【御礼】この度、二代目・桃白白を襲名いたす運びと相成りました!! 作:拙者
気付けば半年という月日が流れていた。
乱気法を乗り越え、気を知り、組手を重ね、実戦を経験した。
天津飯に勝てることも少しずつ増え始めていた。
この日々が、ずっと続くような気さえしていた。
――そんなある朝だった。
ゴォォォォ……
空気が震えた。
島全体を揺らすような重い風圧。
木々が一斉にざわめき、鳥たちが驚いて飛び立つ。
薪を割っていたシャオロンの耳がぴくりと動いた。
鼻先を撫でる風。
その匂いを嗅いだ瞬間、全身の毛が逆立つ。
「……来た」
忘れるはずがない。
あの日から何度も追い続けた匂い。
世界一の殺し屋――桃白白だった。
次の瞬間。
ドンッ!!
庭へ人影が降り立つ。
着地しただけで地面がひび割れ、小石が跳ね上がる。
白い道着。
長い弁髪。
腕を組み、半年ぶりに会うシャオロンを静かに見つめていた。
「久しいな」
シャオロンは思わず姿勢を正す。
「お、お久しぶりです!」
桃白白は返事をしない。
頭の先から足先まで眺めるように視線を走らせる。
「……少しは見られる顔になったか」
その一言だけだった。
褒められたのかどうかも分からない。
だが、以前のような「ガキ」と見下した視線とは少し違う。
その変化だけで十分だった。
建物から鶴仙人が姿を現す。
「来たか、弟よ」
「ああ」
「どれ、出来栄えを見に来た」
桃白白はシャオロンから目を離さない。
「どどん波は撃てるな」
「……はい」
「形だけなら」
「結構」
桃白白は庭の中央へ歩いていく。
「来い」
短い命令だった。
シャオロンは息を呑み、その後ろへ続く。
天津飯とチャオズも道場から出てくる。
二人とも、いつもの組手を見るような表情ではなかった。
張り詰めた空気。
天津飯は静かに鶴仙人へ尋ねる。
「鶴仙人様……」
「まさか」
鶴仙人は腕を組んだ。
「見ておれ」
それ以上は何も言わない。
庭の中央。
桃白白はゆっくり振り返った。
「指を出せ」
シャオロンは言われるまま右手を前へ出す。
「どどん波は気を一点へ集め、解き放つ技」
「無駄な力は要らん」
「要るのは精度だけだ」
そう言って、自らも人差し指を立てた。
その姿を見ただけで、シャオロンの喉が鳴る。
見慣れた構え。
何百回も真似した構え。
だが本物は違う。
ただ立っているだけなのに、空気そのものが張り詰めていく。
「兄者」
桃白白は視線を動かさないまま言った。
「少々庭を壊す」
「好きにせい」
鶴仙人は小さく笑う。
「どうせ壊れても天津飯が直す」
「……鶴仙人様」
天津飯が苦笑した。
だが、その目は一瞬たりとも桃白白から離さない。
桃白白はシャオロンを見据えた。
「これから私がどどん波を放つ」
シャオロンはごくりと唾を飲み込む。
「避けるな」
「……はい」
「相殺しろ」
一瞬、意味が理解できなかった。
「え……?」
「聞こえなかったか」
桃白白の目が細くなる。
「私のどどん波を、お前のどどん波で相殺しろ」
シャオロンの顔色が変わる。
「む、無茶です!」
「おいらのどどん波なんて、岩もまともに砕けないんですよ!?」
「だからどうした」
桃白白の声は変わらない。
「私が加減する」
「それでも死ぬなら、その程度だったということだ」
静まり返る庭。
チャオズは思わず天津飯の袖を掴んだ。
「天津飯……」
天津飯は何も答えない。
ただ拳を強く握る。
シャオロンは震える手を見つめた。
半年。
走り続けた日々。
乱気法。
天津飯との組手。
盗賊との実戦。
チャオズとの舞空術。
すべては、この日のためだったのか。
桃白白が静かに言う。
「最後に一つだけ教えてやる」
その声には、一切の感情がなかった。
「避けても構わん」
シャオロンは思わず顔を上げる。
だが、その次の言葉で全身が凍りついた。
「その瞬間、お前を殺す」
逃げ道はない。
真正面から受け止めるしかない。
桃白白はゆっくりと人差し指を持ち上げた。
指先へ、光が静かに集まり始める。
最初は小さな火種ほどだった。
それが一瞬ごとに濃くなり、鋭くなり、空気を震わせる。
ビリビリと肌が痺れる。
息苦しい。
まだ放ってもいない。
それなのに、シャオロンの本能は悲鳴を上げていた。
(違う)
(今まで見てきたどどん波とは……全然違う)
桃白白は、ほんのわずかに口角を上げた。
「安心しろ」
「十分手加減してやる」
その笑みが、何より恐ろしかった。
人差し指が、静かにシャオロンへ向けられる。
天津飯もチャオズも、息を呑む。
鶴仙人だけが腕を組み、黙って見守っていた。
「始めるぞ」
天津飯は思わず眉をひそめる。
(本気か……)
チャオズも不安そうにシャオロンを見つめる。
だが、シャオロンは頷いた。
「分かりました」
逃げ道はない。
最初から分かっていたことだ。
この半年は、この一瞬のためにあった。
桃白白の指先には凝縮された気。
それは桃白白にとっては加減し威力を抑えたものだった。
だが、普通の武道家なら、一瞬で身体を貫かれる威力は十分にある。
シャオロンも震える指を前へ向けた。
(焦るな……)
(乱気法で覚えたことを思い出せ)
(力任せじゃ駄目だ)
(静かに……)
呼吸を整える。
胸の奥。
身体中を巡る温かな流れ。
それを少しずつ指先へ集めていく。
ゆっくり。
丁寧に。
天津飯が小さく呟いた。
「間に合え……」
チャオズは両手を胸の前で握り締める。
「シャオロン……」
桃白白が口元だけで笑った。
「来るぞ」
次の瞬間。
「──どどん波」
細く鋭い光が放たれた。
空気を焼きながら一直線に迫る。
「ど……どどん波ぁっ!!」
シャオロンも叫んだ。
指先から放たれたのは、まだ幼い一本の光。
細い。
弱い。
頼りない。
それでも確かに、どどん波だった。
二つの光が正面から激突する。
バチィィィッ!!
激しい火花が散る。
ほんの一瞬。
シャオロンのどどん波が桃白白の一撃均衡したように見えた。
しかし。
力の差は歴然だった。
シャオロンのどどん波は砕け散る。
だが、その一瞬で桃白白の光はわずかに勢いを失っていた。
「ぐぁぁぁぁぁぁっ!!」
赤い閃光がシャオロンの胸を直撃する。
身体が大きく吹き飛び、道場の壁を突き破る。
何本もの木をへし折りながら森の中へ転がっていった。
静寂。
誰も動かなかった。
やがて土煙が晴れる。
倒れたシャオロンの身体は、ぴくりとも動かない。
チャオズが思わず駆け出そうとした。
「シャオロン!」
「待て」
天津飯が肩を掴む。
桃白白はゆっくりと森へ歩いていく。
倒れたシャオロンの前で立ち止まり、足先で軽く身体を転がした。
焼け焦げた胸。
浅い呼吸。
それでも、心臓は動いていた。
桃白白は小さく鼻を鳴らす。
「ふむ」
「しぶとく生き残ったか」
その一言だけだった。
褒めもしない。
労いもしない。
ただ、生存を確認しただけ。
桃白白は振り返り、兄へ視線を向ける。
「兄者」
「どうだった」
鶴仙人は静かに笑う。
「予想以上じゃ」
「半年で形だけとはいえ、どどん波を撃てるようになるとはの」
「見どころは十分ある」
そう言ってから、小さくため息をついた。
「……じゃが、お前の下では無駄に死にかねん」
「どうじゃ」
「正式にわしの弟子へしてやろうか」
天津飯とチャオズが驚いて顔を見合わせる。
鶴仙人が、自ら弟子に誘う。
それは滅多にないことだった。
しかし桃白白は即座に首を横へ振る。
「断る」
「私の道具だ」
「兄者といえど、譲る気はない」
鶴仙人は肩をすくめる。
「相変わらずじゃな」
「強く育てる気もないくせに」
「道具として使い潰すつもりか」
「使い潰れるなら、それまでだ」
桃白白は何の感情もなく言い切った。
「生き残るなら、それも実力」
「死ぬなら、その程度だったということだ」
鶴仙人は苦笑した。
「まったく……」
「昔から変わらんのう」
しばらく沈黙が流れる。
やがて鶴仙人は天津飯へ目を向けた。
「天津飯」
「はい」
「少し相手をしてみい」
天津飯は静かに前へ出る。
桃白白も頷いた。
「よかろう」
道場へ戻った二人は、短く拳を交えた。
目にも止まらぬ攻防。
数合で決着はついた。
天津飯は地面へ膝をつく。
肩で息をしながら、それでも真っ直ぐ桃白白を見上げた。
桃白白は小さく笑う。
「悪くない」
「まだまだ甘いが、腕は確実に上げている」
天津飯は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「シャオロンのおかげです」
「組手の相手には困りませんでした」
その言葉に、桃白白は一瞬だけ気絶したシャオロンへ目を向けた。
「そうか」
それだけだった。
鶴仙人は満足そうに頷く。
「天津飯」
「立派な鶴仙流の殺し屋となれ」
「はい!」
力強い返事が道場へ響いた。
桃白白はそれ以上何も言わない。
森へ歩き、意識のないシャオロンの首根っこを片手で掴み上げた。
まるで荷物でも持つような軽さだった。
チャオズが思わず一歩踏み出す。
「あっ……!」
だが、その足は止まる。
呼び止める理由が見つからなかった。
シャオロンは眠ったまま。
最後まで目を覚ますことはなかった。
天津飯は静かに拳を握る。
(……また会おう)
(次は、もっと強くなって)
鶴仙人は弟の背中へ向けて声を掛ける。
「白白よ」
桃白白は振り返らない。
「そのどら猫、また連れてこい」
少しだけ間を置いて、短い返事だけが返ってきた。
「生きていればな」
次の瞬間。
桃白白は大木を引き抜くと、空高く投げ放つ。
そして自らも跳躍し、その幹へ飛び乗る。
一直線。
雲を裂きながら、西の空へ消えていく。
その姿が見えなくなるまで、天津飯とチャオズは黙って見送っていた。
別れの言葉はなかった。
礼も言えなかった。
ただ、半年を共に過ごした仲間は、眠ったまま島を去っていった。
こうして、シャオロンの鶴仙流での日々は幕を閉じる。
そしてここから、本当の意味で――世界一の殺し屋・桃白白の道具として歩み始める。