乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してだけでなく私のせいで古生物を解き放ってしまった…。〜責任をとってプレヒストリック・パークを開きます〜   作:龍座

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主人公と仲良くなろう!

マリアのお陰でタリナの左脚の傷は完全に治癒した。

しかし、未知の病原菌によって極限まで体力を消耗し、激痛と高熱に耐え続けていた反動は大きく、医者からは「一先ず今日は絶対に安静にしていること」と強く命じられた。

 

また、豪雨の中を遠方から駆けつけ、カタリナの命を救ってくれたマリアとその母親に対し、ルイジとミリディアナは最大限の感謝を示した。

 

ルイジ「こんな嵐の夜に、恩人をお帰しするわけにはいきません。どうか本日は我が家に滞在してください」

 

両親の強い勧めもあり、マリアたちも今日はクラエス公爵家の客間に泊まることになったのである。

 

看病してくれていたジオルドや友人たち、そして両親やメイドのアンが安堵の表情とともに部屋を後にし、カタリナはようやく一人きりになった。

 

ーーカタリナ脳内会議ーー

 

真っ暗な空間の中央に、円卓を囲むように配置された五つの椅子。そこには、それぞれ異なる役割と性格を持った『五人のカタリナ』が着席していた。

 

コンコンッ!

 

議長カタ「それでは、これより緊急会議を開きます」

 

議長席に座る、白い付け髭を蓄えたカ議長カタリナが丸に「力」と彫られた木槌を打ち鳴らした。

 

厳かな議長の声に、伊達眼鏡をクイッと押し上げた真面目カタリナが、手元のノートを開きながら頷く。

 

真面目カタ「恐竜の捕獲や飼育施設の建設など、色々ありましたから久しぶりの会議ですね」

議長カタ「うむ、一時はどうなることかと思ったが何とか命拾いしたな」

 

ニコニコと笑みを浮かべるハッピーカタリナがのんびりとした口調で両手を上げる。

 

ハッピーカタ「あははー! もうダメかと思ったけど、光の魔法ってすごいよねー。痛いのも熱いのも全部なくなっちゃった! これでまた畑仕事や恐竜のお世話ができるよー!」

 

ハッピーカタが無邪気に喜ぶ一方で、弱気な顔つきの弱気カタリナは、ブルブルと震えながら身を縮こまらせた。

 

弱気カタ「で、でも……喜んでばかりもいられませんよぉ! あの命の恩人の女の子……紛れもなく『FORTUNE・LOVER』の主人公、マリア・キャンベルちゃんじゃないですか! 本来なら、私たちが15歳になって魔法学園に入学してから出会うはずの相手ですよ!?」

 

その言葉に、円卓の空気が一気にピリッと引き締まった。

腕を組んでいた強気な表情の強気カタリナが、バンッ!と勢いよく机を叩いて身を乗り出す。

 

強気カタ「その通りよ! 恐竜騒動も大事だったけど、でも、今はゲームの主人公であるマリアと早く出会うという予想外の事態が最優先よ!」

真面目カタ「ええ。前世の記憶と照らし合わせても、完全なるイレギュラーです。本来の歴史であれば、平民であるマリアちゃんが学園に入学するまでの間、私たち悪役令嬢カタリナ・クラエスとは一切の接点がなかったはずですから」

 

議長カタ「うむむ……。まさか我々の命を救う恩人として登場するとはな。このイレギュラーな事態に対し、我々はどう立ち回るべきか。各員、意見を求む」

弱気カタ「ひぃぃ……! もしここでマリアちゃんに嫌われたら、学園に入る前に国外追放、あるいは処刑ルートに直行してしまうかもしれません! 命の恩人を無礼に扱った極悪非道な令嬢として、ジオルド王子に婚約破棄されちゃいますよぉ……!」

 

ハッピーカタ「えー? でもマリアちゃん、すっごく可愛くて優しそうな子だったじゃない? 私たちを助けるために一生懸命魔法を使ってくれたし、いじめる理由なんて一つもないよ! それに、平民の女の子ってお菓子作りが上手なイメージがあるし、仲良くなったら手作りのクッキーとか焼いてくれないかなぁ」

強気カタ「あんたは呑気ね! でも、ハッピーの言うことにも一理あるわ。本来のゲームなら、私たちはマリアをいじめる『悪役令嬢』として敵対する運命にある。だったら、いじめっ子キャラになる前に、今のうちから仲良くなってしまえばいいのよ!」

 

真面目カタ「なるほど。命を救ってもらったという『強力な恩』を利用……いえ、純粋な感謝の意を示すことで、マリアちゃんとの間に強固な友好的関係を築くのですね。悪役令嬢と主人公が親友になれば、彼女が私たちを破滅させる理由もなくなります」

弱気カタ「そ、それなら安全ですね……! 恩を仇で返すような真似をしなければ、破滅フラグも回避できるはずです!」

 

強気カタ「決まりね! 彼女の魔法がなければ、私たちは今頃脚を切り落としていたか、死んでいたわ。そんな恩人をいじめるなんて、人としてあり得ないもの。全力で感謝を伝えて、親友になりましょう!」

真面目カタ「ええ。さらに、彼女はその魔法のせいで村で孤立していると聞いています。私たちが彼女の庇護者となり、心から歩み寄れば、間違いなく強力な味方になってくれるはずです」

 

喧々諤々の議論の末(と言っても中身は全員同じカタリナなので、すぐに意見はまとまるのだが)、五人の意見は見事に一致した。

 

カタリナたちの出した結論は至ってシンプルでありながら、彼女の生存戦略において最も重要な一歩であった。

 

会議の結果、『関係を深めていき、少しでも、バッドエンドを回避するために尽力する』という結果に落ち着いた。

 

議長カタ「うむ。皆の意見、確かに受け取った。方針は固まったな」

 

議長カタリナが、満足げに白い付け髭を撫でながら、丸に「力」と彫られた木槌を握り直す。

 

議長カタ「決まりですな。では、その方向でいきましょう」

 

コンッ!

 

議長が木槌を鳴らすと同時に、残る四人のカタリナたちが一斉に立ち上がり、右手を真っ直ぐに挙げて声を揃えた。

 

『『『『異議なし!』』』』

 

こうして、カタリナの脳内会議は無事に閉会した。

目を覚ましたカタリナの胸には、未知の恐竜世界へのワクワク感とともに、「ゲームの主人公であるマリアと親友になる」という、新たな、そして最も重要な目標がしっかりと刻み込まれていたのであった。

 

ーーー

 

ー翌日ー

 

朝の清々しい光が、クラエス公爵家の窓から差し込んでいた。

ふかふかのベッドの上で目を覚ましたカタリナは、恐る恐る自らの左脚を動かしてみた。

 

カタ(……痛くない。熱もないわ!)

 

包帯がすっかり取り払われた脚は、ヴェロキラプトルに襲われる前と全く同じように、滑らかで健康的な白さを保っていた。ベッドから降りて床に足をつき、トントンと軽く飛び跳ねてみても、鈍痛ひとつ走らない。マリアの『光の魔法』がもたらした完全なる治癒を、カタリナは身をもって実感していた。

 

アン「お嬢様! まだ絶対安静だとお医者様から言われているのですよ!」

 

部屋に入ってきたメイドのアンが、飛び跳ねるカタリナを見て悲鳴を上げた。しかし、カタリナは満面の笑みでアンを振り返る。

 

カタ「大丈夫よアン、もうどこも痛くないもの! それより、早く着替えを手伝ってちょうだい。私、急いで行かなくちゃいけないところがあるの!」

 

昨夜の脳内会議で決議された最重要任務。それは『ゲームの主人公であるマリアと関係を深め、バッドエンドを回避すること』である。

 

命を救ってもらった今、嫌われる要素はないはずだが、油断は禁物だ。善は急げとばかりに、カタリナは身支度を整えると、アンの制止も聞かずに部屋を飛び出した。

 

向かった先は、公爵家の客間エリア。

昨夜から滞在しているマリアと彼女の母親が休んでいる部屋である。カタリナが勢いよく扉をノックすると、中から戸惑うような母親の声がし、やがてそっと扉が開かれた。

 

マリ「あ、あの……カタリナお嬢様? お加減はもう……」

カタ「おはよう! ええ、マリアちゃんのおかげですっかり元通りよ!」

 

カタリナが元気いっぱいに挨拶をすると、部屋の奥で居心地悪そうに縮こまっていたマリアが、ビクッと肩を震わせて顔を上げた。

 

平民である彼女たちにとって、公爵家のきらびやかな調度品に囲まれた客間は、どうにも落ち着かない空間だったのだろう。

 

カタリナは迷うことなく部屋に足を踏み入れ、マリアの目の前まで歩み寄った。そして、昨夜の寝間着姿とは違う、公爵令嬢としてのドレスに身を包んだ姿で、改めて深く頭を下げた。

 

カタ「マリアちゃん。昨夜は本当に、私の命を救ってくれてありがとう。あなたが来てくれなかったら、私は今頃どうなっていたか……」

マリ「そ、そんな……頭を上げてください、お嬢様! 私なんて、ただ村で気味悪がられていた魔法を使っただけで……」

 

マリアは慌てて手を振り、おどおどと視線を彷徨わせた。自分の魔法は人を不幸にする忌まわしいものだという呪縛が、まだ彼女の心にこびりついているのだ。

 

そんなマリアの両手を、カタリナはガシッと力強く握りしめた。

 

カタ「気味悪いなんてとんでもない! あなたの魔法は、とっても温かくて優しくて、素晴らしい力よ! 私はあなたに心から感謝しているの」

マリ「あ、温かい……?」

カタ「ええ! だから私、あなたとお友達になりたいの。今日はもうすっかり元気になったから、一緒にお庭へ遊びに行きましょう!」

 

カタリナの唐突な提案に、マリアは目を丸くした。

平民である自分と、雲の上の存在である公爵令嬢が友達になる。しかも「遊びに行こう」と無邪気に誘われている。マリアの今までの常識では到底考えられない事態に、彼女の思考は完全に停止していた。

 

カタ「さあ、行きましょう!」

 

カタリナが半ば強引にマリアの手を引いて客間を飛び出し、エントランスホールへと向かった、ちょうどその時だった。

 

ジオ「カタリナ!」

キー「義姉さん、もう歩き回って平気なの!?」

 

玄関の扉が開き、ぞろぞろと入ってきたのは、ジオルド、キース等何時ものの面々だった。彼らもまたカタリナの容態が心配で、朝一番に連れ立って見舞いに訪れたのだ。

 

カタ「みんな、おはよう! ええ、見ての通りもうすっかり元気よ!」

 

カタリナがその場でくるりと回って見せると、一同はホッと胸を撫で下ろした。

 

そして、彼らの視線は自然と、カタリナに手を引かれてオロオロとしている金髪の少女へと集まった。

 

ジオルドが、いつもの優雅で完璧な笑みを浮かべて一歩前に出る。

 

ジオ「マリア・キャンベル嬢ですね。昨夜は混乱していてきちんとお礼が言えませんでしたが……僕の、いや、僕たちの最も大切なカタリナを救っていただき、本当にありがとうございました。心より感謝申し上げます」

 

大国の第三王子であるジオルドが、平民の少女に向かって深々と、そしてこれ以上ないほど誠実に頭を下げた。

 

それに続くように、他の面々も次々とマリアを取り囲んだ。

 

アラ「お前のおかげで、あいつは脚を失わずに済んだ。……ありがとうな」

キー「義姉さんを助けてくれて、本当にありがとう。僕からもお礼を言わせてほしい」

メア「カタリナ様を救ってくださったあなたのご恩、一生忘れませんわ!」

ソフィ「あ、あのっ、マリアさんの光の魔法、とっても綺麗でした……!」

ニコ「……感謝する」

 

アランが少し照れくさそうに礼を言い、キースが安堵の笑みを向ける。メアリとソフィアは感極まったようにマリアの手を取り、ニコルは静かに、しかし深い感謝を込めて微笑んだ。

 

マリ「あ、えと、あの……っ」

 

マリアは完全にパニックに陥っていた。

 

村では「貴族の不義の子」と蔑まれ、誰も寄り付こうとしなかった自分。それなのに今、王族や高位貴族の子供たちが、揃いも揃って自分に向かって心からの感謝を述べ、温かい笑顔を向けてくれているのだ。

 

マリアの碧い瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。それは悲しみではなく、これまでの孤独が溶けていくような、温かい涙だった。

 

そんなマリアの様子を見てカタリナはポンッと手を叩いた。

 

カタ「よし! せっかくみんな集まったんだから、今日はマリアちゃんも一緒に、みんなで遊びましょう!」

マリ「えっ……? わ、私なんかが、皆様と一緒に……?」

カタ「もちろんよ! うちのお庭には、綺麗なお花がたくさん咲いているの。そうだわ、メイド長にお願いして、お庭で美味しいお茶とお菓子を用意してもらいましょう。マリアちゃんは甘いものが好き?」

 

カタリナが覗き込むように尋ねると、マリアは涙を拭いながら、少しだけはにかんで小さく頷いた。

 

マリ「……はい。甘いお菓子、大好きです」

カタ「決まりね! さあみんな、中庭へ出発よ!」

 

カタリナの号令とともに、子供たちの賑やかな声が屋敷に響き渡った。

 

手入れの行き届いた広大な中庭には、色とりどりの薔薇や季節の花々が咲き誇っていた。

 

最初はガチガチに緊張していたマリアだったが、カタリナの裏表のない明るさと、彼女を囲む仲間たちの分け隔てない優しさに触れるうち、少しずつその表情は柔らかく解れていった。

 

鬼ごっこをして芝生の上を駆け回り、アランとキースが言い争うのを笑って見つめ、メアリやソフィアから花の冠の作り方を教わる。

 

そして、木陰に用意された大きなテーブルで、美味しい紅茶と甘い焼き菓子をみんなで囲む。

 

マリ「美味しい……!」

 

カタリナに勧められて口にしたクッキーの甘さが、マリアの口いっぱいに広がる。

 

隣ではカタリナが「これすっごく美味しいわ!」と頬をリスのように膨らませており、それを見たジオルドが苦笑しながら彼女の口元をハンカチで拭っている。

 

マリ(こんな風に、みんなで笑い合って遊ぶなんて……いつ以来だろう)

 

眩しい太陽の下、マリアの心に重くのしかかっていた暗い影は、光の魔法のように綺麗に晴れ渡っていた。

 

破滅フラグを回避しようと必死なカタリナの思惑など露知らず、マリア・キャンベルにとってこの日は、生涯忘れることのない、温かで幸せな「初めてのお友達」ができた記念日となったのである。

 

ーーー

 

中庭での優雅なお茶会と遊びの時間が一段落した後、カタリナは「マリアちゃんに、私のお気に入りの場所を紹介するわ!」と意気揚々と彼女の手を引き、屋敷の敷地のさらに奥へと案内した。

 

ジオルドたちもいつもの事とばかりに、慣れた足取りでその後を付いていく。

 

やがて辿り着いた先で、マリアは思わず足を止め、目を丸くして硬直してしまった。

 

美しく刈り込まれた芝生や、色とりどりの薔薇が咲き誇る貴族の庭園。その一角に、およそ似つかわしくない土の匂いが漂う、本格的に耕された『畑』が広がっていたのだ。

 

丁寧に作られた畝には青々とした葉野菜が育ち、傍らには使い込まれたクワやジョウロが置かれている。さらに畑の真ん中には、手作りの不気味な案山子(カタリナ作・アレクサンダー)までが立っていた。

 

マリ「あ、あの……カタリナ様……? こちらは、一体……」

カタ「私の畑よ! 毎朝ここで土を耕して、野菜を育てているの!」

 

公爵令嬢が、自ら泥に塗れて農作業をしている。平民であるマリアの常識からしても、それは到底あり得ない光景だった。貴族の手は白く滑らかで、土など触らないものだと思っていたからだ。

混乱する頭のまま、マリアはおずおずと尋ねた。

 

マリ「何故、畑を……?」

 

すると、カタリナは腰に両手を当て、胸を張り、太陽を背にして自信満々の決め顔を作った。

 

カタ「破滅した時の対策のためよ!」

マリ「……は、はめつ……?」

 

あまりにも堂々とした宣言に、マリアはきょとんとして小さく首を傾げた。

 

『破滅』という恐ろしい単語と、目の前ののどかな畑の風景が全く結びつかない。

 

そんなマリアの反応に対し、後ろで見守っていた面々は三者三様の反応を示した。ジオルドは「また始まりましたね」と優雅に微笑み、キースは「義姉さんは本当にブレないなぁ」と深くため息を吐く。アランはやれやれと呆れたように肩をすくめ、メアリとソフィアは「土にまみれるカタリナ様も素敵ですわ!」とうっとりと両手を組んでいる。

 

カタリナの真意(ゲームのバッドエンドを回避し、平民に身分を落とされた時のための農業スキル向上)など知る由もないマリアだったが、誰も止める様子がないため、そういうものなのだと無理やり納得することにした。

 

その時、ふとマリアの視界の端に、畑の脇に積まれた大きな木箱がいくつも入った。

 

箱の中には、カタリナの畑で採れたばかりのキャベツや小松菜に似た葉野菜、そして瑞々しい根菜類が山のように詰め込まれている。

 

その視線に気づいたカタリナが、ひょいっと顔を覗き込んできた。

 

カタ「気になる?」

マリ「い、いえ……っ!」

 

他人の家の収穫物をジロジロと見てしまった無礼を恥じ、マリアは顔を赤くして慌てて首を横に振った。

 

しかし、カタリナはニコリと悪戯っぽく笑い、箱の一つをポンポンと叩いた。

 

カタ「ふふっ。実はね、このお野菜は私たちが食べるためじゃなくて、『特別な子たち』へのご飯なのよ。

……見てみる? マリアちゃんが気に入るかどうかは、ちょっと分からないけれど」

マリ「え……?」

 

特別な子たち。その言葉の響きに、マリアは不思議そうに瞬きをした。

 

カタリナが振り返って目配せをすると、控えていた公爵家の使用人たちが手際よく野菜の詰まった木箱を持ち上げ、荷車へと積み込んでいく。

 

カタ「さあ、行きましょう! きっとびっくりするわよ!」

 

カタリナに再び手を引かれ、マリアは荷車とともに敷地のさらに奥へと歩き出した。

 

ーガリミムスの展示場ー

 

カタリナたちに導かれ、屋敷の庭を抜け王都郊外の広大な土地へと続く専用の道を進む。マリアが足を踏み入れたその場所は、ソルシエ王国のいかなる貴族の庭園とも異なる、異質な気配に満ちていた。

 

人間の姿を隠すために土を盛り上げて作られた細い通路の両脇にはカタリナの指示によって植えられた瑞々しいシダ植物や、大きな葉を広げる広葉樹が鬱蒼と茂っている。雨上がりの湿った土の匂いと、青々とした植物の香りが立ち込めるその道のりは、ガリミムスたちがかつて生きていた白亜紀後期の湿潤な河川敷――基、太古の森の環境を、現代の植物を用いて極限まで再現した空間だった。

 

メア「……あそこですわ」

 

メアリが静かに指し示した先には、カモフラージュされた木製の覗き窓を備えた、薄暗い観察エリアがあった。

 

マリアたちは息を潜めて窓に近づき、そこから広大な展示場の全景を見渡した。そして、木々の合間や、なだらかな傾斜のついた土の地面の上で、お目当ての存在たちが静かに過ごしているのを見つけた。

 

マリアはその生涯で初めて、本物の「恐竜」という生き物をその目に焼き付けた。

 

窓の向こうにいたのは、体長が4メートルから5メートルほどもある、前世で言うダチョウに酷似した体型を持つ生物の群れだった。

 

鳥類を思わせる細やかで地味な色合いの羽毛が全身を包み込むように生え揃っている。長くしなやかな首の先には、歯が一切なく、角質化した硬い嘴を持つ頭部があり、そこにある大きな眼球が周囲の環境をじっと捉えていた。

細い前肢には三本の指があり、その後ろには、爆発的な脚力を生み出すための強靭で長い後肢と、走る際のバランスを保つための細長い尾が真っ直ぐに伸びている。

 

メア(……これが、カタリナ様の言っていた、大昔の生き物……)

 

マリアの胸の奥に、言葉にできないほどの激しい衝撃と、圧倒的な感情が込み上げてきた。

 

最初は、おとぎ話に出てくる化け物のような恐ろしい存在ではないかと、恐怖に身をすくませていた。

しかし、目の前にいるガリミムスたちは、決して獰猛に咆哮する化け物などではなかった。彼らは、風に揺れる木の葉に耳を澄ませ、歯のない嘴の奥から「クルル……」「ククッ」と、どこか現世の鳥たちを思わせる静かな低音で鳴き交わし合っている。

 

途方もない時間を超えてこの世界に息づく、純粋で、どこまでもリアルな「生命」の営み。マリアはその美しさと力強さに、恐怖を忘れてただただ深く圧倒され、畏怖の念を抱かずにはいられなかった。

 

その時、マリアはふと、自分たちの先頭を歩いていたはずの、最も重要な人物がいないことに気がついた。

 

マリ「あの……カタリナ様は、どちらへ行かれたのでしょうか?」

 

マリアが不思議そうに周囲を見回すと、ジオルドやキース、アランたちは、驚く風でもなく「ああ……」と深くため息をついた。彼らは全員、すでに状況を完全に察していた。

 

マリ「え? み、皆様、どうしてそんなお顔を……」

 

困惑するマリアの視線を促すように、キースがやれやれと首を横に振りながら、覗き窓のさらに奥、ガリミムスたちが暮らす展示場内のエリアを指差した。

 

マリアがそこへ目を凝らした瞬間、彼女の碧い瞳が驚愕に見開かれた。

 

マリ「な、何ということでしょう……!? カタリナ様が、あんなところに!!」

 

マリアは思わず素っ頓狂な声を上げて慌てふためいた。

 

なんと、頑丈な二重扉で隔離されているはずの展示場内…つまり、恐竜たちが暮らす危険なエリアのただ中にカタリナと、彼女の専属メイドであるアンの二人が、いつの間にか入り込んでいたのだ。

 

マリ「ど、どうして止めないのですか!? 襲われてしまったら大変ですわ! すぐにお助けを……っ」

 

大慌てで飛び出そうとするマリアの肩を、ジオルドが優雅な手つきでそっとなだめるように押さえた。

 

ジオ「大丈夫ですよ、マリア嬢。落ち着いてください。……あれは、カタリナの『いつもの日課』のようなものですから」

キー「そうなんだよ、マリアさん。止めても聞かないし、義姉さんは恐竜の生態を完璧に把握しているから、絶対に無理な近づき方はしないんだ」

アラ「あいつ、怪我が治った途端にこれだもんな。まぁ、アンも付いてるし、心配いらねぇよ」

 

王子たちのあまりにも冷静な、どこか生温かい反応に、マリアはただ唖然とするしかなかった。

 

マリアがハラハラしながら見守る中、展示場内のカタリナとアンは、極めて慎重に行動していた。

 

カタリナは泥にまみれるのも気にせず、身を低く屈め、ガリミムスたちに極力『警戒』や『パニック』、そして『ストレス』を与えないよう、細心の注意を払って動いている。彼らは優れた視覚を持っているため、人間が急な動きをしたり、大声を上げたりすれば、一瞬で暴走してしまうことをカタリナは熟知していた。

 

カタリナとアンが抱えているのは、先ほど畑から運んできた新鮮な野菜が詰められた、植物の蔓で頑丈に編み込まれた大きな籠だった。

 

これは単なる餌箱ではない。カタリナが前世の動物園の知識から取り入れた「環境エンリッチメント」のための給餌器具だった。籠の隙間から野菜が少しだけ覗くようになっており、ガリミムスたちが野生本来の「嘴で突ついて餌を探し出す」という行動を引き出し、退屈によるストレスを軽減するための工夫が施されている。

 

カタリナは群れから十分に離れた広葉樹の根元に、静かに、かつ素早くそのエンリッチメントを設置した。

 

隣で付き添うアンも、主人の奇行に呆れ果てながらも、カタリナの動きに完璧に同調し、一切の無駄な物音を立てずにサポートをこなしている。

 

設置を終えると、二人はガリミムスたちを刺激しないよう、背中を見せずにゆっくりと後退し、そのまま速やかにバックヤードのキャットウォークへと続く扉から、静かにその場を退場していった。

 

カタリナたちが去った後。

 

展示場の奥で様子を伺っていたガリミムスの群れは、突如として自分たちの縄張りに置かれた、見慣れないエンリッチメント(編み籠)に対して、一斉に長い首を伸ばした。

 

頭を小刻みにカクカクと動かしながら、ギョロリとした大きな目でその物体を凝視している。まだ警戒しているのか、すぐには近づこうとせず、嘴の奥から「ククッ……」「グルル」と短い警戒の声を漏らし合っていた。

 

だが、籠の隙間から漂ってくるのは、カタリナの畑で採れたばかりの、瑞々しく美味しそうな現代の野菜の匂いだ。

 

彼らがその警戒を解き、好奇心と食欲に負けてエンリッチメントをつつき始めるのも、おそらくは時間の問題だろう。

 

覗き窓からその一連の鮮やかな手際を見届けていたマリアは、パニックから一転して、カタリナという少女の持つ、計り知れない行動力と動物への深い愛情に、ただただ感嘆の吐息を漏らすのであった。

 

ガチャッという小気味良い音とともに、観察エリアの裏口にあたる重厚な木製ドアが開いた。

 

カタ「ただいま!」

 

展示場内にエンリッチメントを設置するという危険な任務を終え、土の匂いをふわりと漂わせながら、カタリナが専属メイドのアンを引き連れて元気いっぱいに戻ってきた。額にはうっすらと汗をかいているが、その顔にはやり遂げたという清々しい笑みが浮かんでいる。

 

ジオ「おかえり、カタリナ。相変わらずの手際でしたね」

 

窓際でその様子を見守っていたジオルドが、いつものように完璧で優雅な微笑みを浮かべて労いの言葉をかける。しかし、その隣にいたメアリは血相を変え、ドレスの裾を翻して一直線にカタリナのもとへ駆け寄った。

 

メア「カタリナ様! お怪我は!? あの恐ろしい生き物たちに突っつかれたり、踏まれたりなさいませんでしたか!? ああ、万が一カタリナ様の美しいお肌に傷でもついていたら、私……っ!」

カタ「大丈夫よメアリ。あの子たちはとても大人しいし、十分に距離を取っていたから。にしても……やっぱりみんなここにいたのね」

 

涙目で自分の全身をくまなくチェックし始めるメアリの頭を優しく撫でながら、カタリナは室内を見渡して小さく息をついた。

 

この広大な恐竜保護施設には、カタリナの考案により、実はこの場所以外にも展示場内を覗き見ることができるポイントがいくつか設けられている。例えば、土壁の一部にカモフラージュされた小さな覗き穴や、茂みを再現したその間など、「生き物を探す」というコンセプトに基づいた野趣あふれる仕掛けが随所に散りばめられているのだ。

 

だが、結局のところ、雨風をしのげて座り心地の良い椅子が用意されており、なおかつ窓枠という安全な境界線越しに全体をパノラマで見渡せるこの「屋内観察ルーム」が、皆の一番のお気に入りスポットになっているらしかった。

 

アラ「まあな。こっちの方が何かワクワクするからな」

 

腕を組んで窓の外を眺めていたアランが、少し照れくさそうに、しかし目を輝かせながら答えた。

 

彼の言う通り、この薄暗い室内から、窓という額縁を通して広大な白亜紀の森を覗き込む感覚は、まるで冒険のワンシーンを安全な場所から特等席で見ているような、不思議な高揚感とワクワク感を彼らに与えていた。マリアもまた、アランの言葉に深く共感するように、窓の向こうで採食を始めたガリミムスたちから目を離せずにいる。

 

皆が楽しんでくれている様子に満足したカタリナだったが、彼女の脳内はすでに「公爵令嬢」ではなく、完全に「動物園の凄腕園長」のモードへと切り替わっていた。

 

彼女は顎に手を当て、真剣な眼差しで室内を改めて見回し始めた。

 

カタ「うーん……やっぱり、ここにも『説明板』を設置したほうがいいのかしら? ガリミムスがどんなものを食べて、どんな時代を生きていたのか、見てくれる人にちゃんと知ってもらいたいもの。あと、さっき置いたエンリッチメントも、今は植物の蔓で編んだ籠だけど、いずれは中をくり抜いた『丸太』のものにアップグレードして……そうすれば、あの子たちが嘴で突っついても壊れにくいし、より自然に近い行動を引き出せるわよね」

 

ぶつぶつと今後の施設改修案を独り言のようにつぶやくカタリナ。その頭の中には、前世で通い詰めた動物園の立派な解説ボードや、頑丈な給餌器の記憶が鮮明に浮かんでいた。

そんなカタリナの様子を静かに見つめていたニコルが、ふと、その魔性の瞳を伏せながら静かに口を開いた。

 

ニコ「……その様子だと、募金箱も設置するんだよね?」

カタ「もちろん! 長く続けるにはやっぱり金が必要だから!」

 

ニコルの鋭くも的確な指摘に、カタリナは一切の躊躇なく、バンッ! と力強く手を叩いて即答した。

 

カタ「ジェフリー王子に莫大な建設費用を出していただいたとはいえ、あの子たちの毎日の餌代、施設を維持するための修繕費、いざという時の薬代……命を預かるってことは、それだけ継続的にお金がかかるってことなの! 施設を立派に運営していくためにも、見学に来た人たちから少しでも支援を募る『募金箱』は絶対に必須よ!」

 

愛する恐竜たちを守るためとはいえ、大貴族の令嬢らしからぬあまりにも生々しく現実的な「お金」の話に、その場にいた面々は思わず顔を見合わせて苦笑を漏らした。

 

しかし、その声には一切の嫌味がなく、ただ純粋に命を繋ぐための責任感から来ていることが痛いほど伝わるため、誰も彼女を咎めようとはしない。

 

アラ「まぁ、お前の言うことは最もだけどな。……まだ、開園してなくて、俺たちしか入れないけどな」

 

アランがやれやれと肩をすくめながら、身も蓋もない現実を突きつけた。

 

そう。この巨大で画期的な施設は完成したばかりであり、保護しているのもガリミムスの群れのみ。

安全性の確認や生態調査が終わっていない現在、一般の貴族や平民に公開する『開園』の目処など、まだ全く立っていないのである。客が一人もいない状態では、いくら立派な説明板や募金箱を作ったところで、見てくれる者も、硬貨を入れてくれる者もいないのだ。

 

カタ「あ……」

 

アランの鋭いツッコミに、カタリナは雷に打たれたように硬直し、みるみるうちに顔を赤くして「そ、そうだったわね……」と視線を泳がせた。

 

先走ってしまったカタリナのその愛らしい様子に、ジオルドが優しく吹き出し、キースやニコル、メアリとソフィアもつられてクスクスと笑い声を上げた。

 

そんな彼らの温かく和やかなやり取りを少し離れた場所から見ていたマリアの顔にも、いつしか自然で柔らかい笑顔が浮かんでいた。

 

身分の壁など一切感じさせない、彼らの真っ直ぐで優しい関係性。そして、自分たちとは違う未知の命に対して、これほどまでに真剣に向き合い、守ろうとするカタリナの強さと温かさ。

 

マリ(カタリナ様は……本当に、不思議で素敵な方ですね)

 

まだ名前すらないこの秘密の恐竜園は、カタリナと彼女を取り巻く仲間たち、そして新たに加わったマリアの心を確かな絆で優しく結びつけようとしていた。

 

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