これではないと僕は泣いた -二度目の人生で、ゲームと一杯のラーメンを完成させるまで- 作:朝凪小夜
連環の仕上げは長い苦闘になる。
大きな世界を乏しい器に収める仕事だ。前へ生む規則を締める。後ろへたどる代替の手を積む。継ぎ目の粗さを化粧で隠す。冬野さんの広い世界を少ない色と粗い点に翻す。木戸が機械の体を絞り上げる。僕が骨を通す。三人がかりで一つの巨きな一本を組み上げていく。光雨とは比べものにならない大きさだ。作っても作っても終わりが見えない。何か月も先の見えない山を登り続ける。
連環は僕たちの手に余る大きさだ。
光雨は一つの画面で完結する遊びだった。弾が降ってそれを避ける。それだけだった。連環は違う。いくつもの土地がある。いくつもの人がいる。いくつもの筋が絡み合う。遊ぶ者が何十時間も潜る世界だ。その世界の隅々までを僕たちは作り込まねばならない。矛盾があってはいけない。行き止まりがあってはいけない。どこへ行っても世界が続いていなければならない。乏しい器でそれをやる。無理な注文だ。無理を承知で挑む。挑むたびに壁にぶつかる。ぶつかっては越え、また次の壁にぶつかる。終わりの見えない壁越えの日々だ。
工房の灯はいつも夜通し点いている。
三人はそれぞれの持ち場で手を動かす。木戸は機械の唸る隅で部品と格闘する。僕は数字と地肌の言葉に埋もれる。冬野さんは一枚また一枚と世界を描く。裂かれた国の森を街を廃墟を描く。言葉は少ない。けれど同じ一本へ向かう三つの手が同じ部屋で動いている。前の生涯で僕は独りの部屋で独りの手を動かしていた。今は三つの手が鳴る部屋にいる。その部屋の温もりが長い苦闘を支えてくれる。
時々木戸が手を止めて言う。俺たちえらいところまで来たな、と。
二人きりで痩せていたあの工房を思い出すのだろう。札束を落とした学生の夜を思い出すのだろう。あのころ二人だった。今は三人だ。三人で乏しい機械に広い世界を押し込もうとしている。無謀だ。けれど楽しい無謀だ。木戸の言葉に僕も頷く。えらいところまで来た。まだ先は長い。連環はまだ半分も出来ていない。それでも三人でならたどり着ける気がする。前の生涯で僕は無謀を独りで背負って潰れた。今は無謀を三人で背負っている。同じ無謀でも三人なら怖くない。
僕と冬野さんはとりわけ深く組む。
連環は物語の遊びだ。骨と物語が噛み合わねば動かない。僕が世界の仕組みを組み冬野さんがその世界に心を通わせる。僕は仕組みばかり見る。ここでこう分岐させれば遊ぶ者が迷う。ここでこう繋げば筋が締まる。冬野さんは心ばかり見る。ここで主人公はこう感じるはずだ。ここで別れがなければ再会が軽くなる。ここで一度突き放さねば繋ぎ直しが甘くなる。二人の見ているものが違う。違うから噛み合う。
僕は世界を格子として見る。
どの土地からどの土地へ道が通じているか。どこで分かれどこで合流するか。遊ぶ者がどう迷いどう抜けるか。僕の頭の中で連環の世界は道と分岐の格子になっている。冷たく正確な格子だ。澪はその格子に血を通わせる。この道を通る主人公は何を思うか。この土地で誰と出会い何を失うか。澪の頭の中で連環の世界は人の心の網になっている。温かく曖昧な網だ。冷たい格子と温かい網。二つが重なって初めて連環は生きた世界になる。格子だけでは無機質だ。網だけでは形をなさない。僕の格子に澪の網がかかって世界が立ち上がる。
最初はよくぶつかった。
僕が仕組みの都合で物語を削ろうとする。冬野さんが心の都合でそれを拒む。ここを削れば機械が軽くなる。でもここを削れば主人公の哀しみが伝わらない。僕たちは何度も睨み合う。木戸が横で苦笑する。夫婦喧嘩かと茶化す。僕も冬野さんも顔を赤くして黙る。けれどぶつかった末にいつも良いところへ落ち着く。仕組みと心の間に本当に良い形が立ち上がる。木戸と組むときと似ている。理想と現実がぶつかってその間に本物が生まれる。ただ冬野さんとのぶつかりには別の熱がある。
ある場面で僕たちはとりわけ激しくぶつかる。
物語の途中で仲間の一人が死ぬ場面だ。僕は仕組みの都合でその死をあっさり済ませたい。長く描けば機械が重くなる。遊ぶ者の足も止まる。だから短く済ませようと言う。冬野さんは頑として拒む。ここを短く済ませたら仲間の死が軽くなる。死が軽くなれば残された者の哀しみが伝わらない。哀しみが伝わらなければ最後の再会が胸を打たない。ここはどれだけ機械が重くなっても丁寧に描かねばならない。冬野さんの目が真剣だ。僕は仕組みを守りたい。冬野さんは心を守りたい。僕たちは長いこと睨み合う。やがて僕が折れる。冬野さんの言う通りだ。ここは削ってはいけない。機械が重くなる分は別のところで削る。心を守るために仕組みを工夫する。それが作り手の仕事だと冬野さんに教わる。
僕は冬野さんの見ているものに惹かれていく。
僕には見えないものを冬野さんは見る。人の心の機微だ。別れの哀しみ。再会の歓び。忘れることの寂しさ。思い出すことの痛み。僕は仕組みは作れても心は作れない。冬野さんはそれを息をするように紡ぐ。連環の裂かれた国に生きる人々に一人ずつ心を吹き込む。名もない村人にまで悲しみと願いを与える。その筆を見ていると僕は胸を打たれる。この人は本当に物語の才を持っている。時代がこの才を拒んだのは時代の罪だ。この才は拒まれるべきではなかった。
惹かれているのだと僕はやがて気づく。
冬野さんの才に惹かれている。同時に冬野さんという人に惹かれている。何年も門の外で拒まれ続けてなお筆を折らなかった芯の強さに。人の心の機微を掬い取るやわらかさに。多くを語らず静かに手を動かす佇まいに。仕事の相棒として惹かれているのか。一人の人として惹かれているのか。最初は区別がつかない。区別がつかないまま僕は冬野さんの隣にいるのが心地よくなっていく。冬野さんが世界を描く筆の音を聞いているだけで心が凪ぐ。前の生涯で僕は人にこんなふうに惹かれたことがあっただろうか。思い出せない。たぶんなかった。人に惹かれる余裕すらないまま独りで果てた。
冬野さんもまた僕の何かを見ている。
あるとき冬野さんがふと言う。二川さんはときどき遠くを見ますね。ここではないどこかを。ずっと昔のようなずっと先のような目で。僕はどきりとする。前の生涯のことは誰にも言えない。三十年より遠い記憶のことは。僕は曖昧に笑ってごまかす。そうかな。冬野さんはそれ以上聞かない。聞かないでただ僕を見る。何かを察したような目だ。けれど問い詰めない。この人は人の抱えたものを察する人だ。察して、そっとしておく人だ。門の外で長く寒さに耐えた人だからかもしれない。人の抱えた寒さがわかるのかもしれない。
別の日に冬野さんはこうも言う。
二川さんの作る仕組みはときどき怖いくらい先を見ています。まるで何十年も遊びを作ってきた人みたいに。まだ誰も作っていないものの形を、もう知っているみたいに。冬野さんはそう言って僕を見る。探る目ではない。ただ不思議がる目だ。僕は胸の奥がひやりとする。核心に近い。けれど冬野さんはそこで止める。踏み込まない。まるで僕の抱えた秘密の輪郭にそっと触れて、それ以上は触れずに手を引くように。あなたには何か大きな秘密があるのですね。冬野さんはそう言いたげだ。言いたげで言わない。言わないまま僕のそばにいる。僕はその距離の取り方に救われる。
僕はこの人になら少しだけ寄りかかれると思う。
全部は言えない。前の生涯のことは言えない。けれど言えないものを抱えたままそばにいられる相手がいる。それだけで違う。前の生涯で僕は言えないものを独りで抱えて独りで潰れた。今は言えないものを抱えたまま隣に人がいる。抱えたものを全部見せなくても隣にいられる。冬野さんはそういう相手だ。僕の三割は永遠に隠れたままだ。それでも残りの七割で確かにそばにいられる。
連環の苦闘は続く。
行き詰まる夜がある。逆算の壁がどうしても抜けない夜がある。遠山がいればと歯噛みする夜がある。そんな夜に冬野さんが茶を淹れてくれる。木戸が安い菓子を分ける。三人で狭い机を囲んで一息つく。そのひとときが僕を支える。苦しい山道の途中の小さな休息だ。前の生涯で僕は独りで山を登って独りで力尽きた。今は三人で登っている。誰かが倒れかければ誰かが支える。だから登り続けられる。
ある深夜僕と冬野さんは二人で食事に出る。
木戸は先に帰った。工房に残ったのは二人だけだ。腹が減ったなと僕が言う。冬野さんが頷く。二人で夜更けの街へ出る。開いているのは小さな中華そば屋だけだ。暖簾をくぐって並んで座る。二つの丼が運ばれてくる。湯気が二人の顔を包む。
僕は丼を前にして胸が締めつけられる。
前の生涯で僕は丼をいつも独りで啜った。独りの部屋で独りの夜に。あの丼だけが僕の慰めだった。あの丼と過ごす独りの夜が僕の生涯だった。啜って啜ってそれでも満たされず独りで果てた。今は違う。隣に冬野さんがいる。同じ湯気を浴びている。同じ丼を並べて啜っている。独りの丼ではない。二人の丼だ。舌の奥であの封印がまた疼く。夢の一杯はまだ遠い。この一杯もこれではない。けれど今夜のこれは前の生涯のどの一杯とも違う。隣に人がいる一杯だ。それだけでこの一杯は特別だ。
僕はその特別さをしばらく噛みしめる。
丼から立つ湯気の向こうに冬野さんの横顔がある。麺を啜る音がする。二人ぶんの音だ。前の生涯の丼の記憶には僕一人の音しかなかった。すするのも噛むのも飲むのも全部一人ぶんだった。あの一人ぶんの音の寂しさを僕は長いこと当たり前だと思っていた。丼とは独りで啜るものだと思っていた。違った。丼は二人でも啜れる。二人で啜れば音が二つ重なる。重なった音は寂しくない。同じ湯気を分け合い同じ熱を分け合う。ただそれだけのことが、こんなにも違う。同じ中華そばが、独りで啜るのと二人で啜るのとでまるで違う味になる。味が変わるはずがないのに変わる。隣に人がいるだけで一杯の味が変わる。
美味しいですね、と冬野さんが言う。
うまい、と僕も言う。ただの中華そばだ。夢の一杯ではない。それでも二人で啜ればうまい。冬野さんが少し笑う。その笑顔を見て僕の胸に温かいものが広がる。前の生涯で僕は丼の中にしか慰めを見つけられなかった。今は丼の向こうに人の笑顔がある。慰めは丼の中ではなく丼を挟んだ向こう側にある。僕はそれをこの歳になって初めて知る。二度目の生涯になって初めて知る。
その夜から僕は冬野さんを澪と呼ぶ。
冬野さんではなく澪と。きっかけは些細なことだ。丼を啜り終えて店を出て夜道を並んで歩いた。ただそれだけだ。それだけのことで僕たちの間の何かが変わった。冬野さんという他人行儀な壁がすっと消えた。澪。僕がそう呼ぶと澪が顔を上げる。少し驚いてそれから頷く。はい。それだけだ。多くを語らない。僕たちはどちらも多くを語らない性分だ。けれど語らなくても伝わる。この夜から僕たちは仕事の相棒であるだけではなくなる。
名前の呼び方一つで人と人の距離が変わる。
僕はそれを不思議に思う。冬野さんと呼んでいたときと澪と呼ぶようになってからとで、同じ人が違って見える。呼び方が壁だったのだ。他人行儀な呼び方が二人の間に薄い壁を立てていた。その壁が一つの呼び方で消える。澪も僕を二川さんと呼ぶのをやめる。ときどき、ただ、あなたと呼ぶ。あなた。その響きに僕はくすぐったくなる。前の生涯で僕をあなたと呼んだ人がいただろうか。いなかった。僕をあなたと呼ぶ人がこの世にいなかった。今、澪が僕をそう呼ぶ。呼ばれるたびに僕はこの世に自分の居場所ができたのを感じる。
澪と僕はゆっくりと縁を結んでいく。
派手なことは何もない。熱い言葉もない。ただ気づけばいつも近くにいる。工房で隣に座り夜更けに並んで丼を啜り朝まだきの街を二人で歩く。仕事の話が私事の話に少しずつ滲む。澪が漫画を諦めた頃の寒さを話す。僕は故郷の話を少しだけ話す。前の生涯のことは話せない。話せないなりに話せることを話す。七割の僕を澪に開いていく。澪も七割の澪を僕に開く。二人とも全部は開かない。開けない何かを互いに抱えている。それでも寄り添える。
いつ二人が本当に結ばれたのか、僕にははっきりわからない。
告白めいた瞬間はなかった。膝をついて何かを誓ったわけでもない。ただ気づけば澪は僕の暮らしの真ん中にいた。仕事の相棒がいつのまにか人生の相棒になっていた。境目のない移り変わりだった。それが僕たちらしいと思う。二人とも派手を好まない。大きな言葉を信じない。静かに積み上げていくものを信じる。連環の絆を一つずつ結び直すように、僕たちも日々を一つずつ積んで縁を結んだ。積んだ日々が気づけば二人を分かちがたく結んでいた。言葉にしなくても、僕たちはもう互いの人生の一部だった。
私生活というものを僕は初めて持つ。
前の生涯に私生活はなかった。仕事と丼と独りの部屋。それが全部だった。誰かと過ごす夜も、誰かを思う昼も、なかった。作ることと消費することの間に人がいなかった。今は違う。今は隣に澪がいる。仕事の外に暮らしがある。暮らしの中に人がいる。二度目の生涯が僕にくれた最も大きな贈り物はゲームでも会社でもないのかもしれない。この暮らしなのかもしれない。隣に人のいる暮らし。独りではない夜。それこそ前の生涯に決定的に欠けていたものだ。
暮らしは小さなことでできている。
朝に二人でめしを食う。仕事の合間に他愛ない話をする。夜に並んで帰る。休みの日にどこへも行かずただ部屋で過ごす。派手なことは何もない。前の生涯で僕が羨むことすらなかった当たり前の暮らしだ。あのころ僕は当たり前の暮らしを持つ人々を遠くから眺めていた。眺めて、自分には無縁だと思っていた。作ることと消費することしか知らない自分には無縁だと。その無縁だと思っていたものが今僕の手の中にある。当たり前の暮らしが。誰かと分け合う当たり前の時間が。僕はその当たり前を一つ一つ噛みしめる。当たり前がどれほど得難いかを前の生涯を知る僕は誰よりも知っている。
僕は時々怖くなる。
これほどの幸いを持っていいのだろうか。前の生涯で何一つ持てなかった僕が。独りで果てた僕が。仲間を持ち会社を持ち、そして今、隣に人を持とうとしている。持ちすぎではないか。いつか全部失うのではないか。前の生涯のように。けれど澪はそんな僕の怖さも察する。察してそっと隣にいる。大丈夫ですよ、とは言わない。ただ隣にいる。その静かなそばにいる力が僕の怖さを溶かす。
澪はたぶん僕の抱えた影の大きさを知らない。
僕がどれほど深い孤独から来たかを知らない。三十年より遠い場所で独りで果てた記憶を知らない。知らないまま澪は僕のそばにいる。知らなくてもいい。澪が知っているのは今の僕だ。目の前の僕だ。過去の僕の孤独を知らなくても今の僕の孤独の名残を澪は感じ取る。感じ取ってそっと寄り添う。それで十分だ。過去を全部打ち明けなくても人はそばにいられる。抱えた影を全部見せなくても人は寄り添える。僕はそのことに毎日少しずつ救われていく。前の生涯で僕は全部を独りで抱えて潰れた。今は全部を見せられなくても隣に人がいる。全部を見せずに済むことが、かえって僕を楽にする。
連環は少しずつ完成へ近づく。
裂かれた国が繋がっていく。忘れられた絆が結び直されていく。七割までしか繋がらないその世界を僕たちは化粧で十割に見せる。澪の絵が継ぎ目をぼかす。僕の設計がもたつきを旅の情緒に変える。木戸の技が機械を限界まで絞る。三人の手が一つの世界を繋ぎ直していく。作中の裂かれた国を繋ぎ直しながら、僕たち自身の縁も結ばれていく。作っているものと作っている僕たちが同じことをしている。繋ぎ直している。
澪と組んで連環を作りながら僕は妙な符合を感じ続ける。
連環は忘れられた絆を結び直す物語だ。そして澪と僕は忘れられかけていた互いの何かを結び直しつつある。澪は門の外で忘れられかけていた。誰にも求められず才が涸れかけていた。僕はもっと深いところで忘れられていた。この世界に自分の居場所がないと感じていた。その二人が出会って互いを結び直している。連環の主人公が裂かれた土地を繋ぐように、僕たちも裂かれていた互いを繋いでいる。物語と現実が同じ形で進んでいく。作りながら生き、生きながら作る。二つが分かちがたく絡み合っている。
僕はふと思う。
連環の世界は七割しか繋がらない。僕と澪も七割ずつしか開けない。遠山の席はまだ空いている。健とは別々の川を流れている。あの一杯はまだ名前の奥で眠っている。繋がらないものはまだいくつもある。それでも繋がったものがある。木戸と繋がった。澪と繋がった。見知らぬ遊び手と繋がった。前の生涯で一つも繋げなかった僕が今いくつもの縁を繋いでいる。完璧ではない。七割だ。それでも七割の繋がりは零の孤独より遥かに温かい。
窓の外が白んでいく。
澪が机に突っ伏して眠っている。木戸が椅子で船を漕いでいる。連環の世界が画面の中で静かに広がっている。僕はその光景を見つめる。前の生涯の朝はいつも独りだった。独りの部屋で独りの画面と独りの丼。今の朝は違う。眠る仲間がいる。育ちつつある世界がある。隣に澪がいる。僕は毛布を澪の肩にそっと掛ける。
この光景を守りたい、と僕は思う。眠る仲間を。育つ世界を。隣の澪を。前の生涯で僕は守るものを何一つ持たなかった。守るものがないから何も怖くなかった。何も怖くないから何も大事にしなかった。今は守るものがある。だから怖い。怖いけれど、その怖さは持つ者の怖さだ。失うものがある者の怖さだ。前の生涯の、何もない者の空虚な平穏より、この怖さのほうがずっといい。僕は守るもののある人生をとうとう手に入れた。
次の頁はもう始まっている。連環はもうすぐ世に出る。