これではないと僕は泣いた -二度目の人生で、ゲームと一杯のラーメンを完成させるまで- 作:朝凪小夜
崩れを越えて僕たちはとうとうそれに全力を注ぐ。
連環だ。嵐の陰で仕込み続けてきた大きな一本だ。焼け野原になった市場に少しずつ客が戻ってきた。戻ってきた客は本物に飢えている。はずればかりを掴まされた客ほど本物に飢える。その飢えた客の前に本物を差し出す。それが僕の狙いだ。だから今こそ連環に会社の総力を注ぐ。骨と体と物語の全部を注ぐ。光雨で足場を築き崩れを生き延びた。次はいよいよ僕が本当に作りたかったものを世に問う番だ。
三人の目の色が変わる。
光雨は僕たちの名刺だった。妙に気持ちよく動く弾の雨。けれどあれは骨と体だけで作れた。物語は要らなかった。連環は違う。連環には物語が要る。世界が要る。人の心を運ぶ何かが要る。だから連環こそ三人が揃って初めて作れる一本だ。骨と体と物語が全部揃わねば作れない一本だ。ブロスがこの三人で在る意味がここでとうとう試される。木戸が腕まくりをする。冬野さんが原稿の束を抱きしめる。僕は設計図の白紙を広げる。崩れを越えた三人が同じ一本に向かう。工房の空気が張りつめる。良い張りつめ方だ。
連環は大きな物語だ。
もとは冬野さんの持ち込み原稿だ。門の外で誰にも認められなかったあの物語だ。かつて一つだった国が大いなる災いで幾つにも裂けた。人々は散り散りになり互いを忘れた。主人公は裂かれた土地を一つずつ巡り忘れられた絆を結び直していく。切れたものを繋ぎ直す旅だ。その物語を僕は遊びの器で甦らせる。読むだけの物語ではない。遊ぶ者が自らその裂かれた国を巡る物語に。自らの足で歩き自らの手で絆を結び直す物語に。
冬野さんはその世界を隅々まで描いている。
裂ける前の国がどんなに美しかったか。裂けた後の土地がどんなに寂しいか。忘れられた人々がどんな顔で暮らしているか。細部までが冬野さんの頭の中にある。何年も紙の上で温めてきた世界だ。誰にも求められなくても描き続けてきた世界だ。その世界がとうとう求められる。僕は冬野さんの設定の束を読む。読むほどに引き込まれる。ここには一つの完結した世界がある。門の外で腐らせるにはあまりに惜しい世界がある。編集者たちはこれを古いと言った。真ん中すぎると言った。けれどこの真っ直ぐな美しさは遊びの器の中で少しも古びない。むしろ器を得て初めて息を吹き返す。
冬野さんの本領がとうとう全開になる。
繊細で美しい絵が世界を描く。王道の物語が筋を貫く。漫画の一枚の中では喧嘩していた二つが遊びの器の中で別々の層に分かれて手を結ぶ。奥に冬野さんの世界が広がる。手前を王道の物語が進む。遊ぶ者がその間を旅する。優しく美しい世界を真っ直ぐな物語が貫く。その対比が胸を打つ。漫画では欠点だった持ち味がここでは全部が強みになる。冬野さんは水を得た魚のように世界を描く。何年も紙の上に閉じ込められていた国がとうとう動く器を得る。
冬野さんの絵は僕と木戸を驚かせる。
乏しい器で出せる色は少ない。描ける点も粗い。それなのに冬野さんはその貧しい制約の中で世界を立ち上げる。少ない色を選び抜いて森の深さを出す。粗い点を巧みに置いて山の遠さを出す。制約を嘆くのではなく制約の中で最善を尽くす。僕たちが地肌の窮乏の中で奇術を絞り出すように冬野さんは絵の窮乏の中で世界を絞り出す。同じ精神だ。窮乏を味方につける精神だ。僕は冬野さんが本物の作り手だと確信する。時代がこの人を拒んだのは時代の目が曇っていたからだ。この人は拒まれるべきではなかった。ただ早すぎただけだ。
けれど大きな世界には大きな壁がある。
器が足りない。連環の世界は広い。裂かれた国はいくつもの土地からなる。森があり山があり街があり廃墟がある。そのすべてを乏しい器にそのまま収めることはできない。前の生涯の遠い子孫の機械なら世界を丸ごと抱えられた。今の機械はそうはいかない。覚えていられる量がごく僅かだ。広い世界を丸ごと持てば器があふれる。あふれれば動かない。
だから僕は世界を持たずに生む。
世界を丸ごと覚えるかわりに世界を生む規則だけを持つ。単純な種をいくつか置く。その種から森を生み、山を生み、街を生む。遊ぶ者がある土地に踏み込むたびに規則がその場で土地を生む。器には種と規則しか要らない。広大な世界が小さな種の中に畳まれている。単純な基底から圧倒的な派生が生まれる。ブロスの美学がここでも生きる。原っぱの遊びも光雨も連環の世界もみな同じ形だ。単純を極めて派生を極める。
僕はその種を丹念に設計する。
どんな種を置けばどんな世界が生まれるか。一つの規則をどう書けば森が自然に見えるか。山が険しく見えるか。街が賑やかに見えるか。種は単純でなければならない。単純でなければ器に入らない。けれど単純な種から生まれる世界は豊かでなければならない。単純な種と豊かな世界。その両立が設計の腕の見せどころだ。前の生涯で僕はこの手の設計を数えきれないほどやった。小さな規則から大きな世界を生む設計を。その勘が今この乏しい機械の上で存分に生きる。僕は種を一つ置くたびに世界が広がるのを確かめる。確かめては種を締める。世界が豊かになるまで締める。
種から世界を生むのは速い。
規則を前へ回せばいい。種を開けば世界が広がる。前へ前へと生むだけなら僕の地肌の技で十分に速い。世界はなめらかに立ち上がる。遊ぶ者は種の存在に気づきもしない。ただ広い国が目の前に広がっているように感じる。ここまでは順調だ。ここまでは。
問題は、逆だ。
遊ぶ者は世界を巡る。ある土地から別の土地へ移る。裂かれた国を繋ぎ直しながら進む。そのとき機械は逆をたどらねばならない。今どの土地のどの場所にいるのか。そこはどの種のどの規則から生まれたのか。元をたどってその場所を正しく組み直さねばならない。前へ生むのは速い。けれど後ろへたどるのは難しい。生まれた世界から元の種へ。結果から規則へ。その逆算を速く正しくやらねばならない。
世界を前へ生むだけなら逆算は要らない。遊ぶ者がただ前へ進むだけなら要らない。けれど連環は繋ぎ直しの物語だ。遊ぶ者は行きつ戻りつする。一度巡った土地へまた戻る。戻ったとき同じ土地が同じ姿でなければならない。前に来たときと違う森になっていては世界が嘘になる。だから機械は思い出さねばならない。この土地はどの種からどう生まれたか。それを正しく思い出してもう一度同じ姿に組み直す。前へ生むのは一度きりだが後ろへたどるのは何度も要る。行きつ戻りつのたびに要る。しかも待たせてはいけない。遊ぶ者が土地に踏み込んだ瞬間に世界がそこになければならない。速く正しく思い出す。それが逆算だ。
これが壁だ。
前へ生むのと後ろへたどるのはまるで違う。前へは規則を回すだけだ。後ろへは回した規則を解かねばならない。解くには深い理屈が要る。膨大な派生を小さな種へ正しく畳み戻す理屈。畳んで開いて、また畳む。その一往復を速く正しく何より少ないメモリで同時に満たす理屈。僕の地肌の小技では届かない。力ずくで近づけば速さが足りない。速さを取れば正しさが崩れる。正しさを取れば器があふれる。三つが同時に立たない。僕は何度も壁を叩く。叩いても硬い。
僕は輪郭だけを撫でる。
どこに答えがあるかはわかる。膨大を種へ畳む深い理屈。情報をどこまで縮められるかという骨の理屈。そこに鍵がある。けれど僕にはその鍵を作る手がない。僕は作る人間であって理を掘る人間ではない。作る側の才で戻ってきた。掘る側の才は持たずに来た。連環の逆算の壁は掘る側の才を要求する。僕にはない才を。
僕は一人の男を強く思う。
この壁は遠山の領分だ。膨大を種へ畳み種から膨大を開く。速く正しく省メモリで。それは情報の骨を掘る男の仕事だ。遠山ならこの一往復を一息に抜けるだろう。僕は思い立って遠山の消息を尋ねる。学生のころの伝手をたどる。大学へ手紙を書く。遠山は今どこにいるか。何をしているか。会えないか。
けれど影は掴めない。
遠山は院を出てさらに奥へ潜ったらしい。大きな機械の理屈のさらに奥へ。人と群れず名も表に出さずひたすらに。手紙は宛先を失ってさまよう。返事は来ない。噂の切れ端が届くだけだ。遠山はどこかで理屈の底を掘り続けている。玩具に未来はないと言ってこの道を選ばなかった男だ。その男に今僕は縋ろうとしている。皮肉な話だ。かつて僕が誘い、かつて断られた。今度は僕が壁の前でその男の理屈を欲している。けれど男はいない。掴もうとした影は指の間をすり抜ける。遠山の席は空いたままだ。
僕は諦めきれずに何度か伝手をたどる。
学生のころの同窓に聞く。誰か遠山の行方を知らないか。ある者は院で見かけたと言う。ある者は海の向こうへ渡ったと言う。ある者はもう学問をやめたと言う。噂はばらばらで一つも掴めない。遠山は霧の中へ消えてしまった。あの深夜に二人で上った暗い坂を僕は思い出す。実機の明滅を二人で読んだ夜を。誘いを断られた夜を。あのとき遠山は自分の道を選んで去った。その道の奥へ奥へと潜ってとうとう霧に呑まれた。僕がどれだけ手を伸ばしても届かない場所へ。届かないとわかっていても僕は手を伸ばし続ける。この壁を抜けられるのはあの男だけだから。
空いた席が初めて痛みを持つ。
これまで遠山の席はただの空席だった。いつか埋まればいいという楽しみの席だった。今その席が痛みに変わる。この席が埋まっていれば連環は完璧になる。逆算の壁が消える。世界がどこまでもなめらかに繋ぎ直される。けれど席は空いている。埋める男はいない。僕は空いた席を睨みながら決めねばならない。遠山を待つか。それとも遠山なしで世に出すか。
待たない。
いつ来るともしれない男を待って連環を寝かせるわけにはいかない。客は今本物に飢えている。今出さねば意味がない。前の生涯で僕は完璧を求めて足踏みし足場のないまま果てた。二度目は違う。今できることで世に出す。だから僕は遠山の理屈のかわりになる別の手を積む。厳密で速い逆算のかわりに泥臭くても確かな手を積む。
木戸がその泥臭い手を一緒に組んでくれる。
厳密な理屈は僕たちにない。ないものは仕方がない。ないなりに手持ちの技を寄せ集める。木戸は機械の体の側からその寄せ集めを支える。この表はこの部品のここに置けば速く引ける。この掛け算はこう組めば軽い。僕の泥臭い工夫に木戸が体の裏づけを与える。二人で知恵を絞る。深い理屈のかわりに僕と木戸の二人の浅い工夫を積み重ねる。深い一つがないなら浅い十で埋める。埋めきれない分は諦める。諦めた分が三割になる。それでも二人で積んだ十の工夫は連環をちゃんと動かす。
まず答えをあらかじめ刻んでおく。
実行のたびに逆算するのをやめる。かわりにあらかじめ逆算の答えを表に刻んでおく。遊ぶ者がその場に来たとき機械は計算しない。刻んでおいた表を引くだけだ。計算するかわりに思い出す。あらかじめ答えを書き込んだ帳面を引くだけにする。引くのは速い。掘るより引くほうがずっと速い。
割り算を掛け算に化かす。
この機械に速い割り算はない。割り算は重い。だから割るかわりに掛ける。あらかじめ求めておいた逆数を掛ける。何かで割りたいときはその逆数を表から引いてきて掛ける。割るのをやめて逆数を掛ける。まさに逆数の計算だ。理屈が届かない逆算を僕は泥臭い逆数の掛け算で肩代わりさせる。
小数を整数に畳む。
この機械は小数を持てない。持てないなら畳む。位を決めて小数を整数の桁の中に畳み込む。上の位を整数とし下の位を小数とみなす。そう決めてしまえば整数の器の中で小数を扱える。世界の座標も絆の重みもみなその畳んだ数で持つ。
そして粗い表を直線で繋ぐ。
表は乏しい器に収めねばならない。だから表の目は粗い。細かく刻めば器があふれる。粗く刻めば隙間ができる。その隙間を僕は直線で繋いで埋める。粗い格子の点と点の間を真っ直ぐな線で補う。厳密ではない。けれど遠目には滑らかに見える。粗い表と直線の補いでなめらかさの振りをする。
こうして速さは十分に出る。
泥臭い手を積み重ねて連環は動く。世界がなめらかに立ち上がり遊ぶ者が裂かれた国を巡れる。前へも後ろへも巡れる。速さは足りている。誰が遊んでも引っかかりを感じない。ほとんど感じない。
けれど僕だけが知っている。
これは僕の狙いの七掛けだ。表の目が粗いぶん繋ぎ目にわずかな粗さが残る。ときおり表にない値を引こうとして機械が一瞬もたつく。直線で繋いだところが本当はわずかに歪んでいる。遊ぶ者は気づかない。けれど僕は知っている。理があればこの粗さは消える。この歪みも消える。この一瞬のもたつきも消える。逆算が厳密になり世界がどこまでも正しくなめらかに繋ぎ直される。僕の狙った十割の連環になる。今のこれは七割の連環だ。
残る三割を僕は設計で覆い隠す。
繋ぎ目のもたつきを物語の区切りに見せかける。土地から土地へ移る一瞬の間を旅の休息のように見せる。粗い継ぎ目を冬野さんの絵と空気でぼかす。美しい一枚を挟んでその裏で機械が息を継ぐ。遊ぶ者は継ぎ目に気づかない。旅の情緒だと思う。僕は七割の粗さを設計と絵で三割のぶん化粧する。化粧の下の素顔を知っているのは僕だけだ。
この化粧を僕は恥じない。
七割を十割に見せる化粧だ。誤魔化しといえば誤魔化しだ。けれど遊ぶ者を欺くための化粧ではない。遊ぶ者に継ぎ目のもたつきで興を削がせないための化粧だ。作り手が己の未熟を隠すためではなく遊ぶ者の夢中を守るための化粧だ。ならばそれは誇るべき仕事だ。前の生涯で僕はこの手の化粧の名人を何人も見た。乏しい機械の粗さを設計で覆い隠す名人たちを。彼らは制約を恨まなかった。制約を化粧で越えた。僕もその一人になる。七割の素顔に三割の化粧を施して十割の夢を遊ぶ者に見せる。それが乏しい時代の作り手の矜持だ。
連環は繋ぎ直しの物語だ。
裂かれた国を繋ぎ直す物語だ。その繋ぎ直しの計算が皮肉にも七割までしか繋げない。残る三割は泥臭い手と化粧で誤魔化して繋いだふりをしている。本当に繋ぐには遠山が要る。けれど遠山はいない。だから連環の世界は七割繋がって世に出る。三割の裂け目を化粧で隠したまま世に出る。
それは僕の人生にも似ている。
僕は縁を繋いできた。木戸と繋がった。冬野さんと繋がった。故郷とも細い糸で繋がっている。切れた物をまた繋ぐ。それが僕の形だった。けれどまだ繋がっていない縁がある。遠山とは断られたきり繋がっていない。弟の健とは別々の川を流れたままだ。封印したあの一杯の夢はまだ名前の奥で眠ったままだ。僕の縁もまた七割しか繋がっていない。連環の世界と同じだ。あと三割が繋がらないまま僕は前へ進んでいる。
不思議なものだ。
作っているものと作っている自分が同じ形をしている。連環は切れた世界を繋ぎ直す物語だ。僕は切れた縁を繋ぎ直してきた人間だ。連環の世界は七割しか繋がらない。僕の縁も七割しか繋がっていない。作品が作者を映しているのか。作者が作品に滲み出ているのか。たぶん両方だ。人は自分の抱えているものしか作れない。僕は繋ぎ直しへの渇きを抱えている。だから繋ぎ直しの物語を作る。そして僕自身が繋ぎ直せずにいる三割がそのまま作品の繋がらない三割になる。隠しても滲む。作り手の抱えた欠けは作品にそのまま欠けとして現れる。冬野さんの拒まれた歳月が連環の世界の寂しさに滲むように。僕の繋がらない縁が連環の裂け目に滲むように。
連環の逆算の壁も。僕の人生の繋がらない縁も。どちらも真ん中に遠山という空席がある。あの男が戻れば壁が抜ける。連環が十割になる。そして僕の縁の一つも繋がる。空いた席と繋がらない縁が同じ形で僕を待っている。いつか埋まる日を待っている。
僕は七割の連環を抱えて前を向く。
十割ではない。それでも今できる最良だ。客はこれを本物と呼ぶだろう。崩れを生き延びた本物と。誰も七割だとは気づかない。僕だけが残る三割を胸に抱えている。その三割はいつか埋める。遠山が戻る日に。あるいは戻らなくても僕がいつか掘る手を持つ日に。今はこの七割を世に問う。裂かれた国の物語を大勢の胸に届ける。
僕は忘れない。
忘れて七割で満足してしまえば連環は七割で終わる。僕の縁も七割で終わる。だから忘れない。この三割を胸の帳面に書きつけておく。逆算の壁。遠山の空席。健との別々の川。名前の奥で眠る一杯。ぜんぶ書きつけておく。いつか埋める日のために。埋める日が来ると信じて。切れた物はまた繋がるのだから。
窓の外で運河が光っている。連環の設計図が机の上でどこまでも広がっている。