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【結 高校三年生 五月】
<星之宮の部屋>椿雪
「ずぶ濡れだね、ちょっと時間取れるかな」
「それは命令ですか?」
「命令じゃないよ。けど大事な事だから、ココアも出すし、あ、ケーキもあるよ」
ケーキ。
今は正直、誰とも話したくない気分だったが、その単語には、無視できない誘因があった。
「あぁ、でもごめん。今は話しかけない方がいいよね。ケーキは持たせるから」
「何ケーキですか?」
そんなことを聞いてしまう。
星之宮先生は「ショートケーキ、苺の大きいヤツ」と言った。
「今家に良い入浴剤あるんだよね~」
ピクリと私の何かが反応する。
「美容スクラブも、高級なヤツ」
「すくらぶ…?」
私たち高校生は買えるものが限られている。
ケヤキモールには一般的なものは売っているが、当然価格が抑えられた大衆商品が選定されていた。
ネット通販を使って高校生の購入範囲であれば手に入れることが出来るが、当然、プライベートポイントの中でという事になる。
私は「行きます」と言い、星之宮さんは「そうこなくちゃ」と反応し、彼女の寮へ歩いていった。
◇
「たまに帆波ちゃんも連れてくるんだよ」
と言った星之宮の部屋は広かった。
初めてみる大人の自室に感動していると、タオルを渡され風呂に入れられた。
高級スクラブとやらを試すと、肌がひりひりした。使用量が不明だったため、少し強くこすりすぎたらしい。ただ、洗い流した後は、表面が少し滑らかになった気がする。鏡に映る私は目が死んでいるのだが悪くない風貌だなと思った。
しかし鏡に映る自分は何割も増して見えるため信用するのは時期尚早だろう。
星之宮も洗う物があるようで、制服を洗濯し乾かしてもらう。制服が乾くまで、しばらくかかるらしい。
今日の用事はもう終わっているため、急いで帰る理由はなかった。
バッグの中身はどうしようかと考えたが、本は寝る前にでも読み、栞は図書館に届け出ることにした。
ワンピース型のパジャマを頭から被る。
下着は乾燥中だったが、女子同士なので大きな問題はない。ホワイトルームでは男女別の羞恥を教えられなかったため、私にはその辺りの感覚が少し欠けている。
「落ち着いた?」
コトリとマグカップを目の前に置かれる。
テーブルの上にアロマオイルが垂らされ鼻腔をくすぐる。
バッグも濡れていたため、中身を取り出し床にバスタオルを敷いて乾かされていた。
「はい、どうもありがとうございます」
彼女はもう一つのカップ、何かのバンドがプリントされたものと、ケーキを一つ持ち出してきた。
どうぞという声に合わせて私はケーキを食べた。
「先生は食べないんですか?」
「うん、私の分は食べちゃったの」
本当か嘘か分からないが、大人がそう言うのならば遠慮をする必要はない。
私も来年は大人の仲間入りを果たすのだが、彼女の持つこういった気遣いは、大人になったとしても身につけられるかどうか。
妹の桜子は私よりしっかりし、同級生をはべらせており心配の必要がないし。
私が彼女のように気を遣う人なんて、一人しかいない。
「一之瀬さんとは仲良いんですよね?クラス担任と、クラスリーダーですもんね」
「そうなの。上三つと結構離されているからね~。帆波ちゃんのプレッシャーも凄くて、盲目的に彼女を信頼するクラスメイト達の悪気のない悪夢ってヤツよ」
帆波ちゃんと話した時は、気にしていないと言っていた事を、彼女はこうやって星之宮に吐露していたのかもしれない。
ケーキの糖分が頭に響く。
幸せな気持ちになった。
「沖縄で知り合ったときは…5年以上前になるのね」
「はい、忘れていたんですか?機関との契約を優先して、接触しないとばかり考えていたんですが」
そう聞くと彼女は頭を振った。
「ううん、別に、真壁くんとは別れたからね。もう関係ないし」
その後、こちらを正面から見据えて言う。
「でも、やっと分かった。ジョーカーに…綾小路くんにこんな懐刀がいたなんてね。これでなぜあなた達四人に全校生徒のプライベートポイントが集まっているのかが合点がいったわ」
「…と言うと?」
なんとなく、先日読んだ推理小説を思い出す。
探偵役は彼女のように、種明かしをする。
教員の彼女は生徒が見るよりもずっと多くの情報を持つ。
「全校生徒のプライベートポイント保持者のトップランキングは、八神拓也、椿雪、天沢一夏…そして一之瀬帆波」
「帆波ちゃんもDクラスの金庫番をやっているらしいですね」
彼女はココアを一口飲んだ。
私も釣られてココアに口を付ける。
「不思議だと思ったのは一夏ちゃんたちの代が入学してきてからよ。クラスポイントが全体的に増えだしたの」
一クラスポイントで百プライベートポイントが毎月支給される。
千クラスポイントならば十万プライベートポイントである。
裏でこそこそと私たちが動いて来た事が、教師には露呈していたという事だろうか。
「でも、それはそれ。私たちの関係で話すことじゃないわね」
教師として生徒を詰めるつもりはないらしい。
そう、私たちはどんな時も言い訳や証拠を固めて遂行してきた。高度育成高等学校の生徒という範囲の中で。
ココアは甘くて美味しかった。
私から質問することもなく、彼女はAクラスの茶柱先生や、Cクラスの真嶋先生の話をした。
その合間に、清隆に関する話題もあった。
気が紛れたが、頭の整理が出来た。
相槌を打つだけで時間が過ぎていく。
たまにはこういう日も良いだろう。
*
翌日の放課後。
星之宮は一之瀬帆波に依頼して綾小路を呼び出してもらう。
DクラスとCクラスは協力関係を結んでいた。
「教師からの呼び出しなんて、目立つ行為はやめていただきたいのですが」
「話があるの」
空き教室の中に彼を入れて扉を閉める。
「何でしょうか」
沖縄の時の彼と比べる。
確かに、綾小路くんがそのまま成長した姿だと星之宮は思った。
「…やっと分かったわ。教師ですら分からなかった謎が」
いや、謎ですらなかった。
それほど彼らの行っていたことは巧みだった。
教師たちは、クラスポイントの違和感こそあれど、通常と比べて一・五倍もあるポイントに大きな疑問は持たなかった。
だが、見てみると良く分かる。誰が取捨選択をし、誰がポイントを操作しているのか。
二年生の後半で、坂柳クラスの弥彦くんが自主退学し、クラスポイントでCクラスに降下したのは彼らの意志だろう。同時期に葛城くんが龍園クラスに移動したことを考えると、彼らの目が学校全体に張り巡らされ、緻密に計算されたことであると分かるようになるのだが。
そう星之宮は考えた。
だが、綾小路は素知らぬふりをする。
どちらかと言うと、言っても言わなくても何も変わらないから、何も言わないというスタンスのようだ。
「忠告です。もしかしたら、雪ちゃんが退学するかもしれないの」
「雪…椿雪ですか?同じクラスの」
綾小路は星之宮との沖縄での件も忘れたふりをした。
ここではむしろ、生徒の方が大人の対応をしたと言える。
「あの子はね、子供の頃から、あなたのことだけは特別に扱っていたの」
「……椿が?」
綾小路の表情は変わらなかった。
知らないのか。
知っていて、知らないふりをしているのか。
星之宮には判別できなかった。
「雪ちゃんは、この三年間、あなたの知らないところで動いてた」
「何の話ですか?」
「体育祭の動画。橋本くんたちの噂。堀北さんと櫛田さんの関係。あなたが動かした後に残った、小さな問題」
「いくつかは把握しています」
「全部じゃないでしょう?」
「ええ」
「知られないようにしてたからよ」
綾小路は答えなかった。
「あなたに気づかれたら、自分への対応が変わる。だから、やったことも、使った時間も、何も残さなかった」
「椿なら、そうするかもしれません」
「どうして?」
「本人が必要だと判断したのでしょう」
「誰に頼まれたわけでもないのに?」
「それでもです」
星之宮は、昨日の雪を思い出した。
椎名ひよりを良い人だと評した声。
綾小路清隆が選ぶなら問題ないと答えた顔。
雨の中でメガネを外し、二人の背中を見ていた姿。
「雪ちゃんは、椎名さんのことを悪く言わなかった」
「ひより?なぜ彼女がここで出てくるんですか?」
「そうね。あなたが誰と何をしようが、関係ないわよね」
「ええ」
「でもね、あるわよ。言わせて」
星之宮の声が強くなった。
「雪ちゃんは、椎名さんがいるから諦めようとしてるんじゃない。あなたにとって椎名さんが必要なら、自分は不要になるって判断してるの」
「違いがありますか?」
「ある」
「どのような?」
「好きな人を取られたから離れるのと、好きな人の未来を完成させるために、自分を消すのは違う」
綾小路の視線が、わずかに動いた。
「椿が退学すると?」
「するかもしれない」
「根拠は?」
「もう、学校に残る理由を探してなかった」
「そうなんですね」
「教師を長くやってるとね、学校へ残る理由を探してる子と、去る理由を固めてる子の違いくらい分かるの」
綾小路は黙った。
「雪ちゃんは、あなたに選んでほしいんじゃない」
「では、何を望んでいるんですか?」
「たぶん、何も望まないようにしてる」
星之宮はそこで一度、言葉を止めた。
「あなたが選んだ未来から、自分だけを消そうとしてるの」
返答はなかった。
「椎名さんがいるから?」
「……教師には関係ない話題でしょう」
「ねぇ、雪ちゃん本人が望んでいるなら、受け入れるの?」
「本人の意思を尊重するべきだ」
「自分を最初から計算に入れていない人の意思でも?」
綾小路は星之宮を見る。
「それでも、本人の意志でしょう」
「あなたが止めれば、雪ちゃんの選択を否定することになる?」
「そうなりますね」
星之宮は反論できなかった。
綾小路の答えは正しい。
正しいからこそ、雪の計画と噛み合ってしまう。
「そう」
星之宮は小さく息を吐いた。
「なら、受け取るのね」
「何をですか?」
「雪ちゃんが、自分を消して作った未来を」
綾小路は答えなかった。
長い沈黙のあと、窓の外へ視線を向ける。
「椿が選んだことなら」
星之宮には、それ以上言えなかった。
やがて、時間を取らせたことを詫びる。
綾小路は教室を出ていった。
呼び止める言葉は、もう残っていなかった。
■□■□
時刻は前日に巻き戻る。
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【結 高校三年生 五月】
<星之宮の部屋>星之宮 雪の入浴中
床に敷いたバスタオルの上へ、雪ちゃんの持ち物が並んでいた。
濡れた端末。借りたばかりらしい本。ハンカチに包まれた何か。そして、縁のない銀色のメガネ。
教師として許される行為ではない。それでも、五年前に一度見逃したものを、もう一度見逃す気にはなれなかった。
私はメガネを手に取った。
右の蝶番の近くに、針で突いたような黒い点があった。
「やっぱりそういう事…」
メガネ越しに窓枠を見る。左右へ動かしても、線はほとんどずれなかった。少なくとも、視力矯正を目的とした度は入っていない。
そしてメガネを拭いた後バスタオルの上に戻してガラケーを立ち上げた。
やがて連絡帳から一人の人間の電話番号を表示させ、スマートフォンで番号を押す。
おもむろに電話をするが、失念していた。
こちらがブロックをしていた相手であった。
「く…面倒くさいわねぇ」
とりあえず電話番号を登録して、キャリアのHPから該当の電話番号のブロックを解除した。
相手は電話をして数コールで出た。
「お久しぶりです、星之宮です」
『やぁ、久しぶりだね。連絡を貰えるとは思っていなかったよ』
どの口が言うのか。
「真壁くん、聞きたいことがあるんだけど」
『うんうん、なんでも聞いてよ』
「椿雪ちゃんにカメラ付きのメガネを仕込んだ理由は?」
『…物騒なことをいうね。どういう事なのか詳しく聞いても良いかな?』
「とぼけないで。今も、見てるんでしょう?」
そう言ってみる。
彼は押し黙った。
どこまで言い訳して逃げ切れるかを計算しているのだろう。
少なくとも、あらかじめ用意していた言い訳はないらしい。
『オーケー、分かった。観念しよう。カメラ付きなのは確かだが、僕が見ている訳じゃない』
「やけに素直なのね」
『いや、もしメガネが君の手元にあって、解体でもしようものなら言い逃れが出来ないからさ。最近の警察は優秀だからね』
「目的を教えてもらえる?」
星之宮は相手の話に付き合う義理がないと判断した。
『そんなの、組織の守秘に関係することだ、おいそれとは教えてあげられないよ』
「そう、じゃあ一つだけ教えて?今監視をする人はいるの?いないの?」
奇妙な質問であった。
カメラは監視をするものがいて初めて成立する。
常に見張っている必要はなくとも、どんな犯罪をカメラに映したところで、監視者が有利にならなければ取付をする意味がないからだ。
真壁は逡巡した後で、教えてくれた。
『いないよ。今日、運用終了の連絡が来た』
「今日? 何時?」
『そこまでは言えない』
「役目を終えた理由は?」
『必要な観測結果が得られた。それだけだ』
「本当?」
『あぁ、信じてくれていい。いつか君にした、愛の告白に誓う』
昔なら胸をくすぐった言葉が、今は指先の脂のようにまとわりついた。
「分かったわ、ありがとう」と言って電話を切った。
さて。
星之宮は少し思い返してみた。
沖縄での件を思い出してから星之宮は雪の動向を探った。
彼女が綾小路くんの方をあまり見ないという事を知った。
彼をサポートするために、緻密な計算の上で行動していると分かった。
メガネは監視対象を見るためにあるのだろう。
ならば、綾小路を見るのが通常の指令なのではないか。
彼女は命令に背いたのではない。
命令に従っているように見せながら、映像から綾小路だけを消していた。
だが、それすら観測されていたのではないか。
清隆を見る少女が、清隆を見なくなる。
その変化まで含めて、彼らの欲しかった記録だったとしたら。
監視者は誰だったのだろう。
真壁は別れた後も、何らかの形で星之宮の動向を把握していたのかもしれない。かつて交わしたベッドの上での言葉を、彼だけが今も契約のように扱っている可能性もあった。
星之宮は椿雪の感情を沖縄合宿の後に報告をした。
その後の事は分からない。
真壁はどこで働いているのかを明かすことはなかった。
合宿の背後にあった機関が、幼い子供へ残虐な教育を施していたと知った後、真壁くんを問い詰めて別れて以来、私は記憶から抹消することが出来た。
なら、逃げられなかった椿雪はどう生きたのだろう。
そして、高校ではどう、動いていたのだろう。
点と点が徐々に線に繋がっていく。
いや、これは真壁くんや石田さんが決定したことではないだろう。
裏で人が動いている。
それは誰なのだろうか。
そこでふと、茶柱との会話を思い出した。
三者面談のときの話だった。
「綾小路の父親?いや、普通の父親だったぞ。人の良さそうな」と、そんなことを言っていた。
記憶の糸を辿る。
そういえば、もう一つ、あった筈だ。
そうだ。
「…そういえば、他のクラスのリストを見たがっていたな」
「クラスのリスト?」
「あぁ、あまり見せちゃいけないのは分かっているんだが、PC画面で操作するだけだから。で、あるクラスを見せた時に、少し固まったように見えた」
綾小路の父親は政治家らしい。
茶柱はその後、なんて言っていただろうか。
そうだ、確かに「坂柳のクラスを開いた時だった。椿という名前を見て、一度だけ画面へ顔を近づけた」と言っていた。
すると椿雪が今までしてきたことが見えてくる。
三年間、雪はメガネへ「平凡な椿雪」だけを映し続けた。
低すぎず、高すぎない成績。教室の端。当たり障りのない友人。清隆を見ない視線。椿雪の名前を見た時、やっと坂柳クラスだと分かるくらい、なんの変哲もない、地味な高校生活を。
それはなんのためなのだろうか。
生徒会である堀北や櫛田と絡むことはある。
客観的には優秀な生徒というのは難しいが、内申点を稼ぎ、推薦入学という道も辿ることが出来る。
そして、真壁は「役目を終えた」と言った。
これは本当だろうと星之宮は判断した。
本当なのだとしたら、次はどんな役目があるのだろうか。
むしろ、もう役目は永遠に終わるのだろうか。
星之宮は推測した。
気持ち悪い推測を。
──父は、清隆が誰を特別視するかを観測するため、清隆を見続ける雪を最適な観測地点にしたのではないか、と。
そして、清隆がひよりを自発的に選び、人間的感情の発生が確認できたと判断されたのではないか。
星之宮は吐き気を催した。
キッチンの蛇口を一杯に出し、顔を洗う。
アロマを炊いた。
おぞましい執念だった。
真壁の、元カレの星之宮への執念も肝が冷えるが、それよりも椿雪だ。
彼女は綾小路清隆を守ろうとした。
雪自身恋愛対象になることが、綾小路のためにならないと判断しての事なのか、どうなのかは分からないが。
彼女はきっと、清隆の恋を直接映したのではない。
清隆を見続けていた少女が、清隆を見なくなった。
その変化そのものを、彼らは観測結果として受け取ったのだ。
星之宮は、泣く資格が自分にあるのか分からなかった。
見たいから見る少女だった。
その視線をカメラにされた。
だから雪は、清隆を守るために、清隆を見ない少女になった。
星之宮は冷蔵庫からケーキを取り出した。
苺が一番大きいものを選ぶ。
それくらいしか、今の自分に雪へ返せるものはなかった。
洗濯機がガタガタと音を立て、乾燥を始める。
風呂から彼女が上がった音がした。
星之宮は、自分の顔をタオルで拭った。
雪に悟らせてはいけない。
星之宮は笑う準備をした。