ツバメの巣作り   作:ぱさぱさ蒟蒻

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01.暗い底と味のない食べ物

 長い夢を見ていたような身体の重さを感じる。

 重い瞼を開いた先に映るのは闇一色に染まった世界。自身の軋みをあげる身体と鼓動だけが存在する無音の空間が広がっていた。靄がかかる頭で分かることは固い地面に赤ん坊のように丸まって横たわっていることだけだった。

 

 そして急かされるようにして習慣化した動きに身を任せれば、寝そべりながらぐぐっと海老ぞりに身体が伸ばされていく。こわばった身体に血流が勢いよく巡り、心地よい脱力感に思わず吐息が漏れる。

 

 ほんの少しだけスッキリした私の頭は肩甲骨辺りから生える異物を認識していた。

 起き上がって後ろ手に触れると上質な手触りが甲をくすぐる。摘まみ擦り合わせて感じるざらつきから、鳥の翼のようなイメージがふわりと頭に浮かんだ。

 

 私は血の気が引くような予感を覚え、とっさに顔に触れ、胴を確かめ、脚から足先まで辿って、ようやく杞憂だと安堵する。

 慣れ親しんだヒトの姿まで変わっていたらこの混沌に拍車がかかるところだった。背中から翼が生えるだけならいざ知らず、嘴があり、体中に羽毛が生えているとなればさすがの私も処理できずに気を失っていたことだろう。

 

 驚きも最小限に収まったとなれば、続けて湧いてくるのは好奇心というのがヒトというものだ。

 

 翼を動かせるか試してみれば、羽毛布団から埃を叩き落とすような音が生まれ、暗い空間は随分と騒がしくなった。触れたときを思えば上半身を超す長さ大きさで、勢いよく動かすと身体がほんの少し浮いた所から飛べそうな予感すら感じた。

 

 ただまぁ、今想像しているように、空を自由に飛ぶことはできないのだろう。

 空を飛ぶ鳥はあれで随分と体の強度を犠牲にしていると聞いたことがある。対して私は熊ほどの頑強さはなくとも、密度のある骨があり、血と肉がぎっしりと詰まった身体を持っている。

 そもそも飛ぶような体付きではなく、大地を二足で闊歩するヒトらしい体型だった。せいぜいが滑空か、鶏が羽ばたいて浮き上がる程度の機能しか持ち合わせていないはずだ。

 

 一通り身体を確認して、改めて辺りを見回すものの、視界に入るのは変わらず暗闇ばかり。

 瞼を開けているのか閉じているのかさえ分からない。時間が解決するやもと期待していたのだが、私の身は完全な闇の中にあるということなのだろう。

 暗闇に徐々に慣れていくのは、周囲に存在する僅かな明かりをヒトの身体が最大限に活用するからだ。活用するものがない現状では慣れる以前の問題である。

 

 周囲に漂う冷えた空気に思考を奪われるような気がして膝を抱える。

 何をするでもないのだが、時間ばかりが過ぎていった。

 

 手慰みに指を地面に這わせていたところ凹みが見つかった。

 こすり付けるように凹みに沿わせてみれば、長方形の形をしていることが分かる。凹みは長方形の頂点の位置で交差していて、それが連続して規則的に並んでいた。

 

 そのまま指を進めていくと壁にぶつかった。同様に指を這わせれば、壁も床と同じ材質である可能性が高そうだった。

 四つん這いから立ち上がって、天井に向かって手を伸ばしてみるが、指先は空をかくばかり。腕を伸ばし切って跳ねてみるもののそれは変わらない。

 ならばと膝を曲げ、腕を振り上げた勢いもプラスしてジャンプすると思った以上の跳躍力に驚き、身体の制御を失って思い切り尻もちをついてしまった。

 

 打ち付けたお尻の痛みに顔をしかめながら、私は内心非常に驚いていた。体感でしかないが、垂直方向で5メートル近く跳んだのではないだろうか。

 

 驚異的な身体能力だった。これは偶然の結果ではない。パニックにさえならなければもう少し跳べていたという実感すらあったからだ。こうして尻に青あざを作って無様を晒すことなどなかった。あるいは重力が地球よりも小さいのではないだろうか。それならば納得が──。

 

「……地球?」

 

 地球とは、なんだ。これは、なんだ。気味が悪い。気持ちが悪い。

 嫌なものを掘り当ててしまったという感覚だけがじわじわと染み込んでいく。

 思い出したくもないなにかがそこにはあったと確信できた。

 

 喉が急にイガイガとして咳き込んだ。ざらつく灰色の雪を吸い込んでしまったのだ。

 いやこの暗闇にはすえた臭いが満ちている。そんなものは舞っていないし、見えるはずもない。そう自身にきつく言い聞かせて、深呼吸をして──また激しく咳き込む。

 

 反射的に口に右手を当てると鉄の匂いが鼻腔を通り抜ける。二回りは大きな手のひらが真っ赤に染まっていた。掌の器から雫が流れ落ち、手首から腕を伝って汚れた肌に一本の線を描いた。

 これは、誰のものだ。抱え込むようにしていた左腕に冷たい感触と小さな重みが加わった。荒く乱れた息遣いは今にも限界を迎えそうなほどに速く細い。右手に一つ重みが加わった。見てはならない。直視すれば現実となってしまうから。

 幻聴が聞こえる。なんだ何を言っている。なぜ手招きをするのだ。なぜ指を指す。これは物じゃない。これは、これは、私の──。

 

 ──気づけば私は仰向けに転がって多量の汗に浸っていた。

 

 荒くなった呼吸を整えるために汚れた空気を大きく吸い込む。

 冷えた空気が熱された内側に満たされていく。ああ、なんと素晴らしい匂いなのだろうか。その臭気が夢ではないことを教えてくれている。倒れこんだ時にできたのだろう頭のこぶの響く痛みも、腕の擦り傷によるうずく痛みも今は心地いい。

 あの悪夢を見ないでいられるのならば、私はなんだってできる気がする。

 

「地球……」

 

 それでも不安がぬぐえない私は、私の中にあった忌むべきワードを口にする。

 だが、先ほどのような結果とはならない。それから何度も何度も口にして、咀嚼していく。

 

 もしかしたら意味のない行為かもしれない。あれは悪い何かが重なった結果かもしれない。

 こうして何度も言葉にして吐き出すことで、少しだけ心が軽くなるのも事実であった。

 

 上体を再び持ち上げれば、汗を吸い込んだのか重みを増した翼にバランスを崩しそうになった。この両翼も自分の身体だというのに異物のような違和感すら覚えている。けれどこれは、悪夢の影響で混乱しているだけだと思い直した。

 

 突然の隙間風に濡れた身体が晒されて反射的に身体を擦った。風邪をひく前に衣類を脱いで乾かす必要があるだろう。腰に巻かれた紐をほどき貫頭衣のような質素な作りの服を脱いで、床へ広げる。

 

 この服も今にして思えばおかしなところがあった。背中側が大きく裂かれているのは翼のせいだとしても、その布の質がこの場の状況と噛み合っていないのだ。

 絹のように滑らかで吸いつくような触り心地で、明らかに高級品であろうことは確かである。しかしながらこの場所に置かれた己を考えると、なぜこのような品質の布を使うのか分からなかった。ちぐはぐ、と言う他ないだろう。

 

 腹の虫が二度三度と鳴いた。

 

「……お腹空いた」

 

 冷えた身体を温めるためにエネルギーを欲しているのだろうか。身体の気だるさは単に栄養が足りていないだけかもしれない。なんにせよ、高い身体能力があろうと、普通のヒトとは違う特徴があろうと当たり前のように腹は減るらしい。

 暗闇の中では知る由もないが、目覚めてからどれだけの時間が経っているのだろうか。体感では大した時間は経過していないように思えるが、時間を知る手段がないのはこうも不便なことなのだと実感する。

 

 指の腹に伝わるざらつきが、砂糖がたっぷりとまぶされたクッキーに似ているように思えてしまうのはもちろん幻覚なのだろう。けれど程よい大きさの破片があれば、コロコロと口の中で転がして飴玉の代わりにしてしまいたいくらい、私の身体から発する衝動は抑え難いものになっていた。

 

 翼が邪魔でも冷たい壁に火照った背を押し付けていると、滾る衝動も少しは収まってくれたような気がする。壁に背を預けて一息ついたころには、肌に触れる空気の流れがより鮮明になっていた。

 

 清涼な空気に惹かれた私はその元を探り始める。空気の流れを感じ取る表面積が増えたからだろう、その源泉に辿り着くのに時間はかからなかった。

 淀んだ空気を弱く撹拌する風は壁の両端の隙間から漏れ出ていたが、爪の先がやっと入る程度で指は通らない。

 その一面を構成する壁も氷のようなのっぺりとした質感で扉のような印象を受けた。部屋の全面が砂糖菓子のような質感で覆われているものと思っていたがそうではなかった。

 

 私は空腹で震え始めた脚を奮い立たせて壁伝いに歩き始める。

 ざらついた面が3つ、つるりとした面が1つ。元居た角へ戻り一回りしたところで、想像通りにこの部屋はそれほど広くなかった。今の歩幅から導き出せばおよそ3メートルほどだろうか。

 

 それ以外の収穫は隅に転がっていた少し歪な形状の重い球体だ。

 いつから転がっていたのか与り知らぬところだが、私は胡坐をかいて抱え込んでいた。部屋の中にある、私以外のモノとしてその物体に私は強い興味を引かれたからだ。

 

 ペタペタと触れてみた感覚としてはサッカーボールより一回り大きい程度。匂いはなく、表面を擦れば抵抗なく滑る方向と僅かな抵抗を感じる方向があったので、おそらく毛のようなものが生えている。指骨で叩けば小気味よい音が返り、内側は空洞になっているようだった。

 

 上下に振り回すと液体が踊るような耳奥に染み込んでいく。

 硬い表面に包まれているがゆえに微かにしか聞こえないはずの、その小さな音は闇の中で一際大きく聞こえ部屋の中に伝播していった。

 

 水音を聞いたことで酷く喉が乾いていることを自覚したことも影響しているのだろう。響くはずもない音が幻聴に過ぎないことも分かっている。

 同時に私を苛むものが限界を迎えつつあることも確かだった。

 

 飢えは恐ろしい。

 冷静なままでいられるのが不思議に思うほどの苛烈な衝動が湧き出ている。

 そうして生み出された力は火事場の馬鹿力とでもいうのだろうか。立ち上がった私は抱えた球体──植物の種子と思われるそれを本能の赴くまま床へ投げつける。

 

 だが思っていたほどの強度はなかったようで、想像していたよりもずっと軽い音と共に、砕けた破片が方々へ散っていくのを感じ取った。

 足元へ転がってきた破片を手にとり、次の瞬間には、表皮に護られていた果肉にかぶりついた。指先に伝わる感触が柔らかく瑞々しい様を想起させ、毒があるかもしれないなどの数多の悪い予感と躊躇を握りつぶしたのだ。

 

「っ! ……うぅ」

 

 口に入れ一噛みしたそれは、ただひたすらに不快な刺激を私に伝えてきた。

 生野菜からほのかな甘味を奪い去り、植物特有のえぐみを凝縮したような強烈な刺激。空腹は最高のスパイスといわれるが、甘味や酸味、苦みといった舌を楽しませる味が一切合切抜け落ちていて不快な感情しか湧いてこない。

 

 噛むごとに吐き気を催し脂汗がにじみ出る。飢えに呑まれた思考以外のすべてが、これは食べ物ではないと拒否反応を示していた。

 

 私は警告を努めて無視する。

 咀嚼して飲み込み、次の破片を探しては口に運んでいく。その繰り返しを一時たりとも止めることはない。私を苛むものに比べれば、我慢できる刺激など取るに足らなかったからだ。

 

 すべての破片から果肉をこそぎ落として腹に収めた頃には、耐えがたい空腹もいくらか収まっていた。飢えによって占有されていた思考に少しばかり余裕が生まれたものの、いよいよもってやるべきことが見当たらない。

 

 脱出という目標を掲げることもできたが、私の心が「それは無駄だ」と囁くのだ。

 私にはこの部屋に連れてこられる前の記憶がなかった。だからこの囁きは記憶を失う前に身体へ刻み付けられた絶望なのだろう。

 脱出に成功したとしてどこに行くのかという問題もある。悪夢で見せられたあの映像が帰るべき故郷だというのなら、そんな場所へは近づきたくなかった。

 ああ、この身体能力があれば荒野で動物と変わらない生活も悪くないかもしれない。

 

「……はぁ」

 

 せめて何か、刺激が欲しい。

 この空腹を紛らわせることができるのなら、何だっていい。

 

 

 








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