これではないと僕は泣いた -二度目の人生で、ゲームと一杯のラーメンを完成させるまで- 作:朝凪小夜
僕はとうとう封を切る。
澪に打ち明ける。実は昔から作りたい一杯がある、と。ゲームとは別に、ずっと胸に抱えてきた一杯がある、と。ブロスという名にはその夢も畳んである、と。澪は驚かない。やっぱり、と少し笑う。あなたにはまだ何か大きな夢があると思っていました、と。その一杯を作りたいのですね。うん、と僕は頷く。長いこと蓋をしてきた。もう蓋をしていられない。澪は静かに言う。ならばやってみてください。私も手伝います。僕は胸が熱くなる。前の生涯では独りで抱えた夢を、今は分ける相手がいる。
澪はどんな一杯なのかと聞く。
僕は言葉に詰まる。うまく説明できない。澄んだ湯と濁った湯を溶かした一杯だと言う。飲むと最初は澄んでいて次に濃くなってそれからまた別の何かに変わる一杯だと。そんな一杯があるのですか、と澪が首をかしげる。まだない、と僕は言う。この世のどこにもまだない。だから作る。澪はしばらく僕を見て、それから頷く。あなたはいつもそうですね。まだこの世にないものを作る人。ゲームもそうでした。今度は一杯ですか。うん、と僕は笑う。今度は一杯だ。澪の言葉で僕は改めて思う。僕はいつも、まだない何かを追ってきた。前の生涯から二度目の生涯まで、ずっと。
僕は工房の隅に小さな台所を構える。
鍋を並べる。火を入れる。ゲームを作る会社の片隅で僕は一杯の湯を煮はじめる。若い作り手たちが不思議そうに見る。社長が何を始めたのか、と。木戸だけは事情を察している。おまえ、とうとうあれをやるのか、と。あれ、とは何かを木戸は詳しくは知らない。ただ僕が長年何かを胸に秘めていたことは知っている。やる、と僕は言う。ずっとやりたかったことをやる。
ゲームを作る会社の片隅で一杯の湯を炊く。
奇妙な光景だ。机には画面がいくつも並び、若い者たちが遊びを組んでいる。その一角で社長が鍋の前に立ち鶏を炊いている。誰もが訝しがる。社長はとうとうどうかしたのか、と。ゲーム会社がなぜラーメンを、と。僕は説明しない。説明してもわかってもらえない。ゲームとラーメンが僕の中では地続きだということを。どちらも単純な基底から圧倒的な派生を引く同じ形だということを。若い者たちには見えない。木戸にはうっすら見えている。澪には見えている。それで十分だ。僕は訝る視線を背に受けながら黙って鶏を炊く。この会社の名はブロスだ。兄弟であり出汁である名だ。ならばこの会社で出汁を炊くのは名にふさわしい。
けれどいざ作ろうとして僕は困り果てる。
あの一杯の記憶が薄れているのだ。
前の生涯で僕を慰めてくれた唯一の一杯。澄んだ湯と濁った湯が溶け合ってほどける一杯。舌の奥にその記憶があるはずだった。ずっと疼いてきたその記憶が。ところがいざ思い出そうとすると輪郭がぼやけている。味の細部が思い出せない。どんな香りだったか。どんな喉ごしだったか。はっきりとは甦らない。長い歳月が記憶を薄めていた。二度目の生涯を生きるうちに前の生涯の感情が少しずつ剥がれ落ちていた。あの一杯もいつのまにかただの遠い知識になっていた。
皮肉なことだ。
この忘却は僕を救ってきたものでもあった。前の生涯の記憶が生々しいままだったら僕は二度目の生涯を生きられなかっただろう。過去に引きずられて前を向けなかっただろう。忘れていくことで僕は今を生きられた。達成が忘却を助け、多忙が忘却を助けた。ゲームを作り会社を育て縁を結ぶうちに、前の生涯の感情は少しずつ剥がれ落ちた。剥がれてよかった。おかげで僕は前を向けた。けれど今、その忘却が仇になる。あの一杯を作ろうとして、肝心の味が思い出せない。忘れることで僕は救われ、忘れたことで僕は困っている。忘却は薬でもあり毒でもある。
残っているのは味ではなく形だ。
澄んだ湯と濁った湯を分けて取る。二つを一つに溶かす。溶かした先で全く別の味へ出る。泡になり煮凝りになり姿を変える。そういう形は覚えている。けれどその形が実際にどんな味だったかは思い出せない。設計図は残っているのに完成した絵が思い出せないようなものだ。方向はわかる。目指す先はわかる。けれど到達点の実物の味はもう手元にない。
これはゲームと同じだと僕は気づく。
僕は前の生涯のゲームをそのまま写したのではなかった。写そうにも細部までは覚えていなかった。だから僕は覚えている設計の原理だけを頼りにこの世界で一から組み直した。単純を極めて派生を極めるという形だけを頼りに。ラーメンも同じだ。あの一杯をそのまま写すことはできない。細部の味はもう覚えていない。覚えているのは形だけだ。ならばその形を頼りに一から組み直すしかない。写すのではなく再び導く。ゲームでやったことを今度は一杯でやる。
僕は構造で考える。
出汁とは何か。単純な素材から複雑な旨みを引き出す仕組みだ。鶏という単純な基底から、澄んだ湯と濁った湯という二つの派生を引く。澄んだ湯は静かに炊く。濁った湯は激しく炊く。同じ鶏から取り方一つで別の湯になる。単純な基底から圧倒的な派生。ゲームで極めた形がそのまま出汁にも通じる。僕は鶏を静かに炊いて澄んだ湯を取る。激しく炊いて濁った湯を取る。二つを並べて味を見る。
澄んだ湯と濁った湯は同じ鶏から生まれる兄弟だ。
静かに炊けば澄む。骨から旨みだけがそっと溶け出して、濁りは沈む。清らかで品のいい湯になる。激しく炊けば濁る。骨も脂も髄も、何もかもが激しく暴れて溶け合う。白く濃い湯になる。同じ素材が炊き方一つでまるで違う二つの湯になる。そしてその二つを一つに溶かしたとき、さらに別の何かが生まれる。澄みの品と濁りの濃さが一つの舌の上でほどけていく。単純な鶏という基底から、澄み、濁り、その混合そしてその先へと、派生が枝分かれしていく。僕はこの枝分かれを設計する。ゲームの世界を種から生むように、一杯を鶏から生む。頭の中では美しい枝分かれが描ける。描けるのに手がついてこない。
けれど僕の手は素人の手だ。
舌は前の生涯の味を遠くに知っている。頭は構造を知っている。けれど手が技を知らない。火の加減がわからない。灰汁の掬い方がわからない。塩梅がわからない。取った湯は濁るべきところで澄み、澄むべきところで濁る。狙った味にならない。頭でわかっていても手がついてこない。観念はあるのに作れない。この歯がゆさを僕は知っている。前の生涯で紙の上のゲームを夢見て独りでは作れなかったあの歯がゆさだ。金属を知りながら独りでは動かせなかったあの歯がゆさだ。今度は一杯の湯を前に同じ歯がゆさを味わっている。
これが三つ目の歯がゆさだ。
前の生涯で僕は三つの場所でこの歯がゆさを味わった。低い金属の場所で。作りたいゲームがあるのに独りでは組めなかった。会社という組織の場所で。作りたいものがあるのに独りでは回せなかった。そして今、台所という技の場所で。作りたい一杯があるのに独りでは炊けない。観念はある。目指すものは見えている。けれど手がそこへ届かない。頭と手の間にいつも深い谷がある。その谷を埋めるのが技だ。技は一夜では身につかない。何百回も炊いて、何千回も味を見て、手が少しずつ覚えていくものだ。僕はゲームで金属の技を身につけた。会社で組織の技を身につけた。今度は一杯で炊きの技を身につける番だ。谷を埋める番だ。
それでも僕は繰り返す。
毎晩ゲームの仕事を終えてから台所に立つ。鶏を炊く。湯を取る。味を見る。違う。また炊く。また取る。また味を見る。まだ違う。少しずつ手が湯の癖を覚えていく。火の加減が体に馴染んでいく。牛の歩みだ。けれど確かに前へ進んでいる。掌の機械で名前のない遊びを育てたときと同じだ。毎晩少しずつ。頭の中の形が少しずつ湯の中に降りてくる。
澪が時々台所を覗きにくる。
どうですか、と聞く。まだだ、と僕は答える。まだ全然だめだ。澪は湯を一口味見する。少し首をかしげる。悪くないと思いますけど。悪くない。それが問題だ。悪くないでは駄目なのだ。僕の目指すのは悪くない一杯ではない。人が一口で我を忘れるような一杯だ。ゲームで人を夢中にさせたように一杯でも人を夢中にさせたい。悪くないと駄目の間には深い谷がある。その谷はゲームでも同じだった。そこそこ面白いと死ぬほど面白いの間の谷。その谷を数字の一点で越えてきた。一杯にもきっと越えるべき一点がある。まだその一点が見つからない。僕は毎晩その一点を探して鶏を炊く。
やがて一つの壁にぶつかる。
鶏だ。良い鶏が手に入らない。
僕の目指す一杯には良い鶏が要る。澄んだ湯を澄ませ濁った湯を濃くするには、素材そのものが良くなければならない。単純な基底から圧倒的な派生を引くには、その単純な基底が確かでなければならない。基底が貧しければ派生も貧しい。ところが手に入る鶏はまちまちだ。ある日は良く、ある日は悪い。古いものも混じる。部位も揃わない。同じ鶏で炊いても日によって味が違う。素材が安定しなければ味も安定しない。
思い知る。基底がすべてを決めることを。
どれだけ炊きの技を磨いても元の鶏が悪ければ良い湯は取れない。腐りかけた鶏からは腐りかけた湯しか取れない。痩せた鶏からは痩せた湯しか取れない。技は素材を越えられない。素材の質が湯の質の天井を決める。良い湯を取るにはまず良い鶏が要る。当たり前のことだ。けれどその当たり前がいちばん難しい。良い湯の取り方はいつか手が覚える。良い鶏を毎日確かに手に入れることは手では覚えられない。それは炊きの技とは別の、供給という技だ。僕はゲームで単純な基底から圧倒的な派生を引いてきた。基底さえ良ければ派生は無限に伸びる。逆に言えば基底が貧しければ派生は頭打ちになる。連環が七掛けだったように、貧しい鶏では一杯も七掛けにしかならない。
僕は良い鶏を探し回る。
市場を回る。肉屋を訪ねる。けれど僕の欲しい鶏は簡単には手に入らない。新しくて、質が良くて、部位が揃っていて、しかも切れずに毎日届く鶏。そんな鶏を安定して供給してくれる相手がいない。僕は作り手だ。良い湯の取り方はいつか手が覚えるだろう。けれど良い鶏を安定して手に入れることは、僕一人の手には負えない。それは別の才だ。物を確かに運び確かに届ける才だ。
これはゲームと同じ形だと僕はまた気づく。
連環を作ったとき僕は逆算の壁にぶつかった。あの深い理屈の壁は遠山の領分だった。僕の作る手では届かなかった。今、鶏の壁にぶつかっている。良い素材を確かに供給する壁だ。これも僕の作る手では届かない。別の誰かの才が要る。物を運び届ける確かな才が。一杯を作るのもゲームを作るのと同じだ。僕一人では作れない。作る手だけでは足りない。供給の手が要る。理屈の手が要る。いくつもの手が揃って初めて本物ができる。
僕はその供給の手に一人の男を思う。
弟の健だ。物を運ぶ確かな仕事をしている弟。手先が器用で、重いものを黙って運ぶ弟。宴の崩れにも呑まれず物流の川を流れ続けている弟。あの健なら良い鶏を確かに運んで届けてくれるかもしれない。新しくて質の良い鶏を切れずに毎日届けてくれるかもしれない。二川の家の二つの川。ずっと別々の谷を流れてきた二つの川。その片方が今僕の一杯に必要な才を持っている。
考えてみれば奇妙な巡り合わせだ。
僕はずっと健とは違う人生を歩んできた。僕は夢を追い、健は地道に運んだ。僕は西へ発ち、健は故郷に残った。二つの川は交わることなく別々の谷を流れてきた。会えば話も合わないだろうと思っていた。ところが今僕の追い続けた夢の一杯がよりによって健の地道な仕事を必要としている。夢を追った兄が地道に運んだ弟に頭を下げることになる。夢だけでは一杯はできない。地道な供給がなければできない。夢と地道。ばらばらに流れてきた二つの川が一杯を作るためにとうとう合わさろうとしている。これも切れた物が繋がる形だ。いちばん遠くに流れていた縁がいちばん深いところで僕を待っていた。
僕はもう一つの壁にも気づいている。
澄んだ湯と濁った湯を溶かして全く別の先へ導く。泡にし煮凝りにし姿を変えて何度でも裏切る。あの一杯のいちばん深い派生の部分だ。そこには構造だけでは届かない深い理屈が要るのかもしれない。素材をどこまで引き出せるか。旨みをどこまで凝らせるか。ゲームの逆算の壁と同じ、深い理屈の壁だ。だとすればあの一杯の完成に、いつか遠山の手が要るのかもしれない。鶏の壁に健を思い派生の壁に遠山を思う。ゲームで欲しかった手が一杯でもそっくり要る。
僕は台所で湯を見ながら遠山を思う。
あの澄んだ湯と濁った湯を溶かして、全く別の先へ導く。そこには僕の構造の勘だけでは届かない領域がある。旨みの成分をどう組み合わせればどう化けるか。どの温度でどの時間炊けば何が引き出されるか。素材の奥の見えない理屈だ。それは才が掴む領域だ。僕は作る才で戻ってきた。掘る才は持たずに来た。ゲームの逆算の壁でそれを思い知った。今一杯の派生の壁でまた思い知る。僕には掘る手がない。連環を七掛けで出したように、この一杯もいつか壁にぶつかる。その壁を抜けるには遠山が要る。玩具と笑って去った、あの深く掘る男が。
不思議なものだ。
ゲームとラーメン。まるで違う二つのもの。けれど作るのに要る手はそっくり同じだ。作る手。運ぶ手。理屈の手。物語の手さえいつか一杯にも要るのかもしれない。単純な基底から圧倒的な派生を引くという形が二つに共通しているからだ。同じ形のものは同じ手を要る。僕はゲームで集めた手を、一杯でももう一度集めることになるのかもしれない。切れて別々に流れていた縁が、一杯を軸にもう一度集まろうとしている。
封を切ってよかった、と僕は思う。
壁はいくつもある。鶏の壁。理屈の壁。技の壁。まだ一杯はできていない。目指す味には程遠い。それでも僕はとうとう手をつけた。何十年も蓋をしてきた夢に。前の生涯で作れなかった一杯に。作りはじめただけで胸のつかえが少し取れる。ずっと胸の奥で疼いていたものが、とうとう動きだした。動きだせば、もう止まらない。壁があろうと僕は進む。ゲームで壁を越えてきたように、一杯の壁も一つずつ越えていく。
封を切ったことでもう一つ変わったことがある。
胸の奥にずっとあった疼きが、疼きから希望に変わった。蓋をしていた頃あの一杯はいつまでも果たせない遠い夢だった。手をつけられない夢は疼くばかりだ。疼いて疼いて、二度目の悔いになりかけていた。けれど手をつけた今、それは果たせるかもしれない夢になった。まだできていない。壁もいくつもある。それでも手をつけた夢は手をつけない夢とはまるで違う。前へ進む夢になる。一歩ごとに近づく夢になる。疼きが希望に変わる。その違いは大きい。前の生涯で僕は多くの夢を、手をつけないまま抱えて果てた。今度は違う。手をつける。果たせなくても手をつける。手をつけた夢だけが、果たされる可能性を持つ。
僕は毎晩台所に立ち続ける。
湯気が顔を包む。鶏の匂いが立つ。前の生涯でこの匂いに僕は幾度慰められただろう。独りの夜にこの匂いだけが友だった。今その匂いを僕は自分の手で立ち昇らせている。慰められる側から、慰めを作る側へ。あの一杯を貪る側から、あの一杯を生む側へ。まだ貧しい湯だ。まだ目指す味ではない。それでもこの湯気の中に僕の二度目の生涯のもう一つの夢が確かに立ち昇りはじめている。
湯を炊いていると前の生涯の夜がよく甦る。
仕事に疲れて帰り明かりもつけずに丼を啜った夜。あのころ僕はこの一杯に救われていた。救われながらもいつも思っていた。この一杯はうまい。うまいがこれではない。もっと先がある。もっと深い一杯がどこかにあるはずだ。その渇きを抱えたまま僕は果てた。渇きを満たす一杯を口にすることも、自分の手で作ることもないまま。今僕はその渇きに応えようとしている。前の生涯の自分が焦がれた一杯をこの手で立ち昇らせようとしている。前の生涯の自分に飲ませてやりたい。おまえの焦がれた一杯を、二度目の僕がとうとう作ったぞと。まだできてはいない。それでもいつか、きっと。
次に僕は弟に会いに行く。
弟に会うのは久しぶりだ。どんな顔をして会えばいいだろう。長いこと会っていない。手紙のやりとりも途絶えがちだった。僕は夢を追って故郷を離れ弟を故郷に残してきた。その負い目が少しある。今さら鶏を運んでくれと頼みに行く。虫のいい話かもしれない。断られるかもしれない。それでも僕は会いに行く。二つの川を合わせるために。夢を追った兄と地道に運んだ弟が、一杯を軸にもう一度繋がるために。健はどんな顔をするだろう。兄さんがラーメン屋を始めるのかと笑うだろうか。それとも黙って鶏を運んでくれるだろうか。会ってみなければわからない。
ずっと別々の川を流れてきた弟に。良い鶏を求めて。二つの川をとうとう合わせるために。窓の外で崩れたあとの街が静かに息を吹き返しはじめている。宴は終わり、堅いものは沈み、けれど確かなものは残った。僕はその確かなものを頼りに、次の頁へ進む。封は切られた。次は二つの川が合わさる番だ。