これではないと僕は泣いた -二度目の人生で、ゲームと一杯のラーメンを完成させるまで-   作:朝凪小夜

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第二十六話 超える

 席の埋まったブロスは僕の想像を超えていく。

 僕はずっと思っていた。遠山が来れば連環は十割になる、と。空いた三割が埋まって僕の描いた十割に届く、と。そう思っていた。ところが違った。遠山が来て、席が埋まってブロスが作りはじめたものは十割どころではなかった。十二割、十五割。僕の想像した十割そのものを軽々と過去にする高みだった。

 最初にそれを見たとき、言葉を失った。

 遠山が逆算の壁を抜いて連環を十割にした。それだけでも僕は震えた。ところが遠山は止まらなかった。十割で満足しなかった。十割の連環を見て遠山は言った。これはまだ入口だ、と。逆算がここまで速くなるならもっと広い世界が持てる。もっと深い派生が生める。もっと複雑な挙動が作れる。遠山はそう言ってさらに掘りはじめた。僕が終着点だと思った十割を遠山は出発点にした。そこから先へ、若い者たちと踏み込んでいった。生まれたものは僕の十割を遥かに超えていた。数字にすら収まらない高みだった。

 僕は自分の見誤りに気づく。

 僕は遠山の才を見誤っていた。あの男が来れば欠けが埋まると思っていた。ただ埋まるだけだと。違った。遠山の才は欠けを埋めるだけでなく僕の描いた到達点そのものを塗り替えた。僕は自分の才も見誤っていた。僕の設計は十割が上限だと思っていた。違った。揃った縁の上では僕一人の想像した上限など通過点にすぎなかった。僕は揃った縁の底を見誤っていた。前の生涯の記憶を持つ僕でさえ、自分の才と縁の底を測りきれていなかった。

 これは苦い驚きではない。甘い驚きだ。

 自分を過小評価していたわけではない。僕はむしろ自分の才を信じてきた。前の生涯の記憶を持つ僕は誰よりも遠くを見ていると思っていた。その僕が揃った縁の底を測りきれなかった。僕一人の才には確かに上限があった。けれど縁の才には上限がなかった。僕の才と、遠山の才と、木戸の才と、澪の才と、若い者たちの才。それらが噛み合ったとき、生まれるものは足し算ではなかった。掛け算だった。いや掛け算ですら足りない。一人一人の才が別の才を引き出し、引き出された才がまた別の才を引き出す。際限のない連鎖だ。その連鎖の果てを僕は見誤っていた。縁とはこれほどのものか。独りだった前の生涯の僕には想像もつかなかった。

 時代が進んで機械の窮乏が緩む。

 かつての機械はあまりに乏しかった。覚えていられる量がごく僅かだった。僕たちはその窮乏の中で戦った。窮乏を味方につけ、窮乏の中で奇術を絞り出した。狭いからこそ知恵が出た。狭いからこそ味が出た。それが僕たちの美学だった。ところが時代が進むと器が広がる。乏しかった機械が豊かになる。覚えていられる量が増える。窮乏が緩む。

 器が広がるのは良いことのはずだった。

 あれほど窮乏に苦しんだ。器が狭くて何度も泣かされた。連環を七掛けでしか出せなかったのも器が狭かったからだ。だから器が広がるのは待ち望んだことのはずだった。ところがいざ器が広がると妙な喪失感を覚える。窮乏が僕の武器だった。狭い器で奇術を絞り出すのが僕の強みだった。その窮乏が緩むと切れ味が鈍る。誰でも広い器を使えるなら僕の絞り出す技の値打ちが薄れる。僕は窮乏の子だった。窮乏がなくなると僕は少し寄る辺をなくす。

 戸惑う。

 窮乏の中で戦うことに慣れていた僕は、器が広がるとかえって手が止まる。あれほど欲しかった広い器を前にして何をどう使えばいいかわからない。窮乏の美学が体に染みついている。ところが遠山は違う。遠山は緩んだ制約を容赦なく応用する。広がった器を前提にこれまで不可能だった構築を組みはじめる。窮乏に縛られない。緩んだぶんを、惜しみなく理屈につぎ込む。

 遠山には窮乏の呪縛がない。

 遠山は窮乏の中で戦ってこなかった。堅い道の奥で深い理屈だけを掘ってきた。だから窮乏の美学に縛られない。器が広がれば、広がったぶんを当たり前に使う。惜しまない。ためらわない。緩んだ制約を、容赦なく応用する。僕ならもったいなくて使いきれない広さを、遠山は使い倒す。僕が窮乏の子なら遠山は理屈の子だ。理屈は器の広さを恐れない。むしろ広いほど深い理屈が生きる。狭い器では組めなかった理屈が広い器なら組める。遠山は広がった器を得て水を得た魚のように理屈を組みはじめる。

遠山の理屈が想像を超える挙動を生む。

 膨大な派生を種へ畳み、種から膨大を開く。かつて逆算の壁だったそれを遠山は堂々とやってのける。もう化粧で隠す必要はない。緩んだ器がその理屈を支える。支えるだけではない。遠山はその広がった器を逆に利用する。器が広がったからこそ可能な器を逆手に取る構築を組む。器が理屈を支え理屈が器を使い倒す。支えつつ、利用する。矛盾に似た土台だ。その矛盾めいた土台の上で見たこともない挙動が生まれる。

 器が理屈を支える。それはわかる。

 広い器があるから深い理屈を置ける。器は理屈の土台だ。けれど遠山のやることはそれだけではない。遠山はその広がった器の性質そのものを理屈の材料にする。器がこう広がったからここをこう畳めばもっと速くなる。器の広がり方の癖を読んで、それを逆手に取る。器に支えられながら器を利用する。支えるものを利用する。土台を材料にする。それは矛盾に似ている。土台の上に立ちながらその土台を削って使うようなものだ。普通なら崩れる。ところが遠山の理屈では崩れない。支えと利用が絶妙に釣り合う。その釣り合いの上で見たこともない挙動が踊る。

 その挙動は作り手の僕でさえ想像しえない。

 遠山の理屈と僕たちの実装と広がった器。三つが噛み合って生まれるものはもはや誰か一人の頭の中には収まらない。僕は設計図を描く。けれど描いた設計図から僕の想像を超えたものが立ち上がる。遠山の理屈が僕の設計を予想外の方へ伸ばす。木戸と若い者たちの実装がそれを形にする。広がった器がそれを踊らせる。出来上がったものを見て、僕自身が驚く。これは僕が描いたものなのか。僕が描いた種から、こんなものが生まれるのか。

 僕は自分の描いた種に驚かされる。

 種は僕が蒔いた。単純な種だ。いつものように、単純を極めた種を。ところがその種から、遠山の理屈と皆の実装と広い器を通して僕の想像を遥かに超えた世界が咲く。同じ種なのに咲くものがまるで違う。前は僕の想像した通りのものが咲いた。今は僕の想像を超えたものが咲く。種を蒔いた僕自身が咲いたものを見て初めてその可能性を知る。これが縁の力だ。僕の蒔いた種を、縁が僕の想像を超えて育てる。作り手が自分の作ったものに教わる。そんなことが起きている。僕はもう全貌を掴んでいない。掴んでいないのに、幸福だ。

 理屈だけでは動かない。

 遠山の理屈がどれほど深くても実装がなければ動かない。僕と木戸と若い者たちが理屈を地肌の言葉に翻して初めて動く。実装だけでも届かない。どれほど巧みに実装しても遠山の理屈がなければ想像を超えない。器だけでも足りない。どれほど器が広がっても使い倒す理屈と実装がなければ、ただ広いだけだ。理論と実装と器。三つが揃って初めて、この高みに届く。一つでも欠ければ届かない。

 この三つは今のブロスそのものだ。

 理論は遠山。実装は僕と木戸と若い者たち。器は時代がくれた広がり。かつてブロスには空席があった。理論の席が空いていた。その席が埋まって三つが揃った。揃った途端に全く別の会社になった。骨と体だけの会社だったブロスが、骨と体と物語と理論の全部を揃えた会社になった。揃った才が噛み合って一人では絶対に届かない高みへ昇る。僕はよく思う。もし遠山があの夜僕の誘いに乗っていたら。もっと早くこの高みに来られたかもしれない。けれど遠山は回り道をした。堅い道で沈んでそれから戻ってきた。回り道の分だけ遠山の理屈は深くなっていたかもしれない。沈んだ歳月も無駄ではなかったのかもしれない。切れていた時間もいつか実を結ぶ。

 僕はその協働の上で踊る世界を見る。

 その世界は僕の理解を超えて豊かだ。

 かつて僕は七割の粗さを化粧で隠した。隠すべき粗さがあった。今は逆だ。隠すどころか、想像を超える豊かさが溢れて収まりきらない。器が広がり、理屈が深まり、実装が磨かれて、世界がどこまでも豊かに踊る。遊ぶ者はその豊かさに溺れる。かつて連環で裂かれた国を巡った遊び手が、新しい遊びのさらに広い世界に息を呑む。あの連環が素朴に見えるほどの世界だ。僕はその世界を見て、作り手でありながら一人の遊び手のように圧倒される。これを僕たちが作ったのか。いや、僕たちが作ったのではない。揃った縁が作ったのだ。僕はその一部にすぎない。一部であることがこんなにも誇らしい。

 新しいブロスの遊びはかつての遊びとまるで違う。光雨の滑らかさも、連環の広さも、灯の静けさも、僕たちはあれを傑作だと思ってきた。ところが席の埋まったブロスが作るものは、その傑作さえ過去にする。あんなに誇った光雨が今見ると素朴に見える。あんなに苦労した連環が今なら軽々と超えられる。自分たちの傑作を自分たちで過去にする。それがどれほど幸福な過去にし方か。

 過去にされることを僕は嘆かない。

 光雨が素朴に見えても、連環が超えられても、僕は寂しくない。むしろ誇らしい。自分たちの傑作を超えられるということは、自分たちが成長したということだ。止まった者は自分の傑作を超えられない。傑作にしがみつく。あれが最高だったと過去を懐かしむ。ブロスは違う。自分たちの最高を、自分たちで塗り替え続ける。昨日の傑作が今日の踏み台になる。今日の傑作が明日の踏み台になる。過去にし続ける会社は、生きている会社だ。前の生涯で僕は一つの傑作すら作れずに果てた。今は傑作を次々と過去にしている。なんという贅沢な過去へのし方だろう。

 僕は前の生涯の記憶さえ追い越されるのを感じる。

 僕は前の生涯の設計知識を頼りにこの世界で作ってきた。前の生涯の未来をこの世界に少しずつ取り出してきた。ところが今、席の埋まったブロスはその前の生涯の記憶さえ追い越そうとしている。僕の知る未来の先へ遠山と若い者たちが踏み込んでいく。僕の記憶にない挙動が僕の目の前で生まれていく。僕が持ち込んだ未来を揃った縁が追い越していく。それを見て、打ちのめされる。同時に歓びに震える。

 前の生涯の記憶は僕のいちばん深い拠り所だった。

 三十年より遠い未来の記憶。それが僕の武器であり、地図であり、杖だった。皆が知らない未来を僕だけが知っている。だから逆を歩けた。だから先を読めた。その記憶が僕を二度目の生涯で立たせてきた。今、その記憶が追い越されていく。遠山と若い者たちが僕の記憶にない領域へ踏み込んでいく。僕の知る未来の、先の先へ。僕はもう、先を知らない。地図のない場所を皆が歩きはじめている。杖が要らなくなった。杖なしで皆が僕より速く歩いていく。僕の杖が皆の足に追い越される。

 歓び。

 僕が持ち込んだものを皆が追い越すということは、僕が独りではないということだからだ。前の生涯で僕は独りだった。僕の頭の中のものが、僕の作れる上限だった。独りの上限で果てた。今は違う。僕の頭の中のものを皆が超えていく。僕一人では絶対に届かない場所へ皆で届く。僕が種を蒔き、遠山が理を掘り、木戸が体を組み、若い者たちが形にし、そして誰も想像しなかったものが咲く。独りの上限を縁が超える。それがどれほど嬉しいことか。

 前の生涯で僕を殺したのは独りの上限だった。

 僕の頭の中にあるものが全てだった。それ以上のものは生まれなかった。生まれないまま、僕は同じところを回り続けた。作りたいものはあるのに僕一人の手では作りきれない。その閉じた円の中で僕はすり切れていった。すり切れて、独りで果てた。独りの上限は檻だった。僕はその檻の中で死んだ。今その檻がない。僕の上限が僕の檻ではなくなった。縁が檻を破ってくれた。僕一人では絶対に出られなかった檻の外へ、縁が僕を連れ出してくれた。檻の外は広い。僕の想像もつかないほど広い。その広さに僕は歓びで震える。閉じた円が開いた螺旋になった。上へ上へと果てなく伸びていく螺旋に。

 そしてその頃、僕は自分の齢に気づく。

 前の生涯で僕が果てた齢をいつのまにか越えていた。あれほど恐れた壁をいつのまにか越えていた。仕事に夢中で、一杯に夢中で、縁の広がりに夢中で、気づかぬうちに越えていた。前の生涯で僕はこの齢の壁の手前で崩れた。不摂生と孤独で、心が痩せ、体が壊れ、独りで果てた。その壁を、今の僕は越えている。越えて、なお生きている。

 越えた瞬間に何かが起きたわけではない。

 鐘が鳴ったわけでも空が晴れたわけでもない。ただある日ふと気づいた。前の生涯で果てた齢をもう過ぎていた、と。気づいたときしばらく呆然とした。越えたのか。とうとう越えたのか。前の生涯の終点を。あれほど背中に迫っていた終わりの気配がいつのまにか後ろへ遠ざかっていた。仕事に夢中で縁に囲まれて気づかぬうちに越えていた。前の生涯ではこの齢が全てだった。この齢で世界が閉じた。今の僕にとってこの齢は、ただの一つの通過点だ。澪が言った通りだった。まだこれから。あの何気ない一言が今現実になっている。

 壁の向こうは真っ白だった。

 前の生涯の記憶はこの齢で終わっている。この先の記憶はない。だから壁の向こうは真っ白だ。何もない未知の地だ。前の生涯の僕が一度も踏み込めなかった地だ。僕は今その真っ白な地に立っている。地図のない地に。前の生涯の未来という杖をもう突けない地に。

 けれど僕は怖くない。

 真っ白な地は前の生涯なら怖かっただろう。独りで未知に踏み込むのは怖い。けれど今の僕は独りではない。隣に澪がいる。木戸がいる。遠山が戻った。健の川が合わさった。数えきれない遊び手がいる。縁の網が僕を支えている。独りで踏み込む未知は恐ろしいが皆で踏み込む未知は、希望だ。真っ白な地は何を描いてもいい地だ。前の生涯の記憶に縛られない自由な地だ。

 僕は前の生涯の自分に語りかける。

 おまえはここで終わった。この齢で独りで果てた。壁の向こうを見ることなく。けれど僕はここを越えた。おまえの見られなかった真っ白な地に、今立っている。独りではなく、縁に囲まれて。おまえが独りで抱えた夢を皆で追い越しながら。おまえの果たせなかったことを二度目の僕が果たしながら。だから安心してくれ。おまえの生涯は無駄ではなかった。おまえの孤独も、悔いも、渇きも、全部今の僕の糧になっている。おまえが焦がれた場所へ僕はとうとう来た。そしてその先へ、越えていく。

 僕はもうおまえを憐れまない。

 長いこと僕は前の生涯のおまえを憐れんできた。独りで果てた哀れな男だと。おまえの孤独を僕はずっと悼んできた。灯を作ったのも、おまえへの手向けだった。けれど今はもう憐れむだけではない。感謝している。おまえがいたから今の僕がいる。おまえの孤独が僕に縁の尊さを教えた。おまえの渇きが僕に作る歓びを教えた。おまえの悔いが僕に順番を守る慎重さを教えた。おまえの果たせなかった夢が僕を突き動かしてきた。おまえは無駄に死んだのではない。おまえの生涯は今の僕の生涯の、土台になった。おまえの上に僕は立っている。だからありがとう。そしてもう、安らかに眠ってくれ。おまえの続きは、僕が生きる。おまえの越えられなかった壁の先を、僕が歩く。

 越える。

 齢を越える。前の生涯の記憶を越える。自分たちの傑作を越える。自分一人の想像した十割を越える。何もかもを越えていく。席の埋まったブロスが、その輝きで僕の描いた到達点を過去にしていくように。僕自身も前の生涯の到達点を過去にしてその先へ進む。越えた先はまだ真っ白だ。何が待つかわからない。それでいい。わからないからこそ描く甲斐がある。

前の生涯で僕は与えられたものを消費するだけだった。

 誰かの作った未来を消費するだけの生涯だった。今は違う。僕は未来を作る側にいる。しかも僕一人ではない。皆で作る。皆で前の生涯の誰も見なかった未来へ踏み込む。僕が持ち込んだ未来すら過去にして、その先の誰も知らない未来へ。消費する生涯から未来を作る生涯へ。それが二度目の生涯の最後の反転かもしれない。前の生涯の僕は未来を与えられて死んだ。今の僕は未来を作って生きる。

 窓の外で運河が光っている。

 崩れたあとの街が息を吹き返している。席の埋まった工房で皆が新しい遊びを組んでいる。僕はその真ん中で種を蒔きながら、皆に追い越されながら、歓びに震えている。前の生涯の壁を越えた。真っ白な地に立っている。次の頁は、まだ何も書かれていない。だから僕はこれから、それを書いていく。皆と一緒に。越えた先の真っ白な頁を。

 残る夢はもう一つだ。あの一杯だ。齢を越え、記憶を越え、傑作を越えた今、果たしていない夢はあと一つしかない。名前の奥に眠らせ封を切り遠山と二人で挑みはじめたあの一杯。それが完成すれば、僕の抱えてきたものはほとんど全部果たされる。真っ白な頁の、最初の一行はきっとあの一杯だ。

 

 

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