死にかけ弱小没落帝国を蘇らせる、たった一つの冴えたやり方   作:リバプールおじさん

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第1話 パンツを履き替えられない異常一族たち

 彼の名はベンジャミン。姓はラグリット。今年13歳になったばかりだ。

 

 ベンジャミンの朝は憂鬱から始まる。

 まず目を覚ます。虎の毛皮やらプレートアーマーやらの奢侈品で飾り立てられた自分の部屋を見て、ため息を1つ。それから重いベッドから起き上がると、チーク扉の外から控えめなノックが3度響くので応える。

 

 ベンジャミンは、特にこのノックが大嫌いだ。しかし応えなければ面倒臭い。

 

「入っていいよ」

「おはようございます第11皇子殿下。早速で申し訳ありませんが、お召し物を着替えさせていただきます。まずはシャツをお脱ぎください。次にズボンを、そして最後にパンツを──」

 

 自分より一回りほど年上のメイドが部屋に入ってきて、そんなことを呪文のように唱える。それを聞くたび、毎朝彼は死にたくなるのだ。

 

 彼はラグリット帝国第11皇子・ベンジャミン・ラグリット。北西大陸最強を謳われたラグリット帝国の玉座に、8000年もの間君臨する最長最古の血族である。

 

 そして、いまや亡国寸前にまで追い込まれた、自力でパンツすら穿き替えられない一家である。

 

「自分でやらせてくれぇ!」

「私のお務めですから」

 

 泣きつくベンジャミンにも遠慮なく、その若く美しいメイドは寝巻きのボタンに手をかけた。

 

 しばらくして。

 

「もういやだ......」

「殿下、本日のご予定に変更がございます。朝食を済ませ次第、皇帝陛下の下へ向かわれますよう。そう伝言を預かっております」

「父上が?」

 

 ベンジャミンは水をかけられたようにハッと顔を上げた。しかし、整ったメイドの顔は仮面のよう。なんの感情も汲み取れない。

 

「至急の用事とのことです」

「よし分かった、すぐ済ませよう」

 

 なんとか平静を取り戻したベンジャミンは、よっこいしょと立ち上がり、それから食事の間へと向かっていった。

 

 

 

 

********

 

 

 

 

 食卓には白いパンやジャム、ベーコンやゆで卵が並ぶ。ただし、新鮮なフルーツだけはなかった。朝食を手短に済ませると、彼は早速父がいる執務室へと向かった。

 

「父上、ベンジャミンが参りました」

 

 ベンジャミンは基本的にこの城が嫌いである。大理石の床は硬い上に、夏は暑く冬は冷たい。無駄に12階まである階段は急。居住性は絶無と考えている。

 

 しかし執務室だけは好きだった。柔らかく差し込む陽射しの中、新鮮なインクと古ぼけた紙の匂いがたまらない。いつも不機嫌そうに唇を曲げている父も、この部屋ではなんだか優しく知的に見えた。

 

 しかし、扉の奥から聞こえてきたのは。

 

「入れ」

 

 か細く、頼りない声だった。

 扉を開ける。

 

「父上、また飲まれましたね?」

「うん」

 

 酒の臭いを撒き散らす、線の細い金髪の男。彼はベンジャミンの父にしてラグリット帝国現皇帝・アルゲシウス37世。げっそりと痩せ細った白い顔はまるで死人。ギラギラ充血した目元だけが、まだ彼の血が赤いことの証明だった。

 

「朝から酒を飲むなと侍医に言われたのでは?」

「昨晩からだ」

「もっとダメです」

 

 なにも答えになっていない。これは本格的に頭がアルコールにやられたか。ベンジャミンは何だか情けない気持ちになった。

 しかしそんな息子の悲しみにも気付かない皇帝は、呻くように息子に問うた。

 

「今の我が国の現状は分かっているな」

「理解しているつもりです」

「言ってみろ」

「逆賊どもの蜂起で帝国は7つに分裂中。そんな中、我らはこの帝都以外にほぼ領土を持たず、今しばらく我慢の時期です」

「......そうだ」

 

 自分で「言ってみろ」と言った割に、歯に衣着せぬ息子の物言いに、皇帝は薄い肩を落とした。

 

 10年前、ベンジャミンがまだ愛らしい子供だった頃のこと。今よりも逞しい肩をしていた皇帝は、この城から外征に旅立ち──そして、敗れた。

 

 それからラグリット帝国は糸が切れたように凋落の一途をたどった。かつて大陸の半分を支配するとまで讃えられた皇帝一族は、今や彼らが住まう不便な城と、それを取り囲む帝都周辺の僅かな地域を領有するのみである。

 

(忘れろと言われたって、忘れるもんかい)

 

 口の中に湧いた酸っぱいものを飲み込み、ベンジャミンは心中で毒づいた。幼き頃に見た父の無惨な姿は、今も彼の心のしこりだった。

 

「だがその我慢も、じき終わる」

「妙案でも思いつかれましたか」

「うむ。ここだ」

 

 ほとんど骨しか残っていないように細い顎を小さく動かし、皇帝は頷いた。彼が震える指先で示したのは、机の上に置かれたシワだらけの地図の上。帝都から南東にある高原地帯が描かれている。

 

 ベンジャミンは、その地域に住んでいる人々に覚えがあった。

 

「オイドリス人......ですか?あの決まった家を持たないという、馬好きの」

 

 オイドリス人。定住せず牧畜を営む遊牧民族である。決して大規模な民族ではないが、彼らが巧みに操る弓矢と騎馬はしばしば戦場で猛威を振るった。

 

「そうだ。奴らと組む」

「なるほど」

 

 ベンジャミンは深く頷きながら、どこか他人事だった。

 

(これ俺に振る話じゃなくね?)

 

 ベンジャミンは決して自信家ではない。華々しく表舞台で活躍する皇子だとは、到底考えたこともなかった。

 

 母は死に、父ともあまり喋った記憶はない。国策に関する話など、普通ならばベンジャミンよりも上の皇子に伝えられるべきである。嫌な予感が背中を伝った。

 

「皇子。お前には苦労を掛けた」

「いえ全く」

「そう遠慮するな」

 

 本当に全然苦労も遠慮もしてないんですってば。だって自分のパンツ他人に脱がせるような生活してるんだもの。

 

 喉元まで出かかったその言葉を、ベンジャミンは済んでのところで飲み込んだ。

 

「お前にも功績を立てて欲しいんだ。お前は城で1番腕っぷしが強いと評判だが、そんなものよりも政治的な実績をな」

「はぁ」

 

 間抜けな生返事をなんとか喉から絞り出したベンジャミン。なにか恐ろしいことをやらされそうになっていることだけは理解できた。

 

「第11皇子よ、皇帝の名において勅命を下そう。これよりオイドリス人の王と会って、同盟を結んできてくれ。期限は2か月以内だ」

「えっ」

「馬で片道10日ほどかかるから、早めに出発してくれ。一応紙と路銀は渡しておく」

「えっ?」

「帝国の命運がかかっているのだ!我が息子よ、苦難の道のりだろうが、余は信じているぞ」

 

 そこから先は早かった。粗末な旅衣と僅かばかりの路銀、それから使い慣れた長槍を渡され、門前には老いた牝馬が1頭だけ用意されていた。

 

「護衛とかいないの?」

「おりません」

「なんで!?」

 

 惨状と言っていい。護衛はいない一人旅。与えられた馬は既に少し息切れを起こしていて、路銀は雀の涙ほど。

 

(これが今この国の絞り出せる限界なのか?あるいは、この期に及んで物事の優先順位を読み間違えているのか......)

 

 ベンジャミンは内心肩を落とした。

 

「陛下が、それほどまでに殿下の力量に信頼を置いていらっしゃるのかと」

「そういう問題じゃないと思うんだけど」

「......殿下の御無事を、無力ながらお祈りしております」

 

 裏門まで見送りに来たメイドの切り火を背に受けて、いやいやながらベンジャミンは旅立った。この出発が、日陰で死ぬはずだった彼の人生を劇的に変えることも知らずに。

 

 長い長い闘争の、その最初の一歩を踏み出した。

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