常時発情フェロモンを分泌している妖精王が、欲求不満な乙女が集う女子学院で教師になったら〜僕が力で勝てない圧倒的につよつよな生徒たちが僕の『アレ』を狙って迫ってくるんですけど…… 作:朧 泡沫
和やかな兄妹の入浴時間から、およそ一時間後。
「危ないから料理している時くらい離れなよ~」
広いキッチンに立ち、調理台に置かれたまな板の上で包丁を躍らせていた僕は、つい先ほどから背後で僕に抱き着いている眠そうな顔のリルにやんわりと言った。
「まだ眠いなら寝てなよ。晩御飯できたら、起こしてあげるからさ」
「駄目、やだ……まだ、補充が完了してない。このままお兄様から離れたら、私は息絶えてしまう」
「補充って、何の?」
「当然、お兄様パワー」
恐らく辞書には載っていない単語を口にし、リルは僕の背中にグリグリと顔を押し当てた。
「お兄様が学院の教師になって、家にいる時間が減ってしまった。学校から帰ってもお兄様がいないのは辛くて寂しい。何とか、お兄様の服とかベッドに残った匂いでやり過ごしていたけど……やっぱり本物には敵わない」
「人の服やベッドで何をしているんだ」
「というわけで、今の私は著しくお兄様パワーが不足している状態なの。このままじゃ、身体にあらゆる不調が出て、最終的には爆散してしまう。そんな未来を避けるために、これは必要不可欠な行為」
「何だよ、爆散って……ちなみに、あとどれくらいで満タンなりそう?」
「現時点で甘く見積もって……六時間」
「なげぇよ」
「お兄様パワーは定期的に補充をしなければ、今日のように長時間の補充が必要になる。ご理解とご協力のほど、よろしくお願いいたします。」
「事務的だな」
僕はやれやれ、と呆れつつ、どうしたものかと頭を悩ませた。
リルの言い分は理解で……きないし、とにかくこの状態では料理がしづらくて仕方ない。刃物を扱っているので、危ない死。
離れてほしいのだけど、リルは僕の身体をガッシリとホールドしており、更には身体を押し付けるほど密着している。言葉による説得は無理。かといって、非力な僕では引き剥がすことは難しいだろう。
はてさて、どうしたものか。
僕は困り果て、思わず白い天井を仰いだ──時。
「相変わらず仲がいいな、二人とも」
不意に鼓膜を叩いた女性の声。
思考を中断して声のしたほうへと顔を向けると、そこにいたのはラビラさんだった。
帰宅直後。
疲労が垣間見える表情をした彼女は、微笑ましいものを見るかのような目で僕とリルを見つめている。
気が付かなかった。
僕はリルを引き摺ったまま、慌ててラビラさんに駆け寄った。
「おかえりなさい。すみません、気が付かなくて」
「謝らなくていい。それに……そんな状態じゃ、気が付かないのは当然だろう」
ラビラさんは僕に抱き着いているリルを見やり、尋ねた。
「リル。半日ぶりのルディルはどうだ?」
「控えめに言って、最高。離れた時間だけ愛が深まるっていうのは本当だったみたい。今後は意図的に接触しない日を設けるのもアリ……かも」
「強がりを言って。ルディルと一緒にいられる時間が少なくなるって泣いていたのは、何処の誰だった?」
「愛している人と一緒にいられる時間が減って涙を流すのは、良い女の証拠……ちなみに、恋人のために涙を流せる女は良妻の証だからね、お兄様」
「はいはい」
旦那をお兄様と呼ぶ妻はいないと思うよ。
ふと思ったことは敢えて口には出さず、僕はリルのアピールを軽く流す。と、そんな僕たちを見て、ラビラさんが笑った。
「まぁ、度が過ぎるのはいけないが、今日のは許容範囲内だろう。今のリルは甘えたモードだ。広い心で受け入れてやってくれ、王様」
「はぁ……わかりました」
「良い子だ」
僕の返事を聞いて満足げにラビラさんは頷くと、次いで、彼女はリルに言った。
「リルも甘えるのは構わないが、あまりルディルを困らせるなよ。特に今は料理してるんだから、少しの間くらいは我慢しろ」
「まだお兄様パワーを補充できていない……」
「続きは食後のデザートにしなさい」
「むぅ……仕方ない」
流石に大恩人であるラビラさんには逆らえないらしい。
りるはそそくさと僕から離れ、鞄を置きソファにぐったりと座り込んだラビラさんのほうへ向かった。
「なんだ、今度はこっちに来たのか」
「駄目?」
「いいよ。フフ、本当に甘えん坊だな」
「乙女は甘えん坊なほうが愛されるもの」
「自分で言うな、自分で」
ラビラさんは楽しそうにツッコミを入れ、次いで、料理を再開した僕に問うた。
「ルディル、何を作っているんだ?」
「カルボナーラですよ」
「おー……実はペペロンチーノの気分で──」
「口臭気にしなくちゃいけないから平日はにんにく禁止って言ったのは何処の誰でしたっけ?」
「……よくそんな昔のことも憶えているな」
何処となく嬉しそうに言い、ラビラさんは続けた。
「本当、ルディルは良い旦那になる男だよ。嫁になる奴が羨ましいくらいだ」
「うん。私は将来大勢の女から羨望と嫉妬の眼差しを向けられることになる……でも、覚悟の上だよ」
「決定事項みたいに言うなよ……僕はしばらく結婚しないと思いますよ。そもそも恋人もいないんだから」
人生の最終地点とも呼ばれる結婚。
世の中を見れば、僕と同じ十九歳で結婚している人もちらほらいるけれど、それはかなり少数派だ。僕はあと十年……否、最低でも五年は一人でいるつもりだ。結婚は焦ってするものでもない。
それに──僕の種族的に、誰とでも恋愛ができるというわけでもないから。
と、そう思ったのだが。
「……まぁ、そう遠くない内に決断を下す時が来るとは思うけどな」
「え?」
僕は料理の手を止め、ラビラさんを見た。
意味深な呟き。意味深な声色。何か含んでいる、何か僕の知らないことを知っているかのような、そんな台詞。
どういうことだ?
頭上に疑問符を浮かべ、僕はラビラさんに問おうと口を開く──が、声を発する前に、彼女のほうが先に僕へ尋ねた。
「ところでルディル、どうだった?」
「どう、とは?」
「教師、やっていけそうか?」
「あー……」
ラビラさんの問いをトリガーに、フラッシュバックする昨日と今日の、数々の出来事。
発情タックル、腹上産卵、王種の卵、フェロモンによる阿鼻叫喚……。痛み出した頭に指を添え、僕は顔を顰めながら首を左右に振った。
「まだ、まともに授業もやっていないですけど……早くも、挫けそうです」
「その感じからして、ミルエルと何かあったか?」
「……まぁ、彼女だけではないですけど……はい。色々と」
具体的に何があったのかは言うことができず、僕は言葉を濁して肯定する。
だがここで予期せぬ事態──リルが、ラビラさんに耳打ちした。
「お兄様の身体から膣分泌液の香りがした。しかも、濃密な上位種の香り」
「ち──ルディル、お前……」
カッ! と両目を見開いたラビラさんはゴクリと喉を鳴らし、信じられないものを見るかのように僕へ問うた。
「上らせたのか……大人の階段」
「上らせてませんよッ!」
「じゃあなんで身体から分泌液の匂いがしてるんだ!」
「それは、その……」
ここで隠すと更に誤解が深まる。
観念し、僕は白状した。昨日あったミルエルの発情タックルからの産卵コンボと、今日の海洋寮であったレヴィアとのあれこれを。
「──……と、まぁ、こんな感じです」
「災難だったな……」
事情を聴いたラビラさんは、流石に僕を責められないと判断したらしい。
視線と声に同情を宿した。
「まぁ、うん。こればっかりは仕方ないな。ルディルはそういう種族特性だし……そうか。レヴィアはともかく、ミルエルは理性が強い子だと思っていたんだがな」
「実際会ってみたら、欲望に忠実な子でしたけど」
「余程ルディルのフェロモンに耐性がなかったんだろう。これは想定外……だが」
深呼吸をし、ラビラさんはうんうんと何度も頷いた。
「腹の上で産卵という事態は起きてしまったが、本当の最後の一線は越えなかっただけ良かったと思うべきか。将来的にはまだしも、学生の内に姦通することになれば、下手すれば外交問題にまで発展するだろうし」
「? 外交問題ってどういうことですか?」
「なんだ、本人から聞いていないのか」
僕が首を傾げると、ラビラさんは説明した。
驚愕の事実を。
「ミルエル=エンピレオ。あの子はベリチェ公国の公女──正真正銘、一国のお姫様だぞ?」
「…………」
僕は硬直し、右手に持っていたヘラを足元に落とした。
公女。お姫様。国家元首の愛娘。
仮に何かあれば、国が動くほどの存在。僕はそんな子を発情させた挙句、理性を崩壊させ、更には腹の上で産卵させてしまった。この事実が明るみになり、本国に知られたら……派兵、拘束、最終的には縛り首? はたまた、生きていることを後悔するほどの拷問を受ける可能性も──。
え、やばいじゃん。終わったじゃん、人生。
僕は混乱と恐怖に身体をガタガタと震わせるが、そんな僕とは対照的に、ラビラさんは気楽に言った。
「まぁ、大丈夫だろう。こういうアクシデントは公爵だって覚悟の上だろうし……あ、一応口外禁止な?」
「そ、それは勿論です」
「よろしい。まぁ、あまり気負い過ぎるな。お前ならきっと、大抵のことは何とかなる。何とかならなかったら、すぐに私に言いなさい。私が何とかしてやるから」
「頼もしい限りです。その時は遠慮なく、頼らせてもらいますね」
「あぁ、待ってる……話は変わるんだが、ルディル」
「? 何ですか」
声色と話題を変えたラビラさんに問いを返すと、彼女は少し申し訳なさそうな表情を作った。
「悪いんだが、夕食後に頼みたいことがあるんだ」
「頼みたいこと? 勿論いいですけど、それは?」
「少しデリケートというか、頼みづらいことではあるんだが……」
ポリポリ。
頬を掻き、僕から視線を逸らしつつ……ラビラさんは告げた。
頼みごとの内容を。
「──脱皮の手伝いを頼みたいんだ」