影山家の夕食は、カレーだった。
霊幻新隆は、玄関先で帰るつもりだった。
少なくとも、影山家のインターホンを押すまではそう言っていた。
「ご両親に要点だけ説明して、あとは家族で話し合え。俺がいると、かえって意見を誘導することになる」
そう言っていた男は、現在、食卓の端に座ってカレーを食べている。
「霊幻さん、おかわりどうですか?」
「いやあ、すみません。では少しだけ」
「師匠、さっき二杯目でしたよね」
「お前、師匠の皿を数えるな。育ち盛りかもしれないだろ」
「師匠は大人です」
「大人にも成長期はある」
律がスプーンを止めた。
「横方向の?」
「律」
母にたしなめられ、律は「すみません」と言った。反省した顔ではなかった。
食卓には、影山茂夫、弟の律、両親、そして霊幻がいる。
モブの父は、先ほどから黙ってカレーを食べていた。話を聞いていないわけではない。むしろ聞いているからこそ、口を開く前に時間をかけて考えているらしかった。
母は最初に「学校の先生が家まで来るの?」と尋ねた。
霊幻が「正確には、来ようとしている段階です」と答えると、「どうして疑問形みたいな説明なの」と眉を寄せた。
そこから五条悟という男について、今日の地下通路で起きたことについて、そして東京都立呪術高等専門学校という聞き慣れない学校について説明した。
ただし、霊幻は地下通路で自分が化け物に引きずり込まれかけた部分を省略した。
モブが補足しようとすると、食卓の下で足を踏まれた。
今も右足の甲が少し痛い。
「要するに」
父がようやく口を開いた。
「茂夫には、普通の高校とは別の進路があるかもしれないという話ですか」
「向こうはそう考えているようです」
霊幻は皿を置いた。
「ただ、現時点では学校の実態も、教育内容も、生徒の安全管理も分かりません。名称からして不安要素が多すぎる。高等専門学校と言っていましたが、一般の高専と同じ制度かも怪しい」
「卒業資格は取れるんでしょうか」
母が言う。
「そこ、大事ですよね」
「大事です」
霊幻は大きく頷いた。
「戦えるようになります、はい卒業、では将来困ります。履歴書に『呪いを祓えます』と書いても、一般企業の採用担当は反応に困る」
「師匠は履歴書に何て書いてるんですか」
「相談業務全般」
「除霊じゃないんですか」
「一般企業向けに書くわけないだろ」
母が困ったように笑った。
父は笑わなかった。
「危険な学校なんですね」
「間違いなく」
霊幻の返答は早かった。
「今日来た男は、生徒が死ぬこともあると認めました」
母のスプーンが皿に当たり、小さな音を立てた。
律がモブを見る。
「兄さんは、その学校に行きたいの?」
「まだ、分からない」
「分からないって」
「律」
「だって、死ぬことがある学校なんでしょ」
律の声が強くなる。
「普通の高校に行けばいいじゃないか。兄さんはもう受験も終わってるし、入学する学校も決まってる。今さら、知らない人に力があるから来いって言われて、行く必要なんてない」
「まだ行くとは言ってないよ」
「でも迷ってる」
モブは答えなかった。
律は昔から、兄の沈黙を読むのが得意だった。
モブ自身より早く気づくことさえある。
律の目は、怒っているように見えた。
その怒りが誰へ向いているのか、モブには分からなかった。
五条か。
呪術高専か。
霊幻か。
それとも、きっぱり断らない自分か。
「今日のものは、今まで会った悪霊と違った」
モブはゆっくり言った。
「死んだ人じゃなかった。人の嫌な気持ちが集まって、勝手に動いていた」
「だから?」
「同じものが、ほかにもいるらしい」
「だから兄さんが行かなきゃいけないの?」
「そういうわけじゃないけど」
「兄さんは、そういうふうに考えるだろ」
律の声が低くなる。
「自分なら助けられるかもしれないって。力があるのに、何もしなくていいのかって」
モブは律を見た。
律は目を逸らさなかった。
「それで、また全部自分でやろうとする」
「全部とは思ってないよ」
「思ってなくても、やるんだよ」
食卓の空気が重くなった。
父が口を開こうとしたとき、霊幻が先に言った。
「律の言うことは正しい」
律が霊幻を見る。
「珍しいですね」
「お前、俺を何だと思ってる」
「今はそれ、どうでもいいです」
「そうだな」
霊幻は背筋を伸ばした。
「モブ。お前は、自分で全部やらないと言う。ただ、困っている奴が目の前にいると、結局は引き受ける。力があるからだ」
「はい」
「それは長所でもある。だが、力がある奴が何でもやるようになると、周りは何もしなくなる」
モブは黙って聞いた。
「今日の男が信用できるかは別として、一つだけ正しいことを言っていた。力の使い方を知らない方が危険な場合はある。お前は自分で加減を覚えてきたが、それがどこでも通用するとは限らない」
「師匠は、行った方がいいと思ってるんですか」
「まだ判断できない」
霊幻は即答した。
「俺は、知らない学校に子供を預けるほど楽天家じゃない。だからまず見る。授業、寮、教師、生徒、任務の仕組み。危険を断れるのか。保護者への説明があるのか。怪我をしたときの補償はどうなるのか。全部確認する」
「補償」
母が呟いた。
「そこまで危険なんですか」
「危険であることを隠す相手より、危険だと言う相手の方がまだましです。ただし、正直だから信用できるとは限りません」
霊幻は母へ向き直る。
「見学をしたからといって、入学する必要はありません。向こうの話を聞いた上で、断ればいい」
「向こうが断らせてくれるんですか」
父の質問だった。
霊幻は少しだけ目を細めた。
「それを確かめるためにも、俺が同行します」
「師匠が?」
「当然だ。モブ一人で行かせるわけにいかない」
「でも師匠は、呪術師じゃないですよね」
「お前まで向こうの言葉を使うな」
「危なくないんですか」
「危ない場所で大人が子供の後ろに隠れてどうする」
『地下では思いっきりモブの後ろにいたけどな』
エクボが冷蔵庫の上から言った。
家族には聞こえていない。
モブは視線だけを向ける。
『何だよ。事実だろ』
霊幻はエクボの存在に気づかないまま続けた。
「それに、ああいう相手との話し合いは、モブだけでは不利です」
「どうしてですか」
「強そうな奴が、話し合いまで公平とは限らないからだ」
律が小さく息を吐いた。
「それは、僕も行った方がいいんじゃないですか」
「律」
母が名前を呼ぶ。
「僕も兄さんと同じものが見える。超能力だって使える」
「駄目だ」
モブはすぐに言った。
律の眉が動く。
「兄さんは行くかもしれないのに?」
「僕も、見学するだけだよ」
「だったら僕も見学だけでいい」
「危ないかもしれない」
「兄さんがそれを言うの?」
律の言葉が刺さった。
モブは返せなかった。
「兄さんは、僕が危険なことに関わるのは嫌なんだろ。でも自分ならいいと思ってる」
「そうじゃない」
「同じだよ」
「律」
今度は父が止めた。
律は口を閉じた。
しかし、目は伏せなかった。
モブの胸の中に、重いものが溜まっていく。
心配されているのは分かる。
律が怒る理由も、たぶん分かる。
それでも、自分が何を言えばいいのかは分からなかった。
行きたいわけではない。
戦いたいわけでもない。
ただ、今日の地下で感じたものが、今も手のひらに残っている。
あれは、人間から生まれた。
誰か一人の悪意ではない。
毎日の小さな苛立ちや恐怖が、誰にも気づかれないまま積み重なり、人を襲うものになった。
そんなものがほかにもある。
それを知ってしまった。
知らなかった頃と同じようには、考えられない。
「僕は」
モブは言った。
全員の視線が集まる。
「自分の力を使いたくないと思うことがあります」
律の表情が、わずかに変わった。
「怖いからです。失敗すると、誰かを傷つけるかもしれない。使いすぎると、自分が変になるかもしれない」
言葉にするたび、胸の奥が少しずつ痛くなった。
「でも、使わなかったせいで誰かが傷つくのも怖いです」
父も母も黙っている。
「どっちが正しいのか、僕には分かりません。だから、知らないまま断るんじゃなくて、見てから決めたいです」
「兄さん」
「律が心配してくれているのは分かってる」
モブは弟を見た。
「でも、律が決めることじゃない」
律の目が見開かれた。
モブ自身も、口にしたあとで驚いた。
言い方が強すぎたかもしれない。
訂正しようとして、やめた。
間違ってはいないと思った。
律は兄を守ろうとしている。
けれど、自分の進路を決めるのは自分だ。
そのことまで譲れば、きっと後で律のせいにしてしまう。
それはしたくなかった。
「……分かったよ」
律はスプーンを置いた。
「ごちそうさま」
椅子を引き、立ち上がる。
「律」
母が呼び止めたが、律は振り返らなかった。
「部屋にいる」
階段を上る音がする。
一段ずつ、普段より少し速い。
モブはその音を聞いていた。
追いかけるべきだと思った。
だが今行けば、謝ることしかできない気がした。
謝れば、言ったことまで取り消すことになる。
「茂夫」
父が静かに言った。
「見学には行きなさい」
母が父を見る。
「あなた」
「何も知らずに反対しても、茂夫は納得できないだろう」
父はモブへ視線を戻した。
「ただし、一人では行かないこと。霊幻さんと、できれば私も行く」
「お父さんも?」
「学校の話ですから」
「平日になるかもしれません」
「仕事は調整する」
母はまだ不安そうだった。
「私は、反対よ」
モブの胸が少し沈む。
母は続けた。
「でも、見学することに反対じゃない。危ない仕事をさせる学校に行くことに反対なの」
「うん」
「普通の学校に行って、普通に友達を作って、部活をして……そういう生活じゃ駄目なの?」
モブは答えられなかった。
普通の生活をしたい。
それは本当だった。
肉体改造部の皆と過ごした時間は、超能力とは関係のない自分を認めてもらえた時間だった。
走るのは今でも苦手だ。
筋肉も、それほどついていない。
それでも、続けたことには意味があった。
高校でも、そういうものを見つけたいと思っていた。
「駄目じゃないです」
モブは言った。
「僕も、普通の高校に行きたいと思っていました」
「今は違うの?」
「分かりません」
母は困ったように目を伏せた。
霊幻が口を開く。
「お母さん。見学したあとで、本人が普通の高校へ行くと決めたなら、それは逃げたことにはなりません」
「分かっています」
「モブもだ。力があるから、その学校へ行かなければならないわけじゃない。断るのは悪いことじゃない」
「はい」
「助けられる人を全部助けようとするな。そんなことは、どんなに強くてもできない」
霊幻は、少しだけ視線を逸らした。
「できないことを認めるのは、何もしないこととは違う」
モブはその言葉を聞きながら、二階を見上げた。
律の部屋から物音はしない。
◇
食事のあと、霊幻は影山家の電話を借りて五条へ連絡した。
番号は、五条が相談所の机に残した名刺に書かれていた。
名刺には肩書きと携帯番号のほかに、手書きで「最強」と書かれていた。
「自分で書いたんですかね」
父が言った。
「そういう種類の人間なんでしょう」
霊幻は番号を押した。
三回目の呼び出し音でつながる。
『もしもし。入学希望?』
「どうして俺の番号だと分かった」
『非通知じゃなかったから』
「俺の番号は知らないだろ」
『さっき調べた』
「今すぐ削除しろ」
『冗談だよ。名刺にかけてきたんだから、だいたい分かるでしょ』
「声で判断した可能性を先に言え」
『それで、見学?』
霊幻は露骨に嫌な顔をした。
「話が早すぎるんだよ、あんたは」
『時間は大切だからね』
「生徒を危険な任務に出す学校の人間が言うと、別の意味に聞こえるな」
電話の向こうで、五条が少し笑った。
『ご両親は?』
「父親も同行する。母親は保留だ」
『弟君は?』
霊幻の目が細くなる。
「どうして弟のことを知ってる」
『家族構成くらいは』
「調べるなと言っただろうが」
『彼も力があるんでしょ』
霊幻は答えなかった。
そばで聞いていたモブの表情が固まる。
電話の向こうの声は、相変わらず軽かった。
『別に勧誘しないよ。今のところは』
「今後もしない」
『それは本人次第じゃない?』
「十五歳の本人に任せれば何でも正当化できると思うなよ」
父が霊幻を見る。
モブは何も言わなかった。
『じゃあ、日時を決めようか』
五条は話題を切り替えた。
『明後日の午後。学校を案内する。授業、寮、訓練場、それと在校生にも会わせる』
「任務の仕組みも説明しろ」
『もちろん』
「生徒が断れるのか。教師が同行する基準は何か。怪我をした場合の治療費、後遺症への対応、死亡した場合の補償。学校教育法上の扱い。一般科目。卒業後の進路。全部資料を用意しろ」
数秒、沈黙があった。
『霊とか相談所って、普段そこまで説明してるの?』
「うちは未成年を死地に送らない」
『手厳しいなあ』
「用意できないなら、見学は中止だ」
『分かった。用意する』
返事が思ったより早かった。
霊幻の眉が、わずかに動く。
「それと」
『まだある?』
「見学中、モブに戦闘をさせるな」
『訓練も?』
「本人が希望しない限りは」
『能力の確認は必要だよ』
「必要なのはそっちの都合だろ」
『影山君自身の安全にも関わる』
「なら、何をするのか事前に説明して、本人と保護者の同意を取れ」
今度の沈黙は少し長かった。
『……分かった』
五条の声から、冗談めいた調子が消えていた。
『約束する』
「録音したからな」
『してないでしょ』
「今からする」
『もう約束した後じゃん』
「明後日、午後一時だ。場所を送れ」
『迎えに行くよ』
「来るな。住所を知られる」
『もう知ってる』
霊幻は電話を切った。
そのまま数秒、受話器を見つめる。
「師匠」
「何だ」
「五条先生は、悪い人ですか」
「分からん」
「強いですか」
「たぶんな」
「師匠より?」
「比較する分野が違う」
「戦ったら?」
「俺は教育者として戦ってる」
『完全に負け惜しみじゃねえか』
エクボが言った。
霊幻は聞こえていないはずなのに、なぜか腹立たしそうに天井を見た。
◇
二階へ上がると、律の部屋の扉は閉まっていた。
モブは三回、ノックした。
「律」
返事はない。
「入っていい?」
「駄目って言ったら入らないの?」
「うん」
少し間があった。
「じゃあ、いい」
拒否なのか許可なのか分からなかった。
モブは扉の前で待った。
やがて内側から鍵が開く。
律は机の椅子に座り、モブを見なかった。
「見学、行くんだ」
「うん。明後日」
「そう」
「さっきは、ごめん」
律が顔を上げる。
「何に謝ってるの」
「言い方が強かった」
「言ったことは?」
モブは考えた。
「取り消さない」
「じゃあ謝らなくていいよ」
律の口調は冷たかった。
だが、完全に拒絶しているわけではない。
扉を開けた。
話を続けようとしている。
「律が決めることじゃないって言ったけど」
「事実だろ」
「うん」
「兄さんのことは、兄さんが決めればいい」
律は机の上に視線を落とした。
「僕は、兄さんがまた無茶をするのが嫌なだけだ」
「無茶はしないよ」
「それ、何度目?」
モブは答えられない。
「兄さんは昔より、自分の意見を言うようになった。それはいいと思う」
律はペンを指で回した。
「でも、自分で決めることと、一人で抱えることは違うから」
「分かってる」
「分かってないから言ってる」
「……うん」
律はペンを止めた。
「僕も、今日のやつを見たかった」
「どうして?」
「兄さんが見たものを、僕も知りたいから」
「危ないよ」
「またそれ?」
「でも」
「僕は兄さんより弱い。それは分かってる」
律の声に、昔のような刺々しさはなかった。
劣等感を隠すための言葉でもない。
「だから行かない。でも、何があったかは教えて」
「うん」
「向こうの学校で、兄さんの力を変だと言われても、気にしないで」
「変なのは本当だよ」
「そういう意味じゃない」
律は少しだけ笑った。
「兄さんは、呪術師になりたいの?」
「まだ分からない」
「そうだと思った」
「律は、行ってほしくない?」
律はすぐには答えなかった。
窓の外から、車の走る音が聞こえる。
「行ってほしくない」
律は言った。
「でも、兄さんが自分で決めたなら、止められない」
モブの胸に、鈍い痛みが走った。
許されたわけではない。
納得されたわけでもない。
それでも、律は自分の意見を言った上で、モブの選択を認めようとしている。
「ありがとう」
「まだ何も認めてないよ」
「うん」
「入学したら、認めないかもしれない」
「うん」
「毎日連絡して」
「まだ入学してないよ」
「した場合の話」
「分かった」
「危険な任務に行く前にも」
「携帯を使えない場所かもしれない」
「じゃあ行かないで」
「それは」
「冗談だよ」
律はそう言ったが、顔は笑っていなかった。
◇
同じ頃。
東京都立呪術高等専門学校の教室では、三人の一年生が五条悟を見ていた。
「というわけで」
五条は黒板に大きく「新入生候補」と書いた。
「明後日、見学者が来ます」
「この時期に?」
伏黒恵が眉を寄せる。
「転入ってこと?」
虎杖悠仁は椅子を前後に揺らした。
「男? 女?」
釘崎野薔薇が尋ねる。
「男子。十五歳。たぶん君たちと同学年」
「たぶんって何よ」
「学校制度上の確認がちょっと複雑でね」
釘崎は露骨に嫌そうな顔をした。
「面倒なやつじゃないでしょうね」
「本人は素直で大人しい感じ」
「じゃああんたと正反対ね」
「野薔薇、先生に対する敬意は?」
「入学時に置いてきた」
虎杖が手を上げる。
「強い?」
「強いかもしれない」
「先生が分かんないの?」
「分からないこともあるよ。僕、謙虚だから」
伏黒は五条を無視して聞いた。
「術式は」
「不明」
「呪力は」
「一般人と大差ない」
三人の表情が変わった。
伏黒は椅子の背から身体を離す。
「それで、呪霊を祓えるんですか」
「二級相当を単独で消したらしい」
「らしい?」
「伊地知が見た」
「じゃあ確実じゃないですか」
「方法が分からない。術式の発動兆候も、呪力の増加もなかった」
釘崎が腕を組む。
「呪具を使ったんじゃないの」
「素手。というか、触ってもない」
「何それ。気持ち悪い」
「会う前から悪口は駄目だよ」
「能力の話よ」
「本人の前でも言いそうだけどね」
「言うわよ。変なら変って」
虎杖は黒板の文字を見た。
「そいつ、呪術師になりたいの?」
「なりたくはないみたい」
「じゃあ来ない方がよくない?」
五条の口元が、わずかに止まる。
伏黒も虎杖を見る。
「だってさ」
虎杖は続けた。
「ここ、なりたくない奴が無理に来る場所じゃないだろ」
「なりたくて来た奴が何人いるんだよ」
伏黒が言った。
「伏黒は違うの?」
「そういう話じゃない」
「俺だって、最初から呪術師になりたかったわけじゃないし」
「お前は特殊すぎる」
「じゃあ、そいつも特殊なんだろ」
釘崎が机に頬杖をついた。
「見学に来るなら、自分で決めるんじゃない。嫌なら帰ればいいでしょ」
五条は三人を眺めた。
「君たち、仲良くなったねえ」
「どの会話を聞いてそう思ったんだ」
伏黒が言う。
「明後日は、一応優しくしてあげて」
「一応って何よ」
「脅さない。いきなり殴らない。宿儺を見せない」
「俺だけ注意がおかしくない?」
虎杖が自分を指差した。
五条は笑った。
「あと、見学中の戦闘は禁止」
「戦闘?」
伏黒が反応する。
「誰かから言われたんですか」
「保護者代理みたいな人から」
「親?」
「師匠」
「師匠?」
三人の声が重なった。
五条は楽しそうに頷いた。
「本人より、そっちの方が面倒かもしれない」
教室の窓から、夕方の光が差し込んでいた。
黒板に書かれた「新入生候補」の文字の下へ、五条は小さく名前を書き足す。
影山茂夫。
その四文字を見ても、三人にはまだ何の実感もない。
この少年が加わることで、自分たちの任務がどう変わるのか。
助かるはずだった者が死に、死ぬはずだった者が助かることもあるのか。
呪術師の常識から外れた力が、呪いの世界に何を持ち込むのか。
誰も知らなかった。
五条悟もまた、知らなかった。
ただ一つだけ、彼には確信があった。
呪術界は、未知のものを歓迎しない。
理解できない力を見つければ、分類する。
分類できなければ、管理する。
管理できなければ、排除する。
ならば、その前に自分の生徒にしてしまえばいい。
いつものように、五条はそう考えていた。
それが影山茂夫本人にとって正しいことなのか。
その答えだけは、まだ考えないようにしていた。