ツバメの巣作り   作:ぱさぱさ蒟蒻

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02.眩い光と知らない言葉

 闇を見上げてどれだけの時が流れたのだろうか。

 肥大していく空腹によってのみ、止まったままの時間に置き去りにされてはいないことを知ることができている。乾ききった種子の皮を食み、腹の奥に溜まる鬱屈とした感情をかき混ぜるようにしてやり過ごすだけの、賽の河原のような終わりのない道のり。

 

 そうした無為な時間を積み重ねていると、上方からにわかに騒がしい音がいくつも降ってきた。ドタドタ、バタバタと何人もの子供たちが走り回るような、静まり返った世界をかき乱す、賑やかで色のある音だった。乱雑に撒かれた塗料は決して優雅さはないものの、一色しかなかった世界に華やかさをもたらしている。

 

 私しかいない穴の底で、それらは反響し合い共鳴をいつまでも繰り返していた。

 世界の広がりに思いを馳せていると一つの情景が浮かんでくる。

 

 ──例えば、こんな物語はどうだろうか。

 

 森の天蓋の中を幾台もの馬車が連なっている。馬車の窓から差し込む光に視線を外へと向ければ、さざめく湖面を望む地にひっそりと佇む大きな屋敷。

 

 物語の貴族が好むような広大で美しい庭園を抜けると、住む世界の違うと一目で分かる屋敷の外観を目にする。遠目からは分からないその圧倒的な威風に触れ、運ばれた彼らはようやくこれが現実なのだと理解したはずだ。

 

 古めかしい音を立てて紋が刻まれた扉が開かれる。その内側には屋敷の顔であるエントランス。権威と財力を誇示し、見る者を威圧するその空間に足を踏み入れれば誰もが言葉を失うだろう。だが屋敷内から姿を見せた執事が放つ一言で、それまでに抱いたすべてが一挙に反転するのだ。

 

『今日から君たちはここに住むのだよ』

 

 しかし彼らは知らない、エントランスから伸びる廊下に存在する隠し扉のことを──秘せられた地下への入り口を知る由もないのだ。

 

 地下へ続く道は暗闇に満たされてはいるが、地上と同様に粗雑な作りは一切見られない純白の石造り。しかし、およそ人が住むような場所ではないことは一目でわかるだろう。

 手燭の中でくゆる白い呼気と頼りない自らの影とともに慎重に底へ降り立てば、何かを封ずるような、分厚い鉄板が地面に寝かされているだけの何もない部屋が現れる。

 

「そう──この屋敷は怪物を飼っているのだ。……なんて、どう思う?」

 

 当然ながら、私のつぶやきに答える者はいない。

 暇を持て余したために、腹が減るのを承知の上でこの小さな穴底を隅々まで探索していて、誰もいないことは確認済みである。

 

 夢見がちな少女のように虚空へ問いかけることに意味を見出すべきではない。

 何かの掛け違いで反応が返ってくることに期待がないわけではないが、それは湖に投げ込んだ重石が摂理に反して浮かび上がることに等しい。

 

 もし、本当に浮かび上がることがあればさぞ刺激的なのだろうが、同時に私は私自身の正気を疑うことになる。けれど翼が生えた私のようなヒトがいるのであれば、得体の知れないナニカがいてもおかしくはない──そう考えてみたくなるのは果たして愚かだろうか。あるいは出口のない思考に囚われるほどに、草臥れ萎れている私の精神が発する警笛と考えるべきかもしれない。

 

 そう考えてしまうと、先ほど響いた賑やかな音も本物かどうか怪しくなって来やしないか。刺激を求める私が生み出した幻だと疑う必要が出てくるはずだ。

 

 視線を上方から前方へ向けても映るのは闇ばかり。だが今の私には薄っすらとした線が縦横に巡って視界を埋め尽くしていた。

 先の探索にて壁や床を余すことなく掌で触れ、その感触から材質を思い描き、輪郭を丁寧になぞり上げることでどう組み上げているのかを指先で見てしまった。

 

 ならばこの闇一色に浮かび上がる線は本物なのだろうか。くすんだ、輝いたとも言い難い色合いで現実感がない。源泉は私の触覚の記憶なのだろうが、私の手が届くはずもない高い壁を走る線や天井の格子模様は一体どこから湧いて出たのか。

 

 私自身の感覚はもはや信じるに値しないと思うべきかもしれない。なにせ瞼を意識して閉じているのに線は消えないのだから。

 

 闇に囚われた私の脳は刺激を欲して好き勝手に暴れているのだろう。

 刺激さえあれば、嘘だろうが構わないと言わんばかりに。

 

 ここで私は再び自身に問いかける。

 空気が震え鼓膜を揺らす音ならば、諸刃であることを理解しつつも信じるべきだろうかと。

 

 初めの賑やかな音とは違って、一定の間隔で発せられる無機質で事務的な音。勝手知ったる道を歩くような、予め思い浮かべた目的に向かって進む音だった。

 

 それは心臓が波打つたびに近づいてきている。

 

「これが幻聴なら、私は完全に狂ってるね……」

 

 暗闇に響く足音は、私の頭上で消え、続けて軽い音が耳に届く。

 鼓動にかき消されぬよう全神経が天井へと集中していた。

 

 だが、それから何も聞こえなくなってしまった。

 それが意味する事実に遅れて気付いたとき、乾いた笑いが溢れ出した。

 

 不意につんざくような音が全身に叩きつけられ、前後不覚となった私は思わず耳を塞ぐ。酷い耳鳴りと頭痛に震え、それでもなお天を見上げれば、私の閉じた瞼を光が焼いた。

 

 鮮烈な刺激に呻き俯いてなお、世界は明滅を繰り返していた。

 上半身の支えとしている腕に力が入らない。けれど腕を伸ばし切ってしまえばつっかえ棒程度にはなる。そうして荒だった呼吸を必死に抑えつつも、揺らぐ影に映りこむ灰色の石床のざらつきが示すものは、遂に時計の針が動かされたということ。ここで力尽きれば私は死の瞬間まで後悔することになるだろう。

 

 独り朽ち果てるものと思っていたが、こうして何者かが確認する程度には見られていた。つまり私は生かされる存在である可能性に天秤が傾いている。

 

 重しを乗せた側に立つ者が善人か悪人かはこの際どうでもよかった。

 監視され続けるために私はどう振る舞うべきか。獣のごとき扱いではあるが、現状唯一の生存手段に贅沢は言っていられない。この暗い底にあった酷い味の種子は、今も私を観察しているだろう人物が寄越したものなのだろうから。

 

 私は再び視線を上に向けた。

 瞳は本来の機能を取り戻したようで、降り注ぐ淡い光に焼かれることはなかった。

 

 光源はこちらを覗き込む人の後ろにあるようだが、その影響で表情を読み取ることはできなかった。

 視線は混じり合っているように思うが、本当のところはどうだかわからない。身じろぎせず向けられる思惑を勝手に思い浮かべるならば、興味が注がれた器へ、エッセンスとして驚きを加えたものになるだろうか。

 

 もしかすると、私が生きていたことに純粋に驚いているのかもしれない。実際にどれだけの時間が経ったかなど分かるはずもないが、私は相当に放置されていたのだろう。

 暗闇に沈んでいたことで感覚が狂い、空腹の度合いが軽減されていたのかもしれない。

 

 なんにせよ、さあ。早く餌をおくれ。

 

 あなたが寄越した強烈な刺激によって耐えがたき空腹を一時、忘れることができているが、この程度で抑え続けることなどできやしないのだから。

 それに、あなたが飼い主であるなら少しばかり異を唱えさせてもらおう。「口に入るモノなら何だっていい気分なんだ」と。そんな言葉を声高に吐けるほどの元気は残っていないが、身振りくらいはできるのだ。

 

 私の様子に反応してか、低い音が連続して──おそらくは3音から4音──耳に届いた。

 それから立て続けに聞きなれない音がいくつも続く。先に聞いた音とは趣が違うように思えた。発生源はどこなのかと首を傾げつつ考えるも答えは見つからない。

 

 しばらく見上げていたからだろうか、それとも光に慣れたからだろうか。

 隠されていた素顔がおぼろげながらに見えるようになった。

 

 第一に受けた印象としては変な形の顔だということ。輪郭が随分と歪で大根のような形をしている。あれも私と同じヒトなのだろうか。顎を擦るような太い腕の動きに合わせて、輪郭がゴムのように歪んでは元に戻っている。

 

 ああ、なるほどと、見下ろす人に詫びを入れる。あの形は立派な髭だったようだ。

 良く蓄えられた髭に荒立つ頭髪。鼻も大きく、見開いた片方の瞳と深く刻まれた皴も相まって鬼のようにしか見えず、ほんのりと漂う汗臭さが鼻の奥に残る。

 性別があるとすれば男だろう風貌で、終始荒事に従事しているかのような粗暴さが垣間見える。あの姿で事務を担う役人ということはないだろう。

 

 男の驚きも収まりつつあるのか、据わった目つきに変わっていた。

 謎の音が聞こえ、同時に口元がしきりに動いている。

 唸り声のような音ではあるが、ここでようやくあの男の言葉なのだろうと、察しがついた。

 

 あの男が特別でなければ、つまり私は人の言語も分からないということになる。ならば私の言葉が相手に伝わるかどうかも怪しいものだ。文字も読めない可能性が高いだろう。外の世界の常識すら分からないかもしれない。

 

 私の記憶は悪夢を見る程度にしか残っていない。

 こうして考えることができる以上、過去の記憶がなくとも問題はないと思っていた。気にしないでいられたのも、喫緊の問題として空腹が常に上位にあったがゆえだ。

 記憶を失う。これは案外深刻なことなのかもしれないという考えがぼんやりと浮かぶ。

 

 思考を中断させるかのようにゴトリと重い音が穴の中に響く。

 音源を見てみれば、けば立った黒い球体が光の中に転がっていた。

 そして耳を塞ぎたくなるような音が空間を支配し、私の視界は再び暗闇に包まれた。

 

 闇の中で転がる種子を拾い上げ、壁を背にして座り込んだ私は抱え込んだ種子の確かな重みを感じながら、中断した思考を再開した。

 

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