死にかけ弱小没落帝国を蘇らせる、たった一つの冴えたやり方   作:リバプールおじさん

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第3話 馬上で出来るアイサツ

「えぇ?」

 

 素っ頓狂な声が、ベンジャミンの口から漏れた。もっと奴隷じみた労働をさせられることを覚悟で答えたのだが、肩透かしを食わされた気分だ。

 

 しかしバンダールの方は笑いながら首を横に振った。「お前はこのお願いの難しさを理解できてない」とでも言いたげだ。

 

「あれの子守はなかなかハードだぜ?なにせ人とあまり話したがらないからな。そのくせ移動しまくりなんで疲れるぞ」

「やります!」

 

 身を乗り出して答えたベンジャミンの声は弾んでいた。

 

「ナンパでもしたらお前殺すからな」

「しないです」

 

 なんのことはない、ベンジャミンは単純に同年代の友人に飢えていただけである。

 

 兄弟とは疎遠、身の回りの世話をする人間も年上ばかり。1つ上の乳母兄がいる程度。彼は同年代との会話に飢えていた。

 

「なら良いや、ふぅ」

 

 一息ついて落ち着けたバンダールは、人好きのする朗らかな笑顔を取り戻し、その浅黒く焼けた手を差しだした。

 

「よろしく頼むぜ」

「こちらこそ、世話になります」

 

 ベンジャミンもそれに応え、2人はテントの中でガッチリと固い握手を交わした。

 

「にしても、厚い手してんなぁ。強いだろお前」

「バンダールさんこそ。昔なんかやってました?」

「......2人とも、なにしてるの」

 

 いつの間にか帰ってきていたアルメチカが、冷めた目で2人を見下ろしていた。

 

 

********

 

 翌日。

 

「なんか手伝えること......ないですか?」

「ないです」

 

 手をこね回しながらお伺いを立てたベンジャミンは、にべもなく断られ撃沈した。

 

 ベンジャミンとしては朝一番に起きたつもりだった。しかし、旅の疲れとオイドリス人の朝の速さを見くびっていたせいで見事に寝坊してしまったのだ。

 

 彼が起きた時、すでにストーブの上には彼のための黒パンが置かれていた。耳の後ろを濡らす嫌な汗を拭いて外に飛び出すと、既にキビキビと働くアルメチカと目があった......。

 

(くそう、ここでも世話されっぱなしとかシャレになんないぞ)

 

 皇子のくせに、自分のことは自分でやらないと気が済まない面倒な男である。

 

 住み込みで働くメイドが世話を焼いてくるのは仕事だからと言い聞かせ、ギリギリ我慢をしてきた彼だったが、ここでは彼の方が住み込ませてもらっている立場だ。持て余した暇を我慢できるはずもない。

 

「なんでもいい、なんでもやるから!」

「......分かりました。じゃあ、馬、洗ってくれますか?」

 

 彼女が指差した先にいたのは2頭の馬。ベンジャミンと共に来た芦毛の老牝馬と、立派な馬体をした黒鹿毛の若い牡馬。

 

「ま、前から洗ってください。後ろから行ったら、死んじゃいますから」

「あぁ蹴られてね......気を付けるよ」

 

 なみなみと水の入った桶をアルメチカから受け取り、なるべく刺激しないよう慎重に近付く。そして馬のすぐ脇に桶を下ろした時、ベンジャミンは悲鳴を上げた。

 

「うわっ」

「だ、大丈夫ですか?」

「めっちゃデカいアブいる」

「......人は噛まないですから、さっさと洗ってあげてください。馬、アブ嫌いなので」

「追い払えと?」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で、アブを追い払いながらベンジャミンはタオルを水に浸した。そして、固まった。

 

(......馬ってどこから洗うんだ?)

 

 洗い方を知らないのである。城にいたころも乗馬はよく嗜んでいたが、ひとしきり乗り回した後は馬子に返してそれっきりだったからだ。

 

(よく考えたら、なんで俺が乗った馬の後始末を他人に任せてるんだ?)

 

 そんなもの「皇子だから」の一言で終わってしまいそうな疑問である。

 

 しかし彼はそういう短絡的な結論を出すことを好まなかった。それに、彼が長年感じ続けているこの疑問への解答は、ピンチを切り抜ける鍵になるかもしれない。不思議なことだが、そういう予感があった。

 

(おっといけない、今1番大事なのは馬の洗い方だ)

 

 アホみたいに突っ立っているままの自分に気がつき、とりあえずもう一度タオルを漬けた。

 

 さて、どこから洗うべきなのか。

 

(まぁ普通頭からだろ)

 

 普段自分が洗い始める場所を思い出し、タオルをかけようとした時である。

 

「あっ......!」

「えっ違う?」

 

 アルメチカの出した小さな悲鳴に、手が止まった。

 

「違うのね?ごめん俺初めてで」

「えっと、急に洗うとビックリしちゃうから、まず足元から洗ってあげるんです......い、一緒にやりましょうか。ボク、タオル取ってきますねっ」

 

 小走りでテントの中へと消えたアルメチカの背中を見て、ベンジャミンは1人つぶやいた。

 

「俺、すげぇ役立たずじゃん......」

 

 いつの間にか隣に寄ってきた老牝馬が、慰めるように鼻面を擦り付けてきた。

 

 

 

「ま、まず足元からです。それから首と背中です。こ、この子たちが、ビックリしちゃうから、頭はよく絞ったタオルじゃないとダメです」

「なるほど」

 

 隣で拭き始めたアルメチカのアドバイスを受け、見よう見まねでタオルを動かすベンジャミン。チラチラと彼女の様子を伺っていると、思いの外近くにある顔に気がついた。

 

 マフラーの陰から覗く小さな口は少しだけ微笑み、大きな丸い青目は優しげに細められている。輪郭を探るように撫でる手つきからも、彼女が慈愛を持って馬に接しているのが伺えた。

 

「......好きなんだね、馬が」

「えっ?」

「いや、あんまり楽しそうなもんで......ごめん、忘れてください」

 

 それは無意識のうちにベンジャミンの本心から溢れた、嘘偽りのない言葉だった。

 

(絶対やらかしたわこれ)

 

 だが、黙って手を動かすべき時にどこ見てるんだと詰られても言い返すことはできないだろう。

 

 重苦しい沈黙が2人の間を流れる。ベンジャミンはきっちり口を結ぶと、黙って作業に没頭し始めた。

 

 

 

 しばらくして。洗われピカピカになった2頭の馬と、妙に黙り込んだ2人が残った。

 

 軽やかな足取りで放牧先の草原へと駆けていく2頭を見送ったあとも、2人の間にはしばらく静かな時間が流れた。

 

(あぁ......良い景色)

 

 ベンジャミンは現実逃避をしていた。

 

 グランパナン高原の北東に聳える天蓋山脈。

 大陸中央に鎮座するこの山脈は、当然ラグリット城の窓からも見ることができたが、近くで見ればまた格別の存在感だ。

 青く霞む無骨な岩壁、隙を縫うように残った白い雪渓、そこから時折吹き下ろす、清冽な東風......。

 

(決めた。隠居したら、こういうところに住もう)

 

 隠居するまで生きていられるか、という重大事も忘れて、ベンジャミンは目の前の景色をぼんやりと眺めていた。

 

 その時。

 

「あ、えっと......好き、です。馬......」

「えっ?」

 

 咄嗟に出かかった「今?」という言葉を、ベンジャミンは済んでのところで飲み込んだ。

 

 なにせ口を滑らせて、質問をしてからもう2時間ほど経っているのだ。それに、今の今までずっと考えるような真摯さが必要な質問でもない。

 

 だいぶ困惑しながらも、ベンジャミンはなんとか話に乗ることが出来た。

 

「好きぃ......なんだ?」

「は、はい。あの、速くて力も強いのに、すごく優しいところとか......あとあと、どの子も一人一人個性があって、それを『分かってるよ〜』って接してあげると、喜んでくれるところとかが......好き、です」

 

 どうしよう、思ったよりガチの回答が来ちゃった。

 

 彼女の馬に注ぐ情熱を見誤った己を、ベンジャミンは恥じた。

 

 単なる世間話のつもりだったが、アルメチカにとって、馬とはきっと単なる騎乗したり乳を絞るだけの動物ではないのだ。一蓮托生のパートナー、人生を共に過ごす伴侶のようなものなのだ。

 

「......丁寧、なんだな」

「え?」

「ずっと答えを考えてくれて、馬のこともよく見てて、洗い方も綺麗で......凄いなって。ちょっと羨ましい」

「そ、そんなこと、ないです。人より頭が悪いから、時間がかかるだけで......」

 

 謙遜して背を縮こませるアルメチカ。

 しかしベンジャミンは確信した。目に前にいる少女が、自分の持っていない、なにか魅力的なものを身に付けていると。

 

「なぁ、俺にもっと色んなこと教えてくれないか?」 

 

 ラグリット一族には、共通の特徴がある。ルビーのようとも称えられた、紅い瞳。

 

 彼は今、その目を好奇心と尊敬に輝かせてアルメチカに頼み込んだ。

 

「えっ!?べ、別に私でいいなら......いいですけど、も」

「ありがとう!」

「ひぇえっ!?」

 

 感激のあまり、アルメチカの白い手を両手で握ったベンジャミン。彼女は素っ頓狂な悲鳴で答えた。

 

「あ、あの......昨日もしてたけど、これが挨拶なんですか?」

「え?うん。握手だけど」

「ボクたちやらないです、これ」

「うそ?」

「こう、です」

 

 そう言ってアルメチカは、軽く握った拳を控えめに突き出した。ベンジャミンもそれを真似た。

 

「こう?」

「そうです。そして、こう」

 

 こつん、と拳が触れ合った。

 

「......へぇ、賢くなっちゃったぜ」

「ふ、ふふふっ」

 

 口元のマフラーを空いたほうの手で抑え、アルメチカは笑った。

 

 2人の間で交わされたのは、単なるグータッチだ。しかしベンジャミンの拳には、なぜか妙に軽く当たった感触が残り続けた。

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