【御礼】この度、二代目・桃白白を襲名いたす運びと相成りました!! 作:拙者
その日から三日間。
シャオロンは天津飯たちと同じ食事を与えられ、雑用も免除された。
その三日間、シャオロンはほとんど動かなかった。
ただ座る。
目を閉じる。
乱される身体の感覚だけを探り続ける。
(どこだ……)
(何が、おいらを邪魔してる)
何度も意識が途切れる。
それでも考え続けた。
一日目。
乱される感覚だけが、ほんの少し分かるようになった。
二日目。
その乱れに逆らわず、少しだけ身体へ力を伝えられるようになった。
三日目。
人の姿でも、壁へ手をつけば立てるようになった。
猫の姿なら、ゆっくり歩くこともできた。
四日目。
約束通り、雑用が始まる。
井戸から水を汲む。
掃除をする。
洗濯をする。
薪を割る。
そして山へ入り、自分の食料を探す。
まだ獣を狩る余裕はない。
だから猫の姿になって歩き回り、木の実や果物を集めた。
乱気法のせいで思うように身体は動かない。
転ぶ。
落ちる。
水桶をひっくり返す。
それでも、昨日より少しだけ上手く動ける。
(無駄だ……)
(この動き、無駄が多い)
身体が思うように動かないからこそ、小さな無駄がよく分かった。
腕の振り。
重心。
足運び。
力の入れ方。
ほんの少し違うだけで、驚くほど身体が軽くなる。
夜になると、シャオロンは一人で道場へ向かった。
誰もいない。
昼間見た天津飯の型を思い出す。
一歩。
二歩。
拳。
蹴り。
何度も繰り返す。
天津飯ほど速くはない。
綺麗でもない。
それでも昨日の自分より、確実に近付いていた。
そんな毎日が続いた。
一週間。
二週間。
一か月。
夜明け前の修練場。
シャオロンは、ゆっくりと拳を構えた。
すう、と息を吸う。
踏み込む。
拳を突き出す。
止まることなく、次の一歩。
身体は驚くほど自然に動いていた。
乱気法は今もなお続いている。
足は重い。
腕も思うようには振れない。
それでも最初の頃のように転ぶことはなくなっていた。
必要な力だけを使い、必要な分だけ身体を動かす。
そうしなければ、乱された気に身体を振り回されるからだ。
今ではそれが当たり前になっていた。
少し離れた場所では、天津飯が静かにその様子を見ている。
何も言わない。
ただ見ているだけだった。
シャオロンは気付いていない。
天津飯の型は、この一か月で少しずつ変化していた。
わずかに踏み込みを変え。
腰の切り方を変え。
拳の軌道を変える。
そして翌日の夜には、シャオロンもまた同じように修正している。
教えた覚えはない。
それでも盗んでいく。
天津飯は小さく口元を緩めた。
その日の修行が終わる頃。
鶴仙人がゆっくりと立ち上がった。
「どら猫」
シャオロンはすぐに振り返る。
「はい!」
「ここへ来い」
恐る恐る近寄る。
鶴仙人は杖へ両手を乗せたまま、静かに頷いた。
「一か月」
「思っていたより早かったの」
シャオロンは首を傾げる。
「何が……ですか?」
「身体じゃ。」
「乱気法の中で動けるようになった」
「それだけではない」
「無意識に、自分の気へ意識を向けられるようになっておる」
シャオロンは自分の胸へ手を当てた。
確かに。
以前とは何かが違う。
目には見えない。
だが身体の奥底に、温かな流れのようなものを感じる。
「……これが」
「気……」
鶴仙人は静かに笑った。
「ようやく入口へ立っただけじゃ」
「勘違いするでないぞ」
「これから先の方が、何倍も苦しい」
そう言うと、鶴仙人は静かに目を閉じた。
次の瞬間だった。
シャオロンの身体を締め付けていた重苦しさが、音もなく消えた。
「……え?」
思わず一歩踏み出す。
その瞬間。
「うわっ!」
身体が思った以上に前へ飛び出した。
慌てて着地しようとする。
だが勢いを殺し切れず、そのまま地面を転がった。
天津飯が目を細める。
「乱気法が……」
「解除された」
シャオロンはゆっくり立ち上がる。
軽い。
あまりにも軽い。
腕を振る。
風が鳴る。
跳ぶ。
今まで届かなかった木の枝へ、一息で飛び乗っていた。
「すごい……!」
「身体が勝手に動く!」
チャオズが嬉しそうに拍手した。
「シャオロン、速くなった!」
鶴仙人は鼻で笑う。
「違う」
「元に戻っただけじゃ」
「乱された状態で一か月生き抜いた結果、本来のお前が底上げされた。」
「ここからが本当の修行じゃ」
シャオロンは真剣な表情で頷いた。
「はい!」
「では試してみい。」
鶴仙人は一本の枯れ枝を地面へ突き立てた。
「指先へ気を集めるのじゃ」
「どどん波を撃とうなどと思わんでよい」
「まずは集める」
「それだけでよい」
シャオロンは人差し指を立てる。
目を閉じる。
身体の奥を流れる温かな感覚。
それを少しずつ、少しずつ指先へ集めていく。
最初は散ってしまう。
何度やっても集まらない。
汗が額を伝う。
呼吸を整える。
焦らない。
乱気法の一か月で覚えたことは一つ。
力任せでは、気は応えてくれない。
静かに。
丁寧に。
意識を重ねる。
その時だった。
指先へ小さな光が灯る。
米粒ほどの淡い輝き。
ほんの一瞬だった。
それでも確かに、そこへ気が集まっていた。
「……できた」
シャオロンは目を見開く。
「できた!」
チャオズが飛び跳ねる。
「やったね!」
鶴仙人は静かに頷いた。
「うむ」
「まだどどん波には程遠い」
「じゃが、お前はようやく武の入口へ立った」
「今日からは身体だけではない」
「気も鍛えろ」
そう言って鶴仙人は天津飯へ視線を向けた。
「天津飯」
「はい」
「今日から組手にも付き合ってやれ」
天津飯は静かに頷き、シャオロンの前へ歩み出た。
「手加減はしない」
シャオロンは笑う。
「望むところだ」
鶴仙流での修行は、この日を境に新たな段階へと進み始めた。
◇
それから最初の組手が始まった。
天津飯は静かに前へ出る。
シャオロンも一歩踏み出し、拳を構えた。
「よろしく頼む」
「……よろしく」
次の瞬間だった。
シャオロンが地を蹴る。一気に間合いを詰め、拳を放つ。
天津飯は紙一重でかわした。
(速い)
そう思ったのも束の間、シャオロンの蹴りが横から飛んでくる。
天津飯は受け止める。
速い、が組み立てが荒い。身体が流れている。
「隙だ」
天津飯の拳が鳩尾へめり込む。
「ぐっ!」
息が止まる。
体勢を崩したところへ足払い。
シャオロンは地面へ叩きつけられた。
それでもすぐに跳ね起きる。
もう一度飛び込む。
今度は左右へ細かく動きながら距離を詰めた。
だが天津飯は慌てない。
最小限の動きだけで攻撃をかわし、必要な時だけ拳を打つ。
数分後。
勝負は決していた。
「参った……」
息を切らしたシャオロンがその場へ座り込む。
天津飯は手を差し伸べた。
「速さは十分だ」
「でも動きが真っ直ぐすぎる」
「当てることばかりに気を取られて十分に体重が乗っていない」
「次の動きを相手を見てから考えている」
「それじゃ遅い」
「考える前に体が動くようになれ」
シャオロンはその手を掴んで立ち上がる。
「分かった」
その日から天津飯は、暇を見つけては組手の相手をしてくれるようになった。
◇
数日後。
「仕事じゃ」
鶴仙人が三人を呼び集めた。
「北の山に盗賊が住み着いた」
「皆殺しにしてこい」
それだけだった。
三人は山へ向かう。
道中、天津飯が地図を確認しながら言う。
「まず見つける」
「見つからなければ戦いにならん」
シャオロンは鼻をひくつかせた。
「煙の匂いがする」
「人間が十人……いや十二人」
「酒も飲んでる」
天津飯が小さく笑う。
「頼りになるな」
夜。
シャオロンは黒猫へ変化すると、音もなく岩場を駆け上がった。
二本の尻尾が揺れる。
焚き火を囲む盗賊たち。
武器の置き場所。
見張りの位置。
逃げ道。
すべて確認して戻る。
「裏に二人」
「正面に四人」
「洞窟の中に六人」
天津飯は頷いた。
「十分だ」
「行くぞ」
その夜、盗賊団は壊滅した。
天津飯の拳が岩を砕き、チャオズの超能力が敵の動きを止め、シャオロンは暗闇から飛び込み、一人また一人と倒していく。
戦いは十分とかからなかった。
戦いが終わると、鶴仙人の言葉どおり盗賊たちの金品を回収する。
袋いっぱいの金貨。
宝石。
武器。
シャオロンは少し複雑な顔をした。
「全員殺す必要はあったのか?」
天津飯は当然のように答える。
「こんな田舎では警察も刑務所もない」
「生かしたとてまた繰り返す」
「だから殺して根を断つ」
「それが依頼内容だ」
「それに俺たちが学んでいるのは殺しの技術だ」
「鶴仙流を修めるなら殺しに疑問を持たないことだ」
シャオロンは黙って俯く。
スリで捕まっても殴られるだけで済ませてもらっていた。
一歩間違えば、自分もここで斬り捨てられる側だったのかもしれない。
それこそ桃白白という最悪の虎の尾を踏みながら、気まぐれで生かされている。
そう思うと、背筋が冷たくなった。
◇
それからの日々は、あっという間だった。
朝は掃除と洗濯。
山へ入り、自分の食料を集める。
昼は基礎鍛錬。
午後は天津飯との組手。
仕事が入れば盗賊討伐や護衛へ向かう。
夜は一人で反復練習し、天津飯の動きを思い出しながら何百回、何千回と拳を振る。
やがて指先へ気を集められる時間が少しずつ長くなった。
どどん波はまだ小さい。
岩を砕くこともできない。
それでも確かに放てるようになっていた。
太陽拳も形だけは覚えた。
ある晩。
修行を終えたチャオズが小さく手招きする。
「シャオロン」
「こっち」
「どうした?」
チャオズは周りを見回してから小声で言った。
「飛ぶ練習」
「鶴仙人には内緒」
「舞空術か!?いいのか?」
「うん」
「気を足じゃなくて体全部で」
最初は身体が軽くなる程度。
それを何度も繰り返す。
踵を浮かせては下ろす。
何十回も繰り返すうちに疲れ果て寝る。
そんな毎日を積み重ねるうちに、天津飯との組手にも変化が現れる。
以前は一方的に叩き伏せられていた。
今では十回戦えば一回。
勝てる日が出てきた。
天津飯も隠さず笑う。
「強くなったな」
「まだ負けねぇぞ」
「そのうち追い越してやる」
シャオロンも笑って答えた。
気付けば半年という月日は過ぎていた。
このまま楽しく修行を続けられればと思っていたある日の朝。
島全体へ、見覚えのある気配が降り立つ。
空を裂くような風音。
シャオロンは薪を割る手を止めた。
耳がぴくりと動く。
鼻が、その匂いを捉える。
「ついに……来た」
忘れるはずがない。
世界一の殺し屋。
桃白白が、シャオロンを迎えに来た。