猫カフェを後にした僕たちは、駅までの道をゆっくり歩いていた。
目の前に広がる夕暮れ。
オレンジ色に染まった街並みを眺めながら歩くこの時間は、不思議と落ち着く。
「夕方ですね」
「うん。あっという間」
もちろん僕の右手には、たえさんの左手が繋がったままだった。
もう今日だけで何度目だろう。
最初ほど驚かなくはなった。
……それでも、慣れたわけではない。
「今日は楽しかったですね」
「うん」
「猫たちも可愛かったですし」
「かわいかった」
たえさんは満足そうに頷く。
「でも」
「はい?」
「君も楽しそうだった」
「え?」
「よく笑ってた」
「それは……たえさんが楽しそうだったので」
「そっか」
それだけ言うと、たえさんは嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔を見るたびに思う。
この人は、自分がどれだけ人を幸せな気持ちにしているのか、きっと知らない。
電車へ乗り込むと休日の夕方ということもあり、車内はそこそこ混んでいた。
「たえさん、あそこ座れそうですよ」
だが、運よく二人並んで座ることができる。
「座れてよかったね」
「そうですね。運が良かったです」
電車が静かに走り出す。
今日の出来事を思い返しながら窓の外を眺めていると、隣から小さな声が聞こえた。
「うー」
「たえさん?」
「……眠い」
「ははっ、今日はたくさん歩きましたからね」
「うん」
短く返事をしたあと。
たえさんはこくり、と小さく頭を揺らした。
「寝ててもいいですよ。着いたら起こしますから」
「…………」
「……たえさん?」
返事はない。
次の瞬間。
こてん。
肩に柔らかな重みが乗った。
「……っ」
思わず息を呑む。
たえさんが僕の肩にもたれかかっていた。
「すぅ……、すぅ」
規則正しい寝息が聞こえる。
僕が言い切る前に本当に眠ってしまったらしい。
周りから見れば、ごく普通の恋人同士なのだろう。
けれど、当の本人はきっと、そんなこと何も考えていない。
「……困りましたね」
そう呟きながらも、肩を動かす気にはなれなかった。
起こしたくない。
それに安心しきった寝顔が、あまりにも無防備すぎる。
「僕の肩、眠りやすいのかな……」
瞬間、電車が大きく揺れる。
たえさんの身体が傾きそうになり、慌てて支える。
「ん……」
薄く目を開けた。
「あっ、起きちゃいました?」
「……ん、半分」
「半分ですか」
「うん」
まだ少し眠そうな声。
「まだ寝れそうなら、もう少し寝てていいですよ」
「うん。大丈夫」
しかし、たえさんは僕の肩から離れようとはしなかった。
「肩、痛くないですか?」
「全然平気」
「でも……」
「隣がいい」
「え?」
聞き返す。
「君の隣」
たえさんは眠たそうな目のまま、小さく笑った。
「安心するから。好き」
また、その言葉だ。
今日だけで何度、心臓を撃ち抜かれたか分からない。
「……それは光栄です」
「うん」
たえさんは満足そうに頷く。
そして、少しだけ身体を寄せ直した。
肩が触れ、腕が触れる。
その距離は近い。けれど、不思議と嫌ではなかった。
◇
目的の駅へ着き、二人で改札を出る。
空はすっかり夕焼け色だった。
「今日はありがとうございました」
「うん」
「僕もすごく楽しかったです」
「私もだよ」
短い返事。
だけど、その一言だけで十分だった。
帰り道。
たえさんは突然立ち止まる。
「どうしました?」
「あれ」
指差した先には、小さなペットショップ。
ショーケースの中では、うさぎがぴょんと跳ねていた。
「かわいい」
「そうですね」
目を輝かせるたえさん。
しばらく見つめたあとで、僕の方を見る。
「今度」
「はい」
「うちの子たちにも会ってほしい」
その言葉に、一瞬息が止まる。
さっきの猫カフェでの事を思い出した。
「本当に、いいんですか?」
「うん」
迷いのない返事。
「お母さんも会ってみたいって言ってた」
「そ、そうなんですね」
それを聞くと、ハードルが一気に上がる。
「オッちゃんたちも、きっと喜ぶ」
「……ありがとうございます」
嬉しかった。
恋人として、少しだけ、たえさんの日常へ踏み込める気がしたから。
歩き出そうとした、その時。
たえさんはまた自然に僕の手を握る。
「帰ろう」
「はい」
少し歩いてから。
たえさんがぽつりと呟いた。
「やっぱり」
「はい?」
「君といると安心する。胸が暖かい」
照れもなく、気負いもない。
思ったことを、そのまま口にしただけ。
それが花園たえだった。
そして、そんな何気ない一言が、誰よりも嬉しい。
僕は繋いだ手をそっと握り返す。
「僕もですよ。たえさん」
夕日に照らされながら歩く帰り道。
今日もまた天然な彼女に振り回されてしまった。
……でも。
そんなこれからの毎日も、きっと悪くない。