「ごきげんよう。桜さん。」
「ごきげんよう。委員長。」
昇降口で声をかけてくれたのは入学してから友達になった子。眉の太い、はきはきした物言いの女の子。クラスメイトたちは委員長と呼んでいる。世話焼き気質みたいで外部生の桜にリリアンの仕来りを何かと教えてくれた。
「連日、雨がつづくと嫌ね。」
「テレビだと梅雨入り宣言していたよ。」
「やっぱり。」
傘を折り目にそって畳んで、傘いれに突っ込む。委員長は折り畳み傘をジップロップにいれて鞄にいれていた。
「数学の宿題の答え合わせをしない?指されそうなのだけど自信がなくて。」
「出席番号からみると確かに当たる確率が高そうだね。」
「今日は一日中、気が抜けないわ。」
話しながら教室に入る。
私たちの席は少し離れていて、窓際の桜のほうの席に集まって答え合わせをすることになった。委員長はプリントを持ってくると、熱心に桜のプリントと見比べている。
「よかった。答えの違うところはないみたい。」
ホッとした顔でプリントを桜に返してきた。
桜がクリアファイルにプリントを戻すと、委員長は周囲の目を気にするように小声で尋ねてきた。
「昨日の放送は見た?」
「もちろん。折り返し地点だから事件が起きるかなっと思ったら、まさかヒロインの過去が初代勇者だったなんてね。」
「驚きよね。アニメは完全オリジナルの展開で進んでいるから、ヒロインの過去をどう扱うのかと思っていたら満を持しての判明という感じで。」
委員長は真面目な優等生なのだが、お堅そうな外見に反して結構なオタクだ。休日は同じくオタクの姉と秋葉原に行くことも多いらしい。
「あー、桜さんと同じ教室でよかった。リリアンのお友達でここまでアニメの話ができるなんて思わなかったわ。」
「それは私もだよ。リリアン女学園はお嬢様学校だって聞いていたから。」
「今は一般庶民ばかりよ。祥子さんみたいな生粋のお嬢様のほうが珍しいくらいよ。」
ほほほと笑う委員長。
だけど私は知っている。彼女の家が百年以上続く老舗割烹屋であることを。彼女のお弁当は煮しめや魚の切り身など見た目こそ地味だが、手の込んだ料理ばかりはいっている。これを毎日作るお母さんは料理好きなのかと思って尋ねたらまさかの実家が割烹屋さんだった。
「そういえば先日、白薔薇の蕾がお昼休みに尋ねてきたのだけど無事に会えたかしら。」
「会えたよ。」
音楽室にいると教えたクラスメイトは委員長だったのか。
「初めてお話ししたけれど綺麗な方ね。目鼻立ちもくっきりしているし、声もいいし。ヒロインではないけれど人気ランキング上位に食い込む美少女枠ね。」
「わかるようでわからない。」
少女向けノベルの麗しいお姉さまキャラだよ、と言いたいけれどお口チャック。
「またご一緒にお弁当を食べていたのかしら?」
「そうだけど。」
肯定すると腕を組んでうんうんと頷いた。
「愛されているわね。」
「お弁当こみでね。」
「もう、そんなこと言って。桜さんは鈍感ではないでしょう?」
委員長は右手の中指でこめかみをトントン叩くジェスチャーをした。流行りのラノベ作品の主人公がよくやる癖。ヒロイン達の声が聞き取れなかったときにする。
「はぁ。」
「まあ、大きなため息。これは相当きているわね。」
深い溜息を吐きながら机に俯せになった桜の頭を委員長はゆっくり撫でた。
「さあ、お姉さんに聞かせてみなさい。聞くだけならタダよ。」
「もしも委員長が好きな作品の世界に転生して、推しカップルに挟まれたらどうする?」
「即座に自分の存在を消すわ。」
「だよね。」
間髪入れずに答えた委員長。躊躇いなんて微塵もない、とても素早い判断だ。そこに痺れる憧れる。
「なに?まさか、そういうウラヤマ案件の夢をみたの。」
「そうだよ。」
「それは朝から情緒が可笑しくなるわ。」
少しだけ空いた窓から、湿った風が教室に吹き込む。煽られたカーテンがバサリと桜の頭の上を掠めた。ただの偶然なのだけど風にまでからかわれている気分。
「そういうわけで、私は委員長の質問に答えられる状態ではないの。」
「答えられる状態になったら教えてね。」
委員長はクスクス笑いながら言う。普段は大人っぽいのに小学生の子ども並みに楽しそう。
「はいはい。いつかね。」
つられて桜も笑うと、委員長の表情はほっとしたように緩んだ。
「約束よ。ちゃんと教えてね。」
「わかったよ。そこまで念をおされたら仕方ないじゃない。」
朝拝のチャイムがなる。委員長は小さく手を降りながら自分の席に戻って行った。桜もだらしなく机に寄りかかっていた上体を起こした。
(令、目力凄いよ)
委員長と話しているときから、誰かにみられているなぁと思ったら令が聞き耳をそばだてていた。こそこそ話していたから大部分は聞こえなかっんじゃないかな。
その後、話しかけてくるかなと思ったけれど令からのアクションはなく1日が過ぎていった。
「ねえ、なんで薔薇の館に行かないの?」
「勉強で忙しいの。」
放課後の書道部の部室。
道具を片付けて一息ついたタイミングで久仁子さんが尋ねてきた。他に部員はいなく、2人だけのときに切り出すとは、これは狙っていたと思われる。
「てっきり逃げているのかと思ったわ。」
「後ろめたいことがあるわけでもないのに?」
大島桜の辞書に逃走の二文字はない。怖くても大丈夫。僕らはもうひとりじゃない。だから、久仁子さん、ここは見逃して。
「白薔薇さまがね。最近、教室まで尋ねてくれるの。」
「よかったじゃん。ファンなんでしょ。」
「それは嬉しいけれど、毎度毎度、桜さんは元気かと尋ねられたら申し訳ないわよ。いったい何をやらかしたの。」
「私は何もしてないよ。」
桜は何もしていない。ただ薔薇の館に行かなくなっただけだ。顔を見れなくて横を向くと、久仁子さんは呆れていた。
「本当に意気地無しね。」
「返す言葉がございません。」
「殊勝なのは態度だけね。そうやって反省しているフリをして有耶無耶にしようとするのはやめなさい。」
良薬は口に苦し。苦言は耳に痛し。正論はときに人を傷つける。
「じゃあ、どうすればいいの!」
図星をつかれた桜は逆ギレした。身体はともかく中身は前世を含めれば両親と同じくらいの年だ。それが年下の少女に言い負かされるなんて。情けなさと怒りが沸いてきた。
「簡単よ。自分の気持ちに素直になって申し出を受けて姉妹になればいいの。」
「だから、私はなりたくないの。」
「どうしてなりたくないのよ。」
お互いに引き下がらない堂々巡り。苛つく桜と冷静な久仁子さん。
先に根をあげたのは桜のほうだった。
「だって私があの人たちの姉妹に相応しいわけないでしょう?」
山百合会の幹部たちが神聖化されるのを危惧していた蓉子さま。作中ではバレンタインデーのときに一般生徒に声をかけられ、生徒で溢れる薔薇の館を前に感動しているのを読んで大袈裟だと思った人はいないか。
いざ、一般生徒側に回ればわかる。
祥子に見初めれて華やかな世界に一気に駆け上がった祐巳ちゃんがどれほど凄いのか。あの煌めく人たちの中で埋もれずに自由自在にふるまうのがどれほど難しいのか。
他の人だってそうだ。
江利子さまの描く楽しそうな未来とともに全て受け入れた令と、今まで積み上げてきたものを捨てて蓉子さまの手を取った祥子。桜にそんな覚悟はない。聖さまの申し出を前に怖気づいてしまう桜は相応しくない。
「思うからこそ突き放す愛もあるでしょう。」
「それは自分に自信がないことの言い訳よ。」
「久仁子さんは厳しいね。」
「志摩子ちゃんのことはどうするの。あの子も貴女の妹になりたいと言っているのよ。」
久仁子さんはどこまで知っているのか。でも、肝心なことを彼女は知らない。
「志摩子ちゃんはシスターになるんです。姉妹の誓いをしたら柵になって彼女を苦しめることになる。」
「あなたが言えばシスターになるのをやめてくれるかもしれないよ。」
「ただの人間が神に敵うわけないでしょう。」
もしも自分と出会わなければ、志摩子ちゃんは迷わずシスターの道を進んでいた。
原作の聖さまだって志摩子ちゃんのことを心配しつつも彼女が信仰に殉じるのを止めようとはしなかった。引き留めようとする私はさしずめ誘惑する悪魔なのだ。
桜にとって志摩子ちゃんと出会いは神様がくれたプレゼントだと思っていた。でも、もしかしたら、志摩子ちゃんの立場からみれば私との出会いは神があたえた試練なのかもしれない。近づけば近づくほど固くつながる手を振りほどいて、神に仕える道に進むことができるのか。
「怖いの、久仁子さん。聖さまのことは好きよ。志摩子ちゃんのことだって好き。だけど、好きだから。姉妹になれないの。」
「桜。」
「久仁子さんにはわからないと思う。」
取り乱す桜を心配そうな顔で見つめる久仁子さん。桜は久仁子さんの首に光る銀色のチェーンを指さした。それは彼女が誰かの姉妹だった証だ。誰かと姉妹になることを受け入れられた彼女と桜の間には越えられない壁がある。
あの美しい物語を、運命的な少女たちの出会いを、傍で眺められたらそれでよかったのに。桜はどんどん我がままになってしまった。
壊れ物を扱うかのように優しく抱きしめてくれる腕の温もり。薔薇が咲くような微笑み。穏やかな眼差し。頭の中に思い出しては勘違いしてはいけないと己に言い聞かせる。
彼女たちは平凡な桜が手をのばしてはいけない特別な人たちなのだ。
立ち尽くす久仁子さんの横を走って部室を飛び出す。
「桜!」
背後から久仁子さんの大声が聞こえるけれど足を止めない。朝から降っていた雨はすでに止んでいた。どんよりした空の下、桜は脇目も振らずに駆けていく。
桜は人のいない方に向かって逃げていた。
6月の銀杏並木は鬱蒼として蒸し暑く、額から噴き出した汗がこめかみを伝って滑り落ちていく。
木々の間を縫って走ると桜の木が見えてきた。志摩子ちゃんが自分と重ねたあの独りぼっちの桜の木が。緑の葉を茂らせて風に吹かれた枝が大きくしなっている。雨のせいかすべての木の葉が湿っていた。
桜を見あげる。この世に生れ落ちて十五の春をともに過ごした桜たち。どの春も前世と同じ美しい花を咲かせ、生まれ変わりという誰にも話せない秘密に、疲れていく心をなぐさめてくれた。けれど、今は風に揺れる葉の音が追い詰められた心を苛立たせる。
(同じ名前なのに、どうして私は私の存在を許せないのか)
時々、桜は夢を見ているのではないかと考える。
トラックにはねられてから死ぬまでの走馬灯のような夢。女神さまの言ったことは全て嘘で、この世界は瀕死の脳が創った都合のいい世界なのではないか。
そう考えると全てが張りぼてに思えてくる。
花も、木も、太陽も、風も、そして人も。
こんなに素敵な世界なのに、桜は心から素晴らしいと思うことができない。それは他でもない自分がこの世界に打ち解けられないように感じているから。存在してはいけないと拒絶してしまうから。思い込みが束縛する。思うがままに生きようとする心を束縛する。
「こんなことになるならリリアンに来なければよかった。」
でも、桜は愛してしまった。
悲しいことにあの特別な少女たちを。
花のように美しく、清らかで愛おしい人たち。彼女たちは桜に親切でとても優しくしてくれた。
夢の中を歩くようにぼんやりとした足取りで桜の木に近づく。ざらざらした灰色の幹が柔らかい掌に刺さる。
女神さまに会いたい、と思う。
女神さまが本当にいるのなら、早くこの悪夢から目覚めさせてほしいと思った。自分は生きているのか。信じていなければ忘れていたことさえあるのに、縋りつこうとする心がある。これも一種の信仰心なのだろうか。
「桜さん?」
振り返ると志摩子ちゃんがいた。
駆け寄り何かを言おうとする彼女は戸惑いの表情を浮かべていた。