【御礼】この度、二代目・桃白白を襲名いたす運びと相成りました!! 作:拙者
年老いた男の声だった。
「ほう……どら猫とは珍しい客じゃのう」
シャオロンは反射的に身構えた。
声のした方へ視線を向ける。
石造りの建物の前。
大きな柱へ寄り掛かるように、一人の老人が立っていた。
細い身体。
長い髭。
サングラスの奥から覗く鋭い眼差し。
ただ立っているだけなのに、空気が重い。
背筋へ冷たいものが走る。
「……だ、誰だ」
老人は鼻で笑った。
「この島へ来ておいて、わしを知らんとはな」
「桃白白の連れてきたガキか」
シャオロンの耳がぴくりと動く。
「……桃白白を知ってるのか?」
「兄弟じゃ」
「……え?」
老人は顎で建物を示した。
「入れ」
「今ちょうど、その馬鹿弟もおる」
◇
建物の中は外から想像していたよりずっと質素だった。
壁には武器が並び、床は磨き上げられている。
余計な飾りは一切ない。
広い道場の中央では、二人の少年が組手をしていた。
拳が交差する。
足が唸る。
空気を裂く音だけが響く。
坊主頭の小柄な少年が、ふわりと宙へ浮いた。
次の瞬間。
もう一人の大柄な少年の背後へ回り込む。
「そこだ!」
しかし。
大柄な少年は振り向きもしない。
肘打ち。
坊主頭の身体が軽く吹き飛んだ。
「イタイ……」
「また負けた」
坊主頭の少年は頭をさすりながら笑う。
大柄な少年は息一つ乱していない。
三つ目。
異様なその額が目を引いた。
「天津飯」
老人が呼ぶ。
「どら猫が来たぞ」
三つ目の少年がゆっくり振り向いた。
鋭い目。
無駄のない立ち姿。
年は少し上だろうが、それ以上にどこか大人びて見える。
「……猫ですか?」
天津飯の視線がシャオロンの二本の尻尾で止まった。
「猫人間か」
「……悪いか」
シャオロンは二本の尻尾をゆっくり揺らした。
「おいらは、シャオロンだ」
天津飯は短く頷く。
「天津飯だ」
「こっちはチャオズ」
坊主頭の少年がにこりと笑う。
「チャオズ!」
シャオロンも思わず笑った。
ここへ来て初めて、年の近い相手と話した気がした。
その様子を見ていた老人――鶴仙人が鼻を鳴らす。
「仲良しごっこをするために来たわけではあるまい」
その声と同時に、奥の廊下から足音が響く。
コツ、コツ、コツ。
「見つけたか」
桃白白だった。
腕を組み、シャオロンを見る。
「四日半⋯⋯」
「命拾いしたな」
その一言だけだった。
褒めるでもない。
笑うでもない。
ただ事実だけを告げる。
シャオロンは胸をなで下ろした。
生き延びた。
その安堵を見透かしたように、桃白白は続ける。
「兄者」
「半年預かれ」
鶴仙人は眉をひそめる。
「ほう?」
「鍛える価値でもあったか」
「多少な」
桃白白はシャオロンを指差した。
「足は速い」
「鼻も耳もいい」
「それに頭も回る」
「だが弱い」
そう言った瞬間だった。
桃白白の姿が消えた。
「──!」
気付いた時には、指先がシャオロンの額へ触れていた。
冷たい感触。
あと数センチ押し込まれれば、頭蓋骨を貫かれていた。
「半年後」
「どどん波を撃てるようになっていなければ殺す」
シャオロンは盛大に飛び退いた。
「えぇっ!?」
「またそれかよ!」
「静かにせんか」
鶴仙人が杖で床を叩く。
「ここに居座る気なら条件がある」
「掃除」
「洗濯」
「飯は自分で調達」
「寝るのは外の小屋」
「天津飯やチャオズと同じ扱いはせん」
「文句があるなら帰れ」
シャオロンは首を横に振った。
「帰るなんて言えねぇよ……殺される」
鶴仙人は小さくため息をつく。
「まずは口の利き方から叩き直さんとな」
天津飯は静かにシャオロンを見つめていた。
(今の動きが……見えたのか?)
(手加減していたとはいえ、桃白白様の動きを目で追った……)
(思ったより面白い奴かもしれん)
こうして、シャオロンの半年に及ぶ鶴仙流での生活が始まった。
◆◆◆
当初、ここでもシャオロンは生きるだけで精一杯だった。
朝は井戸から水を汲み、掃除をする。
洗濯を終えれば薪を割り、自分の食事を探しに山へ入る。
狩場も知らない。
食べられる木の実も、山菜も分からない。
運よく魚が捕れる日もあれば、一日中腹を空かせる日もあった。
それでも日が昇れば修行場へ向かう。
鶴仙人が天津飯とチャオズへ稽古をつける時間だ。
もちろん、シャオロンは弟子ではない。
教えてもらえるわけでもない。
ただ、その場にいることだけが許されていた。
天津飯の拳。
チャオズの身のこなし。
鶴仙人の言葉。
一つ残らず目に焼き付ける。
夜になれば思い出し、一人で何度も真似をした。
できなくても繰り返す。
転んでも立ち上がる。
桃白白に追われ、何か月も走り続けた日々に比べれば、この程度どうということはなかった。
そんな日々が続いたある日だった。
「おい、どら猫」
鶴仙人が声を掛けた。
シャオロンは慌てて振り向く。
「お前、なかなか根性だけはあるようじゃな」
珍しく褒められた。
そう思った次の瞬間だった。
「じゃが、このままでは弟に殺されるぞ」
ずきりと重い事実が胸を刺す。
その通りだった。
どどん波どころか、気というものが何なのかすら分からない。
「そもそも半年でどどん波を身につけろなど、普通なら無茶じゃ」
鶴仙人は腕を組む。
「別にわしはお前が死んでも構わん」
「だが、引き受けた以上は可能性くらい示してやってもよい」
シャオロンは顔を上げた。
「本当か!」
ゴッ。
杖が頭へ落ちる。
「敬語を使え」
「……はい!」
鶴仙人は満足そうに頷いた。
「本来、人は厳しい修行を積む中で、少しずつ気を扱えるようになる」
「無茶な鍛錬を繰り返し、その無茶を当たり前に変えていく。それが武術じゃ」
「例えば素手で岩を砕く」
「針の上を歩く」
「滝に打たれる」
「最初は到底できん」
「じゃが、気を覚えればできるようになる」
シャオロンは真剣に聞いていた。
「じゃがお前には時間がない」
鶴仙人は静かに目を閉じる。
「人は立つ、歩く、踏ん張る。それすら無意識に気の助けを借りておる」
「わしはその流れだけを乱す」
「名付けて――乱気法じゃ」
天津飯が表情を変えた。
「鶴仙人様……まさか」
「うむ」
「この猫だけに念波を送り続ける」
「気の流れを乱し続ければ、立つことすらままならん」
「掃除も洗濯も飯の支度も、全部そのままじゃ」
「手は貸さん」
「できねば死ぬ」
「それだけの話じゃ」
チャオズが心配そうにシャオロンを見る。
「シャオロン……」
シャオロンは迷わなかった。
「⋯⋯おいら、やる!」
「やるじゃなく、やります、だ」
「……はい、やります!」
「よかろう」
鶴仙人は静かに目を閉じた。
徐々に鶴仙人の周囲の空気が変わり、それが広がってゆく。
目には見えない何かが、ゆっくりとシャオロンだけを包み込む。
「ぐっ……!」
突然、膝から力が抜けた。
立てない。
手も足も、自分の身体ではないようだった。
「シャオロン!」
チャオズが駆け寄ろうとする。
「来るな」
天津飯が腕を伸ばして制した。
「鶴仙人様の念波だ」
「シャオロンだけの気を乱している」
「無理に触れば、お前まで巻き込まれるかもしれん」
「どうじゃ、やめるか?」
シャオロンは歯を食いしばる。
「や……やめねぇ……」
「乱されてるなら…どこかにあるはずだ…」
「この変な感覚の中に…おいらの気が…!」
震える腕で地面を押す。
ゆっくりと膝立ちになる。
鶴仙人の眉がわずかに動いた。
(ほう……)
(根性だけか……)
シャオロンは荒い息を吐きながら、小さく呟いた。
「……変化」
黒い光が身体を包む。
次の瞬間、大きな黒猫へ姿を変えた。
四本の足で地面を踏み締める。
「……こっちの方が……少し楽だ」
チャオズは目を丸くした。
「シャオロン、本物の猫になっちゃった!」
鶴仙人は小さく笑う。
「ほう……面白い」
「弟が拾ってきた理由が分かったわい」
そう言うと、鶴仙人から発せられるプレッシャーが収まっていく。波長を合わせ終えたため出力を下げても問題なく術が継続していた。
その様子を見て天津飯は静かに口を開く。
「鶴仙人様」
「数日は食事を分けてもよろしいでしょうか」
鶴仙人が横目で睨む。
「情でも湧いたか」
「……いえ」
「超能力が本領のチャオズだけでは組手の相手になりません」
「シャオロンが強くなれば、おれにとっても都合がいいだけです」
鶴仙人はニヤリと笑った。
「⋯⋯一理あるな」
「よかろう」
「三日じゃ」
「その間だけは天津飯たちと同じ飯を食わせてやる」
「四日目からは自分で狩れ」
「その頃には立てるようになっておらねば話にならん」
「ありがとうございます」
チャオズは嬉しそうに猫の姿のシャオロンを抱き上げた。
「シャオロン、ご飯持ってくるね!」
―半年。
桃白白に殺されるか。
それとも、生き延びるだけの力を手に入れるか。
シャオロンの、本当の修行が始まった。