これではないと僕は泣いた -二度目の人生で、ゲームと一杯のラーメンを完成させるまで- 作:朝凪小夜
辞表を出した。
上役は驚いた顔をする。それから惜しむ顔をする。おまえは腕がいい。もったいない。今は世の中が沈んでいる。こんな時に堅い勤めを捨てるな。もう少し様子を見ろ。そう引き止められる。悪気のない親切だ。僕は頭を下げて礼を言う。けれど決心は変えない。世話になりました。僕には作りたいものがあります。ここでは作れないものが。上役は最後にため息をついて判を押す。夢を見るのも今のうちだぞ。そう言って笑う。憐れむような笑いだ。僕はその笑いを背に受けて会社を出る。
最後の日僕は机を片付ける。
何年も座った机だ。帳簿の機械の手順を数えきれないほど書いた机だ。同僚が寄ってくる。達者でな、と言う者がいる。もったいないと首を振る者がいる。何を始めるんだと聞く者がいる。僕は曖昧に笑って答えをぼかす。遊びの機械を作るのだとは言わない。言えばまた鼻で笑われる。僕は私物を鞄に詰めて席を立つ。振り返ると見慣れた事務所がある。真面目な機械を作る真面目な人々がいる。悪い場所ではなかった。給料をくれ技をくれ足場をくれた場所だ。感謝はある。感謝はあるが未練はない。僕の道はここから分かれる。
看板を失った途端に世界の風が冷たくなる。
大きな会社の名は温かい上着だった。着ているうちは気づかない。脱いで初めてその暖かさを知る。給料が止まる。肩書きが消える。世間はもう僕を一人前の技術者とは見ない。ただの職のない若者だ。夢を追って堅い勤めを捨てた愚か者だ。銀行も貸さない。世間も認めない。僕は裸で寒風の中に立っている。けれど不思議と怖くない。二十年余りかけて足場を固めた。蓄えがある。腕がある。何より作りたいものがある。裸でも僕は前を向いて歩ける。
それに僕は世間の物差しを信じていない。
世間は堅い勤めを安全と呼ぶ。独立を無謀と呼ぶ。けれど僕は知っている。世間の言う安全が本当の安全とは限らないことを。前の生涯で僕は世間の物差しどおりに生きて、そして独りで果てた。堅い勤めのようなものにしがみついて、作りたいものを作らずに一生を終えた。あれこそ本当の危うさだった。やりたいことをやらずに死ぬ危うさだった。僕はその危うさをもう選ばない。世間の目には無謀に見える道こそ僕にとっては安全な道だ。作りたいものを作る道だからだ。裸で寒風に立つほうが、暖かい上着を着て一生を無駄にするよりずっと安全だ。
そして僕は独りではない。
木戸から返事が来ていた。
行く、と木戸は書いてきた。たった一言だ。けれどその一言に木戸のすべてがある。木戸も勤めを辞めるという。安定した機械の会社の職を捨てて僕のところへ来るという。逡巡がなかったわけではないと木戸は書いていた。何日も眠れず考えたと。堅実な暮らしを捨てるのは怖かったと。けれど最後に決めたのはあの一言のためだと。おまえがほんとに始めたら考える。学生のころ札束を拾いながら口にしたあの保留。木戸はその保留にとうとう答えを出した。おまえが本当に始めた。だから俺も行く。
手紙には木戸の逡巡が正直に綴られていた。
安月給でも勤めは勤めだ。親も安心する。将来も見える。それを捨てて何の当てもない二人の会社へ行く。正気の沙汰ではないと自分でも思ったと。何度も筆を置いたと。けれど夜になると僕の手紙が頭に浮かんだという。弾が降る遊びの図。紙の上で膨らんでいった二人の工房。あれを紙の上だけで終わらせたくない。木戸はそう書いていた。俺は機械の体なら誰にも負けない。だがおまえのような目は持っていない。おまえの目と俺の手が揃えば本物が作れる気がする。だから賭ける。木戸の字はいつもより少し震えていた。決意の震えだった。
僕はその手紙を握りしめる。
細く垂れていた糸だった。学生の街で結ばれ何年も手紙で保たれてきた糸だった。切れそうで切れなかった糸だった。その糸を今とうとう手繰り寄せた。糸の先に木戸がいた。木戸が扉をくぐってくれた。遠山には断られた。玩具に未来はないと。木戸は違った。木戸は扉をくぐった。切れた物はまた繋がる。分かれた道はまた交わる。学生のころ冷たい廊下で一枚ずつ組み直した札束のように。順番さえ覚えていれば繋がる。僕たちの縁はずっと順番を覚えていた。
木戸が西の商都へ出てくる。
駅で再会する。数年ぶりだ。木戸は少し逞しくなっている。現場で機械の体と格闘してきた顔だ。よう、と木戸が言う。よう、と僕も返す。それだけだ。多くを語らない。語らなくてもわかる。二人とも同じ火を胸に抱えてここに立っている。手紙の中だけにあった工房をとうとう現実に建てる。そのために職も安定も捨ててここに立っている。僕たちは固い握手をする。木戸の手は機械油の匂いがする。
その匂いを嗅いで僕は安心する。
木戸は変わっていない。相変わらず機械の匂いをさせている。相変わらず機械の話になると目を輝かせる。数年の別々の現場が二人を少し逞しくしただけだ。芯は学生のころのままだ。純粋に機械を愛する男のままだ。僕たちは駅前の安い店で再会を祝う。もう手紙ではない。同じ卓を挟んで顔を合わせて話せる。紙の上でしか交わせなかった工房の話を今は声で交わせる。木戸はもう遠慮なく僕の構想に口を出す。それは無理だ。それはできる。ここはこうしろ。声で交わす工房は手紙よりずっと速い。ずっと熱い。僕たちは夜更けまで話し込む。
僕たちは小さな事務所を借りる。
商都の外れのアパートの一室だ。畳の部屋に机を二つ入れる。画面のある机上の機械を並べる。それだけだ。看板もない。人手もない。金もろくにない。あるのは机が二つと機械が数台と二人の頭と手だけだ。窓の外に運河が見える。夕方には煙突の煙が茜に染まる。粗末な部屋だ。けれど僕にはそこが城に見える。前の生涯で持てなかった城だ。独りの部屋ではない。仲間のいる工房だ。
机を運び入れた最初の夜を僕は忘れない。
二つの机を向かい合わせに置く。機械を並べて線を繋ぐ。電源を入れると画面がいくつも青白く灯る。狭い部屋がその光で満ちる。木戸が畳に胡座をかいて煙草をふかす。金がねえな、と木戸が笑う。ねえな、と僕も笑う。家賃を払えば米がやっとだ。それでも二人はどこか浮き立っている。明日からここで自分たちのものを作る。誰の許しも要らない。仕様書もない。納期もない。上役もいない。あるのは作りたいものと作る自由だけだ。貧しい自由だ。けれど僕がずっと欲しかった自由だ。青白い光の中で僕たちは遅くまで語り合う。何を作るか。どう作るか。どこまで行けるか。
僕たちは会社に名をつける。
名前は大事だ。
名前はその会社が何者かを世に告げる看板だ。僕たちは夜ごと紙に案を書き並べる。難しい横文字を並べてみる。仰々しい漢字を並べてみる。どれもしっくりこない。大きく見せようとするほど嘘くさくなる。僕たちは机が二つきりの小さな会社だ。背伸びした名は似合わない。もっと僕たちらしい名がいい。二人の間にあるものを映した名が。
いくつも案を出しては消す。ある夜ふと木戸が言う。おまえと俺は兄弟みたいなもんだな。学生のころからずっと。僕はうなずく。血は繋がっていない。けれど同じ火を分けた兄弟だ。ならば兄弟の名にしよう。西の言葉で兄弟を縮めて呼ぶ響きがある。ブロス。木戸がそれを口にする。ブロス。悪くない。僕はその響きを転がす。悪くないどころか胸が鳴る。木戸は知らない。その響きにもう一つの意味が畳まれていることを。
僕だけが知っている。
その響きは西の言葉で出汁の湯をも指す。骨を長い時間煮溶かして取る澄んだ湯を。濁った湯を。僕がいつか作りたいあの一杯の底にあるものを。ブロス。兄弟であり出汁である名。表には木戸との縁を。裏には封印した夢を。僕はその名に二つの意味をそっと畳む。木戸に告げはしない。舌の奥がまた一度うずく。けれど今は蓋をする。今はまだ機械と遊びの時だ。一杯はずっと先だ。ただ名前の中にだけ僕はその夢を忍ばせておく。いつか解く日のために。
不思議な符合だ。
兄弟という言葉と出汁という言葉が同じ響きの中に眠っている。人と人を繋ぐものと素材を煮溶かして一つにするもの。切れたものを結び直すものと、別々のものを一つの湯に融かすもの。考えてみれば同じことかもしれない。ばらばらのものを一つにする。それが兄弟であり出汁であり、そして僕の作りたい遊びでもある。単純な素材を煮溶かして別の何かにする。ばらばらの人を一つの熱に巻き込む。ブロスという名はその全部を指している気がする。僕はこの名を選んでよかったと思う。木戸は表の意味しか知らない。それでいい。裏の意味は僕だけの祈りだ。
ブロスが動きはじめた。
僕と木戸は机を並べて仕事を始める。二人の仕事の仕方はすぐに形になる。骨は僕が組み体は木戸が面倒みる。そういう切り分けではない。もっと入り混じっている。僕は設計を描きながら機械の地肌にも潜る。木戸は機械の体を知り尽くしながら僕の描く遊びの形にも口を出す。ここはこう組めば機械が軽くなる。それはこういう部品の癖を使えば速くなる。二人で一つの画面を睨んで代わる代わる手を入れる。僕が学んできたものと木戸が学んできたものが机の上で溶け合う。前の生涯で僕は何もかも独りで抱えた。今は違う。二人の頭で一つのものを組み上げる。二つの目で見ると独りでは見えなかったものが見える。
言い争いもある。
僕がこう組みたいと言えば木戸がそれは機械が嫌がると返す。木戸がこの部品を使おうと言えば僕がそれでは遊びの手触りが鈍ると返す。二人の見ているものが違うから食い違う。けれどその食い違いがいい。独りなら気づかずに突き進んだ場所で立ち止まれる。僕の描く理想と木戸の知る現実がぶつかってその間に本当に良いものが立ち上がる。前の生涯で僕は誰とも争わなかった。争う相手がいなかった。独りで決めて独りで作った。だから独りの穴に気づけなかった。今は木戸が僕の穴を教えてくれる。僕も木戸の穴を教える。二人で穴を埋め合いながら前へ進む。
僕は早いうちからある企みを仕込む。
僕たちのゲームをただ面白いだけでなく妙に気持ちよく動かす企みだ。前の生涯と大学で潜った地肌の知恵を使う。桁をそっくり裏返す小技。二つの模様を重ねて食い違うところだけを残す一手。同じ模様をもう一度重ねればきれいに消える一手。その一手で絵を描いては消し描いては消しがひどく速くなる。ちらつかない。滑らかに動く。ほかの機械では引っかかる動きがブロスの機械では水のように流れる。
この時代の機械は貧しい。
絵を動かすだけで機械は喘ぐ。ひとつ動かすたびに前の絵を消してまた描く。その消し描きが重いとちらつく。かくかくと引っかかる。多くのゲームがそれで安っぽく見える。僕はそこを地肌の小技で抜ける。消すのと描くのを同じ一手で片づける。重ねれば消え重ねれば現れるあの一手だ。前の絵をわざわざ塗り潰さなくていい。同じ模様をもう一度置くだけで前の絵が消える。手間が半分になる。半分になれば倍の速さで動く。倍の速さで動けば弾がなめらかに降る。機がきびきび動く。遊ぶ者の指と画面がぴたりと合う。その合い方が快さを生む。
この企みの妙味は誰にも見えないところにある。
遊ぶ者にはなぜ気持ちいいのかがわからない。ただ妙に手に馴染む。妙に滑らかだ。妙に速い。理由は言えない。作り手のほかの技術者にもわからない。同じ機械を使っているのになぜブロスのだけこう動くのか。彼らには読めない。地肌の奥の小技だからだ。桁を裏返し模様を重ねる目に見えない奇術だからだ。知られていない。けれど確かに効いている。僕はそういう立ち位置を作る。知られていないが妙に良い挙動をする。それがブロスの看板になる。表からは見えない看板だ。見えないからこそ真似されない。
木戸はその小技に舌を巻く。
おまえどこでこんな手を覚えたんだ、と木戸が聞く。勘だ、と僕は答える。いつもの答えだ。遠山にしたのと同じ答えだ。木戸は疑わしげに笑って、それ以上は聞かない。木戸は木戸で機械の体からその小技を裏づけてくれる。その裏返しがなぜ速いか。どの部品がそれを許すか。僕の勘に木戸の理屈が寄り添う。勘と理屈が噛み合ってブロスの奇術は固まっていく。
僕の勘と木戸の理屈は面白いほど噛み合う。
僕が桁を裏返せば速くなると勘で言う。木戸がなぜ速くなるかを機械の仕組みから説く。二人で確かめると本当に速い。僕の勘は前の生涯と大学で染みついたものだ。理由を言葉にできないまま手が知っている。木戸はその手の動きに理屈の裏づけを与える。勘だけでは危うい。理屈だけでは冴えない。勘と理屈が揃って初めて奇術は堅い技になる。前の生涯で僕は勘だけで突っ走った。裏づける相手がいなかった。今は木戸がいる。僕の勘に木戸が骨を通してくれる。おかげでブロスの技は危うい閃きではなく確かな武器になっていく。
けれど一つだけ僕の手に負えない壁がある。
速く逆をたどる計算だ。降る弾の道筋を前へ生むだけなら僕にもできる。単純な決まりから無数の道筋を生める。けれどその逆をたどるとなると話が違う。ある結果から元の道筋を高速にさかのぼる。あるいは膨大な派生をひとつの種から瞬時に生んでまた種へ畳み戻す。それを速く正しくやるには小技では足りない。深い理屈が要る。情報をどこまで縮められるかという骨の理屈が。僕はそこで詰まる。前の生涯の知識でも輪郭は見える。けれど輪郭が見えるだけだ。中を組み立てる理論が僕には欠けている。僕は作る人間であって理を掘る人間ではなかった。
輪郭だけは見える。それがかえってもどかしい。
前の生涯でこの手の理屈がどこまで伸びるかを僕は遠くから眺めてきた。膨大なものを小さな種に畳む。種から膨大なものを瞬時に開く。その理屈が世界を変えていくのを見てきた。だから輪郭は知っている。ここに宝が眠っていることも知っている。けれど宝の掘り方を僕は知らない。知っているのは宝の在り処だけだ。掘るには深い理屈が要る。数の底に潜って情報の骨を掴む理屈が。僕は作る手は持っているが掘る手を持っていない。作ると掘るは別の才だ。僕は作る側の才で戻ってきた。掘る側の才は持たずに来た。だからこの壁の前で僕は立ち尽くす。
僕はその壁を前にして一人の男を思う。
遠山。情報の骨を誰よりも深く掘る男。同じことをどこまで短く言えるかを一生の問いにした男。あの男ならこの壁を越えられる。速く逆をたどる計算も膨大な派生を種へ畳む理屈も遠山の領分だ。僕の勘では届かない場所に遠山の理屈なら届く。けれど遠山はいない。玩具に未来はないと言ってこの道を選ばなかった男だ。僕はその壁を今は脇へ置く。いつか遠山を待つしかない。この宿題は遠山のための席として空けておく。空けておけばいつか埋まるかもしれない。切れた物はまた繋がるのだから。
こうしてブロスには最初から二つの空席がある。
一つは遠山の席だ。深い理屈の席だ。もう一つは物語の席だ。僕たちが作れるのは骨と体だ。人を夢中にさせる仕組みと、それを滑らかに動かす技だ。けれど遊びにはもう一つ要るものがある。心を掴む物語だ。世界だ。誰かを泣かせ笑わせる筋書きだ。それは僕にも木戸にも作れない。僕たちは物語の作り手ではない。ブロスには物語の席も空いている。二つの空席を抱えたまま二人の会社は動きはじめる。
空席があることを僕は不安に思わない。
むしろ楽しみに思う。空いた席はいつか誰かで埋まる。深い理屈の席には遠山が座るかもしれない。物語の席には誰か見ぬ才が座るかもしれない。今はまだ二人きりだ。骨と体だけの会社だ。けれど骨と体があれば体は動きだせる。動きだせば人が集まる。良いものを作れば良い才が寄ってくる。前の生涯で僕は独りだった。席を空けても誰も来なかった。作るものを見せる相手すらいなかった。今は違う。ブロスには席がある。空いた席がある。空いているということは招けるということだ。僕はその空席を大事に空けておく。いつか来る仲間のために。
それでも僕たちは船を出す。
金も名もない。人手も足りない。空席が二つもある。世の中は油の危機で沈んでいる。誰も僕たちに期待しない。健は眉をひそめ世間は道楽と笑う。それでも僕たちは机を並べて最初の一本に取りかかる。弾が雨のように降る遊びだ。前の生涯の記憶の底にあり掌の機械で片鱗を試したあの遊びだ。とうとうそれを本物の形にする時が来た。二人でなら作れる。独りでは果てたものが二人でなら形になる。
最初の一本を僕たちは慎重に選ぶ。
派手すぎず地味すぎず。二人の小さな会社で作りきれる大きさで。それでいて僕たちの奇術がいちばん映えるもの。弾が雨のように降り注ぎそれを指先で潜り抜ける遊び。滑らかさと速さがそのまま面白さになる遊び。ブロスの隠れた技を世に問うにはうってつけの一本だ。僕はその設計図を頭の中で何度も描いてきた。掌の機械で片鱗も試した。あとはそれを木戸と二人で本物の形にするだけだ。
窓の外で運河が夕日に光っている。
粗末なアパートの一室で二人の男が画面を睨んでいる。誰も知らない小さな工房だ。けれどここから始まる。玩具と笑われる火をとうとう表通りで燃やしはじめる。長い助走は終わった。ここからは本当の勝負だ。僕は木戸の横顔を見る。木戸も僕を見て笑う。よし、やるか。やろう。
前の生涯で僕はこの瞬間を持てなかった。作りたいものを分け合う相手を持てなかった。独りで画面に向かい独りで丼を啜り独りで果てた。今は横に木戸がいる。同じ火を見る男がいる。それだけで狭い部屋が明るい。
二人の声が狭い部屋に響く。ブロスの最初の頁が開く。