――というわけで、翌日。
俺は見慣れない量販店の中で、着せ替え人形と化していた。
「あおいちゃん、次はこれ着てみて!」
「さっきからずっと同じこと言ってないか?」
「言ってない。さっきは3着前」
「数えてるのかよ」
なのかが淡々と数字を告げてくる。試着室のカーテンを開け閉めするたび、みうが目を輝かせながら次の服を差し出してくる。抵抗する気力は、もう三着目あたりで尽きていた。
「ねえ、あおいちゃん」
「なんだよ」
「これだけ女の子の格好してるんだし、一人称も『わたし』とかにしてみない? その方が可愛いと思うんだけど」
試着室の鏡越しに、みうが真剣な顔で提案してくる。冗談のつもりはなさそうだった。
「……嫌だ」
「即答」
「俺は俺だ。中身まで変える気はない」
我ながら頑固だと思う。それでも、これだけは譲れなかった。姿形がどれだけ変わっても、自分が自分であるための最後の目印みたいなものだ。
「まあ、あおいちゃんらしいけど」
「うん。それでいい」
なのかがあっさり同意してくれたおかげで、みうもそれ以上は食い下がらなかった。
試着が一段落すると、なのかが黙々と、これまで着せられた服を一枚残らずかごに積み上げ始めた。
「……待て、なんで全部かごに入ってるんだ」
「必要」
「一部を選ぶ工程は?」
「全部必要」
有無を言わせない口調だった。会計金額を想像して、俺は青ざめる。
「いや待て、そんな金どこから――」
「経費」
みうがスマホの画面をこちらに向けてきた。加賀司令からのメッセージだった。
『適合対応にかかる費用は、育成機構の必要経費として全額負担します。遠慮なく使いなさい』
「……気前いいな、司令」
「娘可愛さ」
「娘て」
なのかは満足げに紙袋を抱え直し、俺はもう突っ込む気力もなく、その光景をただ眺めていた。
「てか全部買うなら試着する必要なかったんじゃ……」
「いいじゃん楽しかったんだし」
「それはお前らだけだろ」
結局、両手に抱えきれないほどの紙袋を提げてレジに向かった。会計を終えて店を出ると、みうがくるりと振り返る。
「じゃあ次、下着ね」
「それはいい。今ので足りてる」
俺は男物の下着で通す気満々だった。しかしなのかが冷静に指摘を入れてくる。
「……動くと擦れて痛いよ、たぶん」
「え」
「体の形、変わってるから。合わないサイズは普通に苦痛」
実体験のような口ぶりに、俺は反論できなかった。想像しただけで嫌な予感しかしない。
「……わかった、行く」
「はい決定」
みうが即座に俺の腕を取り、下着店の方向へ引きずっていく。抵抗する隙もなかった。
◇
下着売り場に足を踏み入れた瞬間、俺は視線のやり場に困った。色とりどりの布地が並ぶ光景は、これまでの人生で縁がなかった場所だ。
「好きなの選んでいいよ」
「好きなのって言われても……」
戸惑いながら棚を眺めていると、視界の隅に、淡い水色の一枚が目に留まった。理由はうまく言えないが、なんとなく目が離せなかった。
「……これ、でいいか」
手に取ったそれを見せると、みうとなのかが顔を見合わせた。
「あ、やっぱり水色にするんだー」
「似合うと思う」
「……うるさい。いいだろ水色が好きなんだから」
しどろもどろに言い訳をしたが、耳が赤くなっているのは自分でもわかった。
みうとなのかがそろって微笑ましそうな顔をしていて、二人からのその視線が、なによりいたたまれなかった。
「試着していこっか」
「そこまでする必要が――」
「必要だよ、サイズ確認」
なのかにあっさり押し切られ、俺は試着室に押し込まれた。個室のカーテンを閉めようとしたところで、当然のようにみうとなのかも中に入ってくる。
「え、なんで二人とも入ってくるんだ!?」
「サポート」
「3人で入る必要ないだろ!」
狭い試着室に3人分の体温がひしめく。逃げ場はどこにもなかった。
「ほら、ブラの付け方合ってるか確認するから」
「自分でできる」
「後ろのホック、意外とみんな苦戦するから」
言うが早いか、みうの手が背中に回ってくる。
「わ、ちょ、待て――」
「肩紐はこう。きつすぎても緩すぎてもだめ」
「先生かよ!」
なのかまで横から真剣な顔で調整を手伝ってくる。二人がかりで手直しされる様は、レクチャーというよりほぼ包囲だった。
「ん、いい感じ」
「うん、似合ってる」
「褒める前に出ていってくれ!」
抗議もむなしく、二人は満足そうに俺を眺めるばかりだった。狭い試着室の中、逃げ場のない時間がしばらく続いた。
「はいはい、お会計行こうね」
「これ以上いじるな」
試着室を出る間際、なんとなく漏れた本音が、思いのほか大きな声になった。
「うぅ……もう、お婿にいけない」
「そこはお嫁さんでしょ」
なのかの冷静な訂正に、俺は羞恥のやり場をなくして地団駄を踏んだ。
「うっさい、バーカバーカ!」
売り場のど真ん中で子供みたいに喚く俺を、みうとなのかはただ微笑ましそうに眺めていた。
◇
荷物でパンパンになった紙袋を抱えたまま、俺たちは商店街の外れにあるカフェに落ち着いた。ようやく座れたことに、全身が安堵している。
「疲れた……」
「お疲れさま、あおいちゃん」
運ばれてきた甘い飲み物を一口飲むと、強張っていた肩から力が抜けていく。窓の外を歩く人波をぼんやり眺めながら、俺はふと、朝から考えていたことを口にした。
「……正直、まだちょっと怖い」
「あおいちゃん?」
「元に戻らないとか、女の子として生きていくとか。頭ではわかってるつもりだけど、実感が追いついてない。今日だって、二人に振り回されてるうちに、なんとなく誤魔化せてただけだ」
言ってしまってから、湿っぽい空気になったかもしれないと思い、俺は慌てて付け足そうとした。だが、それより早く、なのかが口を開いた。
「大丈夫。慣れるのは、ゆっくりでいい」
「一人にはしないから」
二人の声が、想像していたよりずっと柔らかかった。茶化されると思っていた分、拍子抜けするくらい優しい言葉だった。
「……2人ともありがとう」
素直に言えたのは、たぶんこの一日で少しは強くなれたからだと思う。
「うん、素直で偉い」
「よしよし」
なのかが手を伸ばして、俺の頭を軽く撫でた。子供扱いされている気がしたが、悪い気はしなかった。
◇
買い物を終えて基地に戻ると、みうが唐突に切り出した。
「ねえ、あおいちゃん。3人で一緒の部屋に住まない? 部屋広いし」
あまりに自然な提案だったので、一瞬聞き流しそうになった。
「は? いや、なんでだよ」
「だって、これからもっと色々サポートいるでしょ。一緒にいた方が早いし」
「その理屈で言ったら大体のことが同室で解決するだろ」
援護を期待してなのかを振り返ったが、返ってきたのは予想と違う言葉だった。
「……別に、嫌じゃない」
「え」
「むしろ、チームは基本共同部屋。これまでが変則的だっただけ」
まさかの肯定に、俺は言葉を失った。
「ちょっと待て、話が違う」
「話は最初からこうだったのかも」
埒が明かないと悟り、俺は最後の砦として司令の執務室に駆け込んだ。
「加賀司令! さすがにこれはまずいですよね?」
勢い込んで訴えたが、司令はデスクの書類から顔も上げずに答えた。
「今さら何を言ってるの。もうあなたの荷物、二人の部屋に移動させたわよ」
「は、はあ!?」
何も聞いていない。何一つ、俺の同意を得ていない。
「善は急げって言うでしょう」
「言わない! 少なくともこの場面では言わない!」
誰も味方についてくれないまま、事態はとっくに決着していたらしい。
「嘘だ……嘘だそんなこと!」
乾いた合いの手が、静かな廊下に虚しく響いた。
◇
その夜、俺は生まれて初めて、みうとなのかと同じ部屋で布団を並べることになった。
「あおいちゃん、こっち」
「詰めすぎ、近い」
「近いくらいがちょうどいいの」
言い合いながらも、結局俺の布団は二人に挟まれる位置に落ち着いた。壁越しではなく、すぐ隣から聞こえる寝息の気配に、まだ慣れない。
「……なあ」
「ん?」
「これまでは、壁一枚挟んで、毎朝起こされるまで寝てたんだよな」
「そうだね」
「今日からは、壁、ないのか」
「ないよ」
なのかの声が、いつもよりわずかに柔らかい気がした。
「明日からも、こんな感じなのかね」
「たぶん、ずっと」
「気が早すぎるだろ……」
文句を言いながらも、不思議と悪い気はしなかった。杖使いだった頃には想像もしなかった生活が、今、目の前で始まろうとしている。
「おやすみ、あおいちゃん」
「おやすみ」
「……おやすみ」
目を閉じてしばらくすると、両側から、するりと足が絡みついてきた。
「……なんで足まで絡めてくるんだ」
「くっつきたい気分だから」
「無意識」
抗議しようにも、身動きが取れない。もがけばもがくほど、逆にがっちりと絡めとられていく感覚があった。
「……もう、好きにしろ」
諦めの境地でそう呟くと、二人が満足そうに笑う気配がした。
三人分の呼吸が、少しずつ重なって静かになっていく。桐生あおいの、ままならない魔法少女生活は、こうして新しい形に姿を変えた。
完結です。ご覧いただきありがとうございました。
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