これではないと僕は泣いた -二度目の人生で、ゲームと一杯のラーメンを完成させるまで- 作:朝凪小夜
光雨を抱えて僕は途方に暮れている。
良い一本だ。二人でそれは確信している。けれど良いだけでは世に出ない。作る手はある。機械の手もある。売る手がない。僕は伝手を頼りに出版社を回りはじめる。この時代の遊びは雑誌や本を出す会社を通して世に出る。手順を刷って読者に配る。磁気の帯に写して店に置く。その入口を握るのが出版社だ。だから僕は原稿を抱えて出版社の門を叩く。
けれど門は重い。
名もない二人の会社の一本など誰も相手にしない。受付で断られる。担当者に会えてもろくに見てもらえない。玩具でしょう、と鼻であしらわれる。うちは真面目な出版社です、と。子供だましに割く紙はありません、と。会社を辞めたときに浴びた笑いと同じ笑いをここでも浴びる。僕は頭を下げて回る。頭を下げるのは苦手だ。作るのは得意だが売るのは苦手だ。それでも下げるしかない。ブロスに売る手がない以上僕が下げるしかない。
何日も僕は同じことを繰り返している。
朝早く原稿を抱えて家を出る。一つの会社の門を叩く。断られる。次の会社へ回る。断られる。夕方には足が棒になっている。木戸は工房で次の一本の仕込みをしている。売るのは僕の役だ。木戸には機械を見ていてもらう。だから僕が一人で門を叩いて回る。断られ慣れるということはない。断られるたびに胸が削れる。良い一本だと知っているからよけいに削れる。作った時の悦びが門の前で少しずつ冷えていく。作る悦びと売る苦しみ。二つは同じ一本の裏表だ。僕は作る悦びだけを知って生きてきた。今初めて売る苦しみを知る。
その日も僕は一つの出版社を追い返される。
重い門を出て僕は空を見上げる。曇り空だ。売る道はどこにも見えない。良いものを持っているのに届ける先がない。前の生涯でどれほどの良いものが世に埋もれたか。あの埋もれた山に光雨も加わるのか。僕は珍しく気弱になる。そのとき門の脇にうなだれている一人の女性が目に入る。
大きな紙挟みを胸に抱えている。
薄手の外套を着た若い女性だ。門の脇の壁にもたれてうつむいている。抱えた紙挟みは分厚い。原稿だ。中身は見えないが原稿だとわかる。その立ち姿でわかる。今しがた何かを持ち込んで断られてきた者の立ち姿だ。肩が落ちている。うつむいた横顔が青ざめている。悔しさと諦めが半分ずつ滲んでいる。僕はその立ち姿に見覚えがある。鏡で見た僕自身の立ち姿だ。良いものを抱えて門の外に立たされた者の姿だ。
その紙挟みの抱え方に僕は目を留める。
乱暴に抱えていない。胸に大事そうに抱えている。断られた原稿を、それでも大事そうに抱えている。中身に自信があるのだ。自信があるのに認められない。だからうなだれている。捨てるほど諦めてはいないが持ち帰る足も重い。その宙ぶらりんの重さがその抱え方に出ている。僕にはそれがわかる。僕も同じ抱え方で光雨を抱えているからだ。自信のあるものを抱えて門に弾かれる。その苦さを僕は今まさに味わっている。だからその女性の抱え方が他人事に見えない。
僕は足を止める。
声をかけたい。けれど僕は人見知りだ。見知らぬ他人にどう声をかければいいかわからない。前の生涯でも今の生涯でも僕はいつも輪の外にいた。人へ近づく糸口をうまく掴めない。ここで黙って通り過ぎるのが僕の常だ。けれど今日は通り過ぎたくない。あの立ち姿が僕を放さない。あれは他人ではない気がする。同じ門に弾かれた仲間の気がする。
いつもの僕なら通り過ぎている。
見知らぬ女性に道端で声をかけるなど僕の柄ではない。怪しまれるに決まっている。下手をすれば逃げられる。前の生涯でも僕はこういう場面でいつも黙って通り過ぎた。声をかける勇気がなかった。かけたところで拒まれるのが怖かった。そうやって幾つの縁を通り過ぎてきただろう。独りで作り独りで死んだ生涯は通り過ぎた縁の墓場でもあった。今度は通り過ぎたくない。あの立ち姿を墓場に加えたくない。だから僕は柄にもなく足を止める。止めて頭を働かせる。どう声をかければ怪しまれずに話せるか。作るときと同じだ。糸口を一つ見つければそこから道が開ける。
僕はどう会話につなげるかを考える。
これは設計だ。人に近づくのも一つの設計だ。作るときと同じように糸口を探す。相手を怖がらせない入口はどこか。共通するものは何か。彼女が抱えているのは原稿だ。僕が抱えているのも原稿だ。同じものを抱えて同じ門に弾かれた。ならばそこが糸口だ。身の上を聞くのでも名を尋ねるのでもない。抱えているものから入る。持ち込みでしたか、と。それなら押しつけがましくない。同じ立場の者の労りとして響く。僕は頭の中で何度かその一言を組み立て直す。語順を変え角を取る。ちょうど手順を締めるように言葉を締める。人へ近づく糸口を作るのに僕はこんなにも構える。それでも今日は構えてでも近づく。
いきなり名乗るのは怪しい。天気の話は間が抜けている。抱えているもののことを聞くのがいい。彼女が抱えているのは原稿だ。僕が抱えているのも原稿だ。同じものを抱えて同じ門に弾かれた。ならばそこから入れる。僕は勇気を出して近づく。あの、と声をかける。持ち込みですか、と。
女性が顔を上げる。
警戒の目だ。当然だ。門の前で見知らぬ男に声をかけられれば誰でも警戒する。僕は慌てて自分の紙挟みを見せる。僕も持ち込みで来て断られたんです。同じ門に。だからつい。そう言い訳のように言う。女性の目から少し警戒が抜ける。そちらも、と小さく言う。ええ、と僕は頷く。玩具だと言われました。子供だましだと。女性が微かに笑う。力のない笑いだ。私は絵が弱いと言われました。話が普通だと。
そこから少しずつ言葉が続く。
彼女は漫画を描いているという。何年も持ち込んでいるという。どこへ持って行っても断られるという。名を冬野澪という。冬の野の澪と書く。僕は名乗る。ブロスという小さな会社で遊びの機械を作っています。冬野さんはしばらく僕を眺めてから、ほんの少し肩の力を抜く。同じ門の外に立つ者どうしの気安さが二人の間にわずかに生まれる。
僕は彼女の原稿を見せてもらう。
道端で紙挟みを開くのは失礼かとも思う。けれど冬野さんは疲れきっていて、もう隠すものもないという様子で紙挟みを開く。中の絵を見て僕は息を呑む。
美しい。
繊細で美しい絵だ。細い線が幾重にも重なって光と影を描いている。人物の睫毛の一本まで丁寧だ。衣の襞の一つまで生きている。遠い国の物語だ。剣と魔法のある世界だ。囚われた者を救いに行く旅の物語だ。王道の筋書き。誰もが胸を熱くする真っ直ぐな物語。その物語をこの繊細な絵が包んでいる。引き込まれていく。ページをめくる手が止まらない。
物語は一つの引き裂かれた世界を描いている。
かつて一つだった国が大いなる災いで幾つにも裂けた。人々は散り散りになり互いを忘れた。主人公は裂かれた土地を一つずつ巡り忘れられた絆を結び直していく。切れたものを繋ぎ直す旅だ。読みながら僕は奇妙な既視感を覚える。切れた物をまた繋ぐ。それは僕がずっと胸に抱えてきた形だ。原っぱの遊びも冷たい廊下の札束も木戸との縁もみなその形をしていた。生家で「これではない」と点火してからずっと僕を導いてきた形だ。冬野さんは僕と同じ形の物語を描いている。会ったばかりの人が僕の胸の底にある形をそのまま紙に描いている。僕はそのことに静かに震える。
けれど同時に僕はあるギャップを覚える。
絵と物語がどこか噛み合っていない。物語は真っ直ぐで力強い。囚われた者を救う。悪を討つ。仲間と進む。王道の熱がある。ところが絵は繊細で静かで儚い。花びらのように細い。その細い美しい絵が力強い物語を包むと、どこか釣り合わない。絵が物語に対して優しすぎる。物語が絵に対して素朴すぎる。二つは別々に見れば見事なのに一つの漫画として並ぶとわずかにずれている。そのずれが読む者に据わりの悪さを残す。
なぜどこも断ったのか僕にはわかってしまう。
冬野さんが疲れた声でそれを裏づける。中心の大きな雑誌はもっと力強い絵を求めているという。今は力の絵の時代だ。骨太で汗の匂う絵。読者を殴りつけるような絵。冬野さんの細く美しい絵はそこでは弱いと言われる。線が細い。迫力がない。ひ弱だと。かといって少女向けの雑誌も彼女を求めない。そちらはもっと柔らかな物語を求めるか、あるいは一人の世界と呼べるほど独特な絵を求める。冬野さんの物語は王道で真っ直ぐすぎる。柔らかさが足りない。絵は美しいが独特ではない。誰の絵とも違うと言えるほどの癖がない。ただ端正に美しいだけだ。
時代が絵に力を求めるのには理由がある。
世の中が豊かになり子供の数が増え少年たちが熱いものを欲しがっている。汗を流して強くなる物語。拳で道を切り開く物語。そういう熱を運ぶには力強い絵が要る。線の細い美しい絵ではその熱が運べない。だから中心の大雑誌はこぞって力の絵を刷る。読者を殴りつける絵を。一方で少女向けの世界は逆の方へ深まっている。夢のように柔らかい物語か、あるいは常識を壊すほど独特な絵か。心の奥をくすぐる何かを競っている。時代は二つの極へ分かれて走っている。力の極と夢の極へ。冬野さんの絵と物語はそのどちらの極にもない。真ん中の、端正で真っ直ぐで美しい場所にある。真ん中は今いちばん人気のない場所だ。両極が求められる時代に真ん中の正しさは古くさく見える。良いものなのに古く見える。それが時代とずれるということだ。
冬野さんは編集者たちの言葉を一つずつ僕に語る。
ある編集者はこう言ったという。絵は綺麗だ。惚れ惚れするほど綺麗だ。だがうちの読者はこんな綺麗な絵を求めていない。もっと汗と血と土埃の匂う絵を求めている。拳がぶつかる音のする絵を。君の絵は美術館には向くが少年の胸は殴れない、と。またある編集者はこう言ったという。物語はよくできている。破綻がない。起伏もある。だが優等生すぎる。真っ直ぐすぎる。うちの読者はもっと胸をかき乱すものを求めている。ひねりを。毒を。狂気を。君の物語はどこまでも品が良くて、どこにも引っかかりがない、と。またある編集者はこう言ったという。君の絵には君にしかない癖がない。美しいが誰かに似ている。この道で生き残るには誰の絵とも違う一人の世界を持たねばならない。君の美しさは正しすぎて個性がない、と。
どこにも居場所がない、と冬野さんは言う。
力強い絵を描けば話がついていかない。柔らかい話を描けば絵が浮く。独特に崩せば私でなくなる。私の持ち味は全部が今とずれているんです。絵も物語も一つ一つは褒められる。けれど今の時代のどの棚にも収まらない。褒められて、そして断られる。それを何年も繰り返してきました。もう疲れました。冬野さんはそう言ってうなだれる。
僕はその言葉を聞いて胸を突かれる。
持ち味が全部ずれている。時代のどの棚にも収まらない。それは僕がずっと感じてきたことだ。見えているのに手が届かない。良いものを持っているのに時代がそれを認めない。少し遅れて あるいは少し早く立っている感覚。冬野さんは僕の同類だ。時代に拒まれた者だ。門の外に立たされた者だ。けれど僕は知っている。彼女のずれが欠陥ではないことを。
彼女は時代に早すぎるのだ。
僕はもう一度その絵を見る。繊細で美しいファンタジーの絵。真っ直ぐな王道の物語。この二つが漫画の中で釣り合わないのは漫画が絵と物語を同じ平面に並べるからだ。同じ紙の上で絵と物語が競い合う。だから優しすぎる絵と力強すぎる物語がぶつかる。けれど別の器ならどうだろう。絵が世界を作り物語が心を運ぶ器なら。絵と物語が競い合わずに役割を分け合う器なら。
そうだ。ゲームだ。
僕の頭の中で一気に像が結ぶ。この繊細で美しい絵は遊びの世界を作るのにこの上なく向いている。遠い国。剣と魔法。囚われた者。その世界をこの絵で描けば遊ぶ者はその世界に住める。そして王道の真っ直ぐな物語は遊びの背骨にこの上なく向いている。誰もが胸を熱くする筋書き。それを遊ぶ者が自分の手で進めていく。漫画では釣り合わなかった絵と物語がゲームでは見事に噛み合う。絵は世界を作り物語は心を運ぶ。役割が分かれるから競い合わない。競い合わないから両方が生きる。冬野さんのずれはゲームという器の中で調和に変わる。
漫画は一枚の紙にすべてを載せる。
絵と物語が同じ一枚の上でせめぎ合う。だから優しい絵と力強い物語のように釣り合わない二つは互いの邪魔をする。けれど遊びは違う。遊びには層がある。奥に世界があり手前で物語が動き遊ぶ者がその間を進む。世界を描く層と物語を運ぶ層が分かれている。分かれた層でなら優しい絵は思う存分優しくていい。力強い物語は思う存分力強くていい。互いに邪魔をしない。それどころか支え合う。優しく美しい世界を真っ直ぐな物語が貫くとき、その対比がかえって胸を打つ。漫画では欠点だった対比が遊びでは魅力に変わる。冬野さんの持ち味は間違っていない。ただ平面の器に閉じ込められていただけだ。層のある器に移せば全部が生きる。ずれていたのは彼女ではない。器のほうだ。
僕は思わず前のめりになる。
冬野さん。あなたの絵と物語は漫画には早すぎたんです。けれど別の場所ならその持ち味が全部生きる。僕はそう切り出す。冬野さんが訝しげに僕を見る。別の場所。僕は頷く。遊びです。僕たちが作っている遊びの機械です。あの繊細な絵で遠い国を描いてください。あの王道の物語で遊ぶ者の胸を熱くしてください。漫画で釣り合わなかった二つが遊びの中では見事に噛み合う。僕にはそれが見えるんです。
冬野さんは長いこと黙っている。
それから力なく首を振る。遊びの機械。玩具でしょう。私は漫画を描きたいんです。子供のおもちゃの絵を描きたいわけじゃない。その声には失望と警戒がある。門の前で見知らぬ男に妙なことを吹き込まれた者の警戒だ。僕は引き下がらない。引き下がれない。ここで引き下がれば彼女はまた門の外に立たされたまま埋もれていく。彼女の才が時代の隅で朽ちていく。それを僕は見過ごせない。
僕は光雨を見せることにする。
近くの喫茶店へ誘う。怪しまれるのは承知の上だ。それでも見せたい。僕は携えていた小さな機械を卓に置く。光雨を走らせる。画面に光の雨が降る。ちらつかず滑らかに降り注ぐ。冬野さんが画面を覗き込む。訝しげな目が少しずつ変わっていく。きれい、と冬野さんが呟く。弾なのにきれい。僕は頷く。これが遊びです。ただの子供だましではありません。ここに美しい世界と真っ直ぐな物語が加わればどうなるか。冬野さんの絵と物語が加わればどうなるか。想像してみてください。
冬野さんの目に初めて光が差す。
この雨に私の絵が。この機械の中に私の世界が。冬野さんはしばらく画面を見つめている。それから僕を見る。あなたは本当にそう思っているんですか。私の絵と物語が生きると。本気で。僕は頷く。本気です。門の中の誰にも見えなかったものが僕には見える。あなたの持ち味は間違っていない。ただ器を間違えていただけだ。正しい器がここにある。
冬野さんはもう一度画面の雨を見る。
その目がさっきとは違う。訝しむ目ではない。作り手の目だ。この雨の奥にどんな世界を描けるかを測る目だ。もしこの奥に私の遠い国が広がったら。もしこの光の一粒一粒が私の描く魔法だったら。もしこの機械の中を私の主人公が旅したら。彼女の頭の中で像が結びはじめているのが僕にはわかる。何年も紙の上でしか描けなかった世界が動く器を得るかもしれない。読者がただ眺めるのではなく自らその世界を旅する。裂かれた国を自分の足で巡り忘れられた絆を自分の手で結び直す。漫画では決してできなかったことだ。
冬野さんの頬に微かに血の気が戻る。
何年も断られ続けて涸れかけていた何かがその一言で少し潤う。誰にも認められなかった持ち味を初めて正しく認められた者の顔だ。僕はその顔を見て胸が熱くなる。前の生涯で僕は同類にほとんど出会えなかった。木戸に出会い遠山に出会い、そして今、時代に拒まれたもう一人の同類に出会った。切れて散らばっていた才がブロスの周りにひとつずつ集まってくる。
考えさせてください、と冬野さんは言う。
即答ではない。当然だ。何年も追い続けた漫画の道を捨てて見知らぬ玩具の会社へ移るのだ。簡単に頷けるはずがない。けれど拒絶でもない。考えさせてくださいは開いた扉だ。遠山は断った。木戸は保留した。冬野さんは考えると言った。糸が一本また垂れる。切れてはいない。手繰り寄せる先に才がある。
僕は連絡先を渡して別れる。
帰り道で僕は空を見上げる。まだ曇っている。けれど朝より少し明るい。光雨を売る道はまだ見つかっていない。売る手はまだ足りない。けれど今日僕は売る道の代わりにもっと大事なものを見つけたかもしれない。物語の席を埋める人を。ブロスの二つの空席のうち一つが埋まりかけている。理の席はまだ空いている。それは遠山の場所だ。けれど物語の席には冬野澪という名が近づいている。
工房に戻って僕は木戸に話す。
すごい絵を描く人に出会った。時代に拒まれているが本物だ。あの人の絵と物語が加われば光雨の先が作れる。ただの弾の雨ではない。世界のある遊びが。心を運ぶ遊びが。木戸は僕の熱を面白がる。おまえがそこまで言うなら本物なんだろう、と。ブロスに三人目が来るかもしれない。骨と体に物語が加わるかもしれない。二人だけの工房が少し広くなるかもしれない。
窓の外で運河が鈍く光っている。
切れた物はまた繋がる。門の外に弾かれた者どうしが道端で出会う。時代に拒まれた才が別の器で生き返る。冬野さんがどう答えるかはまだわからない。それでも僕は確かな手応えを感じている。ブロスの周りに人が集まりはじめた。良いものを軸に人が集まりはじめた。前の生涯で僕に欠けていたのはこれだ。人だ。縁だ。その縁が今ひとつずつ結ばれていく。