【御礼】この度、二代目・桃白白を襲名いたす運びと相成りました!! 作:拙者
シャオロンが目を覚ました時、そこは見覚えのない石造りの天井だった。
身体が重い。
胸の奥が焼けるように痛む。
息を吸うだけで鈍い痛みが走った。
「……っ」
ゆっくりと身を起こす。
最後の記憶は、桃白白のどどん波だった。
自分のどどん波でかろうじて威力を削ぎ、生き残った。
それでも直撃には違いない。
生きていること自体が奇跡だった。
「起きたか」
低い声が部屋へ響く。
入口には桃白白が腕を組んで立っていた。
相変わらず表情一つ変えない。
シャオロンは慌てて布団から降り、深く頭を下げた。
「お、おはようございます!」
言葉が自然に口をつく。
鶴仙流で叩き込まれた礼儀だった。
桃白白は小さく鼻を鳴らす。
「敬語くらいは覚えたようだな」
それだけだった。
褒めたわけでもない。
だが、シャオロンは少しだけ嬉しかった。
「……ここは?」
「私のアジトだ」
簡潔な返事。
桃白白は踵を返す。
「来い」
居間には古びた机が一つ置かれていた。
桃白白は腰を下ろし、向かいの席を顎で示す。
「座れ」
シャオロンは静かに腰を下ろす。
「仕事の話だ」
その一言で背筋が伸びた。
「三日後、この街へ来い」
机へ一枚の地図が置かれる。
赤い印が一つ。
「現地集合だ」
昔と変わらない。
路銀はなく、自力移動。
いや、それでも場所と時間を教えてもらえるだけ昔よりはずっとましだった。
「役に立てば小遣いくらいはやる」
桃白白はそれだけ言うと立ち上がった。
「遅れるな」
次の瞬間には柱を抱え、空高く飛び去っていた。
シャオロンはしばらく空を見上げる。
やがて拳を強く握り締めた。
(見てもらえる)
(今のおいらなら)
鶴仙流で過ごした半年。
乱気法。
気の修練。
天津飯との組手。
盗賊討伐等の実戦。
どどん波。
何一つ無駄ではなかった。
もう、ただ逃げ回るだけの野良猫ではない。
桃白白の役に立てる。
そう信じていた。
◇
三日後。
約束の街へ着いた頃には、日は沈み始めていた。
桃白白はすでに屋根の上で待っている。
「お待たせしました」
「うむ」
返事はそれだけ。
桃白白は遠くの屋敷を指差した。
「あそこだ」
「商人が一人」
「護衛が十五」
「殺す」
あまりにも簡潔だった。
「お前は好きにしろ」
それだけ言い残し、桃白白の姿が消える。
「えっ――」
もういない。
(好きにしろって……)
シャオロンは屋根へ飛び乗る。
夜風が頬を撫でる。
猫へ変化し、音もなく屋敷の周囲を駆け回った。
護衛は正門に四人。
裏門に二人。
屋根にも見張りがいる。
(正面は無理だ)
黒猫の姿で塀を越え、木の上から庭を見下ろす。
標的は宴会を開いていた。
酒。
笑い声。
護衛は酔ってはいない。
隙は少ない。
(だったら)
シャオロンは小石を拾い、反対側の庭へ投げた。
物音。
「誰だ!」
護衛が数人走っていく。
その瞬間だった。
屋敷の中央から悲鳴が響く。
「ぎゃあああっ!」
桃白白だ。
もう仕事は始まっている。
(負けるか!)
シャオロンも飛び込んだ。
護衛の一人が剣を抜く。
拳をかわし、足を払う。
転倒。
どどん波。
威力は弱い。
それでも相手の腕を焼き、剣を落とさせるには十分だった。
さらに一人。
さらに一人。
屋敷の中では桃白白が圧倒している。
人が吹き飛ぶ。
壁が砕ける。
悲鳴が止まらない。
シャオロンは夢中だった。
(もっと)
(もっと役に立たないと)
護衛を追い掛ける。
逃げる者を倒す。
屋根へ飛び乗る。
気付けば、標的はすでに絶命していた。
桃白白が傍らに静かに立っている。
周囲には死体だけが転がっていた。
依頼は終わった。
◇
帰り道。
二人は夜道を歩いていた。
桃白白は一言も話さない。
シャオロンは胸が高鳴っていた。
(きっと褒めてもらえる。)
(護衛も倒した。)
(どどん波も当てた。)
役に立てた。
そう思っていた。
その時だった。
「馬鹿は要らんと言ったな」
桃白白が立ち止まる。
シャオロンの足も止まった。
「え……?」
「やはり殺すか」
静かな声だった。
だからこそ恐ろしかった。
全身から血の気が引く。
指先が震える。
「ま、待ってください!」
桃白白は何も言わない。
ただ見ている。
それだけで息が苦しくなった。
(何が悪かった。)
(何を間違えた。)
頭が回る。
今までで一番速く。
必死に考える。
そして、答えへ辿り着いた。
桃白白は護衛を倒せと言っていない。
標的を殺す。
それだけだった。
自分は戦いたかった。
強くなった姿を見せたかった。
役に立ちたいのではない。
認められたかっただけだ。
だから余計なことをした。
シャオロンは勢いよく地面へ膝をついた。
額が土へ触れる。
「申し訳ありません!」
「次は戦いません!」
「おいらがやるべきことを考えます!」
「一年以上かけて育ててもらったんです!」
「ここで殺したら……もったいないです!」
沈黙。
夜風だけが吹いていた。
やがて桃白白が口を開く。
「……二度はない」
シャオロンは顔を上げない。
「私に護衛は要らん」
「敵を倒したいなら武道家にでもなれ」
「私が欲しいのは、殺しを楽にする道具だ」
その一言が胸へ深く突き刺さる。
「はい!」
桃白白は踵を返す。
「次の仕事は五日後だ」
そう言って次の目的地の地図を落とす。
地図を拾いながら反芻する。
桃白白は強い弟子を求めていたのではない。
世界一の殺し屋である自分を、さらに効率よく殺せるようにする"道具"を求めていたのだ。
ならば、自分はその道具になる。
生き残るために。
そして、いつかその先へ進むために。
その日を境に、シャオロンの仕事は大きく変わった。
戦わない。
目立たない。
桃白白より先に現地へ入り、標的の周囲を歩き回る。
街並みを覚える。
人の流れを見る。
護衛の人数だけではない。
誰が隊長なのか。
誰が怠け者なのか。
見張りはいつ交代するのか。
どの時間帯に人通りが減るのか。
猫へ変化し、屋根から屋根へ飛び移る。
人の目を避けながら町全体を見渡す。
鼻は食事の匂いだけではない。
火薬。
酒。
血。
香水。
標的の匂いを覚えれば、一度見失っても追跡できた。
耳は遠く離れた会話まで拾う。
「今夜は西門を頼む」
「隊長は日暮れに戻るらしい」
そんな何気ない会話一つが、暗殺の成否を左右した。
調べ終えると、桃白白へ報告する。
「北側は工事中です」
「壁を越えるなら東が早いです」
「護衛は二十三人ですが、実際に戦えるのは半分くらいです」
「標的は毎晩、食後に一人で庭園を歩きます」
最初の頃、桃白白は話半分にしか聞かなかった。
「好きにしろ」
その一言で終わることも多かった。
それでもシャオロンは調査を続けた。
ある日、桃白白は気まぐれににシャオロンの案を採用した。
屋敷の裏庭。
巡回の入れ替わる、わずか数十秒の隙。
標的は護衛と離れ、一人になる。
桃白白は音もなく現れ、指先一本で標的を絶命させた。
護衛が異変に気付いた時には、二人とも町から姿を消していた。
戦闘はなかった。
どどん波も使わなかった。
それでも依頼は完璧に終わった。
帰り道。
桃白白が珍しく口を開く。
「悪くない」
その四文字だけだった。
それだけでシャオロンの胸は熱くなった。
それ以来、桃白白は少しずつシャオロンの報告へ耳を傾けるようになる。
「今回はどう見る」
「護衛は――」
「逃げ道は――」
「あえて人払いせずに混乱させることも可能です」
質問は短い。
だが、意見を求められている。
それだけで十分だった。
シャオロンも期待へ応えようとした。
「正門から行けば護衛とぶつかります」
「ですが、西側で火事を起こせば半分は持ち場を離れます」
「その間なら三十秒だけ道が空きます」
桃白白は頷く。
「やってみろ」
結果は成功だった。
火事に驚いた護衛が持ち場を離れる。
誰もいなくなった廊下を桃白白が歩き、標的だけを殺して去る。
依頼人は歓喜した。
報酬も増えた。
その帰り道だった。
桃白白は小袋を放る。
「ほら」
受け取ると、中には硬貨が十数枚入っていた。
「小遣いだ」
シャオロンは目を丸くする。
「……ありがとうございます!」
桃白白は前だけを向いたまま歩く。
別の日。
食堂へ入ると、桃白白は向かいの席を指差した。
「座れ。」
以前なら考えられないことだった。
無言で料理を食べる。
それだけの時間。
それでもシャオロンにとっては嬉しかった。
少しだけ認められた。
そんな気がした。
仕事の合間には修行も続けた。
時間は限られている。
だから工夫した。
乱気法の修行を思い出す。
人は無意識に気で身体を支えている。
ならば逆に、自分の意思でその気を抑え込めばどうなるのか。
気を全身から引き、肉体だけで立つ。
歩く。
走る。
最初は膝が笑い、まともに歩けなかった。
だが続けるうちに肉体だけで動ける時間が伸びていく。
気を戻した瞬間、身体は驚くほど軽くなった。
肉体が鍛えられることで気また増大化する。
桃白白も一度だけその様子を見ていた。
「面白い鍛え方をする」
そう呟いただけだったが、否定はしなかった。
仕事は順調だった。
順調すぎるほどに。
標的は逃げられない。
護衛は分断される。
無駄な戦闘は起こらない。
桃白白は最短で標的だけを殺し、報酬を受け取る。
誰も傷付かない。
……標的以外は。
シャオロンは、それでいいと思っていた。
関係のない人間まで殺さずに済む。
護衛も、できる限り気絶させるだけで終わらせる。
桃白白も文句は言わなかった。
依頼は成功している。
それで十分だと思っていた。
だが、その頃から桃白白の胸には、言葉にならない違和感が少しずつ積もり始めていた。
依頼は途切れることなく舞い込んだ。
一週間に一件の時もあれば、一日に二件こなすこともある。
標的は商人。
資産家。
裏社会の人間。
武術家。
時には国を追われた政治家までいた。
だが、やることは変わらない。
シャオロンは誰よりも早く現地へ入り、町を歩く。
猫へ変化し、屋根を渡る。
護衛の巡回。
標的の生活。
近隣住民の行動。
逃走経路。
すべて頭へ叩き込む。
そして桃白白へ報告する。
「この時間なら人払いができます」
「護衛は十五分後に交代です」
「裏門には犬がいます」
「匂いで気付かれるかもしれません」
桃白白は短く頷く。
「なら正面から行く」
ある時は。
「犬には睡眠薬を混ぜた肉を置いておきました」
「……用意がいいな」
またある時は。
「標的は毎朝、礼拝堂へ一人で向かいます」
「護衛は建物の外で待機します」
「ふむ」
依頼は、ことごとく成功した。
護衛と戦う必要もない。
余計な死人も出ない。
標的だけが死ぬ。
それで終わる。
依頼人は喜び、報酬は増えた。
シャオロンも嬉しかった。
任務のあと、桃白白と食事をすることも増えた。
食べ終わる頃、桃白白がぽつりと言う。
「指先へ力が入りすぎだ」
「どどん波は溜めて押し出すものではない」
「流すものだ」
「……はい!⋯⋯じゃあ気功砲は」
「お前にはまだ早い。だが原理としては――」
修行の助言だった。
短い。
それでも桃白白が自分へ技の話をしてくれる。
それだけで嬉しかった。
夜になると、その言葉を何度も思い返し、一人でどどん波を撃つ。
少しずつ。
本当に少しずつ。
威力も精度も増していった。
シャオロンは知らなかった。
その頃、桃白白の胸に別の感情が芽生え始めていたことを。
ある依頼の帰り道。
桃白白は酒場へ立ち寄った。
酒を一口飲む。
「……まずい」
思わず口から漏れる。
昔は違った。
屋敷へ乗り込む。
護衛が襲い掛かる。
拳で砕く。
どどん波で吹き飛ばす。
恐怖に震える標的を見下ろし、命乞いを聞き流して殺す。
それもまた仕事の愉しみだった。
だが最近は違う。
現場へ着けば準備は終わっている。
護衛はいない。
人払いも済んでいる。
標的だけが孤立している。
歩いて行き。
殺す。
帰る。
それだけだった。
簡単すぎる。
手応えがない。
ある日の帰り道だった。
前を歩くシャオロンを眺めながら、桃白白はふと思う。
(……待て)
(誰が仕事を組み立てている)
標的を調べるのはシャオロン。
護衛を分析するのもシャオロン。
侵入経路を決めるのもシャオロン。
逃走経路を考えるのもシャオロン。
私は、その通り動いているだけではないか。
桃白白の歩みが止まる。
(世界一の殺し屋は……私だ)
(いつから、このどら猫の指示で動くようになった)
胸の奥がざわつく。
不愉快だった。
認めている。
道具としては極めて優秀だ。
だからこそ気に入らない。
世界一の殺し屋が、自分の道具によって最も効率よく動かされている。
それでは主従が逆だ。
前を歩くシャオロンは何も知らない。
次はどんな修行をしようか。
もっと役に立てるようになろう。
そんなことばかり考えていた。
その無邪気な背中を見つめながら、桃白白は指先に自然と熱がこもる。
しかし、ゆっくりと息を吐き、指先から力を抜いた。
そして静かに口を開く。
「しばらく仕事はいい」
シャオロンが振り返る。
「え?」
「⋯⋯呼ぶまでは好きにしていろ」
「修行でもすればいい」
突然の言葉だった。
だがシャオロンは素直に頭を下げる。
「ありがとうございます!」
「もっと強くなって待っています!」
その笑顔を見ても、桃白白の表情は変わらない。
(惜しい)
(殺すには惜しい)
(……だからこそ、今は離す)
そう結論を出した。
しばらくは一人で仕事をする。
細工も策も要らない。
正面から踏み込み、邪魔する者は皆殺しにする。
久しく味わっていない、力だけでねじ伏せる仕事を思い出したかった。
そんな折だった。
一本の依頼が舞い込む。
依頼主――レッドリボン軍。
報酬は破格。
桃白白は依頼書を一瞥すると、小さく笑った。
「たまには、暴れるのも悪くない」
そして――
シャオロンが桃白白に呼ばれることは、二度となかった。