた証でもある。悪いことばかりじゃないと思うけれど」
言い聞かせるような口調に、俺は返す言葉に詰まった。
「……つまり、俺はもう、元には戻らないってことですか」
「そうなるわね」
あっさり言われた。あっさり言われすぎて、逆に実感が湧かなかった。俺はしばらく黙り込んで、それから、これ以上ないくらい芝居がかった声で立ち上がった。
「……もういい」
「あおいちゃん?」
「俺、魔法少女やめる!」
負け犬のような台詞を吐きながら俺は駆け出した。みうとなのかが顔を見合わせている。司令は特に驚いた様子もなく、書類にサインをしながら「はいはい」と受け流した。誰も本気にしていない空気が、逆に居た堪れなかった。
◇
勢いで啖呵を切った手前、後には引けなくなった俺は、自分の部屋に逃げ込んで鍵をかけた。布団をかぶってから数秒で、早くも後悔が押し寄せてくる。
ドアの外から、みうとなのかの声がする。
「あおいちゃん、開けてー」
「……お願い」
二人とも、そこまで深刻な声ではない。むしろ「またこれか」と言いたげな、慣れた気配すらあった。無理もない。俺が拗ねて閉じこもるのは、これが初めてではない。
それでも今回ばかりは、素直に出ていく気になれなかった。これまで一緒だった腕も脚も、大事な息子さえも、全部見慣れないものに変わっている。それが不安なのか、単純に照れくさいのか、自分でもよくわからないまま、俺は布団の中で膝を抱えた。
「……別に、大した理由じゃない。ちょっと、心の準備がいるだけだ」
誰に言い訳しているのかもわからない独り言だった。
布団の中は暗くて、狭くて、ちょうどよかった。俺はしばらく、そこから出ないことに決めた。
ドアの外で、みうがずるずるとその場に座り込む気配がした。
「あおいちゃんが素直になるまで、あたしここで待つから」
「気が長いな……」
「短気なあおいちゃんには言われたくない」
言い返せなかった。布団の中で、俺は今日何度目かの脱力をした。