これではないと僕は泣いた -二度目の人生で、ゲームと一杯のラーメンを完成させるまで- 作:朝凪小夜
僕はとうとうそれを手に入れた。
組み立て式の小さな計算機だ。街の電器の店に並びはじめた新しい代物だ。箱を開けても中身は完成した機械ではない。ビニールの袋に入った部品の山だ。基板が一枚。細かな部品がいくつも。線が一束。それを自分で組み立てるのだという。買う者が自分でハンダを握って組み上げる。だからこそ安い。それでも、個人にとっては安くはない。何か月かぶんの小遣いが一度に飛ぶ。若い勤め人の給料の何割かが消える。僕は店先で少し迷う。迷ってから買う。ハンダ付けの道具も一緒に買う。これは玩具のような代物だ。中身を知らぬ者が見れば子供の工作の箱にしか見えない。遠山なら鼻で笑うだろう。こんなもの、と。けれど僕は知っている。この袋の中に本物の計算機が眠っている。掌に載る本物の機械が。
店の主人は不思議そうに僕を見た。
この手の箱を買うのは大抵は電気いじりの好きな学生か変わり者の技術者だ。真面目な勤め人が給料の何割かをはたいて買っていくのは珍しいらしい。何にお使いで、と主人が聞く。僕は曖昧に笑ってごまかす。ちょっと機械の勉強に、と。本当のことは言わない。これで遊びを作るのだとは言わない。言えば主人も笑うだろう。玩具を組んで遊びを作る。子供の夢のような話だ。僕は箱を抱えて店を出る。夕暮れの商店街を抱えて帰る。腕の中の箱がやけに重い。ただの部品の重さではない。これから始まる何かの重さだ。
僕は下宿の机でそれを組み立てる。
夜ごと基板に屈み込む。部品を挿す。向きを確かめる。ハンダを溶かす。細かい作業だ。手先の器用さが要る。一本の脚を留めるのに息を止める。少しでも手が震えれば隣の脚とくっつく。くっつけばやり直しだ。何度も焦がす。何度も吸い取ってやり直す。指先を火傷する。目が疲れる。肩が凝る。それでも僕は楽しくてたまらない。子供のころ壊れたラジオを直した夜を思い出す。あのとき僕は切れた線を繋いだ。知識が壁になって父を怯えさせた夜だ。今は一から機械を組み上げている。切れたものを繋ぐのではない。何もないところから一つの命を組み立てている。誰にも咎められずに。誰にも怯えられずに。ただ自分のために。
最初の晩僕は一つしくじる。
組み立ての説明どおりに進めたつもりが電源を入れても何も光らない。どこかが繋がっていない。あるいはどこかが繋がりすぎている。僕は部品を一つずつ確かめる。ハンダの粒を一つずつ見ていく。目を凝らして小さな橋を探す。あった。隣り合う二つの脚が余分なハンダで繋がっている。ここが悪さをしていた。僕はそれを吸い取って離す。切れているべきものが繋がっていた。繋がっているべきものと切れているべきものを見分ける。それが機械を組むということだ。学生のころラジオで覚えた勘がここでも生きる。切れた物は繋ぐ。繋がってはいけない物は離す。単純な理だ。単純なのに奥が深い。
部品の一つ一つに僕は指で触れる。
この小さな黒い部品が機械の頭だ。前の生涯でこれの子孫がどれほど小さくどれほど速くなるかを僕は知っている。今はまだ大きく遅い。それでも紛れもなく同じ血筋だ。この一片が計算をする。この一片が僕の書いた手順を飲み込んで動く。僕はその頭を基板の真ん中に据える。丁寧に脚を留める。心臓を体に埋め込むような手つきで。
幾晩もかけてそれは組み上がる。
最後の一点を留めて僕は電源を入れる。
小さな表示が光る。基板の上のいくつかの数字が赤く灯る。機械が息を吹き返す。僕の組んだ機械が生きている。僕は掌をその基板の上にかざす。微かな熱がある。微かな震えがある。脈だ。あの脈だ。学生の夜に遠山の隣で触れたあの脈。真夜中の計算機室で神の体に感じたあの脈。今それが僕の掌の下にある。しかも今度は分けてもらう神ではない。借り物の神でもない。硝子の向こうの触れられぬ神でもない。僕が自分の手で一から組み上げた僕だけの機械だ。掌に載る僕だけの神だ。
嬉しさが胸の底から込み上げてくる。
誰にも見せられない嬉しさだ。会社の同僚に言っても通じない。子供の工作じゃないかと笑われる。世間に言っても通じない。玩具を組んで何が嬉しいのかと呆れられる。この嬉しさを分かる者はごく僅かだ。街の同じ火を灯した者だけだ。木戸だけだ。僕は書きかけの手紙に一行足す。組み上がった。光った。生きている。それだけ書いて僕はまた基板に見入る。裸の基板が机の上で静かに息をしている。覆いもない。飾りもない。剥き出しの命だ。僕はこの剥き出しの命が愛おしくてたまらない。
僕はその夜長いこと基板を見つめている。
前の生涯で僕は膝に載る機械を使っていた。当たり前のように指先で動かしていた。その当たり前を失ってこの生涯に来た。硝子の向こうの大きな神を仰いだ。紙の上で機械を夢見た。分けてもらう一夜にようやく神へ触れた。そして今とうとう自分の機械を手にした。三十年より遠く失ったものが少しずつ僕の手に戻ってくる。膝に載る機械ではない。掌に載る機械という形で戻ってくる。形は違う。けれど確かに戻ってくる。二度目の生涯は遠回りをしながら僕を元いた場所へ連れ戻そうとしている。
この機械には贅沢な仕組みが何もない。
立派な画面もない。数字を映す小さな表示があるだけだ。文字を打つ鍵盤もない。十六の数字を打つ鍵があるだけだ。手順を書くにはその十六の数字で機械の言葉を直に打ち込む。人に優しい言葉など介さない。数式のような言葉もない。機械の地肌にじかに指を置く。一つの命令が一つの数字の並びになる。その並びを僕は覚えて打ち込む。学生のころ憧れた地肌がここでは剥き出しだ。何の覆いもない。剥き出しの地肌に僕は直に触れる。
僕は十六の鍵で機械の言葉を打ち込んでいく。
一つの命令を打つ。次の命令を打つ。表示にその数字が並んでいく。人が読むための言葉ではない。機械がそのまま飲み込む言葉だ。書き間違えれば機械はあらぬ方へ走る。暴走して固まる。そうなれば初めからだ。だから一打ずつ息を止めて打つ。紙に手順を下書きしてから打ち込む。学生のころ升目の紙に書いたのと同じだ。あのころは札に穿って窓口へ出して翌日を待った。今は自分の指で直に打ち込む。しかもその場で走る。間違いはその場でわかる。直せばその場で試せる。紙と札と一日の待ちに縛られたあの日々が嘘のようだ。掌の機械は僕に即座の反復を返してくれる。前の生涯で当たり前だった速さが今この小さな基板の上にある。
これこそ僕の場所だ。
覚えていられる量はごく僅かだ。学生のころ紙の上で戦ったあの窮乏がここにある。いや紙の上よりもっと狭い。もっと厳しい。ひと桁ひと語を拝むように使わねばならない。同じ場所を何度も使い回す。一つの数字に二つの役を負わせる。使い終えた場所へ次のものを重ねる。学生の紙で覚えた地肌のやり繰りをここで全部使う。けれど僕はその狭さを恐れない。むしろ懐かしい。狭さは僕の味方だ。狭さが知恵を呼ぶ。狭さが締まりを生む。狭さが遊びの味を生む。街の箱で見た通りだ。窮乏は敵ではない。窮乏こそが設計の母だ。学生のころ紙の上で鍛えた技がこの掌の機械で完全に生きる。僕は水を得た魚のように十六の数字を打つ。
夜ごと僕は掌の機械に向かう。
昼は会社で帳簿の機械を組む。夜は下宿で自分の機械を組む。同じ手が昼と夜で別のものを作る。昼は誰にでも読める平らな手順を。夜は誰にも見せない締まった手順を。会社では冴えを隠し下宿では冴えを解き放つ。昼は歯車の顔をして夜は作り手の顔をする。二重の暮らしだ。疲れないと言えば嘘になる。眠りはいつも足りない。朝の市電で舟を漕ぐ。会議で欠伸を噛み殺す。それでも夜になって下宿の机に向かうと疲れがすっと消える。ここには誰の目もない。上司もいない。納期もない。仕様書もない。ただ僕と掌の機械だけがいる。この時間のために昼を耐えているようなものだ。
同僚たちは僕を真面目で少し大人しい男だと思っている。
付き合いは悪くないが深くもない男だと。飲みに誘えば来るが二次会には残らない男だと。彼らは僕が家で何をしているか知らない。知る由もない。毎晩帳簿の機械を作る手で玩具のような基板に屈み込み名前のない遊びを育てているとは。僕はその秘密を守る。守ることは苦ではない。むしろ秘密があるから昼の退屈に耐えられる。誰も知らない工房を胸に抱えているから平らな仕事も苦にならない。二重の暮らしは重荷であると同時に支えでもある。表の顔が地味であるほど裏の火は自由に燃える。
僕は最初の遊びを作りはじめる。
大それたものではない。この貧しい表示でできることは限られている。華やかな絵など出せない。動く点がいくつか出せるだけだ。それでも僕には作りたい形がある。ずっと胸の底にある形だ。何かが降ってくる。それを避ける。ただそれだけの形だ。単純な骨だ。けれどその単純さの上に底のない駆け引きが積める。原っぱの遊びと同じ。街の箱と同じ。僕は機械の言葉でその骨を組む。小さな光の点を一つ下に置く。それを左右に動かす。上から別の点を降らせる。降ってくる点を下の点で避ける。触れれば終わり。ただそれだけ。ただそれだけの原型だ。
僕はその骨を機械の言葉に翻していく。
下の点をどう動かすか。左の鍵で左へ。右の鍵で右へ。それを機械の言葉で書く。上の点をどう降らすか。一定の間で位置を下へずらす。それを書く。二つの点が同じ場所に来たらどうするか。触れたと見なして終わりにする。それを書く。頭の中では一瞬の理屈が機械の言葉では何十もの数字の並びになる。地肌の言葉は面倒だ。ひとつのことをするのに手間がかかる。けれどそのぶん隅々まで僕の手が届く。点がどう動くか。いつ消えるか。どこで終わるか。すべて僕が決める。掌の機械の中の小さな世界を僕が神のように決める。前の生涯で味わったあの全能の手触りだ。忘れていた手触りが指に戻ってくる。
組んで走らせる。
小さな表示の上でいくつかの光が動く。上から降りてくる光。下で左右に逃げる光。ぶつかれば消える。たったそれだけの動きだ。誰が見ても貧しい。街の箱の華やかさには遠く及ばない。数字の粒がいくつか動くだけの素朴なものだ。けれど僕の胸は高鳴る。これは僕が作ったものだ。僕の頭の中の形が初めてこの手で機械の上に立ち上がった。前の生涯の記憶の底にあったあの遊びの一番幼い姿がここにある。弾が降る。それを避ける。まだ点が一つ二つ降るだけだ。けれどこれはあの遊びの祖先だ。いつか弾が雨のように降り注ぎ人がその雨を指先だけで縫って潜り抜ける遊びの一番最初の一滴だ。その一滴が今僕の掌の上で光っている。
僕はしばらくその光に見入る。
たった数個の点の動きだ。街の箱に比べればおもちゃのおもちゃだ。それでも僕にはそれが眩しい。前の生涯で僕はどれほど華やかな遊びを作っただろう。色が溢れ音が鳴り無数の弾が舞う遊びを。それを膝の機械で当たり前に作っていた。あの豊かさを失ってここまで来た。今その豊かさの一番幼い祖先が僕の掌の上で瞬いている。一滴の弾が降り一つの点がそれを避ける。ここから始まる。ここからあの豊かさまで僕はもう一度登っていく。何年かかっても登る。この一滴を絶やさなければいつか雨になる。僕はそう信じてその小さな光を見つめる。
僕は夜通しそれをいじる。
降る速さを変える。降る間合いを変える。避ける点の動く速さを調える。少し速くすると難しくなる。少し遅くすると易しくなる。ちょうど痺れる速さを探す。街の箱で読み取ったあの緩急を今度は自分の手で作る。数字を一つ変えるだけで手応えがまるで変わる。この一つの数字が遊びの命だ。速すぎれば理不尽になる。遅すぎれば退屈になる。その間のごく狭い一点に面白さが宿る。僕はその一点を指で探る。何度も走らせては数字を変える。走らせては変える。窓の外が白む。徹夜だ。気づけば朝になっている。前の生涯でも僕はこうして夜を明かした。独りで画面に向かって数字をいじって。
けれど今の徹夜は違う。
前の生涯の徹夜は終わりのない独りだった。誰も僕の作るものを見なかった。誰も待っていなかった。作り終えても見せる相手がいなかった。今は違う。机の脇に木戸への書きかけの手紙がある。今夜の進み具合を書く手紙だ。降る点が動いたと書く。速さをいじったと書く。この数字を変えたら急に面白くなったと書く。木戸はそれを読んで技術の側から返してくれる。その機械ではそこが限界だ。次の機械ならもっと点を増やせる。絵も出せる。そんな返事が来る。独りで机に向かいながら僕は独りではない。紙の上に木戸がいる。街には玩具の火がある。時代の底には同じ火を灯した無数の技術者がいる。僕はその一人だ。もう終わりの独りではない。
木戸との手紙はもう技術の相談だけではない。
二人の夢の設計図になっている。いつか本物の機械が出たらこういう遊びを作ろう。おまえが骨を組め。俺が体を面倒みる。そんな相談を紙の上で交わす。木戸はまだ会社の現場にいる。僕もまだ会社にいる。二人とも表向きは真面目な技術者だ。けれど手紙の中では二人はもう遊びを作る工房の主だ。紙の上の工房には屋号もない。人手もない。金もない。あるのは二人の頭と手だけだ。それでも僕はその紙の工房が愛おしい。前の生涯では持てなかったものだ。夢を分け合う相手。切れずに続く糸。いつか手繰り寄せる約束。
僕は掌の機械に名前のない遊びを少しずつ育てていく。
毎晩少しずつだ。会社から帰って飯を食い机に向かう。一つ数字を変える。走らせる。手応えを確かめる。また変える。牛の歩みだ。派手な進みではない。けれど確かに前へ進んでいる。頭の中の形が夜ごと少しずつ機械の上へ降りてくる。まだ貧しい。まだ幼い。それでも僕は掌の上に自分の世界を組み上げはじめている。誰にも借りない自分だけの世界を。前の生涯で独りの部屋に積み上げた器の代わりに今は掌の機械の上に遊びを積み上げていく。同じ独りの夜でも積み上げるものが違う。
時々ふと手が止まる。
舌の奥がうずくのだ。夜更けに機械へ屈み込んでいると不意にあの一杯の記憶がかすめる。もう味も匂いもはっきりとは思い出せない。ただそこに空白があるのはわかる。埋めたい空白が。作りたいものがもう一つあるという疼き。澄んだ湯と濁った湯。溶け合ってほどける一杯。けれど僕は首を振って机に戻る。今は掌の機械だ。今は遊びだ。一杯はまだずっと先だ。順番は変えない。前の生涯の記憶は日ごと薄れていく。感情の色が抜けていく。ただの古い知識になっていく。薄れても渇きだけは残る。二つの渇きが胸の底で静かに燃えている。遊びへの渇きと一杯への渇き。どちらもまだ果たされていない。
前の生涯のことを僕はもうほとんど語らない。語る相手もいない。思い出す暇もない。ただ手が覚えている。指が覚えている。舌の奥が覚えている。頭で思い出さなくても体が知っている。それでいいのだと思う。感情の湿り気が抜けて乾いた知識と渇きだけが残る。乾いた知識は道具として使いやすい。湿った思い出は前へ進むのを鈍らせる。僕は乾いていく。乾きながら前へ進む。
やがて僕は掌の機械の限界にも気づく。
この機械は貧しすぎる。表示が乏しい。覚える量が少なすぎる。頭の中の遊びをそのまま形にするにはあまりに足りない。原型を試すことはできる。片鱗を動かすことはできる。緩急の一点を探ることはできる。けれど本物を世に出すことはできない。人を夢中にさせる一つの完成した遊びを世に問うにはもっと豊かな機械が要る。画面のある機械が。文字を打てる機械が。木戸の手紙にもそう書いてある。もうすぐもっと立派な機械が世に出る。画面のついた掌の機械が。個人が家で本当の遊びを作れる機械が。それを待てとは言わない。今のうちに地肌を磨いておけ。次の機械が出たとき地肌を知る者だけが遠くまで行ける。そう木戸は書く。
僕は次の機械を待ちながら今の機械を磨き続ける。
足場はまた一段固まった。会社の給料がある。機械の技がある。掌の機械がある。木戸という糸がある。街の熱がある。そして何より夜ごとの工房ができた。手紙の上だけにあった工房が現実の工房になった。心の中の設計図が機械の上へ降りはじめた。牛の歩みでも確かに前へ進んでいる。前の生涯では持てなかったものを僕は一つずつ手にしていく。
けれど僕は知っている。
この二重の暮らしにもいつか限界が来ることを。会社の仕事の陰でこっそり夜に作るだけではいつまでも本物は生まれない。牛の歩みではいつまでも原型のままだ。本物を作るには昼も夜も遊びに注げる場所が要る。会社を離れて自分の場所を持つ日が。仲間を集めて力を合わせる日が。まだその時ではない。まだ足場が足りない。掌の機械はまだ貧しい。次の機械もまだ来ていない。けれどその日は確実に近づいている。掌の機械の上で小さな光が降るたびに僕はその日を思う。工房に灯がともった。小さな灯だ。夜だけの灯だ。次はこの灯を一日じゅう燃やせる場所を作る番だ。僕は火傷した指先で次の頁をめくる。