影山茂夫、呪術高専に入学する   作:stein0630

7 / 8
第7話「治すということ」

 

 

 初任務の翌朝、釘崎野薔薇は報告書を三度書き直していた。

 

「何で私がこんなことしなきゃいけないのよ」

 

 医務室の机に頬杖をつき、ペンの尻で紙を叩く。

 

 向かいには影山茂夫が座っていた。

 

 その隣には、右腕を固定された伊地知潔高。奥の診察台には五条悟が腰掛け、家入硝子は煙草をくわえたまま、伊地知のレントゲン写真を眺めている。

 

「任務をしたら報告する。基本だよ」

 

 五条が言った。

 

「作家志望じゃないのよ。起きたことが分かれば十分でしょ」

 

「『気持ち悪い呪霊が出たのでブッ飛ばした』では経緯が分からない」

 

「伝わるじゃない」

 

「主観しかない」

 

「じゃあ伏黒に書かせなさいよ。あいつ、こういうの得意そうだし」

 

「任務に参加してない人間が書くと、報告書じゃなくて作文になるよ」

 

「それを言うなら、あんただって途中いなかったでしょうが」

 

 五条が診察台の上で黙った。

 

 釘崎は鼻を鳴らし、報告書へ視線を戻す。

 

 モブの前にも同じ様式の用紙が置かれていた。

 

 日時。

 

 現場。

 

 参加者。

 

 推定等級。

 

 実際に確認された能力。

 

 一般人の被害。

 

 呪霊を祓うまでの経緯。

 

 モブは自分の書いた文章を読み返す。

 

 四階に、死亡した女児と思われる霊体を確認。

 

 当該霊体は呪霊とは異なる特徴を示した。

 

 呪霊消滅後、旧居と思われる部屋へ移動し、消失。

 

 成仏したかは不明。

 

「影山君」

 

 家入がレントゲン写真を光から外した。

 

「その女の子には、呪力がなかったんだな」

 

「全くなかったかは、分かりません。僕には、呪力を正確に測れないので」

 

「五条は?」

 

「僕が現場へ着いたときには消えてた」

 

 五条が答える。

 

「残穢も、呪霊のものと野薔薇の呪力しかなかった」

 

「じゃあ証明できない」

 

 家入は淡々と言った。

 

 モブは報告書へ目を落とす。

 

「僕が、見間違えたということですか」

 

「そうは言ってない。証拠が残ってないと言っただけだ」

 

 釘崎がペンを置いた。

 

「私には見えなかった。でも、こいつが誰もいない場所に話しかけてたのは事実よ」

 

「それだけなら幻覚の可能性もある」

 

「家入さん」

 

 伊地知が困った声を出す。

 

「可能性を話してるだけだ」

 

 家入は煙草を灰皿へ押しつけた。

 

「霊能者を名乗る人間の中には、実際には精神疾患や薬物の影響で幻覚を見ている者もいる。本人が嘘をついていなくても、見えているものが現実に存在するとは限らない」

 

「モブはそういうんじゃないわよ」

 

 釘崎の声が強くなる。

 

「野薔薇」

 

「何よ」

 

「影山君を信用することと、検証を省くことは別だよ」

 

 五条が言った。

 

 釘崎は五条を睨んだ。

 

「信用してないわけ?」

 

「してる。ただ、僕に見えなかったものを、見えたことにして理論を作る気はない」

 

 モブは二人の会話を聞いていた。

 

 自分には、少女が見えた。

 

 触れた感覚も残っている。

 

 泣いていた。

 

 最後には笑った。

 

 それでも、他人に見えなかった以上、存在を証明することはできない。

 

 以前なら、分かってもらえないことに少し傷ついたかもしれない。

 

 今は、五条たちが否定しているのではなく、分からないものを分からないまま記録しようとしていることが理解できた。

 

「報告書には、どう書けばいいですか」

 

 モブが尋ねる。

 

 家入が答えた。

 

「影山茂夫のみが、女児の姿をした霊的存在を認識した。接触時の感覚、行動、消失までの経緯を具体的に書く。正体の判断は保留」

 

「成仏したとは書かない?」

 

「確認できないからな」

 

「分かりました」

 

 モブは「成仏」の文字へ二重線を引いた。

 

 その横に、「霊体の反応が消失」と書き直す。

 

 釘崎がその手元を見る。

 

「納得できるの?」

 

「何が?」

 

「あの子がいたことを、信じてもらえなくても」

 

「信じていないとは言われてない」

 

「でも、幻覚かもしれないって」

 

「その可能性も、僕には証明できないから」

 

 釘崎は眉間にしわを寄せた。

 

「自分で見たんでしょ」

 

「うん」

 

「だったら、いたって言い切ればいいじゃない」

 

「僕が見たことと、本当に何だったかは別だと思う」

 

「面倒ね」

 

「ごめん」

 

「謝るところじゃない」

 

 釘崎は再びペンを持った。

 

 自分の報告書に、小さな文字を書き足す。

 

 影山が霊体と会話している間、呪力反応は確認できず。

 

 ただし、影山の視線、応答、霊体を移動させたとする念動力の挙動には一貫性あり。

 

 記述を終えると、紙を五条へ突き出した。

 

「これでいい?」

 

 五条は目隠しをしたまま報告書を受け取る。

 

「野薔薇、文章うまいね」

 

「最初からうまいわよ」

 

「さっきの一行目と別人みたい」

 

「返しなさい。破る」

 

     ◇

 

「では、伊地知さんの腕を見せてもらえるか」

 

 家入が言った。

 

 伊地知の表情がわずかに固まる。

 

「治療を?」

 

「治療はする。その前に、影山の能力を確認したい」

 

 モブは伊地知の右腕を見る。

 

 昨日作った副木は外され、医療用の固定具に交換されている。

 

「僕に治せるか、ということですか」

 

「治癒能力があると聞いた」

 

「大きな怪我を治したことは、ほとんどありません」

 

「何ならできる」

 

「出血を抑えたり、傷が悪化しないようにしたり。疲れている人へ、少し力を渡すこともできます」

 

「骨折は?」

 

「分かりません」

 

 家入は伊地知へ顔を向けた。

 

「本人の同意が必要だな」

 

「私は構いません」

 

「痛みが強くなったらすぐ言え」

 

「はい」

 

 モブは椅子を伊地知へ近づけた。

 

 固定具の上からでは、骨の位置を正確に捉えられない。家入の指示で一度外してもらう。

 

 右前腕は腫れ、皮膚の下に内出血が広がっている。

 

「触ってもいいですか」

 

「どうぞ」

 

 モブは両手を腕の近くへ添えた。

 

 直接は触れない。

 

 念動力を薄く広げ、皮膚の内側へ意識を向ける。

 

 骨。

 

 筋肉。

 

 血管。

 

 それぞれが違う硬さで存在している。

 

 だが、人間の身体は建物とは違った。

 

 折れた場所を押し戻し、形だけ合わせればいいわけではない。細胞がどうつながり、神経がどこを通り、血流がどの程度必要なのか、モブには分からない。

 

 力を込めれば、骨を元の位置へ動かすことはできる。

 

 しかし、間違えれば血管や神経を傷つける。

 

「難しいです」

 

「何が分からない」

 

 家入が尋ねる。

 

「どこまで動かしていいか分かりません。骨の形は見えるけど、治る位置にできるかは」

 

「正しい判断だ」

 

「治せない?」

 

「少なくとも、今のお前が無理にやれば治療じゃなく手術になる。しかも、知識のない人間が目を閉じてやる手術だ」

 

 モブは手を下ろしかけた。

 

「ただ、できる範囲を見てみろ」

 

「できる範囲」

 

「腫れを減らせるか。内出血を広げず、周辺の筋肉を緩められるか」

 

 モブは再び力を広げる。

 

 折れた骨には触れない。

 

 周囲の血液の流れと、緊張している筋肉だけを捉える。

 

 強く押さえれば血流が止まる。

 

 弱すぎれば変化しない。

 

 伊地知の表情を見る。

 

「痛いですか」

 

「少し温かい感じがします」

 

「痛みは?」

 

「先ほどより、軽くなったような」

 

 腫れがわずかに引いた。

 

 青紫色だった皮膚の色も、ほんの少し薄くなる。

 

 家入が伊地知の指先を押し、感覚を確認する。

 

「血行は問題ない。腫脹は減ってる」

 

「治りましたか」

 

「治ってはいない」

 

 家入ははっきり言った。

 

「症状を軽くしただけだ。骨は折れたまま」

 

「はい」

 

「だが、それも救急処置としては有効だ。搬送まで時間がかかる現場ではな」

 

 モブは自分の手を見る。

 

「もっと強い力を使えば、治せますか」

 

「強さの問題だと思うか?」

 

「分かりません」

 

「治療に必要なのは、壊れたものを動かす力だけじゃない。何をどう戻すかという情報だ」

 

 家入は自分の左手の甲へ、小さなメスを当てた。

 

「家入さん?」

 

 伊地知が声を上げる。

 

 刃が皮膚を浅く切る。

 

 細い血の線が浮かんだ。

 

「よく見ろ」

 

 家入の身体から、普段の呪力とは違う流れが生まれた。

 

 モブにも分かった。

 

 呪力は、冷たくざらついたものに感じる。

 

 呪霊や術式を構成する力。

 

 だが今、家入の手へ集まったものは、同じ場所から生まれながら性質が逆だった。

 

 反発し合う二つの流れが重なり、別の力へ変換されている。

 

 切り傷が閉じた。

 

 血も消える。

 

「今のが反転術式」

 

 家入が言った。

 

「負の呪力同士を掛け合わせ、正のエネルギーを作る。それを身体へ流し、組織を再生する」

 

「僕がしたこととは違う」

 

「全く違う。お前は伊地知の身体が元々持っている回復機能を整え、物理的に血流や組織を操作した。私は、新しい組織を作った」

 

「失った腕も作れますか」

 

「術者の技量、損傷の程度、時間による。何でも元に戻せるわけじゃない」

 

「死んだ人は?」

 

「無理だ」

 

 家入の返事に迷いはなかった。

 

「心臓が止まった直後なら、状況次第で戻せる場合もある。だが死者を生き返らせる術じゃない」

 

「魂が傷ついた場合は?」

 

 家入の目が、わずかに細くなる。

 

「なぜ聞く」

 

「身体だけ治っても、その人が同じ人なのか気になったので」

 

 五条が診察台から降りた。

 

「反転術式は基本的に肉体へ作用する。魂の形に干渉する術式で変形させられた場合、どこまで戻せるかは別問題だね」

 

「別問題」

 

「魂を正しく認識できなければ、治す対象も分からない」

 

 モブは、昨日の少女を思い出した。

 

 身体はなかった。

 

 それでも、少女は少女だった。

 

「エクボは魂ですか」

 

『おい、急に俺様を解剖台へ乗せるな』

 

「魂を含んでいる可能性は高い」

 

 家入がエクボを見る。

 

「ただし、魂だけで構成されているとは断定できない。呪力、残留思念、自我。いくつかの要素が重なっている」

 

『だから俺様は俺様だっつってんだろ』

 

「その答えが一番正確かもしれないな」

 

 家入が言った。

 

 エクボは一瞬、黙った。

 

『……分かってんじゃねえか』

 

     ◇

 

 午後の訓練は、結界への対応だった。

 

 訓練場の中央に、四本の杭が正方形に打ち込まれている。

 

 その間には簡易的な結界が張られ、内部へ木製の人形が置かれていた。

 

 五条、真希、パンダ、狗巻、そして一年生四人が周囲に集まっている。

 

「今日の課題」

 

 五条が指を一本立てる。

 

「影山君は、結界を破壊せずに中の人形を外へ出す」

 

「超能力で?」

 

「そう」

 

「結界を解除してもらうことは」

 

「なし」

 

「中へ入る方法は?」

 

「自分で考えて」

 

 真希が腕を組む。

 

「昨日の任務じゃ、帳の中で普通に力を使えたんだろ」

 

「はい」

 

「なら、結界の内側へ干渉できないわけじゃない」

 

 伏黒が杭を観察する。

 

「この結界は、外部からの侵入を防ぐものですか」

 

「正確には、呪力を持つものの侵入を遅らせる」

 

 五条が答えた。

 

「完全に止めるほど強くはない。君たちなら、呪力をぶつければ壊せる」

 

「壊さない理由は?」

 

 釘崎が尋ねる。

 

「中に一般人がいて、結界が建物を支えてるかもしれないから」

 

「どういう想定よ」

 

「現場では、意味不明な条件が重なることがあるからね」

 

 モブは結界の前へ立った。

 

 目には見えない。

 

 しかし、鳥居で感じた網目より粗く、帳よりも硬い。

 

 薄い箱のような構造が、人形を囲んでいる。

 

 まず、人形へ直接念動力を伸ばす。

 

 結界の表面で力が止まった。

 

 押し返される感触はない。

 

 力が届く先を失い、表面を滑っていく。

 

「どう?」

 

 パンダが尋ねる。

 

「中が、ないことにされています」

 

「ない?」

 

「人形があるのは見えます。でも、超能力で触ろうとすると、そこには何もないと判断される」

 

 伏黒が五条を見る。

 

「対象の認識をずらす結界か」

 

「簡易的なものだけどね」

 

「呪力を持たない影山の力にも作用するんですか」

 

「結界が影山君の力を止めてるわけじゃない。影山君の認識へ、中へ入るための座標を渡してない」

 

 モブは別の方法を試す。

 

 人形ではなく、地面を捉える。

 

 結界の外側から内側へ続く土。

 

 地面は分断されていない。

 

 土を小さく持ち上げ、中の人形を下から押す。

 

 結界が揺れた。

 

 木製の人形が数センチ浮く。

 

「おっ」

 

 虎杖が声を出す。

 

 だが、結界の杭が光り、地面への干渉を遮断した。

 

 人形が落ちる。

 

「惜しい」

 

 パンダが言った。

 

「今のは結界側が対応したんですか」

 

「そう」

 

 五条は楽しそうだった。

 

「高専の結界と同じ。君の力そのものは理解できなくても、内部に変化が生じたことは検知できる」

 

「では、何度も試すと」

 

「結界も学習する」

 

「逆に、モブも結界の反応を学習できる」

 

 真希が言った。

 

「力任せに壊すより、よほど面倒な相手だな」

 

 モブは結界の周囲を歩いた。

 

 杭。

 

 地面。

 

 空気。

 

 中の人形。

 

 どこか一つを動かせば、結界が反応する。

 

 なら、変化を起こさずに外へ出す必要がある。

 

「質問があります」

 

「どうぞ」

 

「人形を外へ出すことが目的ですか」

 

「うん」

 

「結界の外側を内側にするのは、だめですか」

 

 五条の笑みが止まった。

 

「何をする気?」

 

「まだ分かりません」

 

 モブは四本の杭へ力を伸ばした。

 

 引き抜かない。

 

 動かさない。

 

 杭が支えている結界の面だけを捉える。

 

 正方形の箱を、形を変えずに広げていく。

 

 四本の杭はそのまま。

 

 結界の表面だけが薄く引き延ばされ、人形の位置を通り過ぎる。

 

 人形は動いていない。

 

 だが、結界の範囲から外れた。

 

 モブは人形を浮かせ、自分の手元へ運んだ。

 

 訓練場が静かになる。

 

「これでいいですか」

 

 五条は数秒、何も言わなかった。

 

 やがて手を叩く。

 

「正解」

 

「反則じゃない?」

 

 釘崎が言った。

 

「結界を壊してないし、人形も出した」

 

 伏黒は杭の位置を確認する。

 

「構造自体を動かしたのか」

 

「境界だけを広げました」

 

「そんなことできるなら、帳も抜けられるんじゃない?」

 

 虎杖が言う。

 

「できるかもしれません」

 

「領域も?」

 

 伏黒の問いに、五条の顔がわずかに変わった。

 

「それは別物だよ」

 

 モブが五条を見る。

 

「領域とは何ですか」

 

「術式を付与した生得領域を、現実空間へ展開する技術。普通の結界よりずっと完成度が高い」

 

「同じ方法では出られませんか」

 

「試さないと分からない」

 

「試すの?」

 

 釘崎が嫌そうに言う。

 

「今はやらない。領域展開は、訓練で気軽に受けさせるものじゃないから」

 

「珍しくまともね」

 

「先生はいつもまともです」

 

「じゃあ今朝の任務説明は何だったのよ」

 

 五条は釘崎を無視し、モブの作った結界を見る。

 

「影山君。今の方法は、結界の術式を解いたわけじゃない」

 

「はい」

 

「境界の位置そのものを、外から物理的に移動させた」

 

「物理的?」

 

「君にとっては、たぶんね」

 

 五条は結界の表面へ手を近づける。

 

「呪術師は、結界を術式として見る。君は、存在している形として触っている」

 

「違うんですか」

 

「家の鍵を開けるのと、家ごと動かすくらい違う」

 

 真希が鼻で笑う。

 

「面倒な鍵なら、家を動かす方が早いこともある」

 

「でも」

 

 モブは人形を地面へ置いた。

 

「中に人がいたら、急に境界を動かすのも危ないと思います」

 

「何でだ」

 

 真希が尋ねる。

 

「結界が何を支えているか分からないからです。外へ出すつもりで、別のものを中へ入れるかもしれない」

 

 五条は笑わなかった。

 

「そうだね」

 

「だから、いつでも使える方法ではありません」

 

「できるから使う、じゃないんだな」

 

 真希の言葉だった。

 

 モブは真希を見る。

 

「はい」

 

「昨日、私に言ったこと」

 

「傷つける必要がないという話ですか」

 

「それだ」

 

 真希は少し言いづらそうに視線を逸らした。

 

「お前は、力を持ってる奴が使わないことを、偉いと思ってるのか」

 

「思っていません」

 

「じゃあ、何で使わない」

 

「使った方がいいと思ったら使います」

 

「その基準は」

 

「まだ、分かりません」

 

「結局それか」

 

「だから、ここに来ました」

 

 真希はモブを見た。

 

 昨日より、怒ってはいなかった。

 

「私は、呪力がほとんどない」

 

 真希が言った。

 

 モブは黙って聞く。

 

「術式もない。呪霊も眼鏡がなければ見えない」

 

 真希は自分の眼鏡の縁へ触れた。

 

「それでも、呪具を使えば祓える」

 

「はい」

 

「お前は呪力がなくても、何でも見えて、何でも動かせる」

 

 声に刺が混じる。

 

「それを使わないと言われると、持ってない側からすれば腹が立つ」

 

 モブは、ようやく昨日の怒りの一部を理解した。

 

 真希は、超能力を使わないこと自体へ怒っていたのではない。

 

 持っている者が、持っていることを軽く扱うように見えた。

 

「すみません」

 

「だから謝るな」

 

「でも、真希さんがどう感じるか考えていませんでした」

 

「考えたところで、私に合わせて使うのか?」

 

「それは違うと思います」

 

「なら謝るな」

 

 真希は呪具を肩へ担いだ。

 

「ただ、使わないなら、使わずに死ぬな」

 

 モブは言葉を受け止める。

 

「はい」

 

「使うなら、中途半端に使うな」

 

「はい」

 

「でも人間相手に全力は出すな」

 

「どれですか」

 

 真希が一瞬止まる。

 

 パンダが吹き出した。

 

「真希、注文が多いぞ」

 

「状況で考えろって言ってんだ!」

 

「分かりました」

 

「本当に分かってるか?」

 

「分からないので、練習します」

 

 真希は額へ手を当てた。

 

「こいつ、真面目に話すほど疲れるな」

 

「悪気はないんだ」

 

 パンダがモブの肩を叩く。

 

「そこが一番厄介なんだよ」

 

     ◇

 

 夜。

 

 モブは寮の自室で、霊幻へ電話をかけていた。

 

『初任務が終わったのに、どうして昨日連絡しなかった』

 

「帰ってきたのが遅かったので」

 

『遅くてもメッセージくらい送れ。怪我は』

 

「ありません」

 

『本当か』

 

「筋肉痛があります」

 

『それは怪我に入らない』

 

「釘崎は擦り傷がありました。伊地知さんは腕を骨折しました」

 

 電話の向こうが静かになる。

 

『事前情報は』

 

「三級と言われました。でも、実際は二級相当でした」

 

『一般人はいないと言っていたな』

 

「不法侵入した人が三人いました」

 

『五条は』

 

「別件で、途中からいませんでした」

 

『あの野郎』

 

「でも、伊地知さんと釘崎がいました」

 

『伊地知は骨折したんだろ』

 

「はい」

 

『モブ』

 

 霊幻の声が低くなる。

 

『お前、学校を庇ってないか』

 

「庇っているつもりはありません」

 

『なら、起きたことを順番に話せ。判断は俺がする』

 

「師匠が?」

 

『お前もする。俺もする。家族もする。全員が同じ結論を出す必要はない』

 

 モブは、昨日の任務を最初から話した。

 

 不法侵入者。

 

 エレベーター。

 

 建物と一体化した呪霊。

 

 女児の霊。

 

 釘崎との役割分担。

 

 伊地知の負傷。

 

 途中で霊幻は何度も質問した。

 

 なぜ退去後の建物へ人が入れたのか。

 

 管理会社は割れた窓を把握していたのか。

 

 帳を解除してから救急車が到着するまで何分かかったのか。

 

 モブが答えられない質問もあった。

 

『分からないことは、次から確認しろ』

 

「はい」

 

『それで、お前はどう思った』

 

「何が?」

 

『任務についてだ。怖かった、助けられてよかった、情報が違って腹が立った。何でもいい』

 

 モブは考えた。

 

「釘崎がいたので、助かりました」

 

『それは釘崎の評価だ。お前の感情を聞いてる』

 

「難しいです」

 

『知ってる。だから聞いてる』

 

 モブは窓を見る。

 

 外は暗い。

 

 訓練場の照明だけが、木々の間から見えている。

 

「一般人を助けられたときは、安心しました」

 

『うん』

 

「女の子が消えたときは、少し悲しかったです」

 

『うん』

 

「でも、消えない方がよかったのかは分かりません」

 

『分からなくていい』

 

「伊地知さんが怪我をしたのは、嫌でした」

 

『うん』

 

「五条先生がいなかったことは」

 

 言葉が止まる。

 

「少し、怒っています」

 

 口にすると、胸の奥が動いた。

 

 大きな怒りではない。

 

 五条が意図的に放置したわけではないことも分かっている。

 

 それでも、事前の情報が違い、戻ってきたのは終わった後だった。

 

『本人に言ったか』

 

「言ってません」

 

『なぜ』

 

「釘崎が言っていたので」

 

『お前が怒ってることは、釘崎が言っても伝わらない』

 

「でも」

 

『明日言え』

 

「何て?」

 

『考えろ。俺の言葉で言っても意味がない』

 

「はい」

 

『それと五条に代われ』

 

「今は部屋にいません」

 

『電話番号を知ってるだろ』

 

「師匠も知ってますよね」

 

『俺からかけると着信拒否しやがる』

 

「何かしたんですか」

 

『学校の安全管理について、夜中に三回確認しただけだ』

 

「三回」

 

『一回目は途中で切られた。二回目は電源を落とされた。三回目は知らない外国語の留守番電話になった』

 

「嫌がらせだと思います」

 

『教師が保護者側の連絡を嫌がらせ扱いするな』

 

 モブは少し迷った。

 

「師匠は、五条先生が嫌いですか」

 

『好き嫌いで仕事はしない』

 

「嫌いなんですね」

 

『お前、最近言うようになったな』

 

「釘崎にも言われました」

 

『影響される相手は選べ』

 

 電話の向こうで、紙をめくる音がした。

 

『ただ、五条が全部間違ってるとは思ってない』

 

「そうなの?」

 

『強い奴が前に立つべきだという考えは分かる。実際、あいつがいなければもっと死ぬんだろう』

 

「はい」

 

『だが、強い奴一人がどうにかする前提の組織は、そいつがいないときに壊れる』

 

 昨日の集合住宅。

 

 先日の高専。

 

 五条がいない間に、残された人間が判断しなければならなかった。

 

『お前も同じだぞ、モブ』

 

「僕も?」

 

『お前がいれば何とかなる、と思わせるな。周りにも、自分にも』

 

「はい」

 

『返事だけはいいな』

 

「気をつけます」

 

『それも返事だ』

 

 霊幻はため息をついた。

 

『明日は五条に怒ってると言え。言えなかったら、せめて紙に書け』

 

「報告書に?」

 

『それは違う。感想文になる』

 

     ◇

 

 電話を切った直後、部屋の扉がノックされた。

 

「モブ、起きてる?」

 

 虎杖の声だった。

 

 扉を開けると、虎杖はDVDのケースと菓子の袋を抱えていた。

 

「映画、見るって話」

 

「今から?」

 

「明日、午前は座学だけだし」

 

「宿題があります」

 

「持ってくれば? 俺の部屋でやろうぜ」

 

 虎杖の部屋では、伏黒がすでに机へ教科書を広げていた。

 

「何で伏黒がいるの」

 

 虎杖が言う。

 

「お前が宿題を見ろと言ったんだろ」

 

「そうだった」

 

「忘れるな」

 

 釘崎はベッドの上で菓子を食べている。

 

「遅いわよ、モブ」

 

「釘崎もいたんだ」

 

「いたら悪い?」

 

「悪くない」

 

「ならいちいち驚かないで」

 

 モブは床へ座り、宿題を広げた。

 

 映画はまだ始まらない。

 

 伏黒が虎杖へ英語の文法を説明し、釘崎が横から間違った発音を指摘する。モブは数学の問題を解いていた。

 

 しばらくして、虎杖が尋ねた。

 

「昨日の女の子、本当にいたんだよな」

 

「うん」

 

「死んだ人って、みんなああやって残るの?」

 

「残らないと思う」

 

「何で残る人と、残らない人がいるんだろ」

 

「分からない」

 

「そっか」

 

 虎杖は鉛筆を回した。

 

「俺のじいちゃんも、どこかにいたりするのかな」

 

 伏黒の手が止まる。

 

 釘崎も菓子を食べる音を止めた。

 

 モブは虎杖を見る。

 

 虎杖は笑っていなかった。

 

「会いたいの?」

 

「どうだろ」

 

 虎杖は天井を見る。

 

「言われたことがあるんだ。人を助けろって。俺、ちゃんとできてんのかなって聞きたい気はする」

 

「会っても、答えてくれるとは限らないよ」

 

「厳しいな」

 

「女の子も、何も話しませんでした」

 

「じゃあ、死んだ人に答えを求めても仕方ない?」

 

「仕方ないとは思わない」

 

 モブは言葉を選ぶ。

 

「でも、死んだ人の言葉を、自分の答えにしすぎるのは危ないと思う」

 

 虎杖がモブを見る。

 

「どうして?」

 

「その人は、今の虎杖君を見ていないから」

 

 部屋が静かになる。

 

「じいちゃんは、俺のこと分かってたと思うけど」

 

「うん。でも、今の虎杖君が誰と会って、何を考えているかは知らない」

 

「じゃあ、自分で決めろってこと?」

 

「たぶん」

 

「たぶんか」

 

「僕も、自分で決められないことが多いから」

 

 虎杖は少し笑った。

 

「モブって、たまにすごいこと言うよな」

 

「普通のことだと思う」

 

「本人は気づかねえんだよ」

 

 伏黒が言った。

 

 釘崎が頷く。

 

「しかも、言った後に自信なさそうな顔するのよ」

 

「そう?」

 

「今してる」

 

 モブが自分の頬へ触れた、そのときだった。

 

 虎杖の頬に、小さな口が開いた。

 

『死者の言葉を捨てきれず、生者の判断も信じられないか』

 

 低い声。

 

 虎杖が顔をしかめる。

 

「出てくんな、宿儺」

 

 口は閉じない。

 

『小僧。貴様の方ではない』

 

 口の向きが、モブへ変わった。

 

 モブは身体を固くした。

 

 虎杖の内側にいる存在。

 

 以前、教室で感じたときより近い。

 

「僕に話していますか」

 

『他に誰がいる』

 

 釘崎が金槌をつかむ。

 

「頬を殴ったら黙る?」

 

「俺も痛いんだけど!」

 

 伏黒は立ち上がり、虎杖を警戒する。

 

「虎杖、制御できるか」

 

「できる。こいつが勝手に口出してるだけだ」

 

 宿儺は周囲を無視した。

 

『力を閉じ込め、善人の顔を作る。随分と脆い蓋だな』

 

 モブの胸の奥が、わずかに冷える。

 

「善人の顔を作っているつもりはありません」

 

『そうか』

 

 口が笑う。

 

『なら、怒りを飲み込むのは何のためだ』

 

 五条への怒り。

 

 真希への戸惑い。

 

 少女を利用した呪霊への嫌悪。

 

 モブは、無意識に手を握った。

 

「今、話す必要がないと思ったからです」

 

『必要かどうかを誰が決める』

 

「僕です」

 

 返事は、思ったより早く出た。

 

 宿儺の口が止まる。

 

 虎杖も、釘崎も、伏黒もモブを見る。

 

「怒っても、すぐに相手を傷つける必要はありません」

 

『傷つけられぬだけではないのか』

 

「違います」

 

『証明できるか』

 

「あなたに証明する必要はないです」

 

 一瞬。

 

 虎杖の内側から、重い気配が漏れた。

 

 部屋の温度が下がったように感じる。

 

 伏黒の影が揺れ、釘崎が金槌を構える。

 

 エクボがモブの背後へ回った。

 

『モブ、こいつ相手に意地張るな』

 

 モブは宿儺の口を見た。

 

 怖い。

 

 人間ではない。

 

 悪霊でも、これまで見た呪霊でもない。

 

 強さだけではない。

 

 相手の恐怖を知りながら、それを踏みつけることへためらいがない。

 

 宿儺はしばらく黙り、やがて低く笑った。

 

『蓋が外れたときも、同じことを言えるといいな』

 

「宿儺!」

 

 虎杖が自分の頬を叩いた。

 

 口が潰れ、消える。

 

 虎杖は数秒、頬を押さえていた。

 

「ごめん、モブ」

 

「虎杖君が謝ることではないよ」

 

「でも俺の身体から出たし」

 

「虎杖君の言葉じゃない」

 

「……そっか」

 

 モブは、自分の握った手を開いた。

 

 手のひらに汗がにじんでいる。

 

「モブ」

 

 釘崎が言った。

 

「大丈夫?」

 

「怖かった」

 

「そうじゃなくて」

 

「少し腹が立ちました」

 

 釘崎が目を瞬く。

 

「宿儺に?」

 

「うん」

 

「なら、そういう顔しなさいよ」

 

「してなかった?」

 

「無表情だった」

 

「気づきませんでした」

 

「本当に面倒ね、あんた」

 

 釘崎は金槌を置いた。

 

「今度出てきたら、私が先に殴るから」

 

「俺の顔を!?」

 

「黙らせるためよ」

 

「加減してくれよ!」

 

「善処する」

 

「それ、信用できないやつ!」

 

 騒ぎが戻る。

 

 伏黒は座り直したが、表情は険しいままだった。

 

 モブは虎杖の奥にいるものを意識する。

 

 もう気配は沈んでいる。

 

 それでも、見られている感覚は残っていた。

 

     ◇

 

 骨でできた山。

 

 血のような水面。

 

 宿儺は、自らの生得領域で頬杖をついていた。

 

 小僧の外側で起きた会話は、すべて聞こえている。

 

 影山茂夫。

 

 呪力は取るに足らない。

 

 肉体も脆い。

 

 殺意を向けられれば、判断する前に死ぬような子供。

 

 それでも、宿儺は笑っていた。

 

 少年の力は、自分へ直接届いてはいない。

 

 虎杖悠仁の肉体を包む輪郭へ触れただけで、その奥にいる宿儺を認識した。

 

 術式ではない。

 

 呪力でもない。

 

 だが、肉体と魂の境界を、壁として感じ取っている。

 

 興味深い。

 

 より興味深いのは、その力ではなかった。

 

 少年は恐怖していた。

 

 怒ってもいた。

 

 それでも、恐怖も怒りも否定しなかった。

 

 押し殺しているように見えて、以前とは少し違う。

 

 自分で蓋を押さえながら、開ける時を選ぼうとしている。

 

「選べると思うなよ」

 

 宿儺は誰もいない領域で呟いた。

 

 蓋というものは、内側から壊れるとは限らない。

 

 外から指をかけ、少しずつこじ開けることもできる。

 

 そのとき、少年の力が何を守り、何を潰すのか。

 

 宿儺は恐れていなかった。

 

 ただ、見届ける価値はあると思った。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。