冒険者科の教官のジョンは、生徒の記録をまとめていた。
今日の
やっぱり今の1回生は異例の豊作。これならすぐに2回生に上がれるだろう。
さらにいくつかの記録を入力し終えると、ある数値が目にとまった。
<十字 宝希 15.00秒>
15秒ジャスト。史上初というほどの記録ではないが、12秒以上
12秒以上耐えて、あそこまで健全な状態を保てているのは初めて見た。衰弱はしているようだったが、狂ってはいなかった。12秒を超えると、あの賢王でさえ全裸になって踊り狂ったりと、一時的か永続的に精神に異常をきたすというのに、十字宝希はいつも通りの笑顔を浮かべていた。
彼の現状の戦闘能力は、貴種の足元にも及ばない。それでも、あの精神力に関しては非常に有用である。
特にタイプCの異界案件には、彼は切り札になり得るだろう。もし物理的な戦闘力が足りずに、この冒険者科を去ることになりそうなら、特別措置を使った方がいいかもしれない。
タイプCの異界案件は、心の強さがものをいう。山を砕く膂力があっても、海を割る魔法を使えても、強力なユニークスキルを持っていたとしても、心が弱ければタイプCの異界では養分になるだけだ。
そしてタイプCの異界案件は対処ができなければ、人類の無意識におぞましい呪いを残す。自分が対処に失敗したせいで、ダンジョンや異界といった危険な地では、その活動の様をネットを通じて配信しなければいけないという呪いができてしまった。さらにおぞましいことに、あの異界に挑んだ者以外、この変化に気づくことができるものはいない。
人の無残な死に様が平気でネットに拡散され、異界の化け物たちが映像に映ることで、人の認識を蝕み、時に視聴者を狂わせたり、命を奪ったりする。危険地帯の映像を無作為にネットに流すことは、道徳的にも、精神汚染の拡散的にも人々にとっていいことではないのは明らかなはずなのに、誰もそれを止めることはできない。おかしいと思うこともできないのだ。
「十字宝希」
考えながら、モニターにデータを入力し続ける。
モニターの端に映った。歪で不自然な黒点を見ないようにしたまま。
部屋の隅から聞こえてくる、不自然な息遣いに耳を塞いだまま。
部屋の戸を叩く幻聴に、聞こえないふりをしたまま。
「……はあ」
ため息を吐いて、ベッドに寝転がる。長く伸びた金色の髪がくすぐったくて、今日ばかりは鬱陶しかった。
「……」
胸にあるのは情けなさ。
『
お父様の教えを思い出した。
そうだ。私はやっぱり、宝希を侮っていた。ひたむきに努力をできる姿は評価していた。すごいやつだとは思っていた。でも、あくまで凡人なのにという前提がどこかにあった。決して自分たちには届かないだろうけど、頑張っていてすごいという傲慢があったのだと思う。
だから、
なんて傲慢で、視野の狭い女だ。
自己嫌悪が胸を貫いた。
「……」
謝罪できるほど、分かりやすい罪じゃない。彼を不快にしていなければ、不自然な謝罪になる。
久々に私はすっきり眠れない夜をすごした。
「おはようございます!フランさん!」
翌朝、食堂で会った宝希は、いつも通り太陽のような笑顔を私に浮かべてくれた。初めて会った時より、ずっと上手くなった笑顔。目の奥の黒を感じさせないさわやかな笑み。この笑顔を、宝希は
でも、昨日の私は限界を超えて
「おはよう、宝希」
視線が貫いた。宝希の瞳。彼の瞳がじっと私を見つめていた。
「僕、昨日は自主イコルをしていて疲れたので、今日はたくさん、ゆっくり食べちゃいます」
卵美味しそう!そう明るく呟きながら、朝食を皿に盛りつけていく。
「自主トレーニングでも
宝希の瞳と強く目が合った。黒い。けど、透き通った瞳。まるで心を深く見透かされているような気がした。
「えっへん。僕はフランさんが思うより、けっこうすごいんですよ!」
まあ、貴種の暴力にはかなわないんですけどね!殴らないでくださいね!宝希は明るくいった。そうだな。私は君のことを見誤っていた。でも、信じて欲しいんだ。君が
「うぉ、相変わらずびっくりするほど飯がうまい!」
いつも一分足らずで食事を終える宝希が、今日は普通の速度で食事をして、いつもより明るく、嬉しそうにしている。その姿を見ているだけで、心が少し癒された。
「ここのご飯、全部が全部、今まで食べたことがないほどおいしんですけど、フランさんのおすすめはどれですか?」
「おすすめか。そうだな。あそこの皿の、ミルヴァソースのホロホロ鳥なんかは絶品だぞ。美味しいし、タンパク質も豊富だ」
「うぉ……!やっぱ鶏肉は異世界でも筋トレメシ……!うめぇ!」
今日は宝希がトレーニングで疲れていて、ゆっくり食べているおかげで、たくさんたわいもない話ができた。やっぱり彼との会話は楽しい。何を言っても嬉しそうで、楽しそうだ。あの瞳の奥の黒いものが何を感じているのかまでは分からないが、それでも本当に楽しそうな彼の様子は、見ていて和む。
「よし、ごちそうさま!」
だから、このあいさつが私は少し嫌いになっていた。
「そうだ、フランさん!」
「ん?どうした、宝希」
珍しい。食事が終わればすぐに走って移動してしまう彼が、食後もこの場にとどまって私に話しかけてきた。
「今日の放課後、良かったら遊びに行きませんか?」
……え?
「僕、実はこの街をまともにまわったことがないんですよ。どこに何があるか分かりませんし、できるならフランさんのおすすめの飲食店とか、冒険道具のお店に行ってみたいなーって」
いや、でも……。
「宝希、私は君のことを……」
――宝希の人差し指が私の口に触れた。
宝希は微笑んでいた。
「僕と友達になりたいと初めて言ってくれたのは、フランさんが初めてなんですよ」
あ。
宝希は、分かってくれていたのだろうか。
「
宝希の手が私の手を掴む。あの時を再現するような握手。
「フランさんが思うより、僕はずっとあなたのことが大好きですよ!」
……。
……。そうか。そうか、君は。こんな私のことも、好きだと言ってくれるんだな。
「……中々照れることを言ってくれるじゃないか」
「素直なことには定評がありますから!」
「それだけ達者な演技でよくいうよ」
「真心はありますから……そこに愛はありますから!」
「まあ、それは感じるよ」
堂々と言ってくれる。言ってもいい冗談の境界ができてきたのだろう。まるで親友のような会話だ。
「いいよ。一緒に行こうじゃないか、お買い物。おすすめの店を教えるよ」
「やったぁ!あ、そういえばもしかして貴種ご用達のお店って、けっこうなお値段だったりします……?僕、実は結構無一文だったりするんですが」
「食事なら軽く5桁。道具屋なら、安くても7桁はいくぞ」
「しゅ、出世払いは許されますか……?」
「いいぞ。返さなくて。私たちは友達だろう?」
「ひぃい……!?タダより高いものはない理論……?」
「大げさだな。友達のためにはした金を惜しむつもりはないという、真っ当な理論だろう」
「あれ、もしかして貴種様って僕が思うより大金持ちだったりするやつ……?」
「当たり前だろう。私が持っている資産だけでも、債権の利息だけで一生働かずに生活できるぞ」
「ひぇぇええ……」
受け身な主人公も好きだけど、大好きと言われるより、大好きと言える主人公も格好いいよね。
最短ルートが分からないからこそ許される寄り道。でも、そんな寄り道に恋い焦がれていたんですよ。この主人公は。