その日はお姉さまが薔薇の館にいないので行く気になれず、日当たりのよいベンチで空をみていた。
「マリアさまの心、それは青空」
幼い頃、さんざん歌わされた一節。どうして思い出したのかというと雲一つない晴天だったから。それだけ。
天を見上げてソッと目を閉じると、自分が空気になる気がした。風に煽られて空高く舞い上がり、青空にとけて消えていく。
消えてしまいたかった。
佐藤聖という存在を、痕跡を、この世から抹殺したいといつの頃からか願っていた。
同級生、家族、学校。
何もかもうんざりしながらも行動にうつせない自分。こんな私でもマリア様は救ってくださるのだろうか。
世界に迎合できない意固地な私。
清純なことに反発を覚える私。
私はマリア様を信じない。
ずーっと前に死んだ人に何を期待すればいいのか。もし、神様に近い存在だと言うのなら今すぐここに降りてきて迷える魂を救いたまえ。
「ゲ。」
現れたのは赤毛の少女。純粋な幼子のような見た目に、腹に一物もった大人の老獪さを持つよく分からない存在。
大島桜。
でも、その名前はまだ呼んではならない。
「また貴女ね。ごきげんよう、失礼なモーディー。」
「ごきげんよう、白薔薇のつぼみ。山百合会のほうはいいのですか?」
「私がいなくても大丈夫よ。」
お姉さまは私に強制しない。人手が足りないときに呼び出されたら行けばいいだけ。真面目な蓉子は苦々しく思ってそうだけど。
「何でランチボックスを持ってるの?」
「委員会で時間がなかったんです。」
「へー。」
「興味なさそうですね。」
「まあね。食べないの?」
「食べますよ。」
どこかへ行くと思ったら、モーディーはそのまま隣に腰掛けてお弁当と水筒を取り出した。石鹸の薫りとお弁当の香ばしい臭いがする
「ホットサンドなんてお母様は手の込んだものを作るのね。」
お弁当箱を覗くと美味しそうなきつね色のサンドイッチが並んでいた。
「母は父について行ってるのでいませんよ。自分で作ってます。」
「え。じゃあ、あなたは今、家で1人なの?」
「はい。他の人には言わないでくださいね。」
こともなげに言うモーディーに驚く。この子は一度自分の見た目を客観的に見たほうがいい。どう見ても中等部のような少女が独り暮らしなんて心配でしかない。
「言わないけど。女の子が1人で住んでいるって危ないわ。親戚の家に下宿するわけにはいかなかったの?」
「親戚といっても他所の家に寝泊まりするのは息が詰まるじゃないですか。それに高校生なんですからか家事くらいできますよ。どうせいつかは1人で生きて行くんです。それが早いか遅いかの違いだけですよ。」
1人で生きていく。
その通りなのだけど、その口振りの軽やかさが空洞を吹き抜ける風のように冷たく感じた。
「一人は淋しいでしょう?」
ポツリと呟いた言葉にホットサンドを食べていたモーディーの手が止まる。
「私だってあまり人と付き合うのは苦手。でも、私は近くに両親がいるし、お姉さまがいるし、薔薇の館にいけば他にも頼れる人はいる。あなたに身近に頼れる人はいるの?」
誰にも言ったことのない本心を打ち明ける。何を言いたいのか自分でも分からないけれど、頑なな少女の心に届くように、慎重に言葉を選びながら。
モーディーは口をあけてポカンとした。
初めてこの子の年相応の顔を見た気がした。無機質な瞳に人間の温度が甦った。
「淋しくないですよ。子どもじゃないんですから。」
バレバレの強がりに苦笑する。
ああ、そうか。
私はこの子に一人になってほしくないんだ。淋しいときに寄り添う人がいなければ、大人はこんなことで弱気にならないと幻想の「大人」を理由に我慢する。私もそういうことをした。
でも、私にはお姉さまという存在がいた。蓉子がいた。気にかけてくれる人たちがいた。知らず知らずのうちにたくさんの好意に甘えていた。
「まだ子どもよ、貴女も私も。だから、そんな顔しないで。」
「、、、どんな顔をしていますか?」
見上げる顔は泣いていた。
目は兎のように赤くなっていて、透明な滴がふっくらした頬をつたって止めどなく流れている。
「見ているとこっちまで気が滅入るような酷い顔。」
「失礼ですね。」
やせ我慢なのか、乱暴に涙をぬぐってモーディーはホットサンドをバクバク食べ始めた。
「貴女は寂しんぼね。それに泣き虫。仕方がないから側にいてあげるわ。」
「いいですよ。白薔薇の蕾は忙しいと聞きますよ。それに何も返せるものがありません。」
少なくとも嫌がってはいないようだった。
私はモーディーを救いたいと思うことで救われていた。居場所のない魂に役割が与えられた。
「なら、お弁当を作ってよ。これから購買で買う代わりに貴女からお弁当を買うことにする。そして、一緒に食べましょう。学校にいる間は一人で食べることを禁止するわ。」
「お金もらったらお返しにならないじゃないですか。」
「あら、その代わり注文をたくさんつけるから。覚悟していてね。」
母にさえ見せない表情をモーディーにむけていた。いつの間にか私は、常に自分を守っていた心の鎧を脱ぎ捨て、モーディーを包み込みたいと思っていた。拒絶されても、また手を差し出せばいい。退路なんてない。自分をさらけ出してでも、この赤毛の少女を得たいと思った。
「一つ条件があります。」
「なあに?」
自分でも驚くほど優しい声。
私は既にモーディーに魅入られていた。
「期限を設けましょう。私に姉が、聖様に妹ができたら関係は終りということで。」
「まあ、それも仕方がないわね。のみましょう。」
もうなりふり構わないと決めたのだ。
逃すはずがないでしょう?
手始めに来週の放課後、メアリーを薔薇館に連れていこう。そうして周りにこの一年は白薔薇のつぼみが目をつけているのだと宣言するのだ。