決戦! 昭和ゴジラで最も人気が高い作品はどっちだ! 作:昭太郎
◇◇◇ 人気とは何か ◇◇◇
■夜。薄暗い僕の部屋。
僕は今、万年床に寝そべりながら、昼間の社長とのやり取りを思い返している。不機嫌になった社長の顔が浮かぶ。社長の中止提案を蹴ったのだから、当然の反応だ。
まずかったかな……。まさか会社をクビになったり……。
いや、それはないと思うのだが。
だが、僕は定年までそれほど遠くない。クビならクビでもいいかもしれない。退職金の少ない会社だし、ゼロになったところで、それほど痛手でもない。
あの社長がそこまで理不尽なことをするとは思えないが、仮にそうなったとしても、僕の人生にそれほど大きな変化があるわけでもなかろう。
僕は単に、会社生活の終盤間際で、ちょっとくらい冒険をしてみたかった。それだけだ。気にしないことにしよう。
*
さて、これから「駆け引き」に勝つための論理を構築しなければならない。
まずは「人気とは何か」である。
一般的に「人気」とは、多くの人から好かれ、支持や注目を集めている状態、あるいはその度合いを指す。
支持と注目。その分かりやすい指標が「観客動員数」だ。
昭和三十七年の『キングコング対ゴジラ』は、延べ1,255万人から好かれた。
昭和三十九年の『モスラ対ゴジラ』は、延べ722万人から好かれた。
数字の上ではそういうことになるのだが……。
ちなみに、東宝サイトの公式動員数を調べてみると、作品の順位は次のようになっており、『モスラ対ゴジラ』は四位に甘んじている。
1.昭和三十七年『キングコング対ゴジラ』が1,255万人。
2.昭和二十九年『ゴジラ』が961万人。
3.昭和三十年『ゴジラの逆襲』が834万人。
4.昭和三十九年『モスラ対ゴジラ』が722万人。
まずい! 僕は驚愕した。
これでは、僕が主張する『モスラ対ゴジラ』が、『キングコング対ゴジラ』はおろか、それ以前の過去作品よりも人気が低いことになってしまう……。
だが、これらを物語として捉え直してみたらどうだろう。比較することを目的に、あえて「非常に粗い独自のあらすじ」に仕立て上げてみる。
1.ゴジラとキングコングが現れて街を蹂躙し、二匹は激突。引き分けのままキングコングは去り、ゴジラは行方不明となった。
2.ゴジラが現れて街を蹂躙したが、一人の科学者の手によって淘汰された。
3.ゴジラとアンギラスが現れて街を蹂躙し、二匹は激突。アンギラスは倒され、ゴジラは幽閉された。
4.ゴジラが現れて街を蹂躙。新聞記者がモスラの派遣を要請し、成虫モスラが来てゴジラと激突したが、成虫モスラは倒される。しかし、直後に生まれた幼虫モスラたちが再びゴジラと激突。勝利したモスラたちが去り、ゴジラは行方不明となった。
こうして並べると、「1」と「3」の構造が酷似していることが分かる。極端な話、キングコングとアンギラスを入れ替えるだけでどちらの物語も成立してしまうのだ。
それなのに、「1」は1,255万人で、「3」は834万人。ここには大きな開きがある。そして「3」の数字は「4」の722万人に近い。
だとするならば、1,255万人という突出した数字は物語のクオリティによるものではなく、ひとえに「キングコング」という世界的キャラクターの人気がもたらしたもの、ということになる。
もしも「1」がキングコングではなく、名もなき新怪獣〇〇を据えた『〇〇対ゴジラ』だったとしたら、おそらく「3」と同等の834万人程度に落ち着いていた可能性が高い。
この事実は僕にとって強力な武器になる。社長に対して、「あの1,255万人という数字は、純粋なゴジラ映画としての人気ではなく、単なるキャラクター人気のメッキに過ぎない」と説得する材料にできるはずだ。
では「2」、すなわち昭和二十九年の『ゴジラ』はどうだろうか。動員数は961万人。社長の息子が最高傑作と評価している作品だ。
最高傑作というからには、動員数のことではなく、物語の内容そのものを指しているはずである。
上映当時は戦後からまだ十年も経っておらず、戦争の傷が癒えていない時代だ。
そのため、この作品は、強烈なメッセージ性を持つ反戦映画となっている。
「原水爆を使用すれば、これほど凄惨な事態が起こる」という恐怖を描いた映画であり、決して気楽な娯楽映画ではない。
ならば、961万人という数字は、純粋なエンタメ作品としての人気を表したものではない。「未知の恐怖」に対する大衆の好奇心、それが集まった結果に過ぎない、ということになる。
日本人が制作した初めての巨大怪獣映画。この前代未聞の映像を一目見てみたいという、強い大衆心理が働いた結果だと僕は推測する。
初代『ゴジラ』は国際的にも非常に評価が高い。なぜか。理由は明快だ。この作品が記念すべき第一作だからである。ゼロをイチにしたからだ。しかもその評価の多くは、上映当時の人気ではなく、後年の再評価、つまり近年の人気によるものである。
「初めてのもの」は、とかく神格化されやすい。万物は神から始まったとする宗教が存在するように、宗教以外の分野でも、起源となったものを特別視すべきだという固定観念が蔓延(はびこ)っているのだろう。
そう考えると、これも社長への反論材料になる。「961万人という数字は、ゴジラ映画としての人気ではなく、社会派の反戦・恐怖映画を観たがった大衆の好奇心を反映した数字に過ぎない」と説得する材料にできそうだ。
「3」の『ゴジラの逆襲』は、その翌年に公開された作品だ。前作の熱狂が冷めやらぬうちに公開されたため、動員数は前作からわずかに下がった834万人に落ち着いたのだろう。
同時に、日本初の「怪獣対決映画」という新たなエンタメ性が大衆に好まれた結果の数字、とも分析できる。
――さて、出揃った。
これらを総合して考えれば、昭和二十九年から昭和三十九年までの十年間において、「観客動員数という数字は、純粋な作品の人気度を測る物差しにはなり得ない」と社長を説得できるだろう。
このロジックを土台にした上で、物語の内容そのもの、つまり『モスラ対ゴジラ』が持つ感動や面白さを他作品と比較しながら提示していけば、さすがの社長も反論できず、納得せざるを得ないはずだ。
何だ、簡単じゃないか。――これで勝ちは確定だな。
◇◇◇ 数字でないと勝てない ◇◇◇
■翌日、会社の執務室。
僕は後輩の田中に声をかけた。さすがに社長と「駆け引き」をしている最中だとは言えない。それを悟られないよう細心の注意を払いながら、彼自身の意見を探ってみることにした。
「田中君……確か前に、ゴジラが好きだって言ってただろ?」
「あっ……、はい……」
ちょうど昼休みに差し掛かろうという時間帯だ。僕のあまりに唐突な切り出しに、田中は「急に何ですか?」と言いたげな戸惑いの表情を浮かべた。
「昭和のゴジラシリーズの中で、君はどの作品が気に入っている?」
僕は単刀直入に尋ねた。
「昭和ゴジラですか……」
彼は僕より一回り年下の、いわゆる就職氷河期世代の後輩である。この世代特有の苦労人であり、社内での実務能力は僕よりもはるかに高い。
「子供の頃、ビデオをレンタルしてよく観ていました。個人的には『モスラ対ゴジラ』『地球最大の決戦』『怪獣大戦争』のあたりが好きですね。世界観が綺麗に繋がっている感じがして」
――驚いた。
てっきり平成ゴジラ世代だと思い込んでいた彼が、昭和ゴジラの物語を深く理解していて、しかも僕とほぼ同じ見解を持っていたとは……。
「そういえば、社長も昭和ゴジラが大好きみたいですよ。だいぶ前の飲み会の時に、社長とその話でかなり盛り上がったんです」
「へぇ……社長が」
僕はわざとらしく、すっとぼけた声を返した。
「社長も、ぼくと同じ意見だって笑っていました」
「でも社長は『キングコング対ゴジラ』推しのはず……」
「えっ?」
しまった! 口が滑った。
優秀な後輩が自分と同調してくれたものだから、完全に油断して、ついうっかり口にすべきではない情報を漏らしてしまった。
「『キングコング対ゴジラ』ですか……。確かに歴代最高の観客動員数ですよね。もしかしたらそれこそが、数字にこだわる社長の本音なのかもしれません」
「数字にこだわる……」
田中の口から出た不穏なワードに、僕は内心で焦り始めた。
「佐藤先輩は、社内で行われている『駆け引き』のことはご存知ですよね?」
「……ああ、一応、噂には聞いている。僕自身に経験はないが」
「ぼくの同僚も何人か『駆け引き』で社長に対決を挑んだみたいですが、結果は全敗でした。社長はとにかく数字を絶対視する人ですから、いくら熱弁を振るっても感情論は一切通用しません。どんな場合であれ、必ず明確な数字で根拠を示さないと、絶対に勝てないみたいです」
「……」
――数字で根拠を示さないと、勝てない。
僕は先ほどまで、観客動員数という数字は人気度を測る物差しにはならない、という結論を用意していた。その上で、『モスラ対ゴジラ』の物語の感動や面白さを真っ向から説明する予定だった。
だが、それでは駄目なのだ。それは数字の暴力を否定しただけで、肝心の「感動」や「面白さ」を数値化したわけではない。
まずい……。
感情論は一切通用しない。どうやら、どれほど中身が素晴らしくても、数字で根拠を示さないと、勝つことはできないようだ……。
しかし、映画の持つ感動や面白さを、一体どうやって数値に置き換えればいいのだろう……。