砕けた杯、風化の残響・3
いよいよブリーズデイ当日だ。フェネクスの身体はどこにあるのだろうか…
「とうとうブリーズデイだな…旅人!最初にファルカから言われた通り、騎士団本部に向かおうぜ!」
モンドに吹く風はいつも通り。
住民たちはもうすっかり盛り上がっている。
さぁ、いよいよだ。
「来たな、栄誉騎士」
「よう!ファルカ、コンラート!
あれ、他のやつらは?」
「ジン殿は杯挙げの儀のためブリューフェアに、バルバトス様は皆の声を集めるためにモンド城外で待機、トワリン様とフェネクス様は風立ちの地で待機しています」
「つまり、オイラたちが最後だったのか」
「状況に変わりはない?」
「あぁ。今のところ、アビスの連中が何か動いてるような気配は見られないが、油断は禁物だ」
「オイラたちはどこに行けばいい?」
「フェネクスのところに向かってくれ。封印が見つかったら、俺も行く」
「分かった。じゃあまた後で」
「おーい!トワリン、フェネクス!」
「ん、お前たちか」
ファルカに言われた通り、風立ちの地へ向かう。
フェネクスは既に集中状態にあるようで、この場所に吹く風に包まれながら、時を待っていた。
「フェネクスの調子はどうだ?」
「問題ない、見ての通りだ」
「あとは待つだけだね」
「上手くいくといいんだけどな…」
ブリューフェアに多くの人が集まる。
風神様に、そしてその友のために、人々は杯を掲げる。
帰ってくる彼らのために、この最上の美酒を捧げるのだ。
「友よ、共に杯を掲げよう」
「風神に感謝を」
「風神に感謝を!」
「そして、風神の親愛なる友へ」
「──おかえりなさい」
人々の声が集まり、穏やかな風が吹く。
彼らの言葉を、思いを乗せて。
杯が交わる音に、アップルサイダーを飲み干した子どもたちの声が紛れて。
風が吹く。
風神がその声に手を伸ばして、そしてその風で掴み取る。
大切な友に届けるために、そっと手を離した。
風が吹く。
巨樹が葉を鳴らし、ざわめく。
風晶蝶が風に飛ばされ、水が跳ねる。
風が吹いた。
その少年は手を伸ばした。
掴み取ったそれに心を寄せて、そっと目を閉じた。
「…トワリン?」
「下がっていろ」
旅人たちの視線の先、フェネクスの周りに風が集まる。
草葉が、砂塵が、巻き上げられて渦となる。
そして、風が爆ぜて、暴風が吹き荒れた。
「うわぁああぁぁあ!!!」
「うぐっ…!」
まるで嵐でも来たかのような風の音が、巨樹の揺れる音が、辺りを支配する。
その風は瞬く間に広がり、ブリューフェアへ、モンド城へと届いた。
「風…とても強い…」
「もしかして、そのフェネクスってやつが本当に帰ってきたのか!?」
「凄い風ですね…お酒を気に入ってくれたのでしょうか」
「そうかもしれないわね」
「…ん?この風、幽霊騒ぎの時の………まさかな」
「副隊長?どうされました?」
「いや、なんでもねぇ」
「アルベドお兄ちゃん!ドゥリンお兄ちゃん!クレーと一緒に風神様のお友達さんにおかえりなさいって言お!」
「わ、クレーちゃん、こぼしちゃうよ」
「うぅ…とんでもない風だぞ……って、おい旅人!あれ!」
風になびく黄金の髪とそれに編み込まれた青緑のリボンがゆらゆらと揺れる。
もう幼い少年の面影はどこにもなく、しかしそれでも少し小柄な青年が、そこに存在していた。
砂漠色の瞳が、そっと上げられる。
『──見つけた』
その視線は、かの雪山……ドラゴンスパインに向いていた。
***
ドラゴンスパイン東部、山麓の海岸。
時折り吹雪となるこの場所に、封印があるらしかった。
「ここが…封印のある場所なのか?」
『あぁ、間違いない』
「うーん…?オイラには何にもないように見えるけど…」
『そりゃあ、外から丸見えな訳ないだろ?
なぁ、誰でもいいからここに元素力をぶつけてくれないか?』
「我がやろう」
トワリンが元素力で目の前の空間を引き裂く。
ほんの僅かに、空間のブレが見えた。
「あっ!今何か見えたぞ!」
「よし、全員で殴るぞ!」
旅人たちも武器を構え、思いっきり元素力をぶつけて空間を攻撃する。
そうしているうちに次第にブレは大きくなり、ファルカの一振りで完全に崩壊した。
アビス特有の紫色の瘴気と、微かに血赤の瘴気が弾けた。
「どうやらここはドゥリンの力で封印を維持していたみたい」
『ドゥリン?』
「かつて我が対峙したあの龍だ」
『あぁ…』
「でも、魔龍の心臓はもう動かなくなったから、この封印もほとんど壊れてたみたいだね」
解けた空間の先、そこにあったのは洞窟だった。
見たところ、下へと伸びているようだ。
「何が出てくるか分からない、慎重に行くぞ」
緩く下り坂になっている洞窟を下る。
ドゥリンの生命力を吸ったか赤色の植物が至る所に生えている。
魔物はいないようだが、空気は重かった。
「この洞窟、どこまであるんだ…?」
「かなり進んだような気もするが……いや、待て」
ファルカが制止した先、うねる赤色の蔦が壁のようになっているのが見えた。
最深部に着いたのだろうか。
「ここは俺が行こう、強襲には気をつけろ」
「それじゃ、後ろはボクが見ておくね」
ファルカの大剣が一気に蔦を切り裂く。
その奥から見える空間はそれなりに広いようだ。
ここまでしても敵は来ないのが一層不気味だった。
奥へと足を踏み入れれば、そこにあったのは奇妙な繭のようなものだった。
どう考えても、それこそが封印。
「まさか、あの中にフェネクスの身体が?」
「恐らくそうだろう……ッ!気を付けろ!」
目の前で繭が揺れる。
それは音もなく千切れ、地面へと落下する。
その衝撃で、肉が潰れるような不快な音ともに繭が破裂した。
「ひっ!」
「まずいな…」
「…どうやら、最悪の可能性が当たったようだな」
旅人たちが武器を構え、フェネクスがそれを睨む。
血溜まりのような場所から立ち上がったのは、アビスに侵食されたフェネクスの抜け殻だった。
『…クソッタレのアビス共が』
***
抜け殻が咆哮し、それに応えるようにどんどんと瘴気が溢れ出す。
そのまま抜け殻は上へと跳び上がり、旅人たちを見ていた。
「とっととこいつを片付けるぞ!」
「パイモンは下がってて!」
旅人とファルカが跳躍し、上へと留まる抜け殻へ剣を振る。
それをウェンティが風で支え、トワリンが溢れる瘴気を風元素で切り裂く。
しかし抜け殻の速度はギリギリ視認出来るほどのもので、目で追い続けていたパイモンはそれを諦めた。
抜け殻は旅人たちから距離を取り、止まる間もなく斬撃を放つ。
回避自体はさほど難しいことではない、しかし、先程まで足をつけていた地面が瞬く間に砂へと変わった。
「じ、地面も岩も砂になっちゃったぞ!」
『ちっ、俺の力を使いやがって。あれの攻撃には絶対に当たるな!死ぬぞ!』
暴走しようものなら砂漠になるというのはこういう事だったのだろう。
パイモンはてっきり砂漠のようにモンド中が乾燥して緑が無くなるものだとばかり思っていたが、実際は何でもかんでも砂に変えてしまうもののようだ。
ファルカとトワリンの攻撃が洞窟を揺らし、抜け殻の動きをウェンティが風で妨害する。
その隙に懐に入り込もうとした旅人は、しかしすぐに回避せざるを得なかった。
いくらアビスが動かしているとはいえ、相手は上古の魔神。その肉体だけではあるが、油断も隙も無かった。
「中身が無いのにこれとは、想像以上だな…」
「でも、乗っ取って日が浅いからか、まだ完全に力を扱えてないみたいだね」
『この力は俺の魂に直結してるものだ、肉体だけじゃこの程度さ』
抜け殻が襲い来るのをファルカが剣でいなす。
そのまま押し出すように反対側へと一気に跳ぶ。
それに追随する旅人とトワリンの後ろで、フェネクスがウェンティを呼び止めた。
『バルバトス、頼みがある』
砂になる場所がどんどんと増えていく。
壁や天井も逃れられることなく削られていく。
旅人たちがひたすらに抜け殻を攻める中、抜け殻はその後ろで起きているそれに気付き、飛び出した。
それを追って旅人たちが振り返った先、バルバトスの力を受けながらフェネクスが何かをしようとしていた。
「させるかよ!」
「貴方の相手は私たちだよ」
抜け殻が届く前にファルカが受け止める。
邪魔させまいとトワリンが一気に抜け殻を押し飛ばす。
パイモンが半ば祈るようにフェネクスたちを見る。
バルバトスのもたらす純粋な風元素の力に、人々がフェネクスを呼んで得た僅かな信仰の力。
それは風元素生命体であり民を持つ魔神の彼にとって強力な力となる。元素力に至っては風神のものともなれば尚更だ。
「さぁ、もう十分だよね?」
『あぁ、助かった…やれるのはこの一発きり、これで決める!』
フェネクスの準備が終わったのに気付いた旅人たちは抜け殻の拘束を優先する。
抜け殻目掛けて飛び出すフェネクスに向けて、ファルカが抜け殻を打ち上げた。
すぐさまバルバトスがパイモンを抱えて旅人たちの元へと降り立ち、その背に庇う。
『とっとと返せ、このクソアビスッ!!』
フェネクスが放った一発が抜け殻に命中する。
途端に暴風が吹き荒れ、洞窟が揺れた。
四方八方に飛び出す魔神の力が、あっという間にそこら中を砂へと変えていく。
そして、抜け殻も例外なく砂となって散り、フェネクスの依代となっていた髪飾りが壊れる音と共に、その姿も掻き消えた。
ひらりと、青緑色の汚れたリボンが舞い落ちた。
「っ髪飾りが!」
「フェネクス!」
風が収まり、旅人とパイモンが落ちた髪飾りへと走る。
もう修復不可能なほどに粉々に砕けた髪飾りが、無惨にも砂の上に落ちていた。
「そんな…」
「ど、どうしよう、これじゃあ…!」
「大丈夫、二人とも心配しないで」
後ろからウェンティが近寄る。
落ちたリボンを拾い上げ、そしてそっと上を見た。
「ほら、上を見てごらん」
「うえ…?」
そこに漂っていたのは、先程まで蔓延っていた瘴気とは全く違う、清浄できれいな風元素力だった。
よく見れば、中央がなんとなく濃くなっているような…
「フェネクスにとって肉体は、砂礫を集めて作っただけの土人形に過ぎない。
言っただろう、あれは高純度の風元素生命体だ、と」
「彼を形作る風が完全に失われでもしない限り、死ぬことは無いんだ。
ほら、早く降りてきなよ」
ゆっくりと、風がまとまっていく。
共に巻き上げられた砂や石が人の形をとる。
それは風によって彩られ、ひとのかたちを取っていく。
そうして、ふわりと降り立った青年は目を開ける。
歩み寄るウェンティがリボンを差し出し、笑いかけた。
「おかえり、フェネクス」
「…あぁ、ただいま、バルバトス」
***
「無事、なんだな?ちゃんと生きてるんだよな?オイラたち、成功したんだよな!?」
「悪い悪い、心配かけたな」
「そうだぞ!全く、全部失敗して助からないのかと思ったぞ!」
「ごめんって」
ぷりぷり怒るパイモンを宥めるフェネクスに、旅人も安堵のため息を漏らす。
静観していたファルカも力を抜いた。
…その後ろで、ウェンティとトワリンだけが後方を警戒していた。
それが動き出す前に、ウェンティが声を上げる。
「まだ悪巧みをするつもりなのかい?」
「吟遊野郎?どうしたんだ?」
「…ッ!そこ、まだアビスがいる」
「なんだって!?」
諦めの悪いアビスの影が、ずるりと立ち上る。
即座に武器を構える旅人たちを制止し、フェネクスが前へと出た。
「いい加減分かっただろ、俺はお前らの手なんて取らない」
『………呪われた生まれ…生まれながらにして罪を背負う者…いずれ、お前は全てを失う…』
「な、何を言ってるんだ…?」
「パイモン、聞くだけ無駄だよ」
『我らと共にあれば…お前はその苦痛を味わうこともない…』
フェネクスの表情は変わらない。
ただ、無価値なものを見るようにアビスの影を睨む。
「…あぁ、そうだな。俺の生まれは罪にまみれていて祝福されたものじゃないし、この存在を嫌ったこともあった。
失うくらいなら、離れていくくらいなら、最初からこの手の中に無ければ良い。
そう思っていた時もあったさ」
『ならば、何故…』
「何故、だと?ハッ、お前らこそ俺から全てを奪っていった癖に、今更救世主気取りかよ、ふざけやがって。
確かに何も知らない頃の方が今よりずっと幸せだったかもしれない。だが、アビスに堕ちることは、お前らが言う苦痛よりももっと不幸なものだ。
お前らなんかの手を取るくらいなら、俺は彼らの手を取る」
『…その手こそ、何も知らぬ者たちが偽善で伸ばしている手だ…その者らと違い、我らはお前を知っている…何故、そうする?』
「彼らを信じてるからだ」
フェネクスが影に近付く。
低俗な誘いなど全く害にならないとでも言うように。
『無意味なことを…例え、そうしてお前がその者たちを信じようと、お前のことを知れば、その者たちの方から離れるだろう』
「それでもいいさ。全部隠してビクビクしながら友達ごっこやるくらいなら、全部話してこの手を離される方がマシだ。
まぁ、そう思えるまで五百年近くかかったのは、我ながらどうかと思うがな。
残念だったなアビス、俺が飽きるほどずーっと過去を思い出させては深淵に誘ってくるから、逆に吹っ切れたぞ。
過去は過去、どうしようもないし、向き合って、受け入れて、未来に進むしかないんだよ」
煽るように笑うフェネクスに、ウェンティが苦笑を漏らし、トワリンが呆れた顔をする。
「それに、ここ数日今のモンドを見て、旧友たちと話して、俺の思いは完全に固まった。
風神の友ってだけで信じて俺のことを呼んでくれる人々がいる。
ずっと俺のことを忘れずにいてくれた
あの日から変わらず俺のことを肯定してくれる
友だからと信じてくれた
皆が信じてくれてるのに、俺は皆を信じないなんて、不公平にも程があるだろ?
だから俺は彼らを信じる。信じて、彼らの手を取る」
風の音が鳴り始め、ウェンティがそっと旅人たちを後ろに下がらせる。
「それだけじゃない。こうして、俺の帰りを待ってくれている奴らがいるんだ。
なら、帰らないといけない。お前らなんかに構ってる暇は無いんだよ」
どんどんと強くなる風の音が耳朶を打つ。
影に向かってフェネクスがその手を振り上げた。
「とっとと消えていなくなれ」
強風が影をさらい、そのまま霧散して無くなった。
風が消え、影も見えなくなったその場所に、薄荷色に輝く風元素の神の目が落ちていた。
***
「ったく、これだからアビスは…」
「フェネクス、大丈夫?」
「大丈夫だ、心配ない。ありがとな」
もうアビスの不気味さも空気の重苦しさもない。
今度こそ終わったと言えるだろう。
「それにしても、まさか神の目が現れるなんて…」
「随分面白いこともあるもんだ、な」
神の目を拾い上げ、それをじっと見つめる。
神の真意など誰にも分かりやしないが、これは紛れもなく彼への祝福だろう。
「なぁ、結局アビスが言ってたのって、何の話だったんだ?」
「なんてことない俺の過去の話さ。ま、それはまたそのうちな。
今はとにかく、ここを離れよう」
抜け殻との戦闘で、洞窟はすっかりそこらじゅうが砂にまみれてしまった。
ただでさえ足場が悪くなっているのに、いつ天井が崩壊するか分からない。
大事になる前にと、一行はさっさと洞窟を後にした。
「ジン団長ー!コンラートー!」
「今戻ったぞ!」
「おかえりなさい、皆さん」
「皆、よく無事に戻ってきてくれた」
モンドは変わりなく、いつも通りの風が吹いていた。
違いがあるとすれば、住民が増えたくらいか。
待っていた二人…というより、コンラートを見たパイモンが、弱々しく話しかけた。
「あっ…こ、コンラート、実は…」
洞窟であった事を話す。
抜け殻がアビスに乗っ取られていたこと、倒した時に髪飾りが粉々になったこと………
「おまえたちがずっと受け継いできた大切なものだったのに…」
「悪いなコンラート、せめてちょっと割れるぐらいに抑えておきたかったんだが、耐えられなかったみたいで…」
「いえ、どうかお気になさらないでください。フェネクス様がモンドに帰られるお役に立てたのであれば、先祖たちも皆喜ぶでしょうから」
「…あぁ、そうだな、そうだといいな」
「ところで、フェネクスはこれからどうするんだ?」
「そうだなぁ…とりあえず、コンラートのところにでも置いてもらうか」
「では、数代前から空き家になっている別宅を整えましょうか」
「そんな都合よく空いてる家があるのかよ!」
「ふふ、あるんですよ、これが」
「何はともあれ、無事に終わって良かったね」
「全くだ」
「…ねぇ、ウェンティ、トワリン、ちょっといい?」
「ん?なにかな?」
「アビスがフェネクスに話してた時、二人は何にも動揺してないように見えたけど…やっぱり、二人は知ってたの?
でも、トワリンは昔のことは知らないって言ってたよね」
「ボクはずーっと昔に教えられたよ。友達になってから少しした頃だったかな」
「我に全てを話したのはつい先日だな。お前も見ただろうが、あれは我のことを完全に友だとは信じきれていなかったらしいからな」
「そうだったんだ…」
ウェンティがフェネクスを見る瞳はずっと穏やかで、トワリンは言葉によらず随分と優しい目をしていた。
なんとなく珍しいものを見た気がする旅人はそっと視線をフェネクスに戻す。
まだ気になることは多くあるが、きっと今はまだ知るには早いのだろう。
そう結論付けて、旅人はパイモンたちの輪へと入っていった。
こうして、モンドにまたひとつ、新しい日常が増えることとなった。
一度イベスト風に書いてみたかったのでそれっぽい演出を入れてました。
多分もうしないんじゃないかな…いやまだもう1回やるかも…